4-2
◆
クロード・ザスティンは優秀な男だった。
最年少で魔術師団に入団し、当時のエース、ミドル・ライゼフの下で魔術師としての実戦経験を積んだ。魔物の討伐数は現役の中ではトップであるし、過酷な任務下においても彼のチームの死者は例年ゼロを記録していた。瀕死になった同僚を決して見捨てない献身は、彼を人格者だと讃えた。
そんな彼はあらゆる場所から、その話を聞いていた。
――イーリス女学院には化け物が住んでいる。
曰く、覚醒遺伝持ちの人間を歯牙にもかけず、
曰く、公爵家に潜んでいた怪物を一瞬で屠る。
その身体能力は少女と称するにはケタ違いで、その悪魔的発想は人間と形容するには恐ろしすぎるとも言われている。
一方で、彼女は聖母とも呼ばれていた。
彼女がいたからイーリス女学院は二度の恐怖を乗り越えることができたのだと、特に学院に在籍している少女を子に持つ親からの支持は良好である。長期休暇で実家に戻った少女たちがあまりに楽しそうに彼女を褒めたため、親たちは問題ばかり起こすイーリス女学院への不満を言う機会を失ったくらいだった。
いずれの危機的状況下でも生徒たちを守り抜いたその武勇伝は、王宮の中では報告は受けていても首を傾げる様な眉唾な話とされている。けれど少女たちの間では確固たる現実であった。
怪物と英雄。
天使と悪魔。
虚構と現実。
人によって場所によって雰囲気によって揺れ動く評価。望む処遇を誰に聞いても異なった内容が返ってきて、断定することは一行にできなかった。
畢竟、彼女に対する王国議会の評決は、保留というもの、実行動としては監視であった。度重なる問題への処理に追われ、彼女に力を裂く余裕はなかったとも言える。
そして監視の対象になったのは彼女だけではない。学院自体もそうである。今まで安全に自然に生徒を育てていたイーリス女学院であったが、最近はその管理に疑問が持たれている。教育方針、ならびに教師陣にメスを入れるのは必要不可欠であった。
学院に巣食う化け物を監視し、襲い掛かる脅威から少女たちを守り、十全な学生生活を送らせるために必要なのは、力であった。
ゆえに、クロード・ザスティンに白羽の矢が立った。彼は魔術師団で得た優秀な肩書を有して、イーリス女学院に出向することになったのだ。
彼の中にも、とある思惑があり、本人としても望む人事配置であった。
担当は三年生のCクラス。
問題の彼女がいるクラス。
二年生の時にCクラスを受け持っていたのは、どこか頼りない女性教員であった。学院には教師陣を一新するために、クロードと同様の立場で新規職員が多数招かれたため、彼女はイーリス女学院を去り別の学校へと赴任となる。
彼女は最後にCクラスのことをこう語った。
「問題のないクラスですよ。マリアを中心として皆が一致団結していて、とても仲が良いです。スカイアさんだけ少し浮いてしまっていますが、マリアも気にかけているようですし、問題ないかと思います。全員が自身の才覚を理解しているので、進路も問題なさそうです。ここを受け持つことになって、クロード様は幸せですね」
「バ」カか。
クロードは口に出かけたその言葉を何とか飲み込んだ。
一年間も一緒にいて、この女は何も理解していない。目の前にいたのは魔物すらも傷一つなく制圧する生粋の怪物だぞ。
脳が熱くなるのを感じてから思い直した。冷静になる。
誰も彼女の本質に気が付いていないのかもしれない。のんびりと流れている学院内の空気からもそれは察することができる。あれが上手く隠せているからなのか、全員が気づけないくらいに愚鈍なのか。
恐らくは、両方だろう。
彼女について、圧倒的な戦闘力はもちろん、周囲の空気に紛れ込むその切れた頭も要注意だ。彼女が実行したことは、時間が経てば薄れる様なものではないはずなのだから。
議会の連中もまだ頭の回転が遅い様に思える。彼女の正体を知っていれば、本来であれば魔術師団なり騎士団なりを派遣して取り押さえてしまった方がいい。こんな少女たちの思想に一番影響を及ぼす場所に置いておくべきではない。
議会の判断が鈍いのは、碌な情報を握れていないからもあるだろう。諜報員を変えた方がいいのではないかとも思う。
周りはふわふわと明確な判断を下さない。曖昧模糊の中を悠々と泳ぐことのできるこの環境は、彼女にとって相当過ごしやすいだろうと歯噛みする。
目の前の女性教員が首を捻ったのを見て、クロードは意識を思考から現実に戻した。
「ば、とは?」
「場合によっては、それも問題ですね。私の仕事がなくなってしまう」
笑顔を作って肩を竦めると、女性教員の顔もほころんだ。
「いえ。この学院も色々ありましたし、これからもあるでしょう。生徒のための尽力は必要だと思いますよ。魔術師団の方がいらっしゃれば問題はないと思いますけれどね。生徒たちが問題なく卒業できれば、それが幸いです」
問題なく、問題なく。
それしか考えていないのだろう。
問題がないわけないのに。どこにいたって何をしたって、絶対に問題は存在する。大小の差こそあれど、人は問題を生み出す存在だから。
「はい。誓いましょう。彼女たちを笑顔で卒業させますと」
クロードは再度微笑んで、頭を下げた。
女性職員の顔が赤くなるのを見て取って、頬が引きつった。
――色ボケすんな、女。
怒りと侮蔑を心の中にしまい込んでその場を辞すると、当の教室に向かって歩いていく。
誰もかれもが浮かれて騙されている。
綺麗な殻に覆われた真実を見ることもできずに、表面だけをなぞって満足していく愚鈍ばかり。
が、自分は騙されない。
この仕事を受けたのも、恩師の言葉があったからだ。
少女の皮を被ったあの悪魔が、化け物と称されたあの人を再起不能に堕としいれたことを知っているからだ。病室で意志をしっかりと受け取った自分には、真実を見抜く眼がある。
「マリア」
貴様の正体を暴き、白日の下に晒してやる。
今までの悪事を懺悔し、罪を償ってもらうぞ。
◆
ミリア・カウルスタッグはカウルスタッグ家の一人娘であった。
長らく子供に恵まれなかったカウルスタッグ家に生まれた、待望の子息。【王国の頭脳】と称されるカウルスタッグ家の両親は人格者であり、周りからの人望も厚かったので、彼女の誕生は大いに喜ばれた。その祝福は王宮中を歓喜させるほどだったという。
中でも喜んだのは夫人だった。何度かの流産を経験していたからだろう、その喜び方は一際だった。
聖母ともうたわれる彼女は皆に慕われ、人目を惹く美しさに聡明な頭脳もあって社交界の花であった。彼女が笑えば花にも勝るといわれていた。すべてを有していた彼女は、それゆえに公爵家の夫人としての責務を果たせないことを相当気に病んでいたので、娘の産声には感激のあまり涙を流していた。彼女の娘の誕生には誰もがほっと胸をなでおろし、讃辞を述べた。
法を管理する夫も、娘の誕生以来親ばかになったといわれている。あまり表情を面に出さない厳格な人ではあるが、娘のことになると頬が緩むと部下が語っていた。
そんな風に生まれたミリアは、当然両親から多大な愛を受けた。
周りから毎日のように愛を囁かれ、両親は彼女が目を向けたすべてのものを買い与えた。時に過剰かとも思われるほど、両親はミリアの一挙手一投足に悦び、そして管理を徹底した。
同じ公爵家の子供たちと触れあったのも、幼少期まで。大きくなってからは、自分の家に家庭教師を呼んでの英才教育を施した。両親はミリアが外に出て汚れてしまう事を恐れていた。万が一にでも怪我や病気になろうものなら、王国一の名医を呼んで治療を施した。変な思想に染まりそうになれば、著名人ですら遠巻きにした。
そんな経緯を経て、ミリア・カウルスタッグは名実ともに箱入り娘となった。
多くの人間は王宮に住んでいたとしても、その存在を知ってはいても、その顔をよく知りえなかった。彼女を囲う箱が厳重過ぎて、一目見ることでさえ困難だった。
聞こえてくる噂話では、優秀で才覚豊かで、とても可愛らしいのだということ。誰もが褒めたたえ、誰もが好意を向ける、すべてに愛された少女。
ミリア・カウルスタッグは、イーリス女学院の入学と同時に、ほとんど初めて人目を浴びることになる。
壇上に登る少女を、誰もが見つめていた。
噂に違わず可愛らしく、優雅な動きをする。同時期に入学した同級生は全員、彼女が代表であることを誇らしく思った。彼女のような立派な人間になると心に誓った。
しかし、そんな新入生に反して。
上級生は全員、息を飲んでいた。
あまりの可愛らしさに心を奪われたわけではない。あまりに洗練された動きに見惚れたわけでもない。
単純に、その美しさは、流麗さは、すでに一度目にしたことがあったのだ。
今やこの学院の中心人物である彼女と、ミリアという少女はまったく同じなのだ。
髪の長さ、体つきといった細かい箇所は当然異なっている。髪の色も目の色が同じなのも、偶然の範疇を出ることはない。
だが、顔の造形が、どこをどうとっても同じ。血のつながりを否定できる要素は微塵も存在しなかった。
「……マリアだ」
思わず呟いた少女は、慌てて口を覆った。
マリアには家名がない。金髪に金眼という特徴を持っていても、ただの一般市民とされている。
別に金髪金眼の全員が王家に連なるというわけでもない。王家の人間が金髪金髪であるというだけ。下町にだってそういった見た目の人間は存在する。
しかし、そういった人間は、恐らく過去どこかで王家から漏れた者なのだ。親が、祖先が、王家の血を引いている。決して表立っては言えないけれど、多分そうなんだろうな、といった程度の認識。
誰もが聞けなくて知らなかったこと。マリアの出自。
それが誰の眼にも明確になって突き付けられていた。
だが、それを口に出すのはご法度。
カウルスタッグ家はきっとそれを認めないだろうし、誰にしたって幸せになることはない。
だから、全員黙っていた。
その事実が頭の中を占めていたけれど、誰も口を開かなかった。
ただ。
当の本人だけは、他の少女とは違った反応を示していた。
茫然とするわけでも、震えるわけでもない。
ただ、
ていた。