4-14
◆
バレンシアにとって、シクロという存在はどうでもよかった。
有している認識は、マリアの腰巾着。マリアほど強くもないし、自分の敵にもなりはなしない、有象無象と変わりはしない存在。
ぶっちゃけた話、彼女が魔術研究所に囚われている現状、救出に間に合わなくても構わなかった。向かった先で物言わぬ死骸が転がっていたとしても、落胆もなく寮に戻ってぐっすり眠ることができる。
バレンシアの興味は、むしろ魔術研究所側に寄っていた。
ミラージュの原初、シクロの原初。予想もしない存在について、魔術研究所がどこまでの情報を握っているのか。それらを知るためなら、バレンシアはむしろそっち側についてもいいと思っていた。
魔術研究所にたどり着き、その扉を開く。鍵はかかっていなかった。夜の中でも研究所の中ではわずかな光が零れていて、人の気配が感じられた。
廊下を進んでいくと、一人の職員がバレンシアたち三人に気づき、驚愕の表情を張り付けた。声を上げようとした瞬間、バレンシアは口元を手で抑えつけ、声を封じた。
「お静かに。私はピレネー・グレイストーン。王国の刃ですわ。貴方たちの味方ですの。先ほど研究所内にねずみが入り込んだと所長から連絡がありましてね。調査に参りましたの」
「……私はそのような指示は受けておりませんが」
「ふふ。貴方の意志は聞いていませんわ。要らん首を突っ込んで、その首失くしたいんですの? 貴方もここで研究していたら、命の尊さは理解しているでしょうに。沈黙は金、多弁は死ですわ」
職員はぶるりと体を震わせた。バレンシアの金髪と金眼を見、背後に控える二人の覚醒遺伝持ちの人間を見て、それ以上の追及をやめた。
「ど、どうぞ」
「所長はどこですの?」
「しょ、所長室にいるかと思いますが」
バレンシアは職員への視線を逸らして、「あっそ」歩みを進めていく。だが、数歩行ったところで止まった。イヴァンに顔を向ける。
「所長室ってどこだ?」
「来たことがあるんじゃないの?」
「ちいせえ時の話だ。覚えてるわけねえだろ」
「……そっちだよ」
背後からイヴァンが指を差した方向に、バレンシアはずんずん進んでいった。
「地下室の場所、本当にわかってる?」
「当然」
「その自信はどこから来るんだか。それで、さっき名前を出してたピレネー・グレイストーンって誰?」
「今はどこにいるか知りもしない愚妹の名前。使えそうな名前を考えた時に真っ先に思いついたら言っただけ」
「ああ、そう。でもまあ、……悔しいけど、バレンシアがいて助かったよ」
イヴァンの言葉には少々の信頼が含まれていた。
「私だけだったら、大事になってた。吸血鬼の覚醒遺伝持ちじゃ、簡単には通してくれなかっただろうし。王家の肩書を通せる金髪金眼の姿は便利だね」
まるで自分のことを仲間だとでもいうような口ぶり。
どこにその証明があるというのだろう。
「きひ」
バレンシアは笑って、応えなかった。
怪訝な顔をするイヴァンとエリクシアには振り返らず、真っすぐ所長室にやってきた。
中に押し入る。部屋の中は、無人。ランプの光が寂しい室内を照らしていた。
バレンシアは所長室の椅子に腰かけると、ようやくイヴァンとエリクシアに振り返った。
「さて、実は私はシクロの居場所を知らんわけだが」
堂々と発言をひっくり返したバレンシアに、残りの二人が目が点になった。
「は? 地下室にいるんじゃないの?」
「私がここに来たのは初めてだ。くそ親は何度か視察に来てたみてえだが、私は興味もなかったからな。そんな私が知るわけねえだろう」
しん、と静まり返る空間。
イヴァンもエリクシアも、バレンシアの言葉の意図を測りかねた。
「……なんでそんな嘘をついた?」
「あのままじゃあ、お嬢さんが何をするかわからなかったからな。それに、来てみたら案外簡単にわかるかもしれなかったし」
推測、憶測。
バレンシアの楽観的思考に、イヴァンは大きくため息をついた。
「……本気で言ってる? そうだとしたら軽蔑するけど。時間がないって言ったよね」
「さて、じゃあ、草の根分けて探そうか。お嬢さんが来て私が殺される前に」
「ふざけている場合じゃないだろうが、バレンシア。シクロも、他の覚醒遺伝持ちの人間も、こうしている間にも命が危ないんだ。さっさと彼女たちの居場所を教えろ」
エリクシアが苛立ちを隠そうともせずに言う。
「きひひ」とバレンシアの笑みは崩れない。
「どうして私がてめえの言う事を聞かねえといけねえんだ? てめえは私よりも弱いだろうが」
「……は?」
一変する空気。
三人一緒になって歩いてきたというのに、今は向かい合っている。
苛立ちはエリクシアだけでなく、イヴァンにも伝播した。
「バレンシア。早く貴方の知っているっていう地下室の場所を教えて」
「嫌だ」
「はあ?」
「私はなあ、雑魚の言う事を聞くのが一番嫌なんだよ」
バレンシアは嗤った。
口の端を歪ませる。
「勘違いすんなよ。私はてめえらと道を共にしたつもりはねえ。マリアに負けてあいつに誘われたから、たまたま一緒にいるだけだ。一緒にいるだけで、志を共にするとは言ってねえ」
「……マリアがいなくなった途端、それか。正体を現したな、狂人め」
「私は楽しいことが好きだ。虐待、拷問、調教――。雑魚どもを蹂躙する瞬間が、たまらねえ。それが、私の本質。私の生きがい。マリアに負けたところで変わることはねえんだなあ」
「それで? 何が言いたいの?」
「弱い者を虐める。強者に勝ち越す。どっちも魅力的で、楽しそうだ。てめえらはどっちだろうなあ。試してみてえ。それに、シクロの原初ってのも、気になるよなあ。どっちにつけば、私はより一層楽しくいられるんだろうなあ」
バレンシアは部屋の隅に置いてある鏡を見やった。
脚を机の上にのせて、ふんぞり返る。
「極論、シクロのやつがどうなろうと、私はどうでもいい。どっちでもいいが、解剖されてくれてた方が、楽しいんだろうなあ。助けようともがくてめえらの望みを打ち砕いた方が気持ちいいんだろうなあ」
イヴァンとエリクシア、二人の顔が真っ赤になった。
「……そういうこと。貴方はマリアの傍で、なんだかんだで楽しそうにしてたと思ったけど」
「死を待つだけだったおまえを助けてくださったマリア様の恩を裏切るのか」
怒りと敵意を受けて、バレンシアは尚も嗤う。
「恩知らずで結構。生憎だけど、私は他人からの評価なんぞどうでもいいからな。てめえらみてえにマリアに尻尾振るだけの能無しとは違う」
バレンシアにとって、楽しいかどうかは自分基準。その結果が死だとしても、受け入れる。
だって、自分の想う通りに生きているから。そうじゃない生なんて、生きる意味もないだろう?
「時間がない。ぼこぼこにしてでも、吐いてもらうよ」
「驕ったな、獅子が。やはり貴様らは裏切り者の血筋だ」
イヴァンとエリクシア、二人が臨戦態勢に入って、バレンシアを睨みつけた。
「きひひ。ああ、かかってこいよ。本気でやらなきゃ意味がねえ」
エリクシアが大きく息を吸い込んで炎を吐き出した。
詠唱すら必要としないのは、彼女の中で炎を操る竜の血が濃いから。呪文とは、自分の中の原初を呼び起こす合図にしか過ぎない。
バレンシアはそれを横に転がって躱した。背後の書類に火が引火し、辺りを明るくする。
そうして開けた視界、目の前にはイヴァンが走り込んでいた。
「じゃあね」
簡単に、一言。
その瞳からは先ほどまであった信頼が消え失せていた。
イヴァンの振りかぶった右手が、真っ赤に染まる。血の色。先端は尖り、致死の一撃となる。
バレンシアは左手でその刺突を受けた。腕を貫通して、真っ赤な血が飛び散っていく。そして散らばった鮮血は、再び形を変える。
イヴァンの支配下に入った血液は、再度バレンシアに襲い掛かった。凝結した赤色はそれぞれが小ぶりのナイフのように鋭利にバレンシアの肌を切り裂いていく。
突き刺さるたび、明確な殺意を感じた。
本気の攻撃に、口角が緩む。
「っ、ひひ。そうでなくちゃな」
振り払いながら、バレンシアはエリクシアの姿を視界の端に捉えた。
「貴様らは裏切ることしか知らないな。孤独なまま死んで行け」
強靭な爪の一撃を右手で受けると、右腕がはじけ飛んだ。肘から先がバレンシアのものではなくなって、生物の一部ではなく、物となって飛んでいく。
「き、ひ」
左腕は真っ赤。右手は無くなった。
それでも、バレンシアは嗤う。
「たまらねえなあ。やはり血沸き肉躍る戦場こそ私の生きる場所だ」
擬態を、剥がす。
所長室の半分ほどを覆う巨躯。
圧倒的な凶暴性と暴力性を有する原初――金獅子の力。
王国が後生大事に受け継がせてきた化け物。
それでもって、二人の強敵を迎え撃った。
◆
「……ぺっ」
口の中に残った血を吐き出して、息を吐く。その息は、思った以上に荒かった。
「……きっひっひ。てめえらが私に勝てるわけねえだろうが」
眼前に倒れ伏せる二つの影。
銀髪の女は片腕を失い、そこから血を垂れ流して、うつ伏せに。
赤髪の女は肺や内臓、骨を負傷して、荒々しく息を吐いている。
いずれも、満身創痍。手加減も慈悲もなく、本気で叩きのめした。
所長室も半壊。部屋の隅でエリクシアの炎が小さく揺蕩っていた。
職員が何事かと扉を開いて、すぐさま閉めた。ぱたぱたと廊下を走る音が聞こえる。バレンシアには追う気力は残っていなかった。
「――というわけだ、ミラージュさんよ。感謝しろ。てめえらの敵は私がぼこぼこにしてやったぞ」
バレンシアはもはや感覚のほとんどない左手と、肘から先のない右手を大きく広げた。
「王国の刃としての責任を果たしてやったぜ。この研究所を襲われたんじゃ、王国としてたまらないからな。それで? シクロの研究は進んでんのか?」
それははた目から見れば独り言だった。
体中を赤く染めて、狂気に笑う少女の独白。
されど、初めからそこにいたかのように、話し相手が現れる。
「どだんばたんと五月蠅いミラね」
鏡から、ゆっくりとした動作で女性が現れた。
バレンシアの顔を反射する、光沢の強い銀の髪。女性としては大柄なその体。
それを見て、バレンシアの顔が喜色に歪んだ。
「初めまして、だな。ミラージュさんよ。なあるほど。本当に鏡から出てくるんだな。何の原初の力なんだ?」
ミラージュは所長室の惨状を見回してから、首を横に振った。
「ミラージュのことはどうでもいいミラ。それで? 何用ミラ?」
「つれねえな。見てわかんだろ。昼間、てめえが攫ったシクロの奪還に来たんだ。こいつらは、な」
「貴方は?」
「言ったろ。私は王国の刃だと。王国の繁栄に邪魔になる存在を排除するのが、私の仕事だ。褒めてほしいもんだぜ。雑魚どもを代わりに処理してやったんだからな。それに、こいつらの原初は竜と吸血鬼だ。てめえらだってほしいんじゃないのか?」
そこでミラージュの顔に驚きが生まれた。
「竜と、吸血鬼。それは確かに珍しいミラね」
「魔術研究所の礎になるかと思うけどねえ」
「確かに。ますます原初の研究がはかどること間違いなしミラ。素晴らしいことミラ」
ミラージュの声の調子が上がる。
「お褒めの言葉よりも、品がほしいねえ」
「なるほど。吸血鬼と竜は強い。そんなにぼろぼろになるまで戦ったミラね、貴方は何が欲しいミラ?」
「魔術研究所の研究成果ってのを見たい。シクロはもう解剖したのか?」
「まだミラ。宝物をそう簡単に傷物にするわけにはいかないミラ。まずは観察と研究。解剖はもっともっと先ミラ」
「なるほど。じゃあまあ、現状を見せてもらえればそれでいい」
「……」
ミラージュの視線が胡乱なものになる。
バレンシアはその視線の意味に気づき、自身の身体を見せつけた。
「おいおい、まさかこんな状態の私にビビってんのか? 両手はほとんど使えない、血が足りなくて頭がぼうっとする、あちこち骨にヒビが入ってる、そんな私をか? 治るのにどれくらいかかると思ってる。てめえなら一瞬で殺せる雑魚だぞ」
「……それもそうミラね。王家にはこちらもお世話になってるし、特別ミラよ」
ミラージュはそう言うと、イヴァンとエリクシアの首根っこを掴んで歩き出す。鏡の前まで来ると、その中に手を突っ込んだ。バレンシアからは何をしているのか見えなかったが、がたんという音がして、本棚が両脇にずれて、奥に道ができた。
「ついてくるミラ」
「……どんな仕組みだよ」
バレンシアは鏡に寄って行って、表面を撫でた。鏡に血が付着する。
「触るな!!!」
途端、大声。
バレンシアが振り返ると、怒りの形相のミラージュ。
「お母様を汚すな。次にやったら殺すからな」
「へいへい。失礼しました」
バレンシアは嗤って、ミラージュについていって奥の道に歩みを進めた。
その途中で、「おっと」イヴァンとエリクシアとの戦闘が想像以上に体にきていたようだ。ついついふらついてしまう。真っ赤な左手でなんとか本棚の端を掴んだ。
「大丈夫ミラか? 医療班を呼ぶミラ?」
「いんや、大丈夫だ。王国の刃がこんなところでふらつくなんて、末代までの恥になる」
「そんな恰好で、プライドだけは一丁前ミラね」
ミラージュとバレンシアが中に入っていくと、勝手に背後で本棚がしまっていく。
「良い絡繰りだな」
「あんなに部屋を汚して、所長が怒るミラよ。まあ、吸血鬼と竜でおつりが出るけれど」
道は地下に続いていた。
らせん状に続いている石造りの階段を、歩いていく。かつんかつんと靴と石とが甲高い音を奏でていく。薄暗い階段を降りきると、空間が広がっていた。
広大な部屋に机がいくつか。その上には書類が山のように積みあがっている。特筆するのは、部屋の明るさだった。真昼間、陽光が降り注いでいるかのように、光源が豊かだった。
「……なんだ、こりゃ」
例え蝋燭を百本単位で並べても、ランプを何個吊り下げても、こんな光量は出ない。
バレンシアがきょろきょろとあたりを見渡していると、
「これが、研究の成果だミラ」
ミラージュはイヴァンとエリクシアを床に放り投げ、バレンシアに振り返った。
「我々はすでに、原初の血を抽出し、他者に移植する術を手に入れている」
「移植だあ?」
よく見ると、光源となっているのは、人だった。部屋の隅に押し込められ、虚ろな顔で横たわっている十数人の人間。彼らが自身の身体を発光させているのだ。
「光蟲という原初がいたミラ。やつは自身の皮膚を発光させる能力を持っていた。その血を末裔から抽出して、凝縮して、適当な人間に注入した。その結果、光蟲の能力を発現するに至ったミラ。これらは全員、その成功例ミラね」
「ああ、そうかい。そりゃあ、楽しいこって」
しかし、バレンシアがじっと見つめていても、その成功例たちはぴくりとも動かない。人間としての機能を排していた。
「代わりに、何もできなくなってしまったミラね。彼らができることは、ただ光るということだけ。そういった意味では、失敗作ミラ」
自慢するわけでもなく、卑下するわけでなく。当然の物理現象を説明するように。
「……生物ですらねえのかよ」
「生きてはいる。勝手に生の定義を決めるな」
「何怒ってんだよ」
「それで、このままでは応用などできるはずもないミラ。今までの研究では、他所の原初の血を配合すると人間はダメになってしまっていた。拒絶反応が起こって、身体が、神経が、頭が、おかしくなってしまうミラ。脆弱な人間どもは、過去を振り返ることすらできやしない。まったく、これだから雑種は弱くって嫌ミラねえ。そうは思わないミラ?」
「別に」
「人間を飼っている立場のくせに、意外と優しいミラね。私は本気で人間が嫌いだけど」
忌々し気に呟いてから、視線を奥の扉に移した。
「だからこそ、”あれ”は有用なんだミラ。あれだって、失敗作。身体の色彩がおかしくなって、肌や髪が従来の働きを失って、太陽光を浴びただけでも致命傷になるはずだったミラ。ちょうどあれが売りに出される歳のころに、死んでいるはずだったのに」
ミラージュの顔に喜色が宿った。
「でも、あれは生きていた。普通に会話して、人として生きることができている。原初の力を宿したまま! つまりは、今まで得ることのなかった、完璧な成功例。入れ込んだ原初だって特殊だったのに。彼女の解析が進めば、私の野望も叶う。また、お母様に会える」
恍惚の表情。
そんなミラージュのことを横目に、バレンシアは鼻を鳴らした。
「じゃあ、シクロはその部屋にいんのか」
「そう。今は所長が見てるミラ。まだまだ時間はかかりそうミラね」
「なるほどなるほど」
バレンシアは嗤った。
くつくつと、にやにやと。
「いい話を色々聞かせてもらったよ。御礼と言っちゃあなんだが、なんでシクロが生きているのか、私には当てがあるんだが、聞くか?」
ミラージュは目を剥いた。
「は? 本気ミラ? ここ以上に原初の研究が進んでいるところなんてあるはずが……。王家は何かを握ってる?」
「王家は関係ないな。もっと身近な、私の周りの話だ」
バレンシアは左手を握っては開いた。
動かすたびに、痛みが生じた。
「元々私はお嬢さんとは対立していてな。むかつくからちょっかいかけてやったのに、ぼっこぼこに負けたんだ。骨を折られ、喉を潰され、手をもがれて、散々だったぜ。その時の怪我は、治るのに相当かかった。王国の刃である私、原初の血の濃い私が、だ」
「なんの話ミラ?」
「まあ聞けよ。色々あって、それからの時間をお嬢さんと共に過ごしてな。あいつの身体の秘密を少し知った。あいつは少女であって、少年だった。女であって、男だった。あいつと夜を過ごして、それ自体は良かったさ。認めよう。今まで私の知らない世界。そういった意味で、あいつは私に知らない世界を教えてくれた」
バレンシアは彼女らしくなく、歌うように続けた。
機嫌よさそうに、楽しそうに、言葉を続ける。
「幾度の夜を共に過ごし、私はあいつを汚した。私もあいつに汚された。きひひ。気持ちよかったぜ。まあ、それはいい。問題はその後だ。そのうちに、おかしいことに気が付いたんだ。私があいつにちょっかい出すと、結構な制裁を喰らうんだが、その怪我の治りが早くなってるんだ」
バレンシアは自身の左腕を見せつけた。色んな人間の血で赤色に染まっている。
だが、それだけ。
先ほどまであった穴も、怪我も見当たらなかった。
怪我の様子を確認していたミラージュは不審に眉を寄せる。
「あいつはどんな怪我も一瞬で治る。それ自体の原理は誰もわかっちゃいないが、そういうもんだと理解は諦めてる。結果として、あいつは怪我を引きずらない。そして、私も、あいつと夜を過ごすたび、あいつの体液を体の中で浴びるたび、怪我の治りが早くなっていった」
バレンシアは今度は右腕を見せつけた。
先ほどまで肘から先がなく、断面を見せつけていた痛々しい腕。
今、そこに綺麗な腕が生えて、指が握っては解かれる。
「……は?」
「原初の血が適合しない? それは、嘘だな。もしくは、怠慢だ。こうして適合している存在がいるだろう?」
まっさらな綺麗な体を見せつけて、バレンシアは嗤った。
ミラージュは五体満足となったバレンシアをまじまじと見つめて、後ずさった。
「どういう、こと? そんな原初、どこに。貴方は、別の……、いや、違う。貴方は獅子、さっき見た。どうして他人の原初を手に入れて……」
「シクロも同じだろ? あいつと体を重ねたから、あいつの体液を得たから、何かが起こったんだろ。死ぬ以上に生きれば、死にはしない」
ミラージュは常々、原初の力は血に宿ると言っていた。
けれど、突き詰めれば、必要なのは、遺伝子。血液よりももっと遺伝子の情報を有している液体があるだろう。身体の奥で子を作り上げる体液を受け止めて、吸収する。繰り返していけば、自分と相手の境目はあいまいになっていく。
二つは、一つになる。
マリアが理解しているのかは知らない。どうしてこんな作用が生まれたのかも知らない。そもそもマリアにあんなものがついているかもわからない。
ただ、結果がある。バレンシアにとってはそれで十分。
「私はあいつの力を得た。そのことに、気づいた。あいつよりもそりゃあ、薄いだろうが、十分すぎる。きひひ、まったく、世界どころか私そのものを変えてくるなんて、退屈しないなあ! あいつは最高だ!」
「あいつとは、お嬢さんとは、誰だ?」
「教えないいい!」
バレンシアは思いっきり口角を釣り上げて、ミラージュに肉薄した。
治った腕を思い切り叩きつけると、同じく腕で防いだミラージュの顔が曇る。
「王国の刃が、私たちに牙を剥くか!」
「残念ながら私はもう王国の刃じゃあねえ! ただのしがねえ女の子なんでねえ!」
バレンシアの攻撃に、ミラージュは舌打ちをしながら応対する。
バレンシアは喜色に満ちた顔で腕を振り上げては振り下ろす。
「魔術とは、原初とは、才覚と自覚。自分の中の化け物を理解して、自分の意志で振り回すことだ。私は自分の中に宿った才覚――あいつの化け物の一端を理解した。後は、使うだけだ。新しい自分ってのは、楽しいねえ!」
「私に向かって原初の講釈とは、相手を間違えている」
「てめえになんか言ってねえよ」
ミラージュは視界の端にそれを捉えた。
起き上がる、二つの影を。
「だとしても、本気でやりすぎ。半分八つ当たり入ってたでしょ」
「おまえの遊びに付き合ってやったんだ。貸し借りはなしだぞ」
先ほどまでぼろぼろで起き上がることすらできなかった二人が、真っすぐに立ち上がっている。喪っていた腕は戻り、内臓の負傷も回復しているようで、怪我の影響はまったく見られない。
ミラージュが息を飲んだ隙。バレンシアの拳が顔面に直撃した。
「――く」
「きひ。防御がお留守だぞ、マザコン。シクロはあっちの部屋にいるんだったな。まったく、一芝居打ってよかったぜ。なんてったって、私はこの場所を知らなかったんだからな。
教えてくれて、アリガトウ」
にやにやと笑う顔。
奥の部屋に、イヴァンとエリクシアの二人が走り出していた。
「――クソガキどもが」
ミラージュは顔を真っ赤に染めて、
「全員、捕まえて解剖だ! 皮膚一片も残さない!」
「きひひ。やれるもんならやってみろよ」