4-13. 未来
バレンシアの話はすっと頭の中に入ってきた。
私が今まで生きてきた中で、その根拠となる情報はすでに手に入っていたから。
そしてはそれはそのまま、私の異常性の根底を教えてくれる。きっと私だって、何かの原初の血を継いでいる。何かはわからないが、覚醒遺伝を受け継いだ人間なのだ。
突き詰めれば、私と同じ祖先の血を持っている人間はいっぱいいるということ。表に現れていないだけで、私はいっぱい存在しているのだ。一人じゃないんだわ。
だとすれば、私が今まで考えてきたことは結局無意味だったのかもしれない。人間なんて種族が存在しないというのなら、人間になりたいだなんていうのは下らない妄言で、周囲に溶け込みたいという理想も意味のない考え。だって皆、化け物なんだから。存在しない種族に夢見ていたなんて、まったく阿保らしい。
私を含めた全員、人間という皮を被ったつもりで笑っている、阿呆なのだ。
真実は私を暖かく迎えてくれる。
シクロのことを案じて不安がる私がいる反面、笑いをかみ殺している私がいることも事実。
結局、皆一緒。
私の目が良かったから、私が一番見えていただけ。悩んでいただけ。
ああ、良かった。
人間に優劣はなく、全員が化け物。
だから私は、化け物でいい。今のままでもいい。世界に認めてもらっている。
寮での会話を終えて外に出ると、外は夕闇に彩られていた。
赤と黒が混在する、不思議な時間。
人間の時間と、化け物の時間とが交じり合う、逢魔が時。
進む道は研究所と寮とを結んだ直線。ほとんどの生徒が自室や食堂に集まっている時間だけれど、見つからないように気をつけながら進んでいく。
特にエリクシアとバレンシアが見つかってしまうと、面倒なことになるからね。
心配は杞憂で、何も問題なく学院と外界とを隔てる高い塀の前まで来れた。私たちの二倍くらいある大きな壁を上って、研究所へと急ぐ。
「どこへ行く」
私がちょうど学園の塀を乗り越えて、塀の上に立った時、下から声が聞こえた。見下ろす先にいたのは、クロード。
「学院の夜間外出は禁止だと聞いているが? 申請は出しているのか?」
私はその言葉を無視して塀から飛び降りた。学院の外に出て、三人と合流する。
「誰ですか?」とエリクシア。
「担任のクロード先生よ。私がマークされていたのかもね。多分、音を消す魔術を使って近づいてきたんだわ。時間もないし、無視しましょう」
ここで彼とやり合うのは、百害あって一利なしだしね。例えクロードが他の先生や生徒に密告しようとも、今のクロードの低評価なら、私の口でどうとでも言い負かせる。
と思って歩き出そうとすると、目の前を炎の壁が立ちふさがった。
「逃がすかよ」
見上げると、塀の上にはクロードが立っていた。殺気を込めて魔術を行使している。
「とんだ不良娘だな。夜遊びを覚えるのはまだ早い。現行犯逮捕、誰も貴様を庇えないだろう」
彼は私に敵意を向けて、それから視線を横に映した。イヴァン、そして、エリクシア、バレンシアを瞳に映すと、目を丸くする。
「一緒にいるのはイヴァンと、シクロ……。いや、違う、貴様らは、……どういうことだ、これは。なんで、竜人とバレンシアが生きてここにいる?」
困惑したけれど、すぐに察したようで、
「なるほどな。全部、貴様の筋書き通りというわけか。今迄貴様の周りで起こったこと、すべて貴様の差し金か!」
激昂。
怒髪天。
別に私は何も起こしていない。物事が動いたから、そこに便乗しただけ。暴走している馬車に乗り込んだだけ。主犯格は私ではないわ。
でも、何を言っても聞いてくれなさそうな雰囲気。
「新任の教師って言ってたな。うぜえな、殺すか」
バレンシアが臨戦態勢をとる。イヴァンもエリクシアも構えた。
私は彼女たちの前に立ちふさがった。
「いいえ。夕方とはいえ、人の目がないわけではないわ。ここで大騒ぎになってバレンシアもエリクシアも他の子に見つかったら少し面倒よ。予定通り、三人はシクロの救出に向かってちょうだい」
こんな男に時間を取られてシクロの救出が間に合わなかったら、眼も当てられない。
イヴァンは眉を潜めた。
「マリアは?」
「この件に落とし前をつけてからすぐに向かうわ。お相手は私をご指名でしょうし」
三人は頷いて、炎の壁を迂回して走り出す。
「逃がすか!」と構えるクロード。私はその場で跳躍してクロードの目の前に立った。細い石造りの塀の上、向かい合う。
「ご指名のマリアとなります。今宵はご相手のほど、よろしくお願いいたしますわ」
「抜かせ! 【疾風】!」
魔術の行使。
茜空、赤色の隙間から一陣の風が吹いて、私に襲い掛かる。「【風斬】!」クロードが叫ぶと、その風に質量が宿る。速さと重さを兼ね揃えた一撃が私の首元を襲撃して、そのまま私を切り裂いた。
ぽろりと首だけが地面に落ちていく。ごん、と堕ちる音。私が瞬きすると、驚愕したクロードの顔は、見上げるところから目の前に移り変わる。
「いきなり激しいわね」
「な、いや、そういえば貴様は、そういうやつだったな」
「でも残念だけど、貴方と遊んでいる時間はないの。私を殺せないと理解したら、引いてくれると嬉しいんだけど」
貴方は人間なのでしょう?
まだ、皮を被ったままなんでしょう?
自覚ができていないんでしょう?
じゃあ、私の目の前にいる価値はない。
「化け物になってから出直してくるといいわ」
――【炎風】。
熱のこもった風をクロードにたたきつける。彼が避けるために塀から飛び降りるのを見て、「【天変地異】」地面の形を変化させる。棘だらけになった地面では、着地も容易にはできないだろう。
「それはあの人の魔術だろうが!! 貴様ごときが気やすく使うんじゃない!」
「魔術に所有権なんかないわ。今はもう私のものよ」
「くそが! 【烈風】!」
クロードは塀の壁面を蹴って、強引に降りる箇所を変えた。強風を巻き起こして、棘の範囲から抜け出そうとする。
でもそれはつまり、宙に浮いた状態だということ。近くには自分を引き寄せるものが何もなく、魔術を使用した直後では、舌も回らないでしょう。恰好の餌食。
チェックメイト。
「【彗星】」
棘となっていた土が、形を変える。球状になった土はクロードに向かって勢いよく飛んでいく。避けられない一撃が彼の腹部に命中し、「がっ」嗚咽を漏らした。その後も十数の土塊がクロードにぶつかっていき、彼をあざだらけに変えていく。
攻撃を止めると、息を切らしているクロードだけが残った。
私は地面に降りて、彼の眼前に立つ。
「私だって暇じゃないの。わかったらもう歯向かわないでいてくれる?」
「貴様……! 【風斬殺】!」
よく回る舌から、魔術が飛んでくる。
今度のは、先ほどの風の刃が何本も。視認できない斬撃が、私の身体を切り裂いた。
服が斬られないように最低限の動きだけでそれを受けて、斬られた四肢は元に戻して、私はため息を吐いた。
「流石魔術師団のエースね。相手が私じゃなかったら危なかったわ」
「……化け物め」
化け物。化け物。
言われ飽きたその言葉。
もうすでに無味無臭なのよね。
「貴方も一緒でしょうに」
「は?」
「人間なんてこの世には存在しない。自分が圧倒的多数でいると勘違いしているのは、自分が劣等種であることの裏返し。この世にいるのは、人間と化け物じゃなくて、無能な生き物と、有能な生き物」
口に出すと、理解が深まっていく。
人間という種族は、偽りの種族。脆弱な有象無象が肩を寄せ合って生み出した虚像。
覚醒遺伝持ちの人間といった化け物を排斥するのは、それが優秀だとわかっているから。自分より上だと理解しているから、自分の劣等感を自覚したくなくて、人は排斥を繰り返す。
なんて、狭量。
そんな自己愛に殺された化け物の、なんと多いことか。
「私はこんなものになりたかったのかしら」
逆に考えれば、人間の優秀な点はその数だ。周り全員から化け物だと言われ続ければ、自分の化け物を理解して、他者との違いを悲しんで、震える夜を過ごすことになる。
でも、それだけ。
周りが人間で埋め尽くされているから、そう感じるだけ。
逆に、世界が化け物で満たされればどう?
普通の人間の数が相対的に減っていけば、皆堂々と自分の化け物を披露できるんじゃないの? もう、自分に怯えなくて済むんじゃないの?
素敵。
違う事を恐れるから、人は丸くなる。そして、丸くない人間を攻撃する。
尖ってていいんだよって。
貴方は貴方のままでいいんだよって。
誰もがそう思える世の中になれば、皆、もっと幸せになれるんじゃないかしら。美しい個性を殺さないで生きていけるんじゃないかしら。
「何を言っている!」
クロードは喚く。
化け物を自覚できない、哀れな子羊。
ちょうどいい。この子で試してみよう。
貴方の化け物を引きずり出してあげる。
私なら、それができるから。
「どっちが化け物なのかしらね。男が好きな変態のくせに」
私が言うと、クロードの瞳が跳ねた。
「な、に?」
「化け物って言っても、色々あるわよね。例えば、今の私のように、圧倒的強さを持っているとか、覚醒遺伝持ちの人間のように、見た目が変わってしまうとか。要は普通の人間と違う事を、人は化け物と言って自分と隔離したがるのよ」
自分と切り離すことで、自分の世界とは関係ないと、一時の安心に浸れるから。
「普通の人間って何かしらね。高いところから堕ちたら死んで、斬られたら死んで、人間のコミュニティの中に混じって、数々の当然、人の枠組みの中から外れることがない存在のことを言うんでしょう。そして、異性を愛するのが当然なのでしょう」
だって異性じゃないと、子を成せないものね。子ができないということは、数が生まれないということ。種族として劣っているということ。
私はクロードのことを見てきた。
彼は若く、顔も整っている。魔術師団のエースなだけあって才覚豊かだし、人望も厚い。でも、このイーリス女学院では、しかめ面が目立った。
当然、私という存在もあるのだろう。恩師を再起不能にした仇敵だものね。でも、それだけじゃなくて、女性全員を異性の対象として見ていないように思える。劣情の匂いを感じられない。
加えて。
どうして一人の恩師の復讐にそこまで拘るの? 魔術師団のエースという肩書を捨ててまで、学院の教師に甘んじているの? 恩師にも止められたでしょうに。
「ミドル先生のことが、好きなんでしょう?」
クロードは一度肩を震わせた。
一人の人間への好意。そうではなく、もっと根本的な性的な行為。
クロードは否定しなかった。否定が相手への思いを侮辱するとでも思っているのだろうか。
「だったら、何だ? 貴様には関係がないことだろうが。気持ちが悪いと蔑むか。脅しでもする気か」
「まさか」
貴方が化け物だというのなら。
普通の人間ではないというのなら。
私は、貴方の味方だもの。
「誰も貴方を疎んだりしないわ。むしろ、逆。応援したいわ」
「……あ?」胡乱な目。
「私だって男の子よりも女の子が好きだもの。柔らかくて楽しくて、弱弱しくて脆くって、本当に大好き。貴方と同じよ」
「……何を求めてる」
「貴方に、貴方の中の化け物を認めてほしいのよ」
空を仰いだ。
いつの間にか夕焼けは終わり、空には薄い黒色が塗りたくられている。夜は好き。誰も私のことを見ていないから。
ここから先は、化け物の時間。
「全ての生物に、自分を認めてほしい。自分の中の化け物を愛してほしい。だって皆、否定するけれど、化け物なんだもの。それなのに頑なに首を振って、より化け物に近い存在を虐めるの。皆が化け物であれば、普通じゃ無くなれば、もっともっと生きやすいはずなのよ」
百点の人間なんか、いない。
純度の濃い皮なんて、ない。
全員が認めれば、良いところが目立つようになるんじゃない?
「だから、ね。貴方は貴方を偽らないでいて。好きな人に好きと言って何が悪いの? それを否定する他のやつらに媚び諂って何の意味があるの? 少なくとも私は、好きな女の子たちに好きと言って、愛を囁いて、身体を預け合って、とっても幸せだと思っているわ」
全部真実。私は一切の嘘を言っていない。少しの意図があるだけ。
ほしいものに手を伸ばせない世の中なんて、意味がないでしょう。
「ねえ。貴方はどう思う?」
認めろみとめロミトメロ。
おまえは、化け物だ。人の枠組みから漏れた異端児だ。
でも、私は認めてあげる。その気持ちを愛してあげる。だってそれは大切な貴方の個性。貴方の想い。
私はしゃがんで、クロードの目を見つめた。
葛藤と反抗が浮かんでいる。
悩みがあるということは、私の入る隙間があるということ。私に乱されてしまうという事。
「私がそういう世の中にしてあげる。貴方が笑ってミドル先生に愛を囁けるような、そんな世界を、作り上げてあげる」
幼い子供に諭すように。
老獪な学者を騙すように。
「私は化け物。普通の人間ではできないことだって可能にしてみせる」
言葉は自分にも言い聞かせるように。
自分の生きる道。目標。不明瞭だった未来に、色が宿っていく。
アンナのように、孤児院にいた他の子たちのように、まだ見ぬ覚醒遺伝持ちの子のように。
世界から、人間から、排斥されてしまった人たちの、未来を作り上げる。普通からあぶれてしまった可哀そうな子たちの生きる場所を生み出すの。
マリアだって笑えるような、そんな世界を生み出して見せる。
「……」
クロードは目を伏せた。
逡巡が見え隠れしている。
でもね、そういう場合って、実はもう答えは決まってるのよ。
私は立ち上がった。
「悩むといいわ。私はいつまでも待ってるから」
「ま、待て!」
「私は行くわ。シクロが魔術研究所で捕まっちゃったから、助けに行かないと」
「……なに? シクロが?」
「ええ。彼女も特殊な人間だから。魔術研究所の所長に目をつけられてしまって、このまま放っておくと実験体にされてしまうの」
私が悲痛に顔を伏せると、クロードの顔に罪悪感が滲んだ。嫌がらせ半分で私たちを魔術研究所に送ったのは彼だから。
根はとっても良い人なのね。だから、私の餌食になっちゃうのよ。
「私はシクロのことが大好きだわ。だから、助けるためなら何でも使う。竜人だろうが、王国の刃だろうが、なんでも。そして、ほしいものを手に入れる」
だから、私は正しい。
私が正義だと、
言い聞かせるように。
ただ一つの、少女の純粋な思いを、吐き出した。
「……」
クロードは、シクロを見捨てられない。
自分の責任で人が死ぬことが認められない。だからこそ、魔術師団のエースになれたのだ。
「……行け」
小さな声で、ぽつりと。
「どのみち僕に貴様は止められない。ここまで力の差があるんなら、僕にできることはもうない」
落胆したように、肩を落とす。
絶望したように見えて、少々の希望が芽を出している。
「ありがとうございます」
私は殊勝に頭を下げて、飛び上がった。塀の上に立って、学院から出ていく。
誰にも見えない夜の空に、一人、笑った。