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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
四章 学生三年目
73/142

4-11















「馬鹿な。……生きている、だと?」


 アロガンはゆっくりと近づいてくる。

 その様子に危機感を覚えて、私はシクロの前に立ち両手を広げた。


「どうかしましたか? シクロのことを何か知っているの?」

「……その姿は、見間違えようもない。いや、しかし、なぜ」


 夢遊病者のようにゆらゆらと歩き寄る男。

 私はなおもシクロに近づこうとするアロガンの肩を掴んだ。


「これ以上は近づかないで」


 アロガンは先ほどまでの陽気とは打って変わって、怒りに満ちた顔で私を睨んだ。その目には私が映っているようで、映っていなかった。


「馬鹿か、貴様! 今、ここに、世紀の大事件が起きているのである! 儂は今、歴史が動いた瞬間を目の当たりにしているのだ!」


 私を振りほどこうとしたので、私は力を強めた。


「離せ! これは儂が失敗作として手放した、実験品だ。誰のモノでもない、儂が捨てたのだから、儂のモノだ! 粗大ごみが今、最高の結果をもって目の前にいる! 死ぬはずの化け物が、死んだはずの失敗作が、私の下に帰ってきた! これを喜ばずにどうする。そして、実験を進めていけば、理想に手が届くかもしれん!」


 声高々な演説。あるいは、耳障りな雑音。


 私の大好きなシクロのことを、失敗作だと? ゴミだと?

 シクロの顔がますます俯いてしまって表情もわからない。

 むかつく。よくも私の大切を傷つけてくれたな。


 アロガンの肩にかかる力を強くする。そのまま肩の骨を砕き割るつもりだった。

 悲鳴が辺りに木霊する――前に、その手は払われてしまった。払ったのは、いつの間にかアロガンの傍にいたミラージュだった。


「シクロ。聞いたことがあると思ったら、やっぱり昔ここにいた子だったミラ」

「ミラージュ! やったのじゃ! 理由はどうあれ、死ぬはずの人間が、死んだはずの人間が、こうして生きている。つまりは、儂らの研究の存在は明らかになった!」

「――」


 ミラージュの肩が跳ねた。

 興奮をなんとか抑えつけているような低い声で。


「……所長。つまりは?」

「原初への道が、見えたのじゃ!」


 その一言で、ミラージュの眼の色が変わった。

 同時に、周りを取り巻く雰囲気も。

 狂気に、満ちる。


「逃げるよ!」


 剣呑な状況を見て、イヴァンがシクロの手を取って走り出した。

 ミラージュがイヴァンに殺気のこもった視線を投げかけたのを見て、私はミラージュの行く道を塞いだ。


「先に行って。私が足止めしておくから」


 二人が走っていくのを見て、私はミラージュとアロガンに向き直る。

 アロガンは顔が真っ赤。肩を怒らせていた。


「何をしておる! 貴様はわかっておらんのじゃ! あの実験品の価値を! あれが生きているその意味を! 世界が色を変える、世紀の瞬間を、今まさに逃さんとしているんじゃ!」

「うるさい。二度と実験品だの失敗作だのと口にするな」


 脳が熱い。

 頭が赤い。

 先日の黒い感情とは違う、赤い感情。

 熱く滾る許すことなどできない激情。


「シクロは私の家族よ。そして、愛する人。貴方のモノではないわ」

「違う違う! わかっておくれ! あれはそんなくだらないものじゃないんじゃ! 世界の根底を揺さぶる、儂の命よりも大切なものなんじゃ! かつて世界を席巻した最古にして最強の存在、原初の、その片鱗が、目の前にあるんじゃ!」

「私たちのことを、くだらないと言ったな」

「ああ、くだらない。人間の命なんか、どうでもいいんじゃ。それよりも、儂らの研究の最たる目的が達せられようとしているのじゃ。ああ、もう、頭の悪いやつはこんなこともわからないのか。ミラージュ! こいつを……」


 私はアロガンの腹部を蹴り飛ばして、壁にたたきつけた。転がった先で書類が巻き上がった。


「次にその口から侮辱の言葉を吐いたら、首を落とす」


 言って、追撃しようと構えるが、すでにアロガンが昏倒していることに気が付いた。白い泡を吐いている彼は、もうすでに私の言葉など耳に入っていないだろう。


 蹴るにあたって、防御も回避も選択肢になかった彼は、所謂、普通の人間だった。最近私の琴線に触れてくる相手は化け物ばっかりだったから、手加減を怠ってしまった。

 少し、反省。

 まあでも生きてるからいいでしょ。


「貴方も、大人しく……」


 ミラージュの方を向いて、その姿が消えていることに気づく。


 あれ、扉の方は注意していて、開いた形跡も開いた音も感じていないんだけど。他に出入り口は見当たらないし、変な動きをすれば気づいていたはず。


 まるで空気中に溶けたかのように、

 最初からいなかったかのしょうに、

 姿が見えない。


 と。

 部屋に立てかけられている鏡が目に入った。

 水面に何かを落としたかのように、鏡面が揺れている。従来の固形物である鏡では起こりえない現象。


 過る焦燥感。

 何が起こっているかはわからない。ただ、危険が迫っていることはわかる。


 私は所長室から飛び出して、イヴァンとシクロが向かったであろう研究所の入り口に走り出した。

 ちょうど、シクロを背にしたイヴァンがミラージュと対峙しているところだった。


「それを返せ」


 ミラージュは平坦な口調で言い放つと、イヴァンに手を伸ばす

 のを、私は掴んで止めた。


「マリア!」と二人の声を背に受けて。


「びっくりしたわ。いきなり消えていなくなるんだもの。どうやったの?」

「離せ。”それ”は、私たちの悲願、その一歩目になる」


 私の質問には答えない。ただ、背後にある鏡は所長室で見たものと同じで、鏡面が揺れていた。

 また未知が増えてしまった。

 けれど今はそんなことは置いておく。


 それ、だなんて、シクロをモノのように言うその口を塞がないといけない。


「貴方が引きなさい。シクロは私の愛する家族なのよ」

「それは実験品だ。人間の手に負えるものではない」


 互いに引こうとは思っていないみたい。

 だったら――


 ミラージュも同じことを思ったみたい。その腕が振りかぶられて、私の頭を打つ軌跡。

 私はそれよりも早く彼女の腹部を蹴りつけた。きっと彼女は化け物だろうから、手加減もそこそこに。飛んでいった彼女の身体は壁にぶつかって、壁を破壊して見えなくなった。


「行くわよ」


 足に残った感触では、あまり効いている様子はなかった。アロガンとは違って、直前で勢いを殺されている。

 つまりは、戦いなれている。


 私はシクロの肩を抱いて研究所の外に出た。シクロの肩は震えていた。


「マリア」

「はいはい、ここにいるわよ」

「どういうことでしょう。確かに私は昔、ここにいました。けれど、確かに私は失敗作だったんです。詰られ貶され、放られました。詳しくは知りませんが、彼らが求めている何かが欠けていたんでしょう。だから捨てられたというのに、どうして今更になって……」


 私だってわからない。

 死んでいるはずだった? それはシクロの髪と体に関係しているの? シクロの能力がカギ? シクロは何者? なんの覚醒遺伝を持っているの?


「何もわからないわね。状況が状況だし、さっさと寮に戻ってエリクシアやバレンシアにも聞いてみましょう」


 この未知は、暴力的。

 中途半端に近づくのは危険だと、私の脳が警鐘を鳴らしている。


 研究所の外、小規模な庭の上。もう少しで門の外に出る。そこまで行けば、多くの人が往来する道路に出る。流石にミラージュも野蛮な真似はできないだろう。最悪、”被害者”になって、大声を上げればいい。


 だが、研究所の門のところには、すでにミラージュが立っていた。

 思わず振り返ってしまう。

 追い抜かれたわけではない。つまり、別のルートからやってきた。

 門のところには鏡が立てかけられている。


 なるほど。


「……鏡を、移動できるのね。すごい特技」


 理屈も原理も全くわからないけれど、鏡を介して移動することができる。

 どんな魔術だろうか。


「それを返せ」


 ミラージュから繰り返される言葉。

 当然頷くわけもない。シクロを背後に隠して、


「シクロの何をそんなに求めているの? 覚醒遺伝持ちという意味では、イヴァンもそうだと思うけれど」

「覚醒遺伝持ち……。確かにそう。だけど、意味合いが異なる。それはただの覚醒遺伝持ちではない。ここで覚醒遺伝持ちにした後天的なもの。それに、ただの覚醒遺伝持ちなら、もう”腐るほど、持っている”」


 ぞわっとして、息を飲んだ。

 この研究所は、地獄。


 そしてなぜだか、エリクシアの顔が頭に浮かんだ。林間学校の際に事件を起こした彼女。王国で最底辺にいる覚醒遺伝持ちの人間を開放したいと、価値を上げたいと訴えていた彼女。

 価値の低い人間は、堕ちていく。落ちて堕ちて、地獄に流れ着く。


「それは凡百の原初から生まれた人間ではなく、無理矢理覚醒遺伝を引っ張り上げた実験品だ。その歳になる前に死ぬはずの使い捨て。しかし生きている以上、本当の意味で失われた原初、その手掛かりとなる」


 意味の判然としない言葉の羅列。


「わかったら、返して」


 無感情な瞳に気圧されているのがわかった。


 私は、化け物。

 けれど相手だって化け物だ。

 押し負けないように、口は閉じなかった。


「末尾のミラはどうしたの? 休業かしら」

「ふとすると、私は私を忘れてしまう。私は長く生き過ぎた。ただ、この瞬間、目的を、お母様を求めているこの瞬間だけは、私は私でいられる。私のすべてが、一つの目標を見つめている」


 恍惚の表情で呟いて、


「手に入れば、もう少し。もう少しで、お母様に会えるかもしれない。長年、人間どもに殺されて何年も経ったお母様が、また私に笑いかけてくれる」


 幸せそうに、楽しそうに言って。

 瞳は敵意に変わる。


「だから、そこを退け。今なら殺さないでいてあげる」

「退かないわ」


 ミラージュにどんな悲願があろうが。

 私は私だから。私のしたいことをするの。


「愚か者め」


 ミラージュは一気に私に詰め寄ってきた。


「貴方が優秀なのは知っている。さっきの蹴りは、なかなかに良かった。きっと優秀な先祖に、原初に、恵まれたんでしょう」


 私は近寄ってくるその顔面に、拳を合わせようと振りかぶる。

 タイミングはばっちり。


「だけどいかんせん、私には勝てない。私は、お母様の愛を受け取っている」


 きらり、と何かが視界の端で輝いた。

 何かと思えば、それはミラージュの髪だった。光沢のある銀の髪が、光を浴びて輝く。鏡面のように光を反射するそこには、金色金眼の少女が映っていた。私だ。その少女は私と同じように驚いたような顔をしていて、けれど、私と目が合うと口の端を歪めた。鏡の中では拳の行き先が変わって、ミラージュから、鏡に向けて、”髪から腕が生えて私を殴りつけた”。


 予期せぬ攻撃に、私の防御も間に合わない。拳を横っ面に受けて、少しよろめく。その瞬間に、ミラージュの拳が腹部に入って後退することになった。


「……な」

「魔術とはすなわち、親の愛。先祖の遺物。自分の原初を司る力」


 ミラージュは自身の上着をはだけさせた。

 見えたのは、下着。綺麗な身体。そして、服の裏地を占める一面の鏡。正面にいる私の姿を、あらゆる角度から映し出す。


「お母様は常に一緒にいて、私を守ってくれている。貴方が勝てるはずもない」


 服一面に、私が映りこむ。

 金髪金眼の綺麗な少女。板についた微笑み、指先まで一挙手一投足が計算された、人工的な美少女。

 彼女たちは驚いた顔をしている。当然だ、私が驚いているんだから。


 だけど、上書きされる。

 これは鏡であって、鏡ではなかった。

 その少女たちは次々と表情を変えていく。微笑んで怒って悲しんで喜んで苛ついて呆れかえって楽しんで苦しんで辛そうに幸せそうに。


 一斉に、私に向かって走ってきた。


「【千面鏡】」


 ミラージュの言葉と共に、鏡から現実世界に向けて、私があふれ出した。

 それらは私目掛けて拳を、脚を振り上げて、迫ってくる。一撃、二撃。無数の私が、無数に攻撃を加えてくる。

 どれも、重い一撃だった。

 私は自分の攻撃をコントロールできる。だからわかるけれど、それは私の攻撃だった。


 腕をかざして致命傷は避けていたけれど、こじ開けられて、顔面に一撃が入ってしまった。殴り返そうとするが、殴ってきた私はもう目の前にいない。一撃を加えると太陽の光を浴びて掻き消え、また新しい私が鏡からやってくる。


 無限ループ。


「ぐ……」


 どの私も速い。

 躱し切れない。


 だけど。私はいくら攻撃を受けて砕けないし、壊れない。

 バレンシアとの戦いの時に学んだ私の中に、敗北はない。

 ぼこぼこにされても、体中の骨を折られても、負けない。


 私は殴られても蹴られても構わずに、「【炎線】」と呟く。私の指先から直線状の炎をミラージュ向けて放った。


 ミラージュは再び服を羽織ると、横に跳んで躱す。

 攻守交代だ。

 私は自身の怪我を治す。綺麗な私に戻る。


「【天変地異】」


 飛びずさった先の地面を隆起させる。竜の顔を模した土の塊が、ミラージュを飲み込もうと口を開いた。

 ミラージュは跳躍して宙に浮くと、とびかかった土の竜を蹴り飛ばした。霧散。


 まだだ。


「【十字氷舞】」


 宙に浮いて簡単に避けられないところに、十字の形をした氷の塊を宙に生み出し、勢いよくミラージュにたたきつける。

 ミラージュが氷を殴りつけるが、拳が触れたところから彼女を凍らせていく。腕から胴体、脚と頭を、順に氷結させていく。


 初めてミラージュの顔が歪んだ。


「まさか、ここまでとは。貴方は何者?」

「貴方でも私のことをわかってはくれないのね。まあ、いいけど」


 がしゃん、と音がして氷漬けになったミラージュが地面に落ちる。氷結された四肢では動くことも叶わない。

 念のため、彼女の髪に移らないように遠くから。


「私の勝ち。貴方の負け。だからシクロから手を引きなさい。今日のことはなかったことにしてあげてもいいわ」

「それはできない。あれは返してもらう。あと、貴方も欲しい。でも、ダメそう。仕方がない。今回はあれだけで我慢することにしましょう」


 残念に思っているわけでも、負け惜しみでもない。

 彼女は全身が氷漬けにされても、敗北と思っていなかった。


 ミラージュの視線が横にずれる。

 視線の先、そこには、門近くに置かれた鏡があった。

 鏡に、ミラージュの姿が映りこむ。


 氷漬けにされているミラージュ。その仏頂面が映りこみ、そして瞬きをすると、鏡の中ではミラージュは鏡から抜け出していた。大きく伸びをして、鏡にどんどん近づいていって、”鏡から出てきた”。

 慌てて氷漬けにした本体の方を見ると、そこには何もなかった。ただ、氷が置いてあるだけ。


 私たちの戦いを見ていたイヴァンも、ミラージュの力に気づいたらしい。鏡を割ろうと動き出すが、少し遅かった。

 私の時と同じように鏡からイヴァンの偽物が飛び出してきて、彼女を殴りつけた。


 私の位置は、鏡から遠すぎる。

 まさか、ここまで計算して戦っていたのだろうか。


「――【炎、】」


 魔術を行使してミラージュを仕留めようとするが、ミラージュはすでにシクロの首根っこを押さえていた。その体を盾にするようにして私に見せつけてくる。シクロはなんとか抜け出そうともがいているが、叶っていない。シクロよりもミラージュの方が圧倒的に強い。


「それでは」


 ミラージュはつまらなそうにつぶやいて、鏡に脚をかけた。

 普通だったら鏡は割れるはず。けれど、彼女はそのまま鏡に消えていく。

 シクロを連れて。


「返せ!!」


 私の言葉は、無情に空を駆けて行くだけだった。


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