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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
二章 学生二年目
61/142

3-20












 ◆



 びちゃ。

 ぶちまけられた水。冷え切ったそれを顔に受けて、沈んでいた意識が一気に浮かび上がってきた。


 どうも長い間眠っていたようで、しばらく動かしていなかった瞼は重かった。視界は薄暗く、判然としない。目を覚ましたバレンシアの目の前にあったのは、鉈のような凶器だった。

 薄暗い部屋の中、定まらない焦点、けれど殺意と共に存在する命を刈り取るための凶器は、はっきりと認知できた。


 それを見つめて、けれど焦ることもなくバレンシアは周りに視線を向ける。石、柵、磔にされている自分。

 どれくらい経った?

 声を上げようとして、発することができないことに気が付く。喉から出るのは不明瞭な嗚咽のみ。喉の焼ける様な痛みで、喉はあの女に潰されていたことを思い出した。

 四肢を動かすと、金属音が鳴り響き、けれど動かせない。鎖に繋がれているようだ。両手の指は思うように動かせない。これもあいつに砕かれたのだった。


 くそが。


 原初――金獅子の血統である自分は怪我の治りが早い。人間と違って、砕かれた両腕だって喉だっていずれは治るだろう。治った体で殴り返しに行けばいい。けれどダメージは大きく、潰れた喉と砕けた両手の回復には大分時間がかかりそうだった。

 そして、今眼前にいる相手は、そんな余裕を許してくれそうにない。


「やってくれたな」


 重い声が響く。

 周りを石に囲まれたうすら寒いその場所は、怒気を伴った男の声を反響させる。


「随分とつまらないことをしてくれたものだ。おまえがここまで馬鹿だとは思わなかった。学院などというくだらない人間どものたまり場で擬態を剥がし、あまつさえ敗北してその身体を世に晒すとは。おまえのその醜態はグレイストーン家の歴史において最大の汚点となるだろう」


 バレンシアはその声に聞き覚えがあった。幼いころから、それこそ自分が生まれた時からよくよく聞いている声。自分を構成する血の半分はこいつから貰ったものだ。

 相手の言葉で自分の置かれた状況は理解した。


 ――党首様自ら手をかけてくれるなんて、大盤振る舞いだなあ。


 なんて、軽口を叩きたい気分だったが、声が出せないのだった。

 不便すぎる。ここまで自分をいたぶってくれたあの女が何を考えていたか、怪我の様子からすぐにわかる。あいつもまた、自身の化け物を隠しておきたいと思ったのだろう。


 腹が立つ。

 ぶっ殺す。

 復讐の機会は地獄で、になりそうだけれど。


「我らは王国の刃。その力で王国を脅かすあらゆるを殺すために存在する。おまえにはその思想を叩き込んだつもりだったのだがな。錆びついた刃は我らの王国には無用なのだよ。おまえはここで処分だ。敗北に恥辱を重ねたおまえなど、家畜のえさがふさわしい」


 男の手が振りかぶられる。凶器が自身の首に狙いを定めてくる。


 死の淵において、バレンシアの中には恐怖はなかった。

 自分の人生に後悔など微塵もなかったから。自分が思うように行動して、勝負して敗北したとしても、それは自分で選んだ道。人を殺すのも、化け物に殺されるのも、自分の責任。

 否、責任なんてものもない。


 ――てめえも殺す。


 親も兄弟も友人も関係ない。気に入らないものを殺す。むかつくやつを叩く。うざいやつを絞める。

 バレンシアの人生は単純に、自分の感情に従ってきただけ。存在しているのは、生物としての根源的性質。


 ――全員、殺す。


 気に入らないから、むかつくから、うぜえから、鬱陶しいから、雑種だから、人間だから。どんな理由でも、自分にそういった負の感情を抱かせることが罪だ。

 自分は地獄に行くだろうとは思う。でも、行きついた地獄でもむかつくやつを殴って穿って殺してやるのだ。そう思えば、死のうが生きようが、バレンシアは構わない。生死など些細なもの。

 バレンシアは絶対に変わらない。変わらないから、怖くない。

 そう心から思って顧みないくらいに、バレンシアという人間は、獣だった。


 腫れた顔、その口角を吊り上げると、男は眉を潜めた。


「……私から生まれたものだとは思えんな」


 ――うっせえ殺すぞ。


「まあいい。おまえは秘密裏に処理される。”知らないやつら”に嗅ぎつけられてはそれこそ下らない。証拠など残せんからな」


 鉈は振り下ろされる。

 バレンシアは鉈をかみ砕いてやろうと口を大きく開く。


 そこに。


「待て」


 声は遠くから。

 バレンシアの位置からはよく見えていないが、この牢屋の入り口なのだろう、そこから少年の声が飛んできた。

 ベイク・グレイストーン――グレイストーン家現当主の腕が止まった。


「……何用ですかな?」


 かつ、かつ。

 石畳を靴が叩く。


 ゆっくり強調するように、堂々と誇示するように、それは近づいてくる。


「こちらこそ、同じ質問を返しましょう。こんな夜更けにいったい何をされているので?」


 近づくにつれて、バレンシアもその人物が誰かを理解した。

 アース・ハイデンベルグ。この王国の第二王子。

 金髪に金眼を煌めかせて、彼はベイクの前に立った。


「……なに、愛する娘と話をしていただけですよ」

「そんな物騒なものをもってですか?」

「これは相当なじゃじゃ馬でしてね。躾のために持ってきただけにすぎません」

「流石グレイストーン家。教育方針も中々に苛烈でいらっしゃる」


 アースは薄く笑った。

 笑って、いまだ振りかぶったままの鉈を指さした。


「それで? 貴方は私にも調教が必要だとおっしゃる?」

「これはこれは失礼いたしました」


 ベイクは鉈を腰のホルダーにしまい込み、アースに向き直った。


「それで、殿下の方はいかがしましたか? 殿下と言えど、他所の家の話に首を突っ込むのはいかがかと思いますが」

「たまたま寄っただけですよ。少し血の匂いがしたもので。正確には、血の匂いが播き散る前兆、と言いますか」

「……ふむ。殿下は鼻が利くようですな」

「いえ。私など若輩に過ぎません。鼻が利く友人が多いものでね」


 アースの言葉にベイクはわずかに顔をしかめた。


「……私の行動を感知できるものがいると?」

「人の眼はいずれの場所にも存在します。生きている以上、見られないことはあり得ない。むしろ自分の行動が見つかるはずがないと慢心することを控えた方がいいでしょう」

「ふむ。次期国王には貴方を推挙することといたしましょう」

「そう簡単に決めていいのですか?」

「構いません。どうあれ、血さえ残れば結構。王国は我々さえいれば成り立ちましょう」


 続く会話。

 バレンシアはアースの表情を伺った。


 いくら他人に興味のない彼女でも、何故このタイミングでアースが来たのかがわからなかった。アースとは特に仲が良いわけでもない。社交界でたまに顔を合わせていた程度。ベイクの言った通り、わざわざ家の問題に顔を突っ込む理由が思い至らない。彼の立場からしても、事をわざわざ大げさにせずに、グレイストーン家の中で処理された方が都合がいいはずなのに。


 アースは動かない。

 ベイクも動かない。

 数十秒間、お互いにお互いを見つめ合う奇妙な状況。


「……血が流れるのはお嫌いですかな?」


 折れたのはベイク。少しの諦念を混ぜて問う。


「私はこれでも王子なのでね。国民の命が刈られるのを見過ごせる立場にないのです」

「これを国民と言いますか。なるほど、懐が深い。いや、豪が深いと言いますか」

「少し踏み込んで、人的資源の話と思ってくれて構いませんよ。貴方の娘さんは、退場するにはまだ惜しい」

「……このじゃじゃ馬を飼うと?」


 流石にベイクの眉が寄った。


 バレンシアの犯した罪は深い。過去から続く暴走、王国の未来を汚す行動、”王家の秘密”を簡単曝け出したこと。家族の中でも、世間一般でも、許されるものではないと思われている。公爵家の令嬢が冬雪の如く冷たい牢屋に磔になっている時点で、推して知るべきだ。

 殺さないことに利はなく、殺すことで求心力を保つことができる状況。

 王子の立場からしても、殺すことを見てみぬふりをするのが当然。グレイストーン家の問題で処理することが最善のはず。


 訝しい。もしかすると、この王子は頭が暖かいのか。ベイクも、バレンシアすらも、眉を顰める。


 が、今のアースには有無を言わせない圧力があった。


「勘違いしないで頂きたい。他意はありませんよ。とても単純な話です。一つの命が育つのに、どれほどの力が必要だと思いますか? 人の親ならわかるでしょうに。それを簡単に刈り取ってしまうのは、もったいないでしょう」


 アースは嗤った。冷たい牢屋が暖かいと感じるくらいに、底冷えする笑顔。


 ぞわり。

 バレンシアでも、少し冷や汗を流した。頭の中で考えを改める。


 ――この王子は、こんな顔もできたのか。


 ベイクも同じことを思ったらしい。少し硬直した後、その場に膝をついた。


「……失礼いたしました。差し出がましいことを言いました」

「貴方の娘は優秀です。貴方の育て方が良かったのでしょう。彼女は、咲いた場所が悪かっただけ。そんな大切な娘さんを一つ、私にいただけませんか? 上手く乗りこなして、王国の繁栄につなげてみせましょう」

「お考えあってのことであれば、是非もありません。表舞台には出さないでくれさえすれば、何であれ殿下のお役に立つことは私としても喜ばしいことです」


 ――妾にでもするつもりか? この私を?


 ベイクは頷いたが、バレンシアの客観的視点は頷きを返せない。他人を振り回すばかりだったバレンシアだって、予想外の状況に困惑してしまう。

 強い女を服従させたいと欲望を膨らませる男はいるだろうが、自分は絶対折れることはない。こんな姿になってもなお殺意は衰えないし、殺される直前でも嗤える自信がある。


 自分を傍に置くメリット。武力か。アースはバレンシアという戦力を得て、何かをしようとしているのか。そんな打算的な素ぶりは一度も見せなかったが、流石に王子ということか。

 バレンシアは目を細めてアースを睨みつけた。


「ありがとうございます」


 ベイクの恭順にアースは辞儀をして、そして、笑った。

 笑ったその顔は、アースのものではなかった。


「――」


 バレンシアは息を飲んだ。思わず漏れた声、けれど音は出てこない。喉が痛いが、そんなことはどうでもいい。


 これは、これは。

 アースじゃない。


 アースを見ていないベイクは気づいていない。

 彼は立ち上がると辞儀をして、颯爽と背中を向けた。


「さすれば、これの処罰は貴方様に任せましょう。せいぜいこき使ってください」

「ええ。きちんと躾けて見せます」

「殿下のことを少々見くびっていたようです。王国の未来は明るいですな」


 去っていく背中。やってくる時よりもその足取りは軽い様に思えた。


 二人きりになる。

 残ったのはバレンシアと、   。


「て、め」


 バレンシアは敵意を顕にそれを睨みつける。

 それは嗤って、口元に指を当てた。



 ◆



 バレンシアの姿は牢屋から消え去った。

 いまだ王宮は混乱の最中にあったが、当の本人が消えたことで追及の先が有耶無耶になってしまった。


 グレイストーン家はバレンシアを養子として引き取ったとして、家族関係の関与を否認。才能があったから引き取ったのだが、まさか覚醒遺伝持ちの人間だとは思わなかったという被害者面を貫いた。

 当然そんなことはあり得ないと議会は紛糾したが、議長アーガスト・アッシュベインはグレイストーン家の言い分を黙認するとした。バレンシアがグレイストーン家の血を継いでいるという確たる証拠はないと結論付けた。


 畢竟、バレンシアという存在はイレギュラーだったとして、議題は今後の学院運営の方に移っていった。

 誰もがバレンシアはグレイストーン家によって内々に処理されたのだと思った。今頃は地面の下だろうと、ある者は安堵し、ある者は歯噛みした。


 忽然と消えた少女は、死亡したと認められた。

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