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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
四章 学生三年目
74/142

4-12. 原初














 私には何もない。

 いえ、正確に言えば、何もなかった。

 生まれた時には、何も持っていなかった。


 しかし。

 すべては過去。今の私には、大切がたくさんある。

 たくさん、持つことができた。あるいは、持ってしまった。

 何もないときには考えもしなかったこと。手に入れることばかりを考えていた私へのしっぺ返し。守ることを怠った私の落ち度。


 そう、私は知らなかった。

 奪われるということがこんなにも腸煮えくり返るものだとは思わなかった。


「――これが、顛末。その後に研究所を探し回ったんだけど、ミラージュの姿は研究所にはどこにもなかった。職員に聞いても、大声で研究所を燃やすと脅し回っても、気を失っている所長の命を盾にしてもダメだった。どうもこうもいかなくなって、公爵令嬢だったバレンシアなら何か知ってるかと思って、戻ってきたんだよ」


 ぐちゃぐちゃな脳内。

 イヴァンの説明も、汚い脳を通り過ぎていく。


 自室。

 シクロを攫われてから少しして。

 あれから研究所でいくら暴れまわってもミラージュの姿は見つからず、彼女が現れることもなかった。魔術研究所は国の機関。公爵令嬢だったバレンシアなら何かを知っているかもしれないと大急ぎで戻ってきた後。やっぱり研究所を倒壊させるべきだったと思いつつ、そうなったらシクロも埋もれてしまうかもしれず、どうしようもない。


 どうしようもない現状。それがとっても、苛々する。

 思い通りにいかないことが、とってもむかつく。


 一緒にいたイヴァンだって私と同じ心情。唇を強く噛んでいる。


「なるほどな。何があったかは理解した。で、そこのお嬢さんはこんなかりかりしてるわけか」


 部屋の中には四人。

 私とイヴァンとエリクシアとバレンシア。

 ある程度の事情を知っている私の周り。私が頼りにできる、大切な人たち。


 切羽詰まった状況だというのに、バレンシアはにやにやと笑っている。


「きひひ。まんまと一杯食わされたわけだ。残念だったな。てめえが負けちまったせいで、今頃シクロは解剖されて肉と血を分離されて溶液に浸されて、一目じゃシクロとわからないモノになっているんだろうなあ。ああ、可哀そうに」


 そんな姿を想像して、脳が音を立てる。 

 バチ、とか、そんな感じ。


 イヴァンとエリクシアが肩を震わせて身を引いていた。

 私と同じようにシクロの変わり果てた姿を想像してぞっとしたのかと思ったが、二人は私のことを怯えた目で見ていた。

 なんでと思ってから、納得。私は今、とんでもない顔をしているのね。確かに、今なら近くにあるものすべてを壊しても構わないという暴力的な思考に染まっているけれど。


 今年に入ってから幾度も襲われるこの感情。

 なかなかに飼い難い。

 知りたくないことばかりを知っていく。


「バレンシア。くだらない茶々を入れるのはやめて。シクロは生きているよ」


 イヴァンが諫めると、バレンシアは肩を竦めた。


「そうだな。この場にいる全員お嬢さんに殺されちまうからな」

「死ぬのはおまえだけだ。馬鹿が」


 エリクシアもため息をついて、それから居住まいを正した。


「確かに私も、魔術研究所の黒い噂は聞いている。二進も三進もいかなくなって身売りした覚醒遺伝持ちの人間が買われて向かう先が魔術研究所だ。そして魔術研究所に入った人間は、帰ってくることはなかった」

「ミラージュは覚醒遺伝持ちの人間を”腐るほど持っている”と言っていたよ」

「……くそ王国が。彼らをどうしたんだ」


 エリクシアの瞳にも怒りが宿る。


 実験、研究所。

 きっと、彼らはもうヒトではなくなっているのだろう。それこそ、孤児院の時のアンナの時のように。

 だが、まだ間に合う命もあるかもしれない。


「マリア様。私もこの件に噛ませてください。シクロは当然、囚われた仲間たちを助け出したいのです」


 エリクシアは私に向かって首を垂れる。

 エリクシアは真面目。仲間思いで、とっても素敵。

 でも、少し忠義が足りないのではなくて?


「当然よ、エリー。一緒に行きましょう。だからこの件を貴方たちにも話したのだから。でも、私が全部話したというのに、貴方が全部話さないというのは不義理ではなくて?」

「……どういうことです?」

「魔術、覚醒遺伝持ちの人間、原初。知っていることを今ここですべて話しなさい」


 私の目はエリクシアを射抜く。


 魔術研究所の本意。

 ミラージュの目的。

 それらを知らないと、何かを間違えるかもしれない。シクロを救い出すのに失敗などありえないのだから、全部知っておかないと。知っていれば、交渉材料を生み出せるのが私という存在なのだから。

 そして、エリクシアはそれらを知っている人間だ。


「それは……」

「そう。貴方が言えないと言うのなら、言い方を変えるわ。”言わなければ、殺す”。貴方のことは大好きよ。でもね、私はシクロのことも大好きなの。二つとも欲しいと思う私はわがままかしら? 私の望みは、貴方が話せば叶う事。時間がないのよ。言えない事情をすっ飛ばして、さっさと話しなさい」


 脅し? 違うわ。これは、相談よ。


 なおも言い淀むエリクシア。

 私が本気だってわかってないのかしら。指の一本くらいなら、なくなっても問題はないわよね。私に忠誠を誓うというのなら、これは立派な反逆に当たるわけだし。


 静まる部屋の中、口を開いたのはバレンシアだった。


「てめえが口ごもるなら私が言ってやるよ、エリクシア。どうせ私は死人だしな。死人が何を話そうが、どうでもいいことだ」

「バレンシア。しかし」

「別に知ったところで急にどうこう起こるはずもねえ。それに、こいつは遅かれ速かれこの世界の真実に気づくだろうし、それなら私たちでコントロールしたほうがまだマシだ。ここで伝えちまった方が、後の大事故を防げると思うがな」

「……わかった」


 エリクシアは頷き、バレンシアは私の方を向いて、口を開く。


「私はエリクシアほど優しくねえぞ。事実を知ってどうなろうが、どう考えようが、それはてめえの勝手だ。自分で考えな」

「最初からそうするつもりよ。知っていればとれる対策もあるでしょう」

 

 既知であれば備えられ、恐怖を感じることもない。

 知らないのが一番危険なのだと、私は知っている。


「ひっひ。時間がねえんだろ。かいつまんで話してやるよ。


 昔、この世界には原初という存在がいた。竜、吸血鬼、獅子、――数多の生命体が神によって生み出され、世界を席巻していた。そいつらには寿命はなく、広大な世界を前に争う火種もなく、悠久の時をただ生きる存在だった。当時の世界には時間という概念も、死という未来もなかったんだ。


 安寧と自由だけがあったと、聞いている。

 だが、そんなもんは退屈なだけだろ。老いも死もない世界、恐怖も悲しみもない世界。私はくだらねえもんだと思うし、原初たちもそう思った。原初たちはそんなつまんねえ世界で、暇つぶし半分で交配を行った。


 原初同士の性交の末、子供が生まれたが、それは原初ではなかった。親となった原初、互いの遺伝子を半分ずつ受け取った、中途半端な生物だった。細胞レベルで劣化した原初の子供は、体躯も力も両親に及ばず、強大な力を持つ原初だらけの中で、迫害と虐待の対象になった。原初たちは喜んだそうだ。いい暇つぶしの道具が産まれた、ってな。


 暇すぎた原初たちは、新しいものに飛びついた。劣化した生物を自ら産み出し、遊ぶことを覚えた。産んでは虐げ、弱い生物をあざ笑った。


 そして、産まれた子供たちも、また交配を繰り返した。なぜかって? 自分よりも弱い存在を作ることが、唯一地獄から逃れる方法だと知っていたからだ。家族だから愛する、なんて感情は存在しない。自分から離れれば、それは立派な他人だろう?


 原初の血は子供に引き継がれるたびに半分になり、また半分になり、だんだんと弱まっていく。どんどん小さく弱くなっていく生物。虐げられやすい生物が量産されていく。子供たちは原初の吐息ですら死んでしまうくらいに脆弱に成り下がった。


 時が経ち、もはや誰が先祖なのかわからないくらい、元の形を失った弱い生物。相変わらず迫害と虐待の対象となり、産まれて間もなく死んでいく命もあった。


 ある時、弱弱しい子供たちは思い至った。どうしてこんなに虐げられることがあろうか、と。このまま無残に殺されるくらいなら、手に武器を取って傲慢な原初を狩った方が有意義ではないか、と。


 数が増えたやつらは、原初に対抗する覚悟を決めた。

 そして彼らは原初に戦いを挑んだ。当然、原初に勝てるはずもない。最初の一人は指の一振りで死んでいった。弱すぎる、下らない悪あがきだと原初たちは嗤った。だが、原初は知らなかった。弱い生物の数が、とんでもなく多くなっていることに。


 一人は指の一振りで死んだ。

 十人は欠伸交じりの吐息で死んで、

 百人は腕の一振りで死んで、

 千人は拳を何度か振って殺して、


 万人。体中に張り付いたそいつらを振り落として何度も踏みつぶして、

 十万人。自身固有の能力を用いてなんとか吹き飛ばして、

 百万人。全力で体を暴れ回してやっとのことで殺し尽くして、

 一千万人には弱点を覆い隠すようにして逃げるように背を向け、


 一億人は――手に負えなかった。


 殺しても殺しても湧いて出る雑魚たち。一人が道を作れば、数多が我先にと追随して矛を突き立てた。

 一種族、絶対の存在であった原初は、数という恐ろしさを知らなかった。自分たちが作り上げた末裔たちが一つ一つが弱くても、力を合わせれば原初すら打ち倒すという事を、予想できなかった。


 一つの原初が殺された。

 自分たちにも死があることを、原初は初めて知ることになる。

 永遠に続く世界に、本気の殺意は存在していなかった。

 そして、死に対する恐れが生まれた。


 一つが倒されれば、後は雪崩が崩れ落ちるように。

 二つ、三つ、たくさん。

 死を恐れて背を向けた原初たちに、最弱は容赦なく牙を突き立てた。


 その弱い生物が優れていたのは、数と知恵。

 圧倒的な物量が、それぞれ最適な動きを学習して襲ってくる。一度や二度の勝負なら歯が立たなかった原初相手に、十回も百回も挑むことで、次々に死を突き付けていく。


 そして、最終的に、世界から原初はいなくなった。

 原初がいなくなった後、その生物の時代がやってきた」


 バレンシアの言葉を私は固唾をのんで聞いていた。

 イヴァンも私と同様。エリクシアは難しい顔で聞いている。


「さあ、その弱い生物とは、一体なんでしょうか」


 バレンシアは話は終わりだというように両手を開いた。


 林間学校の時にミドルから聞いた話。この世界の成り立ち。魔物を殺して何とか世界に生きる場所を作り上げた種族の話。王族に続いている英雄譚。

 それは、私たち。


「……人間」

「ああ、そうだ。これで全部わかったろう? この世界が生まれた時、原初以外の生物は存在しなかった。そして、人間なんていう原初は、存在しない。人間は、劣化して脆弱になった原初の成れの果てだ」


 すぐには思考が追い付かなかった。


 でも。

 それを聞くと。

 連鎖的に、すべての謎が解けていく。


「魔物っていうのは……」

「人間にすらなれなかったやつらのことだ。原初の交配の最中に知性を失った失敗作だ」

「魔術は」

「元々原初が持っていた能力。その末裔である人間どもが使えないこともねえだろう。ただ、どんな原初が先祖にいるかで、その血がどれくらい混じっているかで、どう使えるか、どこまで扱えるかが決まってくる。才能っていうのは、そういうことだ」

「覚醒遺伝持ちの人間」

「原初の血を色濃く有している人間、もしくは、突発的に先祖の遺伝を強く受け取った人間だ。きひひ。根本的は普通の人間と変わりやしねえ。ただ少し、”ずれた”だけだ」

「……じゃあ、人間は、全部同じだっていうの? 皆等しく化け物で、それが表に出てるかどうかの違いってこと?」


 バレンシアは嗤う。


「きひ。ああ、そうだ。ちゃんちゃらおかしいだろ。全員同じ、原初の末裔だっていうのに、それを知らねえやつらは迫害を繰り返す。見た目とかいうくだらねえ理由でな。覚醒遺伝を持っている奴の方が、先祖の血を色濃く受け継いでいるという意味で優秀なはずなのに、雑魚どもが自分は人間だと威張り散らしてい生きている。人間こそが、最も劣化した存在であることを知らないまま」


 第何世代。

 エリクシアが昔言っていたことも、今なら理解できる。

 何世代さかのぼれば、原初に至れるか。エリクシアは第四世代と言っていたから、曾祖父、もしくは曾祖母が原初なのだろう。

 雑種とは、原初の存在が霞むくらいの存在。先祖の力を一切扱えない無能。

 覚醒遺伝持ちを馬鹿にしている人間こそが、何にも持っていない”ただの人間”なのだ。


 確かに、真実は如実に世界を表している。

 矛盾は今のところ感じられない。

 でも、


「なんで、誰も知らないの?」

「王国の上層部が固く口止めをしているからさ。具体的には、王家がな。そっちの方が、管理がしやすいのさ。世界に何も知らない雑種が満ちれば、原初の血を有している王家に歯向かえるやつはいなくなる。誰も詮索しないのは、誰だって自分が魔物と同じだとは思いたくないからだしな。王家と国民でウィンウィンな関係だな」


 バレンシアのような、王国の刃。

 彼女は強い。武器を持った人間でも、一人で数百人くらいは相手にできるだろう。

 そしてこのまま世界が続いていけば、王家と国民の力の差はさらに開いていく。


「この事実を知るという事は、王家から狙われるということです。王家だけが握っておきたい秘密なのです。だから貴方には知ってほしくなかった」


 エリクシアは殊勝に頭を下げた。

 申し訳ございません、と言葉を添えて。


「そういうこと。じゃあ、王家が血の近いもので婚約するって話は」

「血を薄めないためさ。そこらへんの雑種なんかを入れ込んだら、せっかくの原初の力が使えなくなるだろ。この力をもって、この国に不都合な相手を消していくんだ。歯向かってくるやつらも、ただの雑種に過ぎない。ほらな、完全無欠な人間の王国の出来上がり」

「アースも、デリカも?」

「そりゃあな。あいつらは”自覚”がないだけだ。自分の正体をまだ知らされてねえんだろ」


 バレンシアは尚も嗤う。

 私が黙り込んだのを見て、


「話を戻すか。魔術は原初の力。覚醒遺伝とは、原初の遺伝。つまり、魔術研究所ってのは、突き詰めると原初を研究しているところだ。とはいっても、真実を知っているのは上の人間だけだけどな。だから、多くの覚醒遺伝持ちの人間を集めて実験を繰り返し、より強い存在を生み出そうとしているわけだ」

「じゃあどうしてシクロは捕まったの? シクロの原初って何?」

「それは知らん」


 急ににべもない。

 バレンシアは腕組み。


「さっきの話を聞いていて、連中が興味を抱くシクロの原初ってのはわからねえ。ついでに、ミラージュだ。鏡を操る原初なんかいるもんなのか。私も専門外だし、詳しくはねえから知らねえけど。知るのが楽しみだから、私もシクロの救出には力を貸してやるよ」

「言われなくても、来てもらうつもりだったわ。それで? シクロがどこにいるかわからない?」

「地下だろ。グレイストーン家次期党首として、ちっせえ頃に案内されたことがある。地下には覚醒遺伝持ちの人間が、ごまんと牢屋に繋がれてんだ」


 あっさりと。

 その一言さえあれば話は早かったのに。


「さっさと言いなさいよ」

「てめえが言ったんだろ。敵を理解したほうがいいって。てめえのやり方なら、そこらへんが明確になった方がいいだろうが。それに、てめえも少しは頭が冷えただろ。連中だってそんな大事なモンをいきなり解剖するような馬鹿でもあるまい。次は負けられねえんだからしっかりしろ」


 バレンシアには言われたくない、が。この場で一番冷静なのは彼女であることに間違いもなかった。

 私は大きく息を吐いた。


「そうね。貴方の言う通り。次は負けられないわ。全力で、叩く」


 いろいろと明らかになって、敵の目的も見えてきた。

 詳細は判然としないが、シクロの持つ原初に興味があるみたい。もしくは、人工的に作り上げたとも言ってたし、経過を見たいの?


 何にせよ、シクロの血に興味があるだけ。

 そんな輩に渡せるほど私がつけるシクロの価値は安くないわよ。

 私は立ち上がって、歩き出した。


「皆、行くわよ」


 三人の大切を、従えて。

 一人の大切を、救いに。


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