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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
四章 学生三年目
79/142

4-17. 鏡














 私は魔術研究所までの道を歩く。


 初めて向かった時は昼間。現在は夜。同じ道のりだというのに、通りはその姿を一変させていた。

 昼間は老若男女問わず、多くの人が行きかっていた。ほとんどが律義に服を着こなし、堂々と道を歩き、優雅に言葉を交わす。それはまさに人間らしい光景。


 が、今は。

 店先に飾られた怪しいランプの光に誘われるように、昼間では考えられない思想に染まった大人たちが行きかっている。お酒で顔を赤くした者、そそくさと人目を憚る様に早歩きをする者、世界は自分のものだとばかりに大股で歩く者。


 まるっきり、様変わり。

 同じ道だとは思えない。

 でも、とっても楽しい。


 夜はすべてを覆い隠してくれる、寛容な存在。昼間見せていた綺麗な姿、それを脱いだとしても誰も咎めない。すべてを受け止めてくれる。

 皆、必死に隠しているけれど化け物だから、自分の化け物を見せる時間が必要なのだ。


 そうだ。全員、誰もかれも、自身の内側に化け物を飼っている。違いは、それが表に出ているかどうか。皆、オナジなのだ。見つからないように隠しているだけ。そして、夜の間だけ、開放する。

 皆、私と、同じ。


「おう、嬢ちゃん。こんな夜更けにどこに行くんだ?」


 王宮近くだと言っても、夜は治安が悪いみたい。お酒の匂いをまき散らし、顔を赤くした大柄の男性が私に話しかけてきた。私は速足だったのに、にやにやとした顔が眼前で邪魔をする。


「家族のところにね」

「お、えれえ別嬪じゃねえか。いけねえなあ。こんな子が夜に出歩いちゃあ。どれ、俺が家族のところまで送ってってやろう」


 紳士然とした口調とは裏腹に、欲情に染まった瞳。

 彼の瞳に映る私は、とっても魅力的だった。ランプに照らされる横顔は絵画のように整っているし、歳の割に豊満な胸は異性の視線を釘付けにし、滑らかで艶やかな肢体は夜一時の快感を容易に想像させる。


 私は、美人。

 でも、怪物。

 そしてこの人も、私と同じ。

 きっと昼間はきちんとした人間なんだろう。

 夜の間だけは、馬鹿みたいな化け物になる。


 そう思うと、少しだけ機嫌が良くなった。


「それじゃあ、いくら出す?」


 私は微笑んだ。

 男の笑みが下品なものになる。


「はっは。そうくるか。お嬢ちゃん、そういうことか。いいぜ、こう見えて俺は高給取りでな。軽く十は出せるぜ」

「十億?」

「は? 万に決まってるだろ」

「じゃあ、ダメね。私の価値にはそぐわない」


 顔を背けて歩き出すと、肩を掴まれた。


「おい、調子に乗るなよ」


 調子に乗っているのはどっち?


「あはは。私の価値は一兆ドリムよ。はした金で釣ろうだなんて、お里が知れるわ」

「何言ってんだ、ああ?」


 肩にかかる力が強くなる。私をその場に止めようと、必死になる。普通の女の子であれば、押し倒されてしまうのだろう。


「私を自由にできるのは、愛する人だけ。私が大好きで、私のことも大好きな、可愛い子たちだけ。貴方の化け物は、私には必要ない」


 化け物にも、種類がある。

 私が欲しいのは、私を教えてくれるもの。私を育ててくれるもの。私を安心させて、傍にいてくれて、幸せにしてくれるもの。


 ただの性欲で、私に触れないで。

 皆の大切なマリアに触らないで。


 私が軽く肩を回すと、それだけで男は吹き飛んでいった。道を転がっていって、そのまま昏倒する。周りで冷やかしがてら見ていた人たちが、私からそそくさと目を逸らしていった。

 残念。もしも私の化け物を見ても近づいてきてくれるなら、一考の余地もあったのに。


 私は、化け物。

 だから、受け入れてくれる人は貴重なの。大切で愛していて、一生一緒にいたい。どんな壁が立ちはだかろうとも、それをぶち壊して救ってあげる。


「ねえ、シクロ。何が相手だろうと、私は貴方を救うわ。そのための、私の化け物なんだから」


 魔術研究所の入り口にたどり着いて、門をくぐる。

 魔術研究所は、燃えていた。


 あれ?


 まだ燃え始めたばかりなのか、建物の端から小火が立ち込めている。夜が煙を飲み込んでいて、かつ、高い塀があって周りには気づかれていないみたい。

 職員と思われる男性が勢いよく入り口の扉を開けて外に出てきた。私を見て、焦った声を上げる。


「だ、誰か……」

「どうかしましたか?」

「火、火が燃えていて、危ないんだ。きっと出所は所長室だ。さっき怪しい三人組が入ってきたから、きっとそれが原因だ。くそ、王国の刃なんて言って、嘘をつかれた。早く消さないと……」


 怪しい三人組は、きっとイヴァンとエリクシアとバレンシアね。バレンシアはああ見えて頭が回るから、身分をうまく詐称して中に入ったんでしょう。

 ということは、火も彼女たちの仕業?

 しかも、この人に見られてしまっている?


「三人組?」

「金髪金眼の王国の刃を名乗る女と、後ろに二人いたな。そっちはよく覚えていない……」


 なるほど。目立ったのはバレンシアだけ。

 さあ、考えましょう。私のこれからの動きに、最適な行動を。


「【水球】」


 私は手を広げて魔術を発生させる。建物の上には人間大の球状の水が浮かび上がり、私が手を握りしめると、それは落下した。ばしゃん、と音を立てて、水は火を消し去った。


「これでいいでしょう? まったく、通報を受けてきてみれば、随分とおませな侵入者がいたものね」


 決めた。


 私の立場は、応援に来た、”王国の刃”。

 嘘に嘘を重ねる。疑いを疑いで殺す。

 夜の帳に隠れるように、少しだけ顔を変える。マリアだと判断できないように、少しのパーツをいじる。


「王国の刃の名の下に、鉄槌を下さないとね」

「……貴方が?」


 訝し気な職員。

 また王国の刃? 嘘か、本当か? なんて疑っている。それはそうよ。一度バレンシアが使った手だもの。でも同時に、自分が今言ったばかりなのに同じ嘘を続けるか? とも思っている。疑いが疑いを呼ぶ混沌とした脳内。


 今までで知った、私の強み。それは、すべてを真っ暗にすること。

 嘘を嘘で隠して、嘘で包み込むの。めくってもめくっても、嘘。さて、真実はどこでしょう? 人は疑った後、一度二度めくったら流石に真実だろうと思い込む。人は信じたいものを真実だと誤認する。


 私は堂々と頷いた。

 一切の気負いなく、王国の刃を演じる。


「ええ、そうよ。この煙を見た人間から兵士の詰め所に連絡があってね。魔術研究所だもの、そこいらの兵士に任せてはいられないわ。近場の私がわざわざ来たってわけ。後から仲間も向かってくるわ。ミラージュが応戦しているから大丈夫だと思うけれど、一応ね」

「あ、ありがとうございます」

「貴方は下がっていなさい。こんな状態で仕事なんかできないでしょう。それと、このことは秘密よ。言ったらその首を飛ぶと思いなさい」


 少々の殺気を、脅しに使う。

 効果はてきめんで、職員は体を震わせた。


「しょ、承知しました!」

「貴方以外の職員は?」

「所長と、副所長がまだ中に……」

「承知したわ。助けに行くから貴方は帰っていなさい」

「は、はい」


 職員は私に一度不安な目を向けて、背を向けた。

 背を向けたのを確認した後、私は先ほど会った酔っ払いの男の見た目を借りた。


「おい」


 職員に声をかける。振り向く。男の顔を見せつける。そして、その頬をひっぱたいた。

 ごろんと転がって気を失う職員。


 私は顔をマリアに戻して、薄く笑った。

 これで、この職員の脳はこんがらがった。バレンシアたち三人がやってきて、火事が起きて、金髪金眼の女がやってきて秘密を命じられて、謎の男に殴られた、そんな順序。


 支離滅裂な職員の目撃証言に、価値は無くなる。バレンシアのことを説明してもそれは死者であるし、残り二人の侵入者は曖昧。金髪金眼の女の正体だって不明瞭。私は”ずっと寮にいるんだし”、アリバイはばっちり。唯一の手掛かり、最後に出た男に議論は集中する。


 曖昧、

 有耶無耶。

 私の本質は、つかみ取れない不定形。


 よくわからないことが起こった、それがこの出来事の結末になる。


 私は魔術研究所の中に入って、所長室向けて歩いていく。


 所長室は凄惨な有様だった。血がまき散らされ、壁は黒く焦げ、机などの設置物は粉々。ここで戦いがあったことは間違いがない。

 ぐるりと所長室を見渡したが、バレンシアの言っていた地下室の入り口とやらがわからない。最悪床を砕いていけばいいけれど。


 と、違和感を覚えた。


 本棚と本棚の間に、血痕が挟まっている。赤い手形が、まるでそこで手をついたかのように、途中で途切れているのだ。


 この手形は、バレンシアの手形。

 ここが入り口なのね。なるほど、向かった先を教えてくれるなんて、バレンシアのことを見直したわ。

 私は本棚に近づいていき、そこに手を触れようとした。


「止まれ」


 牽制される。

 振り返ると、そこにはミラージュが立っていた。

 背後の鏡から出てきたのだろう。本棚と同じくバレンシアの手形の残った鏡がそこにはあった。


「何をしに来た?」

「シクロを返してもらいに」

「……」


 ミラージュはすぐには答えなかった。訝し気な視線を私に送って、棚が破損して落ちたのだろう床のナイフを拾う。

 投擲。それは私の眉間を正確に打ち抜いた。

 それだけ。私に傷は残らない。


「ひどい挨拶ね」

「なるほど、貴方が、”あいつ”であり、”お嬢さん”」

「どういうこと?」

「バレンシアというやつが言っていた。自分が無敵なのは、あいつの力を得たからだと。貴方が顔を変えてうちの職員を揶揄っていたのも見た。外形を変化させる力、それが貴方の原初?」


 バレンシアが無敵? よくわからないけれど。

 確かに、私は無敵で、形を自在に変える。


 まあしかし、どうでもいい。今、その話の優先順位は低い。敵の親玉が出てきてくれたことを素直に喜びましょう。


「シクロはどこ? 無事?」

「今頃地下で寝ている」


 案外素直に答えてくれる。


「今、貴方のお仲間が来て、地下で好き勝手やってくれているところ」

「それは良かった。そちらさんはいいの? 私の家族は三人とも強いけど、貴方はこんなところにいて。他にも用心棒がいるのかしら?」

「私一人で十分。否、正確には、”私たち一人で”で十分」


 彼女の能力。鏡を媒介とする力。

 迂遠な言い方も、それが関係しているのでしょう。


「じゃあ私も参戦しないとね。シクロが私を待ってくれていて、待ちくたびれちゃうでしょうし」


 会話を打ち切るが、ミラージュからの敵意は止まらない。


「貴方は、何者?」

「教える必要が?」

「教えてくれたなら、シクロを返す」


 私は振り返った。

 ミラージュの瞳は敵意が消え、真摯なものとなっていた。


「貴方の有する原初を教えてくれて、私に今後協力してくれるというのなら、シクロは無事に返す。今戦っている三人にも、これ以上危害を加えない」


 まさかのお願い。

 あんなにシクロに執着していたのに、何かあったのかしら。


「どういう風の吹き回し? 時間稼ぎのつもり?」

「話を聞いてくれれば、とりあえずは何もしない。誓う」


 その言葉に、嘘はなかった。

 彼女の目的は、どういうわけかシクロから私に移ったみたい。私のことを教えるだけで帰っていいのなら、そうしたいのは山々だけど。


「それは嬉しい申し出ね。無駄な戦いはしたくないし。でも、残念ながら、私は私のことを知らないの」

「……本当に?」

「嘘なんかついてないわ。隠すような知識すらないの。どこの生まれかもわかっていないのに、わかるはずもないわ。私はただ、使える能力を使っているだけ。知った自分を活用しているだけ」

「自覚はできている。でも、能力は見えているものだけじゃないかもしれないってこと……?」

「逆に、教えてほしいくらいだわ。斬られても砕かれても死なないで、人の姿かたちをマネできる様な生き物がかつて存在していたのか。参考までに聞くけど、貴方の原初は何なの?」

「鏡。正確には、鏡面」


 あっさりと白状。

 ミラージュは嘘や冗談を一切感じさせない口調で言った。

 私はぽかんとしてしまう。


「理解できないだろう。”人間どもの常識”が世界を覆った今、理解できない方が当然。かつては、動くものすべてが生きていた。流れる水も生きていたし、降り注ぐ日光も生きていた。火も土も雲も雨も、鏡も。動いていたすべてが生き物で、そして、原初だった」


 思わず首を捻ってしまう。

 それは、生きていない。だって、息をしていないもの。

 ミラージュの顔が、怒りに染まる。


「そうだ、その常識。それが、数多の原初を殺したんだ。この世を埋め尽くした人間という生物、やつらの眼が世界を見定め、生き物の定義を変えた。常識や当たり前を作り替えて、自分たちの視線で世界を塗り替えたんだ」


 原初と人間との関係。

 バレンシアの言っていた過去の話と、少しだけ違う。


「原初は人間と”戦って”死んだんでしょう? 貴方は何の話をしているの?」

「人間が原初を殺し尽くしたのは、その通り。だが、殺し方は二通りあった。一つは、息の根を止めること。人間たちの知る、死。もう一つは、意識による殺害。生きているはずがないと断定され、原初たちは死んでいった。鏡を初めとした原初は、それは生き物ではないという意識に、感覚に、殺されたんだ」


 理解しがたい。

 ミラージュの言う事を頑張って理解しようとするのなら。

 動いているものはすべて生きていて、意志もあった。だが、そんなはずはないという人間の意識――常識の前に、生物としての生を失った。原初は、モノになった。


「私のお母様は、鏡面の原初だった。私の笑顔に笑顔を返してくれる、素敵なお母様。それを、人間どもは生きていないと決めつけた。世界を覆った人間たちの眼の影響は大きく、お母様から生が消えていった。今や鏡はただそのままの姿を映し出す、置き物に変わってしまった。あいつらが作り上げた常識が、殺したんだ」


 ミラージュに憤怒が宿る。


「だから、私の目的は一つ。そんな可哀そうなお母様を、再び生物にする。”鏡が生きている”のが当然の世の中にする」


 話の中身は荒唐無稽。

 ただ、ミラージュは真剣だった。


「貴方の原初は、私も知らない。でも、今現存するすべては原初から始まった。貴方もきっと、そういった”失われた原初”の末裔。貴方の力を解明し、理解することが、お母様への一番の近道になる」


 ミラージュは私に手を伸ばした。


「貴方だって、自分を知りたいでしょう? 私はもう千年単位で生きている。その間、色んな知識を蓄えた。貴方の原初にだって、きっとたどり着ける」


 綺麗なその手。

 差し出される手。

 手にすれば、私はより、私を知れる。シクロも、三人も無事。ミラージュとも仲良くできそう。彼女は可愛いし、いいことづくめ。


 私はその手を、取らなかった。


「いらないわ」

「……なぜ?」


 なぜと言われても、

 明確な理由は存在しなかった。理由よりも先に、脳内で答えが出ていた。


 でも、あるとすれば。

 未知は、無限。

 既知は、有限。


 私が私を真の意味で知ってしまった時、どうなるのかが怖かった。色んな”理想”が想像できている未知の現在が、既知の現実によって砕かれてしまう。


 少し前まで、知ることは怖くなかった。でも、今は怖い。怒り恐怖憎しみ苦しみ、ありとあらゆる負の感情が生まれ出でることが分かったから。そしてそれを私が制御できないことも。

 全てを知ったとき、私は私のまま、皆を抱きしめられなくなるかもしれない。

 今の幸せを失うかもしれない。


「……私は、」


 過去、色んな私を教えてもらって嬉しかったのは、私が何も持っていなかったから。だから、色んなものが欲しかった。自分が溜まっていくのが嬉しかった。

 今は、色んな私が存在している。私は、私として成長した。


 だから。

「私は、化け物でいい」


 化け物”が”、いい。皆が化け物だと知ったから。

 まだ、皆と同じところにいられる場所にいたい。


 少しの、不安と予感。

 私は、化け物ですらないかもしれない。もっと、次元の異なる存在かもしれない。

 そんな未知が、少し怖かった。そんなこと、愚かみたいで恥ずかしくて口には出さないけれど。


 大きく息を吐くと、いつものように微笑む。


「それに、貴方は私の大切を奪った、憎き敵。人のものを盗った、悪。少々のお仕置きが必要でしょう?」

「わからず屋。……不死身であれば、少しくらい痛めつけても構わないか」


 ミラージュの瞳が敵意に変わった。

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