4-9
ミリアの護衛三人はゆっくりと私色に染めていくことにして。
じっくりじわじわ私が侵食していくようなスタンスをとって。
ミリアと相対するのは気が熟したその時。自分の周りの人間が自分よりも私を選ぶという状況になって、一人きりになって、寂しいはずの状況で、彼女はどういう反応してくれるのだろう。
怒ってむかついて苛ついて、原因を探るだろうか。
私がやったと分かったとき、どうするのだろうか。
私は一生恨まれるのだろうか。
私は許してもらえないだろうか。
ふふ。
楽しみは後に取っておいて。
今、私は魔術研究所の前まで来ていた。
先日、職場体験の場所を決める際にクロードにほとんど嫌がらせに推薦されたのが発端。悪意のある選択だったけど、私自身興味がある場所だったし渡りに船だった。
学院から少し離れた場所。外出許可をもらっての一日体験。
王都の内、王宮の近く。道を歩く人はどれも豪奢な服を身にまとっているようなところ。
王国の中枢を担う人も歩いているからだろう、イーリス女学院の制服を着ているからまだマシだけど、私たちは明らかに浮いていた。イヴァンとシクロはじろじろと値踏みされるように見られるし、改めて見た目の差別を感じる。
そんな相手に、私はとびきりの微笑みを投げかける。そうすると男女問わず頬を赤く染めて目を逸らすのだから面白い。
三人の中では、私が一番化け物なのに。
歩いて四半刻くらいの時間で、私たちは魔術研究所にたどり着いた。
「魔術研究所は、いまだ謎の多い魔術の研究を行っている、国立の研究機関だよ。メカニズムの解明、人の才能の如何、新しい魔術の開発、魔術全般の研究を一手に行っている場所らしいね」
イヴァンは博識ね。
「へえ。確かに魔術というものは不思議よね。私もよくわかっていないもの」
魔術は便利で強力。
原理は不明。
使えるから使っているだけ。
私だけじゃなく、周りの人間全員がそうだ。学院の授業では魔術の使い方やコツは教えてくれたけれど、その背景については教えてくれなかった。単純に教師も知りえていないのだろう。
世の中には、不思議が多い。
なんで火が起こるのか。なんで水の中では炎は起こらないのか。風はいつ吹くのだろうか。そもそも人間はどうして地面に立っているのか。
様々な事象に、謎が存在している。
学院でも、わかることは教えてくれるけど、わからないことは神の仕業ということになる。理解の範囲外になってしまう。
わかろうと思えば、全部わかりそうだけど。私が自分のことを徐々に知っていくように、世界のことも、知れるのではないだろうか。
魔術のことだって、わからないもののまま放っておきたくはない。それが私の性格。
「魔術にも種類がありそうだしね。私が扱う血の力も、魔術と言えば魔術だし。でも、周りにそれが使えている子はいない。才能の有無ってなんだろう?」
「そうね。魔術は使える人間と使えない人間がいる。どこに差があるのかしら。私は基本的に全部使えるけど、何か理由があるのかしらね」
「私もそこは気になってる。だから、就職するしないは別に、ここを訪れるのは賛成だよ」
乗り気な私とイヴァンは頷き合う。
が、私とイヴァンの背後では、シクロが青白い顔をしていた。
「……本当に行くんですか?」
「興味はあるからね。シクロは無理しなくていいのに。別に私はここに就職しようと思ってるわけじゃないわ。クロード先生が推薦してくれたから、渡りに船だと思ってやってきただけなのよ」
「クロードのやつの嫌がらせですよ。どこに”魔術研究所の実験台”として生徒を推薦する先生がいるんですか」
「その部分は書き直してくれたからいいじゃない」
他の教師に咎められて、ようやくだけど。
私に突っかかる頻度が増えたクロードの評価は、生徒、教師の間で徐々に下がり始めている。魔術に関しては器用だけど、人間関係はそうでもないみたい。
そもそも、その分野で私に勝てる人間を今まで見たことないけれどね。
閑話休題。
「わかってるわ、シクロ。ここが貴方のトラウマを想起させる場所で、貴方の身体を弄り回した忌まわしき場所だってことは」
シクロは幼少期に親に魔術研究所に売られたのだ。魔術での攻撃を受け、非合法な薬を投与され、身体を無秩序に変化させられた。その際に受けた悲劇は、シクロのことを大好きな私としては許されるものではない。
「でも、だからこそ、知らないといけないと思うの。教師から聞いた魔術研究所は、純然たる知識の宝庫。技術者たちが未来を創る、最先端の施設。シクロの言う魔術研究所は、地獄。子供たちが集められて、夜な夜な人体実験を繰り返す、悪魔の住む屋敷。どっちの方が正しいのかしらね。当然私は、シクロの言っている方が正しいと思うんだけど」
「なら、やめましょうよ……」
違うわ。だからこそ、行く価値があるの。
表と裏。
正直と嘘つき。
それらを綺麗に使い分けるこの施設。どうやって隠しているのか、どうやって綺麗を保っているか、知りたい。
加えて。
シクロのような普通の人間とは異なる存在を生み出す、その技術。”化け物”を生産する、腹の中。どうなってるのか、とっても気になる。
化け物がいっぱいいれば、それは私に近い存在がいっぱいいるということ。
そんな場所にいられたら、私だって普通なんじゃないの?
「ダメだよ、シクロ。こうなったマリアは止まらないもん」
イヴァンがため息を吐くと、シクロの顔はまた沈んでしまった。
大丈夫、悲しそうなシクロも可愛いから。
「シクロは外で待っていて。私とイヴァンで行くわ。お土産話を楽しみにしておいて」
私が言うと、シクロはいまだ青い顔を上げた。
「……わかりました、行きましょう」
「大丈夫?」
「置いていかれるのは嫌です。それに比べれば昔の嫌な過去を思い出す方がよっぽどマシです」
「ふふ。ほんっとーに、大好き」
私はシクロに抱き着いて、その手を取った。
引いて、歩いていく。
「大丈夫よ。貴方を害する存在がいれば、私が全力で排除してあげる。貴方の気分を損なわせる場所なら、燃やし尽くしてあげる」
いらない、いらない。
私の大切を傷つける場所は、いらない。
私の大切を傷つけていいのは、私だけ。
「さあ、行きましょう」
◇
「お待ちしておりましたミラ」
魔術研究所の門をくぐって入り口の扉向かって歩いていると、眼前の女性が話しかけてきた。
差し込む光を浴びて燦然と輝くその姿。これは比喩ではなく、彼女は実際に輝いていた。
光を浴びた鏡が反射するように、彼女の髪は金属の様な光沢に満ちている。イヴァンの銀色とも種類の違う銀色の髪。
高身長で、学院の中では平均よりも上の私よりも頭一つ大きい。成人男性のクロードと同じくらい。そんな彼女がずいっと前に出てくるのだから、迫力があった。
「お話は伺っております、イーリス女学院の生徒様方。ここ、魔術研究所の見学がしたいと。何でも優秀な生徒様方がいらっしゃるということで、所長の命もあり、私ミラージュが本日のお相手をいたしますミラ。何でも好き勝手聞いてくださいミラ」
ミラージュの、口だけが動いていく。
話している間、口より他の部位は一切ぶれなかった。動かない四肢、口だけが事務的にぺらぺらと言葉を吐いている。
何でも、って言ったわね。
「その語尾の、ミラ、とは何ですか?」
「最初にそこ?」とイヴァンの突っ込み。
「これはキャラ付けミラ。ミラージュはぼうっとしていると没個性になってしまうミラ。だからこうして語尾を強調することで、皆さまに覚えてもらおうと必死なんだミラ」
そうは言うけれど、また口だけしか動いていない。
普通の人間と違う点を、人は個性と呼ぶ。彼女の個性は十分だと思うけれど。
そして私にしては珍しいことに、彼女の瞳からは感情が読み取れなかった。嘘か本当かもわからない。
まあ、こういう人なんでしょう。
「一応、確認させてほしいミラ。貴方がマリア様で、貴方がイヴァン様、そして、シクロ様ミラね。……シクロ?」
かくん、と急にミラージュの首が折れた。そう錯覚するくらい鋭利に首を傾げる。
「聞いたことある名前ミラね」
「……気のせいでしょう」
「む、むむ。確かにミラージュは記憶力に自信がないミラ。人間のことを覚えられないミラ」
ミラージュは瞬きせずにシクロの顔をじいっと見つめて、
「む、む。……気のせいミラね。貴方がそういうんだから、きっとそうミラ。人間の記憶力の方がよっぽどいいはずミラ。失礼いたしましたミラ。では、案内いたしますのでついてきてくださいミラ」
ミラージュはその場で反転すると、肘と膝を直角に曲げて規律よく歩き出した。
それについていきながら、私はシクロに耳打ちした。
「知ってるの、彼女の事?」
「……ここにいたのは小さいときなので、あまり覚えていません。申し訳ないです」
「いいのよ。私だってわからないことが多いし」
「ただ、彼女は、……」
シクロは息を飲んで、
「よく覚えていませんけど、研究所からは絶対に逃げられませんでした。穴を見つけても、夜中に抜け出そうとしても、全員が捕まっていました。……確か、彼女に。多分、化け物です」
「あはっ」
その言葉に、私は思わず笑ってしまっていた。
化け物。
どういった化け物かはまだわからないけれど、早速お出ましというわけね。