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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
四章 学生三年目
77/142

4-15













 ◆



 四肢を鎖で繋がれて、寝台に寝かされている。

 周りには小柄な老人が笑顔でうろついている。


 最悪な状況だと思った。室内だというのに眩しすぎる部屋の中、シクロは目を閉じた。


「ほっほっほーう。見れば見るほど不思議じゃのう。私が捨てた時と肌の色彩は変わっていない。外からの刺激に対する脆さも変わっていなさそう。なのにどうして生きているのか。ああ、わからないことがこんなに嬉しいなんての。最近行き詰っていた研究に、光が見えたぞい」


 つん、と手首のあたりを突かれ、鳥肌が立った。

 気持ち悪い。殺してやろうか。


 しかし、つけられた鎖は思いのほか頑丈で解けない。今はこの部屋にいないがミラージュは強敵だったし、シクロが無事に逃げられる方法は思いつかなかった。


「まだ注入した原初の血は生きておるな。白黒がその証拠。素晴らしい、素晴らしい」


 老人は踊りながら、書物を読み始めた。


「同じ血を注入した実験体がどれも死亡報告を受けているのは間違いない。解剖した結果、予想通り血に肉体が耐えきれていなかった。つまりこの成功体は、肉体が優れておるのか? いや、研究していた時のデータではそんなことはなく、他の検体と同じ。むしろ脆弱よりだった。では、後天的な話なのか?」


 ぶつぶつと、言葉を垂れ流す。耳を塞げないのがストレスだった。


「貴様、研究所を出てから、どんな生き方をしてきた?」


 アロガンの問いに、シクロは答えなかった。


「……話せ、くそがきが!」


 激昂したアロガンが鞭を掴んでシクロに叩きつける。腹部を痛みが襲う。


「っ」

「貴様は人ではない。人権などないと思えよ」

「……」

「ああ、くそ。腹が立つ。あの金髪めにやられた傷も痛む……。眼前に最高が存在するというのに、手が出せないこのもどかしさ。どうしてくれようか。もう、実験を次の段階に進めるべきか。話さないのなら、仕方がない。仕方がないのじゃ」


 アロガンは部屋の隅に行き、置いてある立方体を開いた。観音開きのその箱から、ガラス瓶に入った赤黒い液体を取り出す。残念そうな口ぶりに反して、口元は緩んでいた。


「実験がしたい、実験がしたい実験がしたい。まだ見ぬ未来を手に入れたい。誰も知らない世界の神髄を真っ先に拝みたい」


 シクロはアロガンの人間性を理解した。

 未知に取りつかれた、気の触れた人間。狂気に笑むその顔は、気持ちのよいものではなかった。


「これは、貴様に入れ込んだ原初の血じゃ。少量でその有様。今再び注ぎ込めば、どうなるのかのう」


 ガラス瓶と共に近づいてくるアロガン。

 シクロは息を飲んで、口を開いた。


「何ですかその、原初というのは」

「知らなくてよい」


 アロガンは言って、すぐに首を傾げた。


「いや、伝えた方が良いのか? これは今、生きている。つまりは、原初の血が適合したということ。つまり、次の段階に進むべき。つまりは、自分の中の原初を自覚させる」


 よくわからないことを言う男に、シクロは侮蔑の視線を投げた。


「何を言っているのかわかりませんが」

「貴様は、”力”じゃ」

「……さらにわからなくなりました」

「むー。想像力の欠如した相手に理解させるのはどうすればいいんじゃ。馬鹿の相手は最近しておらんかったからの……。貴様、引力と斥力は知っておるか?」

「馬鹿にしないでください。引き寄せる力とはじき返す力でしょう」

「貴様は、それじゃ。貴様には、その二つの原初の血を投入した」

「……」


 この人は、馬鹿なのだろうか。研究し過ぎて頭のネジが飛んでしまったのだろうか。シクロは憐憫のため息を吐いた。

 力が生きているなど、赤ん坊でも口に出さない。


「あー。駄目じゃ。やはり理解できんか。想像力のないやつはこれだから。はるか昔、力は生きていた……と言ってもわからんじゃろな。貴様、他の人間と違う力を使えたりはせんのか?」


 シクロの左手はあらゆる力を無効化し、右手は逆にあらゆる力を生み出す。それがシクロの持つ化け物だった。

 しかし、正直に言うつもりはなかった。


「ないですね」

「くそ、無能め。こうなったらやはり、強硬策しかないか。観察が終わり次第、原初の血をより多く注入しよう。狂って壊れてしまったとしても、未知への礎になるのだから、何も問題にはならん。原初の血を取り込んでも生存の可能性がある、その事実を持ってきただけで十分に値千金の成果となろう。貴様の存在はもう、十分じゃ」


 アロガンはガラス瓶を揺らす。中に入っている赤黒い液体も緩慢に揺れた。


「……私を、殺すと?」

「そんな顔をしても無駄じゃ。儂はともかく、ミラージュからは逃げられんぞ」

「彼女は、何者です?」

「言ってもわからんじゃろう。彼女は、ごく少数しか現存しないであろう、第二世代。”鏡”を原初にもつ存在じゃ」

「鏡?」

「実験品は知らなくてよい。賢くなったところで、何の意味もないのだから」


 言われ、シクロは自分の未来を理解する。

 このままでは、自分は実験品として、モノとして、人生を終える。

 せっかく、ここまで生きてこれたのに。生きてきたのに。

 また、逆戻りだ。結局自分は小さいときから何も変わっていない。脆弱て弱虫で何もできない、哀れな少女。


 どすん、どすん、と部屋が揺れた。


「なんじゃ、何が起こってる。ミラージュも様子を見に行ったっきり帰ってこんし、さっさと解析を進めたいというのに……」


 先ほどから魔術研究所に起こっている異常。

 地上から大きな音がしてミラージュが見に行って、今度は隣の部屋から衝撃音が響いている。


 アロガンはわかっていない。だが、シクロは理解していた。


 ――マリアが、来てくれた。


 自惚れでもなく、過信でもなく。

 マリアが自分を助けに来てくれるのは、絶対。何があっても、何が起きても、変わることのない未来。そこに不安はなかった。


 でも、不安になる。別の感情で。

 その理由は、自分の現状にある。


 いつだって、マリアは自分を助けてくれた。手を引っ張って、一緒にいてくれた。明るい笑顔で、生きる道すら示してくれた。

 なのに、自分ときたら。

 十年前と変わらない姿で、ただ救われるのを待っている。


 ――私の人生は、何だ。


 マリアと過ごした十年間。

 幸せで濃厚で楽しい時間。

 それがあったのにも関わらず、十年前と同じ状況に陥っている。マリアは十年間で綺麗に聡明に強靭になったというのに、自分は十年前から変わらない。


 愚か。

 こんな私が、救われていいはずがない。このままじゃ最愛に顔向けができない。


「ううううううううううううあああああああああああああ」


 シクロは絶叫して、がむしゃらに腕を引っ張った。

 手首に当たった鎖が引っ張られ、みしみしときしみを上げた。


「な、何をしておる。やめろ! 普通の人間にそれが壊せるわけがない! 無駄じゃ!」


 当然、やめるわけもない。

 腕が痛い。激痛。もしかしたら、折れるかもしれない。腕がなくなるかもしれない。

 でも、自分の身体の無事よりも、こんな無様をマリアに見せるわけにはいかなかった。


 シクロが黙って待っていても、マリアは笑顔で助けてくれるだろう。以前と変わらぬ笑顔を見せてくれるだろう。

 シクロが何をしようが、何をしまいが、マリアは愛してくれる。


 無条件な愛は最愛であり、同時に、ペットのようだった。

 それがたまらなく悲しいことを、シクロは知ってしまった。人として、愛される人として、隣にいたいのだ。誰がどう見てもお似合いで、お互いに愛を囁き合える存在に、なりたい。

 一方的な献身では、足りない。


 手首から感覚が消える。痛みすら超越して、鎖の鳴き声が聞こえた。

 少しずつ、緩んでいる。もう少しで、壊せる。


「み、ミラージュ! どこにいる! 早く、こいつを止めろ! 儂じゃあ、どうすることもできんぞ!」


 アロガンの情けない絶叫が心地いい。

 すべて壊して、笑顔でマリアを迎える。大したことありませんよ、と胸を張って応える。それが今の自分にできる矜持を守る方法だった。

 最後の力を振り絞ろうと、一度大きく息を吐いた。


 と。


 息を切らす口に、何かが入り込んだ。ちょうど息を吸うタイミングだったので、それを飲み込んでしまう。


「……どうせ逃げられるのなら、実験をしよう」


 音を立てて流れていく液体。それが口を通って、喉を通って、胃を通って、吸収される。


 陽光を直接見たかのように明滅する視界。

 金属音と爆発音が鳴り響き、狂う聴覚。

 無数の羽虫が肌を通り抜けていくように蠢く触覚。

 今まで自分を支えてきた感覚。外界とのつながりが、一瞬でおかしくなる。


「――」なにをした。


 声なき声を吐き出して、シクロはアロガンのことを見つめた。

 ぐにゃぐにゃに折れ曲がる視界の先で狂気に笑む、マッドサイエンティストを。


「逃がさんぞ、実験体よ。貴様は世界を理解する栄光の礎になるのだ。喜べ。この実験の如何では、世界が変わるぞ。原初を超える原初すら可能になる。そうなれば、次に世界を制するのは儂じゃあああ!」


 心底楽しそうにきんきん声をまき散らす男。


 ぐわんぐわんと脳は唸りを上げ、すべてが雑音に変わる。空気の振動すら蟲の羽音に聞こえだす。

 息が上手く吐けない。うまく吸えない。目の前のうるさい男をだまらせようと手を伸ばそうとするが、動かない。立ち上がれもしない。普段できていた人間らしいことが何もできない。


 こんなに苦しいのは誰のせいだ。

 雑音、雑音、雑音。

  明滅、明滅、明滅。


「――」うるさい。


 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい縺?k縺輔>縺?k縺輔>縺?k縺輔>縺?k縺輔>

 死縺ュ


「さあ、儂に見せておくれ! 原初の力、その適合の瞬間を! どんな姿になる? どんなことができる? ほっほっほーう、儂は今、世紀の瞬間にたちあぴぎゅう


 ぱあん、と破裂音。

 後に残ったのは、壁についた真っ赤な血だまり。

 アロガンの姿は一瞬で消え去り、骨すら残らなかった。


「ぐ」


 シクロは混濁する視界の中で、自身の身体を見つめた。

 溶けている。どろどろに溶けて、なくなっていく。感覚も、存在も。

 ぞっとして、嗚咽を吐き出そうとするが、それも生まれない。


 何もない。

 あるのは、崩壊だけ。


 目を開く。どれくらい気を失っていたかわからない。ただ、隣の部屋の衝撃音は続いているから、そこまで時間は経っていなさそう。

 視界の端に映る腕は、元に戻っていた。

 さっきのは錯覚だったかとほっとするが、今度は腕が破裂した。爆発音と共に四散し、そこには何もなくなる。他の四肢も同様。最終的には内臓も破裂して、シクロの意識は途切れたかと思えばうつ伏せに横たわっている自分が自覚出来て、でも何の感触もなくて、怖くなって暴れてみると、机が爆ぜた。壁に激突して、粉みじんになる。かと思えば机はこちらに向かって飛んできて、シクロにぶつかって消え去った。机も書類もシクロも全部。


 ――引力と、斥力。


 脳内にそんな言葉が過った。

 誰だったかが自分のことをそう評していた。

 それは、生き物ではない。だから、血なんか存在しない。その誰かさんは、馬鹿なのだ。考えすぎてどつぼに嵌まった大ほら吹きだ。


 何度も死に、そのたびに蘇っている。身体が消失して、また生まれていく。

 何が起こっているか、微塵もわかっていなかった。


 ただ、辛く、苦しく、二度と経験したくない時間。

 自分の輪郭さえ曖昧に。自分のできるころすら不明瞭に。

 自分は何だったっけ? 人間? それとも、引力、斥力、そのもの? それとも


 だけど、何度身体が消えても、体が蘇ると安心できた。

 たった一筋の糸が存在していたから。自分の生きる希望が存在していたから。


 まだ、死ねない。

 だから、死なない。

 世界が崩壊するその瞬間まで、あの人の隣にいないといけない。

 想像する。そして、自分の中の彼女を自覚する。


 自分は――


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