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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
四章 学生三年目
78/142

4-16. 化け物の夜













 ◆



 才覚と自覚。

 言いえて妙だと思った。心の底で納得できたから、その言葉はすっと胸の内に降りてきた。


 才覚は火種。

 自覚は助燃材。

 下地の上に何かが乗ることで、ようやく物事は動き出す。


 裏切ったバレンシアに成すすべなく敗北したイヴァンは、奥歯を噛み締めた。シクロを救いたい思いは三人の中で誰よりもあったし、覚醒遺伝持ちの人間としても上位に位置する自分なら、それがなせると思っていた。

 バレンシアにあっさりと右腕をもがれ、身体以上に心が痛んだ。自身の実力に対する過信に羞恥して死んでしまいたかった。自分が今まで敗北を知らないでいたのは、弱い相手とばかり戦っていたから。自分は結局、大海を知らない井戸の中の蛙だった。


 ああ、恥ずかしくて、格好悪い。このまま起き上がりたくないとさえ思った。


 バレンシアが大声を上げているのが聞こえる。


「私はあいつの力を得た。そのことに、気づいた。あいつよりもそりゃあ、薄いだろうが、十分すぎる。きひひ、まったく、世界どころか私そのものを変えてくるなんて、退屈しないなあ! あいつは最高だ!」


 バレンシアの言葉を聞いて、身体が震えた。


「魔術とは、原初とは、才覚と自覚。自分の中の化け物を理解して、自分の意志で振り回すことだ。私は自分の中に宿った才覚――あいつの化け物の一端を理解した。後は、使うだけだ。強い新しい自分ってのは、楽しいねえ!」


 あいつとは、マリアのこと。

 バレンシアはマリアのことを理解して、その力を扱えるという。マリアのことを理解したつもりでいる。


 羞恥よりも、憤りが勝った。

 イヴァンを奮い立たせたのは、才覚に対する矜持だった。バレンシアの思惑を知り、言葉を聞いた時、折れかかった心に火が灯った。


 才覚。マリアの力。

 バレンシアはマリアと体を重ねたからマリアの力を得たと言った。まだ、マリアと幾度も寝ていないような新参者が、堂々と言い放ったのだ。


 ――マリアと一番一緒にいたのは、私だ。


 イヴァンの中にある、一番の矜持。彼女を彼女足らしめる思い。

 戦いで負けたって構わない。首を切られたってそれは自分が弱かっただけ。でも、たった一つのことで、自分は他人に劣るわけにはいかない。


 ――私が、一番マリアに近い。


 ぐつぐつと湧き上がり、イヴァンの脳から先ほどまでの敗北感を一瞬で払しょくする思い。

 憤慨と、悔恨。


 ――バレンシア。貴方にできるのなら、私ができないはずはない。


 才覚を、自覚する。

 自分の中にある、自分もまだ知らない化け物を、呼び起こす。心の奥底、一番大切なところにいたからこそ気づけなかった、彼女に手を伸ばす。


 ――私は、マリアの血を吸って、マリアの精液を受けて、マリアの愛を受け取ってるんだ。


 誰よりも、誰よりも。

 そこだけは譲れない。

 自分を定義する、第一定義。


 マリアの才能を、思い出す。戦っていた姿を脳内で反芻させる。

 どんな攻撃を受けても一瞬のうちに治るその力。いや、少し違う。回復とは異なり、攻撃を受けても”傷を負わない”その力。どんな原初なのかはわからないが、その異常性をイヴァンも教えてもらった。見せてもらった。


 マリアすら知らないこの力。


 ――私が、一番理解している。


 例えば水を殴っても、水は壊れない。揺蕩うだけ。

 例えば土を砕いても、土は無くならない。ぽろぽろと崩れるだけ。

 同じこと。マリアは、そこにいる。壊れることなく砕けることなく消えることなく死ぬことなく、そこに存在し続ける。その力を、現象を、イメージするのだ。


 自分の中にそれがあることを理解して、ひねり出す。疑いの心もなく、さも当然でもあるかのように、その力を顕現する。

 自分の中のマリアを自覚する。

 受け取った愛を、思い起こす。


 途端。


 失っていた右手が生えていた。感覚を失くしていた指に、力がこもる。

 意識すればするほど、マリアを思い出すほど、体中から傷が消えていく。最初から怪我などなかったかのような、綺麗な体を取り戻す。


 マリアのように。


 隣を見ると、エリクシアも同じように回復を始めていた。


 だが、その回復速度は、

 ――私の方が、早いけどね。


 少しの優越感。マリアと出会ってから過ごしてきた時間の差。マリアへの理解の差異。イヴァンはようやく冷静さを取り戻した。


 イヴァンがバレンシアに目を向けると、バレンシアは楽しそうに口の端を歪ませて、顎で奥の部屋を指し示した。


 バレンシアを疑ったことに、少しの後悔。よくよく考えれば、バレンシアが裏切ることにメリットはないのだ。事情を知ったマリアが許すはずもなく殺される未来は見えるし、すでに死人である彼女には後見人もいないし、追手を出されれば逃げ場所もないだろう。

 そんな裏付けから彼女のことをほんの少し信用し直して、イヴァンは奥の部屋――シクロのいるであろう部屋に駆け出した。エリクシアも追ってくる。


「全員、捕まえて解剖だ! 皮膚一片も残さない!」


 ミラージュの怒号。無視して駆け進む。

 ミラージュの位置は離れている。それに、バレンシアの相手をしながらこちらに向かってくるのは不可能だろう。


 なんて、下らない推測。この世界に置いて、~だろう、なんて言葉に意味がないことはもう理解している。イヴァンは、たくさんの予想外に出会ってきた。


 イヴァンは目の前に現れたミラージュの拳を躱した。


「二度は喰らわないよ」

「――ち」


 イヴァンの眼は部屋の端に飾られた鏡に向かう。この部屋でも、四方には鏡が設置されていた。ミラージュは昼間の時のように、鏡から鏡へと移動したのだ。

 目の前から敵がいなくなったバレンシア、眼前に敵が現れたエリクシアが、驚いた顔になる。


 イヴァンは自分の左腕を自分で切り落とした。勢いよく噴き出す血液。腕の断面を、次の攻撃へと体勢を移したミラージュに向けた。

 噴き出した血液は樹の枝のように枝分かれしていく。凝固して固形となり、宙を奔り、空を埋め尽くし、一瞬で広範囲に飛び散っていく。刃物のような強靭さと暴力さを有して、ミラージュに襲い掛かる。


「【千本血桜】」


 ミラージュは攻撃のモーションを中止して、自身を鏡に映して鏡の中に消えていく。

 が、イヴァンの狙いはそこではなかった。最寄りの鏡、たった今ミラージュが消えた鏡に、強固な血流を叩きつけた。甲高い音と共に、鏡は砕け散る。


「貴方が鏡を使うというのなら、鏡を砕けばいいだけでしょ」


 イヴァンは血液を体の中に戻して、左腕を軽く振って元に戻した。

 マリアの力があれば、色んな戦い方ができる。自分の血とマリアの肉体、両方を駆使すれば、できないことはない。自分の格が上がっていくのを感じた。マリアとの共同作業、だなんて笑みをかみしめた瞬間。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 雄たけびにも似た、悲鳴。

 ちょうどイヴァンの立つ場所と対角線上に現れたミラージュが、顔を真っ青にして頭を抱えていた。


「お、お母様が……」

「残念だったね。貴方のお母様は、貴方ほど固くはなかったみたい」

「なんてことを。……そこにお母様が現れたかもしれないのに。宿ってくれたかもしれないのに」


 ミラージュは茫然自失の顔で、空を仰いだ。


「どうでもいいな。さっさと行け。こいつは私が止めといてやる。てめえ一人で私らを相手取ろうとしたその判断が間違ってんだよ」


 バレンシアが鼻を鳴らしたので、イヴァンとエリクシアは再び扉に向かった。


「どうでもいい? ああ、そうだろう。貴方たちにはこれはただの鏡にしか見えていないんだろう。だから人間は嫌いだ。その目で、その数で、その”無遠慮に作り上げた常識”で、多くの原初を殺してきて、悪びれもせずにいまだ世の中に蔓延る害悪め。本当にむかつく存在だ」


 ミラージュは夢遊病者のように虚ろに呟く。

 目の前のバレンシアのことは見ていなかった。


「――お母様。少しの間、親不孝な娘をお許しください。これらを全員殺して、貴方をお迎えする供物といたします」


 言うと、ミラージュは近くの鑑を蹴りつけた。粉々に砕け、地面に散っていく鏡の破片。部屋の中、様々なものを反射する鏡面。


 イヴァンは振り返ってそれを見た。細かい破片になった鏡。そこに映る、無数のミラージュの姿を。


 ミラージュはばらばらになった鏡の上に、自身の上着を放り投げた。ミラージュの上着の裏地につけられた鏡と、床の鏡とが反射しあっていく。

 上下白色の下着姿、光沢のある髪、凹凸のはっきりした肉体。鏡面は、そんなミラージュを映し出す。


 ”無限に”ミラージュを映しだす。


「――【万華鏡】」


 上着から、溢れ出る。

 ミラージュと同じ姿かたちの、ミラージュたちが。

 一、十、百――。

 上着が床に落ちるまでの数秒間のうちに、部屋の端はミラージュで埋めつくされた。全員が同じ表情――憎悪を固めて、三人を睨みつけた。


『この場所に私以外の護衛がいないのは、私だけで十分だから。貴方たちくらいの化け物であっても私一人で事足りる』


 反響する声。

 残響する憎。


『貴方たちが何物かはわからないけれど――不死? 無敵? くだらない。それで、”無数”に勝てる?』

「……そりゃ、反則じゃねえ?」


 流石のバレンシアの声も、呆れていた。


『先にカードを切ったのは貴方たち。後でしっかり解剖して、未来の礎にしてあげるから安心するといい。まずは、証明してあげる。お母様からの寵愛を』


 数えきれないミラージュが襲い掛かってくる。

 一人でも強敵だったミラージュ。それが、無数の刺客になっている。

 状況は絶望。


 だが、イヴァンにも言う事があった。

 無数を引っ提げてミラージュが母の愛をうたうなら。


「私だって、マリアから愛されているもん」


 無敵を引き寄せて、マリアからの愛を証明する。


 マリアの力か。

 ミラージュの力か。

 これは、そういう話。

 だったら、殺されても負けるわけにはいかなかった。



 ◆



 エリクシアは驚愕の連続に頭がついていかなかった。

 ミラージュの鏡を使用する能力なんて聞いたことがなかったし、マリアの力が自分に宿っていることも知らなかったし、ミラージュの奥の手がこんな馬鹿げたものだったなんて予想もしていなかった。


 マリアの力は、不死。壊れないし、砕けない。身体のあらゆる機能が最適化される最強の力。多くの覚醒遺伝持ちの人間と触れ合ってきたが、ここまで規格外のものはなかった。さらに、その力を他人に譲渡できるなんて。


 自覚し、扱えるようになった自分も最強だと嬉しくなったのに。

 最強だと思えたのは、一瞬だった。


 眼前に広がる無数のミラージュ。

 ミラージュの力は、無数。第二世代、強靭な身体を持つ彼女が、何人も溢れ出てくる。これだって、今まで見たことがない。そもそも、第二世代なんて大昔の存在、祖母くらいしか生き残っていないのだと信じて疑わなかったのに。


 マリアと出会って、どんどん化け物が更新されていく。今迄培った常識が、簡単に崩れ去っていく。

 自分の矮小さを、知っていく。


「……だけど」


 エリクシアは体をミラージュの方に向けて、笑んだ。


「ここを乗り切れば、未来が手に入る」


 マリアの力を得た自分は、最強の一角に入れたと言っていい。その力は、従来の第二世代にも匹敵する。数が多くて今まで手が出せなかったただの人間だって、歯牙にもかけないだろう。


 そう、これは前哨戦だ。

 この無数のミラージュを倒すことができれば、どんな相手にも劣ることはない。

 自分の目的――覚醒遺伝持ちの人間たちのための世界を、作り上げることができる。


「それじゃあ、逃げてらんないな」


 エリクシアは笑って、自分とともに戦う二人のことを見やった。

 敗北の予感を感じさせない、頼もしい横顔。

 自分と同じ能力を持つ、化け物たち。


 ここでようやく少しだけ、マリアの気持ちが分かった。自分がとんでもない化け物になり、普通の人間との差異が明確になったからこそ、わかることがあった。


 少し、寂しい。


 自分はもう、普通の人間と同じ歩幅で歩くことはできない。

 色んな相手から恐れられ、避けられる存在になってしまった。

 だから、自分と同じ存在が近くにいることが、たまらなく嬉しくて、安心するのだ。


 ――今なら言えますよ。


 マリアに向けて。林間学校の時に無理やり言わされたのではなくて、本心から。


「私も貴方と同じ、化け物です」


 そしてそれを誇れる自分がいた。


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― 新着の感想 ―
やっぱりチート同士の異能力バトルはカッコいいなぁ
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