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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
四章 学生三年目
66/142

4-4













 私は私がわからない。

 私の正体も、私自身も、私を構成する物質も、何もわかっていない。

 だから、今この時の私を支配する感情だってわからないのだ。


 ミリア・カウルスタッグ。

 まるで鏡を見たかのような、その姿。過去の私がそのまま目の前に現れたかのような相貌。

 私にそっくりなその見た目に加えて、私の金髪金眼という体のパーツ、バレンシアの言っていた、カウルスタッグ家というワード。


 すべてを統合すると、私を謐ィ縺ヲ縺のは、カウルスタッグ家ということになる。いや、彼らが私を謐ィ縺ヲ縺と決まったわけではないけれど、その感情や思いは定かではないけれど、私を手放したのは間違いない。


 なんで、とか。

 どうして、とか。

 くだらない言葉が脳を支配する。

 それらの言葉が飛び交う頭の中で、ぐつぐつと煮えたぎる。

 ばちばちと弾けて、鬱々と降り積もる。


 感情がわからないということは、行動もわからないということ。ミリアの顔を見てからの私がどう動いたか覚えていない。普段近寄ってきてくれる子たちが、あまり私に寄ってこなかったことだけは覚えている。怯えた目と挙げかけた手もかろうじて記憶に端っこにある。そして、私がそれを寂しいとも思わなかったことも。

 あまりに集中していて、いや逆で、集中が散漫になって、私が霧散していた。いつもの私を保てなくなっている。

 なんだか新任の教師とやらが何かを言っていた気がするが、それも覚えがない。覚えていないとい。うことは、きっとどうでもいいことだったんだろう。


 私が今、支配されているのは一つだけ。

 思考が戻ってきたのは、学院の授業が終わって誰とも会話を交わさないでまっすぐに寮に戻って、そこにいるバレンシアの顔を見てからだった。


「飯は?」


 堂々とベッドに寝転がって欠伸交じりに言葉を吐きだす居候。小さなかすれ声だが、二人きりのこの場所でならしっかりと聞き取れた。

 初めてバレンシアに苛々して、ようやく私は私を少し取り戻した。


「飯なんかないわよ」

「あ? てめえ私に餓死しろってのか?」

「うるさいわね。少し黙っててくれる?」


 バレンシアは一度目を丸くした。従来の彼女ではあまり見られないぽかんとした顔を見せてから、口角をいやらしく吊上げた。


「ああ? いつになくご機嫌斜めじゃねえか。てめえらしくねえ。学院で何かあったのか?」

「……だからうるさいって」

「今日は確か入学式だったな。ケツの青いクソ餓鬼どもがわらわらやってきやがったわけだ。そりゃあうざってえし、イラつくだろうな。私がいれば代表格を半殺しにして静かにしてやったのに」


 代表格。

 ミリア。

 ああ、ダメだ。思考が吸い寄せられるように彼女に向かってしまう。

 頭が痛い。


「きんきんうるさい声ね。取ってつけたかのような敬語はもう使わないの?」

「あれはクソうぜえ当主様の命令だったからな、ですわ。仕方なく使ってただけだ。戸籍上は死人になった私が媚び諂う相手は、もうどこにも存在しねえんだよ。これからは私が好きなようにやらせてもらう。ってか話反らすんじゃねえよ」


 ああ、うるさい。

 普段は塩対応なくせして、今日に限ってなんでこんなに絡んでくるのかしら。


「苛々してるてめえを見るのは初めてかもしれねえからな。いっつも張り付けたような笑顔でいやがって。普段むかついていたのは私の方だ。そんなてめえの化けの皮を剥がした相手が誰か、気になってるだけだよ」


 バレンシアは楽しそうに嗤った。

 私は彼女を睨みつけた。


「口を閉じろという私の言葉は伝わらないの? その治りかけの手と喉をもう一度砕いてやるわよ」

「おぉ、こわ。追い詰められてんなあ。てめえがそこまでになるってことは、カウルスタッグ家の話か?」


 脳が真っ黒になった。

 黒い絵の具をぶちまけられたかのように思考が一色に塗りつぶされ、私がわからなくなる。


「ああ、そういえばあそこのお嬢さんは今年入学だったっけか。見ちまったんだな、その顔を。さぞかし見覚えのおることだろうよ」


 くつくつと笑うバレンシア。

 このどす黒い感情は、バレンシアへも向かう。


「……×××」

「きひひ。ああ、悪かった。一応今はてめえと協力関係を結んでいるわけだしな。謝っておくよ」

「貴方もわかってると思うけど、どうも今の私は冷静じゃないみたいなのよ。普段の反応は期待しないことね。次に言ったら本気で殺すから」

「一度拾ったこの命だ。大切にしねえとな。次は三途の川を渡れちまいそうだし、やめておく」


 バレンシアはにやにやしながらも、両手を開いて手を引いた。

 私は彼女が引いた両の手を掴む。掴んで握りしめた。


「ねえ、ただ飯喰らい。ごはんのお礼にお願いがあるの」

「ここの生活費は国の経費だろうが。一銭も払ってないくせによく言うぜ」

「お願いが、あるの」

「……なんだよ」

「ミリア・カウルスタッグについて、貴方の知っていることを話しなさい」


 知ることは武器になる。

 反対に、

 知らないことは危険だ。


 情報を持っている人間は、そうでない人間をどうとでも調理できる。私だって今までそうやってきた。

 吐き気がするけれど、頭痛が止まらないけれど、私は私であるために、知らないといけない。

 今まで得てきた私を失う事こそ、一番あってはならないことだから。


「ひひ。随分とご執心だな。まあ、いいよ。てめえには借りもあるしな。私の命を拾ってくれたことと、――これから、”私の知らない世界”を見せてくれるんだろう? あの夜の牢屋の口説き文句は、グッと来たぜ。てめえが私を楽しませてくれる限り、飼い犬らしく尻尾を振って協力してやろうじゃねえか」


 バレンシアは素直にうなずいて、


「だがしかし、残念なことに私はあれのことをあまり知らない」


 へらっと笑った。

 私は手にかける力を強くした。みしみし、といまだ完治していないバレンシアの手の骨が鳴る。


「あまり調子に乗らないで。言葉を選びなさい」

「余裕がねえなあ。本当に冷静さを欠いてやがる。いいから聞け。私は嘘をついてるわけじゃねえ。あの女のことは、ほとんど誰も何も知らねえんだ。カウルスタッグ家の秘蔵っ子、とんでもねえ箱入り娘なんだよ」


 バレンシアが言うには、ミリア・カウルスタッグが公の場に姿を見せたのは、今回が初めてらしい。親族であるバレンシアだって、王宮で極稀に見かけたことがある程度。様々なことが闇に包まれた、鋼鉄製の箱の中で生きていた少女。


「カウルスタッグ家はあれを大層可愛がっていてな。家から出すこともねえ。変な虫がつかないように、大切に大切に育て上げられたようなやつだ。そもそも、あの両親がイーリス女学院への入学を許すかどうかすら怪しいと思っていたしな」

「……ああ、そう」


 バレンシアが嘘を言っている様子はない。そもそも性格的に嘘をつくようなタイプではない。知っていたらその事実をチラつかせて嘲笑いそうだもの。


 結局バレンシアの話を聞いてわかったのは、ミリアの周辺のみ。

 ミリアが私にそっくりだということ。ミリアの情報はあまり出回っていないということ。ミリアが両親にとってもアイされているということだけ。


 まだだ、まだわからない。

 自分の胸の中に落ちてくるこの感情の正体が、わからない。

 鉛を飲み込んだかのような、煤を吸い込んだかのような、息苦しくて吐き気がして視界が明滅するこの感覚を、私は知らない。


「にしても、マリアとミリア、ねえ」


 バレンシアの顔からにやつきは消えない。

 私をじっと見つめて、底意地の悪い微笑みを絶やさない。


「なによ」

「いや、面白れえなと思ってよ。マリアとミリア。顔もそっくり、名前もそっくりとくれば、これは偶然なのかねえ」

「……」


 何かを、壊したい。

 誰かを、殺したい。

 全てを、消したい。


 この感情に支配されて、猟奇的に振舞ってしまいたい。私の中にこんな暴力的な感情があるなんて、知りえなかった。


 知れて良かった、なんて言っている場合ではない。これは、ダメだ。この私は、きっと知ってはいけない私。少しでも気を抜けば、今まで知ってきた私、皆に知らせてきた私が、崩壊して消滅してしまうのがわかる。

 綺麗な人間の私が、いなくなってしまう。


 溢れ出る思いを、飛び散っていく理性を、なんとか掻き集めて、元の私を構成する。

 ぎしぎしと音を立てて、心もとない私が出来上がる。


「……そうね。とっても、オモシロイわネ」

「ああ、滅茶苦茶に面白れぇよ。私すら知りえなかった核心に近づいている実感がある。てめえの近くにいれば面白れぇことが転がってくると思った私の読みは大当たりだ」

「随分と楽しそうね」

「まあ、そう落ち込むな。しっかり協力してやるからよ。私に頼るといいさ」

「……頼りにしてるわよ」

「てめえが謐ィ縺ヲ子だとしてもな」


 ぶわっと湧き上がった。

 私は思い切りバレンシアの右手を握りつぶした。みしゃ、という不気味な音がして、彼女の指が人としてはあり得ない方向に曲がる。

 肝心なその単語は聞こえなかった。聞かなかった。でも、すごい腹が立った。


「もう片方も壊しましょうか」

「いてえなあ。また治るのが遅れちまう。飯も食いづれえよ」


 と言いつつも、楽しそうに嗤っているバレンシア。

 バレンシアは私と一緒に過ごすようになってから、よく笑うようになった。つまらなそうに暴力を振るっていた少女は、新しい玩具にご執心のようだった。


 玩具。つまり、私。私を揶揄って、楽しんでいる。

 そのこと自体には腹が立つ。けれど、少しだけ彼女の気持ちもわかるような気がする。


 バレンシアは強い。強いがゆえに、周りから疎外感を感じていた。蟻の中に放り込まれた猛獣は、蟻の歩幅に合わせなければならず、きっと毎日が退屈で仕方なかったに違いない。

 今、彼女の前には同じような猛獣がいる。私という化け物は、バレンシアにとって初めてできた対等以上の相手なのだろう。揶揄ったも戯れても壊れない、便利なおもちゃ。

 私も、人を喰った性格さえなければ、彼女のことは嫌いではない。こうして今までの私がぶれてしまっても遠慮なく感情をぶつけられる相手は、意外と貴重なのだ。


「次やったらぼろ雑巾にして牢屋に入れなおすから」

「そりゃあ流石に勘弁だ。言ったろ。てめえの傍にいることが一番楽しそうだって。そんなつまらねえところにいたらそれこそ狂っちまう」

「なら、相応の態度をとりなさい。私の堪忍袋だって柔らかくはないのだから」

「ひひ。そうだな。よおくわかったよ。だが、てめえだって知れてよかっただろう」

「何が」

「てめえの中にも、いるってことだ。暴力的で猟奇的で凶器にも似た、てめえが」


 一瞬、思考が止まった。

 でも、彼女は止まらない。


「てめえには力がある。器量も、頭脳も、友情も持っていて、生物として強者だと自負している。だから逆に、思い通りにいかないことが苛ついて仕方がないんだろ。愚民どもがぴいぴい鳴いているのが腹立って仕方ないんだろ」


 それはバレンシアのことだ。

 私の思考とは異なっている。


 それに、苛ついているというのは絶対に違う。苛つきは表面上で拭けば消える様な一時的なものだ。今私が感じているのは、もっと奥の奥。心の底に染みついた、決して落ちることのない汚れのようなものなの。


「違うわ。貴方の尺度で私を測らないで」

「ああ、そうかい。まあ、どっちでもいいけどな。とりあえず少しは落ち着いたようで何よりだ」


 確かに、さっきよりも視界が広がったように思える。


「私はてめえを便利な玩具だと思ってる。だからてめえも私を壊してもいい玩具として扱えばいい。時には爆発することも必要だ」


 折れ曲がった指を私の方に向けて、けらけらと笑っている。

 ストレス解消に使え、と。

 バレンシアはこんなに殊勝な性格だった?

 むかつく。

 こんなやつに気を遣われたなんて。


 けれど確かに、バレンシアとの会話では新しい自分を見つけられる。

 攻撃的な私、暴力的な私。今まで知らなかった私を、見せていける。

 やっぱり出会いは大切だと思う反面、出会いによって乱される心もある。


 大きく息を吐いた。

 知っていくのはいつもの通り。

 未知だったものの理解が深まっているのだから、何も問題はない。

 問題なのは、私の在り方。様々な情報を得た時の、身の動かしかた。もっと感情をコントロールしていかないといけない。この感情に支配されてしまえば、何をしでかすかわかったものではないのだから。


「あまり思いつめねえことだな。てめえは目が良過ぎる。くだらねえものを切り捨てていけば、見える景色も変わってくるってもんだ。私のようにな」


 猛禽類の目を向けてくる死者に、私は侮蔑の視線を投げかけた。


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