4-19
それは今まで私の経験したことのない衝撃だった。
例えるならば、音の速さで平手打ちを受けたかのような。重力の方向が真横に変わって叩きつけられたかのような。私の知る世界ではありえない一撃。
ミドルの魔術を難なく撥ね退けた私の身体が、一瞬にして肉塊に変わった。意識が途切れ、また戻る。私は私を取り戻す。
「……なにそれ」
恐らくシクロが放ったであろう攻撃に、息を飲むことしかできない。
私の知る彼女は、こんな殺傷性の高い力を持っていただろうか。
「マリア、大丈夫?」
イヴァンの心配そうな声。
押しつぶされたかのような彼女の怪我。彼女もシクロにやられたのだ。
「どういうこと? 何が起こってるの?」
「わからない。さっきまで私たちはミラージュと戦っていたんだよ。無限に現れる彼女と死闘を繰り広げていた。相手は無数、でも、私たちだって不死だし決着はつかない。その途中で奥の扉が開いてシクロが現れたかと思ったら、すべてが吹き飛んだんだ。一瞬の出来事で、何が起こったかもわかってない」
だとしたら、知っていそうな人物に聞くのが筋よね。
私はミラージュに視線を投げた。
「ミラージュ。どういうこと?」
「……所長が、何かした」
当事者であるミラージュすらも息を飲んでいた。
「シクロの原初は、”力”。引力と、斥力。幼少期、ここにやってきた彼女に、実験台として、それらの血液を投与した」
また、意味のわからない。
「力の血? 何を言ってるの?」
「わからないならわからないでもいい。今、そこは問題じゃない。実際に私たちはそうした。原初の血を別の個体に投与すると、その人間は死ぬ。シクロだってそう、体の色素がおかしくなって、すでに死んでいるはずだった。だから彼女が現れて、予想と違う結果を見ることができて、私たちは嬉しかった」
一旦、私は原初への理解を諦めた。
力は生きていた。そう仮定することにする。
「胸糞悪い話ね。シクロが死ぬことがわかっていて、そうしたというの?」
「それが実験というもの。どちらにせよ、彼女の命は、私が彼女の親から正式に買った。どうしようが私の勝手」
すべてに、腹が立つ。
シクロを売った親も、シクロに死を与えようとしたミラージュも、人の命が軽々しく金銭になる世の中も。
だが、ここでミラージュを殺してもシクロは元には戻らない。
「貴方は実験台としてシクロをいじった。死ぬ予定だった。じゃあどうしてシクロは生きているの?」
「それが私にもわからない。実験で解明するつもりだったのに、アロガンのやつ、逸りやがった……。でも、さっきバレンシアは、貴方の力だと言っていた」
「私の力?」
どうしてそこで私が出てくるの?
混乱する脳内。
「私もシクロも、同じなんだと思うよ」
イヴァンが身体を起こし始めた。もう、上半身は元に戻っている。綺麗な裸体がその姿を取り戻す。
「マリアの力――圧倒的な、回復力。いや、怪我を残さない能力、かな。それが、私たちにも備わっているんだ」
「なんで?」
「多分、マリアの身体にも影響した話だと思う」
イヴァンの視線が、私の下半身に向けられた。衣服の下に隠された、女の子らしくて、女の子じゃない部分。私の異常。
「マリアの体液を飲んだり取り込んだりすると、マリアの力が伝染するんだと思う。原理もわからないけど、私とエリクシアとバレンシアとシクロの共通点は、そこでしょう?」
「原初の血は、本来混ざり合うと反発しあって人間を殺す。量次第だけど、飲み込んでも同じ。しかし、貴方の原初は異なっているみたい。他の人間を殺すことなく影響を及ぼしている」
そんなこと、初めて聞いた。
でも、イヴァンもエリクシアもバレンシアも、確かに私と幾度も夜を過ごしている。体液を浴びるくらいに飲んでいるだろう。
「はは、そんな馬鹿な事ある?」
私は笑ってみたが、笑顔は返ってこない。二人とも、冗談を言っている雰囲気はなかった。
次に何を言えばいいのかわからなかった。
他人すら化け物に変える、私の原初。
他人すら飲み込んで塗りつぶす、私の能力。
「ああ、そう」
多分、私の中に潜む化け物は、他人の原初すら食い物にする。塗りつぶして食いつぶして、私にする。
私は、増えていく。
私は、一人にはならない。
他人を、血のつながった家族に変える。
愛人を、離れることのない血の鎖で繋ぐ。
「あは」
ぞくぞくして、
ざわざわして、
ねちょねちょして、
ぐちょぐちょして。
私は、自分がわからなくなる。
他人の原初、個性すら食いつぶすことに対する罪悪感。私という異端が増えていく恍惚。他人から普通を奪っていく恐怖心。化け物が増えていく安心。化け物を増やしてしまう不安。いまだ知りえない私の正体への期待。今更知っていく私に対する絶望。
いま沸き起こるすべての感情は、私。
全部、私の中にあるもの。
ああ、私は、何もないわけじゃない。全部、気持ちのいいものも、気味の悪いものも、全部、私。
「あはは」
わからなくなって、笑った。
私の起源は、未知。何もわからないから、とりあえず笑っていた幼少期。
今は多々が、既知。色々とわかったから、なんとなく笑っている現在地。
何もなくても笑えるし、何があっても笑えるの。
「すてき」
感情を押さえつけようとしても、あふれ出る。
まずは、喜色。皆、私と同じになってくれた。幸せ。一人きりだった化け物は、ようやく仲間を手に入れた。
「……ごめんなさい」
そして、悲しみ。普通として生きていけたかもしれない皆を、私色に染めてしまった。もう、彼女たちは普通には死ぬことができない。化け物として生きていくしかない。
「でも、いいわよね」
また、楽しくなる。
だって、皆、私のことが好きでしょう?
私と同じになるということは、私と一緒にいられるということ。本当の意味で、家族になるという事。
「最高じゃない」
最高にハッピーな気分。
小躍りしてしまう。
でも。
シクロの身体が、またぐちゃぐちゃになったのを見て、絶望する。
痛くて辛くて苦しそう。
ミラージュとイヴァンの話を統合するのなら、シクロは力の原初を飲み込んだことで死んで、私の原初を飲み込んだことで生き返っている。
生と死を繰り返している。
その痛みたるや、辛さたるや、想像もできない。身体がぐちゃぐちゃになるって、どんな気持ち?
私はもう致命傷を負う事に慣れてしまったけれど、彼女はそうではない。
「ごめんね……」
もしかしたら、シクロはもう死にたいと思っているかもしれない。私がいなければ、楽に死ねたかもしれない。
そう思うと、私の原初のわがままさに嫌気がする。
死すら飲み込むこの力。
なんて、非人道だろう。
ああ、ああ、ああ。
やっぱり私は、普通じゃない。人の人生すら変えてしまう、化け物の中の化け物。
でも、でも、でも。
脳内で反響する言い訳。あるいは、開き直りの言葉。
私が我がままじゃなかったときなんか、なかった。
いつだって私は自分勝手で、他の人を巻き込んで。でも、一緒に幸せになれると信じていて。不安定な心のまま、安定した未来を描いていて。
だから、今回だって、そう。
私は結局、私のままでしか生きられない。色んな事を考えて、色んなことを学んでいくけれど、根っこは変わらない、愚かな私。
だから私は、私のまま、シクロと接しないといけない。
私がシクロに向かって一歩踏み出すと、壁に叩きつけられて血の染みになった。
「マリア!」
イヴァンの大声は、聞こえている。私の耳はもう、元に戻っているから。
体中を破砕されるのは、痛い。一瞬だけ、苦しくなる。今のシクロはずっと、その苦しみに耐えているのだ。
「シクロ、私はね」
一歩。また、爆ぜる。
圧倒的暴力の前では、私はなすすべもない。
そう、この私が。
「ごめんね、本当は、嬉しいの」
私が、この私が、ただ叩きつけられている。
数々の化け物を苦も無く沈めてきた私が。
「貴方が、そんな存在になってしまって」
不謹慎だけど。
苦しいのもわかっているけれど。
「誰も敵わないような、化け物を超えた化け物になってしまって、とっても、嬉しいの」
――私と同じところまで、来てくれて。
今のシクロと並べば、私は圧倒的な化け物ではない。
マリアは化け物、ではなく、マリアも化け物。になる。
そのことが、とっても、とぉっても、嬉しい。私の近くに来てくれたことが、まるで私に会いに来てくれたかのようで、嬉しいの。
「貴方はとっても化け物。誰もがそう言う存在。世界すら歪める存在」
力そのものだものね。
その気になれば、王国すら壊せそうな力。
「だからね。私は、私だけは、貴方を愛したいの。貴方を、愛せるの」
私のわがままで、貴方を生かす。
私のわがままが、貴方を救う。
何が救いなのかなんて、私は知らないけど。
爆発して、四散して、はじけ飛んで。
何度も何度も死んで。
死が当たり前になったとき。
私は、ようやくシクロの目の前に立った。虚ろな目が、私を映していた。
「馬鹿ね。そんな目をしていた貴方はもういないでしょう」
孤児院に来たての頃、シクロは死んだ魚の様な目をしていた。
今も、同じ。
でも、シクロの眼はもっと輝ける。輝いて私を見るその目が、たまらなく好きなの。
「だから、私をあげる」
私は自分の腕を引きちぎって、腕をシクロの口に突っ込んだ。断面から噴き出す血がシクロの口内で溢れ返り、床に雫を落とした。
「もっともっと、私になればいい。さらにさらに、私に近づけばいい。貴方の血が私の血になれば、私と同じ。決して死ぬことのない、化け物になれるわ」
「――」
シクロの眼が見開かれ、私の身体が上に跳ねた。一瞬で天井に激突し、すべてを失った。ぱあん、という破砕音が体中から聞こえて、物言わぬ染みになる。
天井から垂れる血すら、シクロを染めていく。全身を真っ赤に染め上げる。
私の血で、体中を犯す。
血は意志を持っているかのように、シクロの身体に侵入していった。私の中には、イヴァンの力もある。血を自在に扱う吸血鬼の力が、シクロを逃がさない。
シクロは半狂乱になって力を使って振り払おうとするが、敵わない。シクロの全身を覆った血液は、穴という穴からシクロの中に入っていく。
「だめよ、シクロ。だめ。あなたはもう、わたしからはなれちゃいけないの。かってにしんでもいけないし、かってにいなくなってもだめ。あなたはわたしのもの」
シクロが私に変わっていく。
私の血の占める割合が多くなっていく。
力の原初を薄めるくらい、喰らいつくすくらいに、私に飲み込まれる。
接吻なんかよりも、性交なんかよりも、よっぽど快感。
他人を私色に染め上げる。文字通り、私と一緒になる。
罪悪感なんかどうでもよくなるくらい、気持ちがいい。
「あいしているわ。だからあんしんして、わたしのアイを、うけとってね」
がくり、と。
シクロのひざが折れた。そのまま、床に倒れこむ。
私が血を引き上げると、気を失ったシクロが現れる。身体は私の良く知るシクロのまま。息をしていて、全身も綺麗。もう不定形に揺れることもない。
私の原初が、勝った。
私が、化け物を超えて、新しい化け物を生み出した。
「うれしい」
私はもう、一人ではない。
私は、世界を覆い尽くす。