4-8. 絡み
人は欲深い生き物。
現状では決して満足できなくて、重箱の隅をつつくように欲しいものを列挙する。現在よりももっと上へ、上へと、欲望は際限なく湧き上がる。
別にそれを咎めることはない。ここまで社会を作り上げられた理由も、きっとその強欲によるものだから。人間の強い部分でもあるから。
私はその欲を利用するだけ。コイン裏表のような脆弱な部分を叩くだけ。
「こんにちは」
トイレから出てきた彼女に、私は声をかけた。
「え?」
目を白黒させている。
私の声を聴いて、私の顔を見て、私の体躯を見て。順々にそれが誰なのかを咀嚼して、それからようやく、彼女は話しかけてきたのが誰か、理解したようだった。勘違いから生まれた笑顔がすっと消えていく。
「……何の用だ?」
リオン。
ミリアの取り巻きの内、長い黒髪を垂らした少女。腰に下げた刀が印象的。
私が傍目から見てきた限りだと、ミリアへの忠誠心は大分高い。過去に何があったか知らないが、ミリアに深い献身を捧げている様子。
「そんな無下にしなくてもいいじゃない。見かけたから話しかけただけよ」
「今まで話したこともない初対面の人間に対して、見かけたから話しかけるのか」
「そうね。言い換えるわ。興味のある子が通りすがったので、話しかけたの」
「……興味?」
リオンの眼が猜疑に細められる。
脳が私という存在を検索し、色々と探っているみたい。
「目的は、ミリア様か?」
「まさか。ミリアなんかどうでもいいわ。目的は貴方自身よ」
「様をつけろ、不敬者が。少し似ているくらいで貴様とミリア様の価値が同等だと思いあがるなよ」
怒れる少女。
敬称なんてどうでもいいと思うけれど。本当に偉い人間は、名称ではなく行動で自身を表現する者よ。なんて、無駄な争いの種を蒔くつもりはないけれど。
「ごめんなさい」
「次はないと思え。それで? 貴様は私に何の用だ。聞くだけ聞いてやる」
「貴方って子は、とっても不憫だなあと思ってね」
首を捻るリオンに、言葉を続けた。
「ミリアに忠誠を誓っているのに、ミリアにすべてを捧げているのに、ミリアに応えてもらえなくて、可哀そうだなあと思ったの」
リオンは忠誠の騎士。
主人のためなら何でもする殉教者。
遠くから少し見ただけでも、私は人の本質を理解できる。
「何を言うかと思えば、応えてもらえなくて可哀想? 私が見返り欲しさにミリア様に仕えていると、貴様はそういうのか? は、浅薄だな。私の忠義は無償であり、絶対だ。揺らぐことない忠誠こそ、我が誉れとなる」
「少しは欲しいと思ったことはないの? 別に金銭や恩賞の話をしているんじゃないわ。単純に、笑顔とか、労いの言葉とか、主から欲しくはないの?」
「下らない。必要ないと言っただろう。話は終わりか? まったく、この前に貴様の部下に会ったが、やつらも下らないことを言っていた。主人が下らないからだな」
ふん、と傲岸に鼻を鳴らして私から離れていくリオン。
イヴァンとシクロを馬鹿にされても、私は別に怒らない。
なぜなら、二人よりもリオンの方が劣っていることがわかっているから。生物として、人間として、二人が優秀なことを知っているから。私自身も同様。わざわざ怒る必要も感じない。
私は小さな声で呟いた。
「ミリアからお礼の言葉を引き出す方法、知ってるんだけどなあ」
ぴたり、とリオンの脚が止まった。
「なに?」
ほら、釣れた。
私は笑顔で肩を竦めた。
「下らない話だからどうでもいいでしょう? 私は親切心のつもりだったんだけど、お節介だったみたいだし、この話は終わりにしましょう」
私が口を閉じると、反対に、リオンの口が開く。
「……いや、待て。なぜ貴様がミリア様のことを知ったような口を利ける? 事と次第によっては叩き切るぞ」
腰に下げた刀に手をかけるリオン。
でも、私はわかっている。彼女が欲しいのは主君への無礼ではない。主君に褒めてもらえるその方法だ。満たされた心だ。
何も考えずにぼうっと生きている人間の、なんて多いことだろう。少し考えればわかることは多い。リオンからすれば、何故ミリアは自分に応えてくれないのか、なんて漠然と思っているだけ。ミリアに限らず、人という存在は概ね同じ尺度で生きている。ある程度の行動は決まっているのに。
例えば、人はそれが欲しいときには全力を尽くすが、満ち足りている時は何もしない。行動が返ってこないということは、相手が必要と感じていないから。相手を満足させてしまっているから。
欲しかったら、ねだらないと。
「下らない話が聞きたいの?」
「言っただろう。ミリア様に反旗を翻すような発言だと認めたからだ。その先を話せ」
「まあいいわ。簡単な心理よ。どうして貴方はこのトイレに来たの?」
「用をたすためだ。馬鹿にしているのか?」
「じゃあ貴方の教室にトイレがあったら、ここまで来た? もしくは、貴方がオムツを履いていたとして、ここまで来たの?」
「来るわけないだろうが。必要がないのだから」
「そうよ。必要がないから求めない。必要があるから、求められる。貴方はミリアにとって、オムツなのよ」
リオンの顔が赤くなった。
羞恥ではなく、怒りから来るものだ。
「何を言っている! わ、私が、オムツだと!」
「たとえ話じゃない。カッカしないでよ。貴方、まずはきちんと人の話を聞いた方がいいわ。要はね、貴方は過保護すぎるのよ。自分の両手に感謝したことはある? 両足は? 心臓は? 肺は? みんな、動いて当然だと思われているものでしょう? 貴方も同じ。そこにいて当然の存在。だから感謝もされない」
リオンは少女然としたささやかな大きさの胸を張った。
「それは私の望むことだ。私はすべからく、ミリア様の近くにいる」
「そう。それならいいわ。貴方は一生、ミリアから感謝もされず褒められもせず、ただずうっと、ぼうっと隣に立っているのね」
私はリオンに背を向けた。
餌もなく生きていける生物は存在しない。腹ペコでは死んでしまう。
感情も、一緒。もらわないと、人は死んでしまう。
絶対の忠義。疑わしいわね。リオンの本質は、アースの護衛であるグランとは違う。グランは例えアースが半狂乱になろうとも、忠心を貫くでしょう。彼はそうやって生まれ、生きてきたから。
リオンは違う。
詳細はわからないけど、人生の途中、どこかでミリアと出会ったのでしょう。貴方の人生はミリアの護衛として始まることはなかった。だから、ただ傍に控えることが絶対であると断言できない。認めてほしいという思いを捨てきれない。
ホシイんでしょう。
今までありがとう、とか。
貴方がいてくれてよかった、とか。
彼女の揺れる瞳は、悲しいくらいに本心を教えてくれる。
「……私は」
下を向いてしまった。
可哀想に。
ミリアが何も言わないから、自分の根底が揺らいじゃってるわね。
私だったら、褒めてあげるのに。褒めちぎって笑顔を向けて愛を与えて、溺れさせてあげるのに。
でも、それはまだ先。
今は信用を得るところから始めましょう。種を蒔くだけで満足しましょう。
「一方的に与えるだけでは、愛ではないでしょう。まずは教えてあげればいいんじゃない? 貴方の存在を。貴方はいて当然な存在ではなくて、いることで感謝される存在だって」
私は笑顔を向けた。
リオンの顔が一度硬直する。ミリアと見間違えているんでしょう。そして、一度でも見てしまったからには、またほしくなるでしょう。
笑顔が、優しい言葉が。
心を溶かすのを、知ってしまった。
「具体的には……?」
最終的には、リオンの方から私に寄ってきた。
私は口が歪むのを何とか抑えて、再度笑った。
「一度、普段と違う行動をするといいかもね。例えばいつも唯々諾々と聞いていた話に異を唱えるとか、少しつんけんした態度をとってみるとか」
「そんなこと、できるわけないだろう」
「できる分だけでいいわ。最初は小さくていいの。頷きを渋ってみるとか、いつもと違うとなれば、何か不満があると思われるでしょう? そうしたら、何かしらの返答が返ってくるはずよ」
「それで、いいのか?」
「ええ。ミリアの眼が気遣わしいものに変わったらチャンスよ。少しずつ、反抗していくの。いて当たり前の存在を脱却するの。そうすれば、貴方はミリアのかけがけのない存在になれるわ」
「……少し、考えてみよう」
眉間を寄せながら、しかし目が理想に輝いたのを、私は見落とさない。
リオンは戻っていく。
私はその背中に声をかけた。
薄い笑みを張り付けて。
「困ったことがあったら、また聞いてね。私は貴方の味方だから」
◇
ミリアの護衛の一人、クロウの姿は夕焼けに染まる教室内にあった。
近くに人を置くことなく、一人で箒で教室の床を履いている。
「手伝いましょうか」
教室内に入ると、クロウの肩がびくりと震えて、こちらに振り返った。怯えたような顔は、私の顔、髪、全身を見て、安堵に変わる。
「マリアさん、ですか?」
「私のことを知ってくれているのね。嬉しいわ」
「この学院で貴方を知らない人はいないと思いますよ。英雄の伝説は、新入生の私たちにも届いています」
困ったように笑う茶髪の女の子。癖っ気のある髪を撫でつけて、息を吐く。
「噂に違わず慈悲深いんですね。私にも声をかけてくれるなんて。でも、お手伝いは大丈夫です。これは私が自主的にやっていることですから」
学院では、基本的に自分のことは自分でやる。ここは親元を離れた生徒たちが、自立するための施設。だから教室の掃除等は、放課後に当番が行うはずなのだが。
「いじめ?」
直接聞くと、眉尻を下げた笑みが返ってくる。
「そんなもの、ありませんよ。有ったとしても、カウルスタッグ家のミリア様の護衛をしている私が標的になるとは思えません」
「じゃあどうして? 掃除が好きなの?」
「それもあります」
何かを含んだ言い方。
伏せた目から受け取れるのは、自身のなさ。自己肯定感の欠如。
「私は、普通に生きているだけでは足りませんから。ここにいさせてもらう以上は、少しでも多く皆の役に立たたないと」
「さっき私の顔を見て、怯えたわね? ミリアには言っていないことなの?」
「……そうですね。公爵令嬢の護衛が侍従みたいなことをしているなんて、外聞が悪いですから。だから、秘密にしておいてもらえますか?」
上目がちな視線が投げられる。
彼女には何かがあるのだろう。だからまっすぐ自信をもって相手を見ることができない。
同時に感じるのは、ミリアへの負い目。他人への負い目。
私は安心させるように笑った。
「もちろん。二人だけの秘密ね」
「ありがとうございます」
「それで、どこまで履いたの? こっちはまだ?」
私は掃除用具入れから箒を取り出して、クロウの足元を指差した。
驚いてから、困ったように目を落とす彼女。
「あの、手伝ってくれなくても大丈夫ですから。本当に、私がただ好きでやっていることなので」
「じゃあ私も好きで手伝うわ」
「マリアさんは大丈夫です。貴方は生きているだけで、価値がある人なので。私しか見ていないこの場所でこれ以上善行を積まなくても十分だと思います」
「貴方には善行が必要なの? どうして?」
私が問いかけると、クロウは黙り込んでしまった。
戒めと恐れ。
不安に揺れる瞳は、おいそれと踏み込んではいけないみたい。
私は黙って箒を動かすことにした。
クロウの掃除の腕は良いみたいで、ほとんどごみは落ちていない。綺麗な床を掃くという無意味な行為に、しばらく興じていた。
しばらく経ってから、
「私は、罪人なので」
ぽつりと、そう言った。
「へえ」
「……それだけですか?」
「他に何があるの? 私の目の前にいるのは、可愛い女の子だから。私は目に見えるものしか知らないわ」
クロウと初めて目が合った。
「私は、……罪人で、化け物です。だから、こうやって陽の当たる暖かい場所で、素直に笑ってはいけないんです。人に紛れて心の底から笑うなんて、今まで私と関わってきた人たちに、この世にいない人たちに、申し訳が立ちません」
自信のなさに、自信あり。
自分の罪を吐き出す時だけは、こちらをまっすぐに見つめてくるのだから根が深い。
気持ちは少しだけわかる。素直に笑う少女たちを見ると、心が痛むときがある。そんな風に笑えるなんて羨ましいと、私にはできないと諦めることもある。
昔の私みたい。
でも、そんな私だから言えることもある。
クロウの一端を理解した私は、クロウの一端を持っている私は、彼女の理想通りの私になる。
「被害者気取りはやめなさい」
虐を求める少女に、私は強く言葉を吐く。
「貴方にそんな権利はないわ。死者は死者で、語る口を持ちはなしない。それは貴方が勝手に背負っている罪。貴方がやってるのは、自慰と同じよ。可哀想な自分に寄っているだけ」
過去に道はなく、あるのは結果と経験だけ。
踏みつけて踏みにじって、前に進むべき。
「……そう、かもしれません」
クロウは口の端を歪ませた。
「でも、それが私だから、仕方がないんです。誰も責めてくれないので、私が自分でやるしかない。ミリア様だって、それを受け入れて傍に置いてくれているけれど、本当は責めてくれた方が気が楽なんです」
私は少し見ただけで、ちょっと話しただけで、相手の本心を掬い取れる。
それがわからないなんて、ミリアは、無関心なのね。
それは私にだけではなく、周り全体にそうなのかもしれない。
どうして? 欲しがっていないから? じゃあ、どうして欲しがっていないの?
もう十分に持っているから、欲しがらない。
バレンシアの言葉が脳を揺らした。
――家族からの愛を受けて育った、箱入り娘。
家族からすでに十分に愛情を、一生分の情愛を、もらったとでも言うのか。他には必要ないと、心の奥底で思っているのか。要らないくらいに満たされているのか。
舌を打った。
うまく説明できないけれど、すごいむかつく。心がやすりで削られたかのように、ざらざらになる。
「だったら私が責めてあげる」
そんな気味の悪い感情を有したまま、それの矛先を目の前の少女に向ける。
八つ当たりに近い。でも、今回はこれでいい。
私からはさぞ冷たい視線が出ていることだろう。
「貴方が罪人だと言うのなら、貴方が化け物だというのなら、それを自分で愛せないというのなら、私が虐めてあげる。許さないで上げる。ぼっこぼこに、してあげる」
被虐体質。
自分のことが好きになれない子は、自分を傷つけたがる。傷ついている間は罪の意識から逃れて、一瞬の幸福に浸ることができる。可愛そうな自分に酔いしれることができる。
私はクロウの首根っこを掴んで、机の上にたたきつけた。後頭部を打ち付けて、ガン、と大きな音が鳴って、クロウは目を白黒させた。
「そうよ、貴方には、殴られるだけの価値はある。私のイライラを解消するくらいの存在価値は有している。良かったわね、私の汚いサンドバックになれて」
蔑んだ瞳を向けると、クロウは荒い息を吐き出した。いまだ首に絡みつく私の手に手を重ねる。
「貴方の、サンドバック……?」
「ゴミ箱でもいいわよ」
暗い湖の底から浮き上がることを拒む相手は、むしろもっと沈めてやればいい。彼女が求めるように、人間以下のクズとして扱ってやればいい。
これが、欲しいんでしょう。
あげるわよ、私は。
「……」
クロウの手は私に重ねられたまま、動かない。どかそうとするわけでもなく、拒否するというわけでもなく、申し訳程度に添えられているだけ。
それが、答えだった。
「豚かよ」
再度、頭を叩きつける。「く」小さい声が漏れる。それは嗚咽? 嬌声? 潤んだ瞳から推し量るのは容易よね。
私は手を離して、背を向けた。
「待っ」
聞こえた声に、杜撰に応える。
「豚がこれ以上、掃除なんかするなよ。余計に床が汚れるわ。代わりに私がお仕置きしてあげる。私が呼んだら、すぐに飛んでくるのよ。無様な鳴き声を上げて、私に殴られなさい」
「……」
返事はなかった。
ただ、否定の言葉もなかった。
それでよかった。
◇
「てめえですか、裏でこそこそしている鼠は」
とある日。
リオンにミリアへの対応の仕方を教えて、もっと強い言葉で拒絶してみたら、とアドバイスして。
今日も今日とて一人で掃除をしようとしていたクロウの身体を蹴り飛ばして、彼女を笑顔にした後。
帰ろうとした廊下の先に、その少女はいた。
ミリアの取り巻きの最後の一人。
私の最後の標的。
「貴方は、ピレネー、だったかしら?」
「ええ、そうですわ」
金眼が細められる。
髪色は焦げ茶色。王家に連なる金眼金髪には合致しない。
ただ私は、目の前の相手の雰囲気、話し方、立ち振る舞いから、とある人物を連想していた。
「私に何の用?」
「よくもまあそんな口を利けますのね。反省くらいしたらどうですの? リオンに変なことを吹き込んで、クロウに暴力を加えていること、私は知っていますわ」
上手に隠してきたつもりだったが、バレるところにはバレてしまっていた。
なんて。
「最近、リオンがやけに反抗的ですの。前は従順だったのに、ミリアの言うことに突っかかることが増えて、ミリアも困惑していますわ。休みをあげたり欲しいものを聞いてご機嫌を取らないといけなくて、面倒くさいんですの。クロウは最近青あざ作って帰ってくるんですの。ぼろぼろなのに本人は充実したいい顔をしていて、まっすぐにこっちを見るようになって、気味が悪いですわ。それら全部、てめえの仕業なんですの?」
ピレネーは首を傾げる。
もう証拠は挙がってるんだぞ、と目が訴えかけてくる。
私は降参するように手を挙げた。
「別に秘密にするようなことでもないし、正直に答えるわ。そうよ。私が二人に近づいたの」
「てめえにたどり着くのに時間がかかりましたわ。どういう意図があってあんなことを?」
「二人が求めていたから」
リオンは忠誠を誓う主人からの寵愛が。
クロウは罪人だという負い目への罰が。
ホシイホシイと鳴いていたから。
私はただ、欲しいものを欲しい人にあげただけ。
「二人とも、欲しくて欲しくてたまらない顔をしていたから、あげたの。可愛そうな二人に、満足する方法を教えてあげただけ。私は良いことをしてるのよ。私が悪いというのなら、言ってみて」
「どうでもいいですわ。てめえの目的は、ミリアですの?」
ピレネーの眼に険が宿る。
私は素知らぬ顔をしようとして、やっぱり辞めた。
「うふ。どうしてそう思うの?」
「てめえの存在ですわ。ミリアと瓜二つの存在。どういう腹の内かは知らないですが、てめえとミリア、二人には何かしらの関係があるのでしょう?」
「貴方はどう思う? 私とミリアはどういう関係に見える?」
「……」
ピレネーは一度押し黙ってから、
「姉妹」
今まで誰も言わなかったことを口に出した。
「それ以外考えられませんわ。てめえを前にして、はっきりとわかりましたわ。ここまで似ているなんて、他人の空似ではありえない」
「貴方とバレンシアのように?」
ピレネーの眉が一度跳ねた。
一瞬の逡巡。誤魔化すかどうかを考えてから、諦めたように息を吐いた。
「そういえば、てめえはあのクソ姉とやり合ったんでしたね。十二分に会話もしたでしょう。それじゃあバレて当然ですわ」
ピレネーは座った目で私を睨みつける。
「まあ、そんなことはどうでもいいんですわ。クソ姉がクソみたいな失敗をしてクソ地獄に落ちたとしても、私には関係がない。私は公式上はグレイストーン家の人間ではありませんので」
「どういうこと?」
「王国の刃は、何も真っ向勝負だけが取り柄ではないということですわ」
なるほど。
王国の刃は、家名を隠していたるところに存在するということ。バレンシアのような化け物が、色んなところにいるということ。いずれも、王国の繁栄のために。
私からすればどうでもいいことだけど。
「てめえも同じだという事ですか?」
ピレネーは問いかけてくる。
私は――
口を開いて、閉じた。
カウルスタッグ家にとって、そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
だからミリアは無関心なのかもしれないし、そもそも知らないのかもしれない。
私はその答えを知らない。私自身が知っていない。
ただ一つだけ言えるのは、ピレネーのように胸を張って言えることではないという事。私は、世界中に散りばめられた化け物の内の一人なのかもしれないけれど、それすらわかっていない。
考えて、押し殺して、ぐっと飲み込んで。
「……そうだとしたら?」
私はその言葉を吐きだした。
「どちらにせよ、過干渉だと言わざるを得ませんわ。こちらにはこちらの事情がありますので」
「全員が楽しくなることの何がいけないの? リオンもクロウも楽しそうでしょう?」
「二人とも、ミリアの護衛であり従者ですわ。個人の思いは排斥しないといけない立場ですの。てめえにそそのかされている点は彼女たちの責任で、後で叱りつけないといけませんわ。けれどもちろん、そそのかしたてめえにも責任はありますの」
毅然とするピレネー。
自分は二人とは違うと目が語っている。ミリアの従者として、王国の刃として、使命を全うする強い意志を感じる。
けれど。
けれどね。
貴方も、結局は人間なの。
人間は、群れて生きる生き物。自分の周りに人間がいて当然の生き物。人間と共に生きていく生き物。
生きていけば、自身を取り巻く環境は大きくなっていって、触れ合う人も増えていく。それだけ、自分の世界が広がっていく。
そして、広がっていくという事は、色んなしがらみに囚われるという事。他人に色んな感情を抱くという事。
私は、人の歪みを、揺らぎを、決して見逃さない。
「バレンシアは生きているわよ」
ピレネーの眼が見開かれた。
毅然を装っていた外殻が、脆くも砕けていく。
バレンシアよりも、ちょろい。
彼女が姉に向けていた感情は、怒り。そして、哀惜。
「……嘘をつけ。あのクソ姉は死んだ。クソみたいな失態を犯して、父様が自らわざわざ処理したんですわ」
「貴方はバレンシアの生首を実際に見たの?」
「見てはいませんわ。けれど、父様が失敗をするはずがないですわ。てめえの言っていることは、飛んだ間違いですの」
「失敗していないわ。別の成功に手を伸ばしたの。何か聞いていない?」
「……何も。いや、確かに父様は……」
「これ、なーんだ」
私は制服のポケットから、長い金色の髪を取り出した。密度の濃い髪の毛、金色の髪の毛、長い髪の毛。
”この時のために”、部屋に落ちているのを持ってきたの。
私のとは違う金色。ミリアとも、デリカとも違う。イーリス女学院には、他に金髪は存在しない。
そして、ピレネーはそれがバレンシアのものだとわかるくらい、バレンシアのことを見てきた。きっと、その特徴的な話し方だって、バレンシアに影響されてしまったんでしょう。
可愛いくらいに、可哀そう。
「っ」
「バレンシアは私が今、飼ってるの。殺しちゃうなんて、可哀そうだから」
「……て、めえ」
「さあ、どうする? あれ、そういえば貴方、使命が何だと言っていたわね。そうよね、従者たるもの、個人の感情なんか排して当然よね。貴方はグレイストーン家の人間ではなくて、ミリアの護衛だものね。じゃあこれは、どうでもいい話だったわ」
私はバレンシアの髪をポケットにしまい直す。
それから、優雅に一礼した。
「ごめんなさいね。確かに、私は出過ぎた真似をしてしまったわ。もうちょっかいかけたりしないから、これで私は去ることにするわ」
また、背を向ける。
ホシイ、ホシイ。
声が聞こえるわ。
興味ないふりをして、怒ったように見せて、けれどピレネーはバレンシアに会いたいのだ。むかついているだろう、怒っているだろう、憎んでいるだろう。でも、会いたい。そんな思いが透けて見える。
王国の刃と言っても、まだ若い。
果物ナイフでは私は斬れないわ。
「ちょ、ちょっと、待て、……待つんですわ。父様に確認を……」
「貴方のお父様に真実が知れたら、お姉さんはまた殺されてしまうわね。それでいいの?」
「あ、 いや、 違いますわ。……その」
言い淀む果物ナイフ。
もう、私の手中にある。
結局、弱みを持った人間は、私に勝つことなんかできない。
どこかにこうしたい、こうなりたいと欲望を隠し持っている人間は、それを表に出してしまう。そして、手に入れられるかもという理想を見るだけで、手にしたかのように振舞ってしまう。もう、理想が、夢が、手放せない。
リオンも、
クロウも、
ピレネーも。
全員、一緒。
簡単に従順に正直に、自分自身を見せてくれる。
そして私が与えることのできる理想に絡めとられて、自分を見失う。
はてさて、
それって、貴方の本当の理想だったのかしらね。
「全てに目を閉じなさい」
言い淀んでしまったピレネーに、私は口元に指を当てて見せた。
「私の成すこと、やること、全てに首肯だけを返しなさい。そうすれば、お姉さんに会わせてあげる。口が悪くて鬱陶しくて残虐な、貴方の姉に」
「……でも」
「もちろん、貴方のできる範囲で構わないわ。これは脅迫ではなく、相談なの。お互いに歩み寄って、最高の結果を互いに創り出していきましょう」
ピレネーは困惑する瞳のまま、迷い、困り、悩んで。
最終的には、頷いていた。
これでピレネーは私を詮索することはなくなった。姉をちらつかせて、別の行動を起こさせることもできる。
自分でけしかけといてなんだけれど、そこまでして会いたいものかしら。バレンシアに会っても、彼女は塩対応を返すことが目に見えているけど。
でも、そこまでして会いたいのが、姉なのかしら。姉妹というものなのかしら。
だとしたら、
そうだとしたら、
ミリアも――
――なんて。
どちらにせよ。
ミリアの周りは囲いあげた。取り巻き三人は私の手の中。
全員、私の息がかかっている。陥落するのも時間の問題。
そうなったとき、貴方はどうするの?
従者を寝取られたことに激昂して、私に嫌悪感を向けてくれるのかしら。
ヒトリになったことで絶望して、私を憎しむのかしら。
絶対の感情をぶつけて、一生私を恨んでくれるのかしら。
心の中に、私を住まわせてくれるのかしら。
「あはは。楽しみね」
遠くない未来。
自分の理想。
目の前に見えて、私は一人、笑った。