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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
二章 学生二年目
58/142

3-17














 死。

 それはいったい何なのだろう。


 天国? 地獄? とにかく今ある体を失って、どこかへ行くということ? 

 そこは楽しいのかしら。幸せなのかしら。この現実を眺めてあの子は元気そうね、なんて笑えるようなのんびりした場所なのかしら。


 わからない。

 でも一個わかるのは、このままだと私は死ぬという事。

 バレンシアと戦った結果、無残な死を遂げるという事。


 意外とそこまで悲観的ではなかった。

 ミドルと戦った時も、死を覚悟した。でも、死ななかった。あの時に、普通の人間なら死ぬ攻撃を受けた時に死ねなくて、とても悲しかったのは覚えている。


 私は死に方を知りたかった。

 死にたいわけじゃないわ。人としての死を、受け入れてみたかっただけ。


 私は普通の人間じゃないから。

 みんなが特別だという存在で、みんなが恐れている化け物だから。

 認めたくないけれど、そうなんでしょう?

 でも私は人間でいたいの。

 だから、死に方を学べば人間として死ねると思ったの。最期の時はああ、マリアもやっぱり人間だったんだね、なんて言ってもらえれば嬉しい。死だけが平等に、私を人として扱ってくれるだろうから。


 ゆえに。

 このまま倒れ伏せば終われる。人として死ねる。人間になれる。

 ようやく、私は普通の人間になれたのだ。それは悲しいことではなく、喜ばしいこと。


 そう、私のカタチは、ただの弱い人間でした。最高の終幕。化け物だのなんだの喚き散らして迷惑をかけて混乱を呼んだけれど、結局はそんな喜劇なの。


 さようなら、化け物の私。

 私は人間として死ぬわ。


 ――


 ―――


 ――――


 一個気がかりがあるとすれば、それは死の世界と死後の現実。

 死の世界には、皆はいるのかしら。私はきちんと人に見てもらえるのかしら。人間だとして迎え入れてもらえるのかしら。

 そして、私が死んだ後の現実は、どうなるの? みんなは私を覚えていてくれるの? みんなの中に私の居場所はあり続けるの?


 私は皆の目に映って初めて私になる。他人と触れ合って、ようやく私は私なの。ならば、誰の瞳にも映らない私は、私たりえるの? 私がいない現実では、私は何になるの? 私は私なの?

 結局私はどうなるの?


 急速に寒気が襲ってきた。冷たさとは違う、心が空いていく寒さ。

 死は怖くない。けれど、忘れられるのは怖い。皆の中から消えていくのは嫌だ。

 みんなの中から私がいなくなってしまったら、私はどうすればいいの? 私は私ではなくなってしまう。何が何だかわからないものになってしまう。人間でも化け物でもない、意味のない無味無臭な空気に溶けていくような存在になってしまう。


 駄目だ。

 それは許されない。

 私は皆と一緒にいないといけない。


 私がわからなくなってしまう。どこにいたって迷子になってしまう。どの列にどの分類に振り分けられるかわからなくなってしまう地獄でも天国でも特別という札をつけられて誰も私のことがわからなくて一人きり膝を抱えて真っ暗な闇に溶けていってしまって何にもなくなってしまって皆と一緒にいないと、私は私は私はわたしはワタシはぼくは僕は俺はわいはうちは小生は自分は自己は己は我は某は――



 ナニ?



 身体の感覚が少し戻ってきた。

 私は、死んではいけない。現実に戻らないと。皆に見てもらわないと。皆に見つめてもらわないと認めてもらわないと教えてもらわないと、いけない。


 まだ何もわかっていないんだ。

 だからどこにも行けない。地獄にも天国にも行く権利すらない。

 でも、今ここで死なないという事は、化け物という事になってしまう。

 私は人間になりたいんだ。あの暖かい輪の中に入って、楽しんで喜んで笑いあって気持ちよくなって幸せになりたいんだ。


 じゃあ、どうすればいい?

 私はどうなりたいの?

 人になりたい? ちょっと違うでしょ。私は人の中に入りたいんでしょう? 人と一緒にいたいから人になりたいだけ。人間そのものになりたいのは、少し違う。


 だったら。

 人に偽装すればいい。人間として見てもらえさえすればいい。自分が人間じゃないと他人にばれなければいい。


 わかった!

 そう、私は知っている。今まで学んできたじゃない。

 人は表だけを見る生き物。だから、今まで通りのマリアになればいい。自分が化け物だと心の底で自覚しても、それを乗り越えて人間の皮を被ればいい。

 どうせ誰にもばれやしない。今迄だってそうだったじゃない。

 人間になることは諦めましょう。けれど、人間として生きていくのは諦めない。


 そうしようそうしよう。

 林間学校の時に学んだように、ばれなければ真実じゃない。隠されても捻じ曲げられても汚されても、皆が知っていることこそが真実。皆が信じたいものこそが真実。つまり、マリアが人間だということが、真実。

 素敵。だったら私は死ななくてもいいのね。


 あれ。でも、ワタシが化け物だと知ってしまう相手がいるわね。

 目の前の、バレンシア。

 どうすればいい?

 簡単よ。

 言葉が発せなくしてしまえばいい。どうせ彼女だって人間じゃないんだし。悪なんだし。誰も庇ってもくれないだろうし。問題は何もないわよね。


「――てめえ」


 私の

 視界の焦点が合っていく。

 遠くなっていた聴覚も戻ってくる。

 冷たくなっていた腹部も暖かさが戻ってくる。

 音のしなくなった心臓がどくんどくんと音を立てている。


 バレンシアは私を見ていた。

 信じられないものが、彼女の前にはいるらしい。


「ごほっ」


 口から詰まってた血を吐き出すと、息ができた。空気っておいしいのね。


「バレンシア、どうしたの?」


 バレンシアの顔が歪む。とんでもない化け物を目の前にしたかのような顔。

 誰の事かしら。ここには私と貴方しかいなくって、私は可愛い人間の姿をしているというのに。それとも、バレンシアの眼から見た私は人間じゃない? まあいいけど。貴方は人間じゃないから、私が偽装する必要もないだろうし。


 でも、良かった。人間の眼が前についていて。

 化け物の自分自身を、見なくて済んだ。人は見たくないものから目を逸らす生き物。きっと自分が自分にとって見たくもない存在だという事を、本能的に理解しているのね。


「てめえ、なにもんだ……」

「貴方が言ってたじゃない。カウルスタッグ家の落とし子、だったかしら?」

「違う! 私が言ってたのは、そういうことじゃない。てめえは、てめえは、知らねえ! なにもんだって聞いてんだ! どこから入り込んだ!」

「あら、私のことを知らないの? 私はマリアっていうの」


 未知が既知に変わる瞬間は気持ちいい。

 逆に。

 既知が未知に変わる瞬間はどう?

 ぐちゃぐちゃして、ねちょねちょして、不安定で気持ち悪いでしょう?


 ざまあみろ。


 視界が宙に舞った。

 体の感覚が希薄になって、ぐるんぐるんと目の前が回っていく。

 どさりと音がして、私は草の上に落ちた。否、私の首だけが、地に転がった。遠くに私の身体が揺れているのが見える。


「……バケモンが、死ねよ」


 少し顔を青くしたバレンシアが足を蹴り上げた状態で呟いた。

 私は右腕を伸ばして彼女の肩を掴んだ。顔面を彼女に近づける。


「痛いじゃない」

「っ」


 バレンシアが地面に目を向けるが、そんなところにはもう私はいない。

 私は貴方の目の前にいる。


「それに、バケモンだなんて、ひどいわ。貴方だってバケモンのくせに」

「触るなっ!」


 焦るバレンシア。可愛い。


「どうして死なねえ……。首を弾き飛ばしただろうが」

「どうして首を弾き飛ばしたら死ぬの?」


 バレンシアの眉根が寄った。


「どうして腹に穴が空いたら死ぬの? どうして血が飛び散ったら死ぬの? どうして首がとれたら死ぬの?」

「は、ぁ?」

「私はわからないわ。だって現に私は死んでいない。こうして貴方と話して、貴方の眼に映っている。つまり、それくらいじゃ死なないってことでしょう? じゃあどうして貴方は私が死ぬなんて思ったの? そういう予想が立てられたの?」

「――」

「ねえ、教えて」


 衝撃が、胸に。肺がなくなって、息ができなくなる。

 腕がはじけ飛んでいく。バレンシアをもう掴めない。

 足がもぎ取られる。バレンシアに、一切近づけない。

 体が上下に別れてしまって、ワタシが二人になっちゃう。

 骨がぼこぼこに折られて、くっつけてもくっつかなくなったわ。

 皮膚がぐちゃぐちゃにされて、私の見た目が損なわてしまったの。

 血がびちゃびちゃ飛び散って、せっかくの緑豊かな世界が台無し。


「ひどいことするわね」


 そして私はバレンシアの眼前でため息をついた。


「なんで――」


 何十回も私を殺そうとして、ついには絶句してしまうバレンシア。

 なんでって。


「貴方が見ているからでしょう?」


 貴方の瞳の中に私がいる。

 だから消えない。ずっと目の前にいる。

 いるから、いるだけ。

 おかしなことかしら。


「貴方が私を見てくれているから、私は存在できる。皆が私を想ってくれるから、私はいなくならないの。何にもおかしなことじゃないわ」

「おかしいだろうがよ!! それは、それは――生物じゃねえ! てめえはカウルスタッグ家の人間じゃねえのか!!」

「それは貴方が言っているだけでしょうが。私はマリア。生まれてすぐに捨てられて孤児院で育って競売で一兆ドリムになって学院で皆と学んで、イヴァンとシクロの家族でエリクシアのご主人様で、デリカの親友でロウファの盟友で、テータのクリスのレインのアネットのアルコのエイフルの友達で、皆の救世主で英雄で白百合騎士団を率いる者。そして貴方を成敗する者」


 私はそれだけ。

 私の知る私はそれだけで、それで十分。


「ああ? 埒が明かねえ! カウルスタッグ家がバケモンを入れ込んだのか? それともてめえはただのイレギュラーなのか……」


 困惑と焦燥。

 そうなってしまえば、人はもうおしまい。自分を失った人間にできることはもうない。


「もう貴方の中に、貴方だけが知る私はいないのね。じゃあもういらない」


 私を教えてくれない相手に価値はない。

 それに、私の化け物を見られたからには、ただでは返せないし。


 私はバレンシアにとびかかった。狙うは喉。そこをつぶせば私の化け物は伝わらない。

 しかし、躱されてしまった。バレンシアの方がいまだ数段早い。動きは何度も見てるから眼で追えるけれど、体がついていかない。防御しても、簡単に腕ごと臓器を抉られてしまう。


 血をまき散らしながら、考える。

 どうすれば私は彼女に勝てる?


「……死なねえバケモンかよ。それなら、そのままの姿で動けなくするしかねえな。捕まえて独房の更に下、土の中に放り込んでやる」


 目は順応している。

 後は体だ。私の身体じゃあ、バレンシアには敵わない。単純なスペックの問題。


 どうすればいい?

 逆に、どうなれば戦いになる?

 例えば、シクロの両腕はどう? シクロのあらゆる攻撃を無効化する腕で、まずはバレンシアの打撃を封じればいい。


 よく、見たわ。

 シクロのことは、よおく。

 だったら、私の中にはシクロがいるということ。シクロが一緒にいてくれるってこと。

 私はシクロでもあるということ。

 じゃあ、白黒の腕だって使えるはず。

 私はマリアで、同時にシクロでもある。


 バレンシアがとびかかってくる。その動きは読める。そして、その打撃が発生する場所に、真っ黒な腕を突き出した。


「!?」


 バレンシアの眼が剥いて、そして止まる。ぴたりと。摩擦の強い床に何かを転がしたように、跳ねないボールを地面に落としたかのように。

 私の腕に、止まる。


「【反射腕】」


 私はシクロ。

 シクロは真っ白な左腕を茫然としているバレンシアに差し向けた。ボン、と大きな音がして、バレンシアの体が吹っ飛んでいった。

 バレンシアの力を衝撃波に変えてそのまま跳ね返す、シクロの力。


「今のは貴方の力ですよ。中々に強いですね」


 転がって、バレンシアは起き上がる。


「どういうことだ? なんだ、その腕」

「貴方ごときがマリアに近づこうなんて、傲慢甚だしいですね。少しは身の程をわきまえてくれませんか?」

「あ? 何言って……」


 少し、ふらっとした。

 血を流し過ぎたみたい。


「まったく、マリアは何も考えずに突っ込むんだから。見て。身体は元に戻っているけど、血はまき散らされたままでしょう? しっかり回収しないと」


 私の中でイヴァンがため息をついた。

 確かに、その通りね。私はイヴァンでもあるからね。


「【呼血】」


 飛び散った鮮血が、イヴァンに集まってくる。手首を切って入り口を作ると、音を立てて流れ込んできた。

 心臓の動きが良くなった。体中を巡る熱量も上がっていく。頭もさえてくる。


「ほら、言った通りでしょ?」


 ええ、そうね。

 いっつもイヴァンには助けられちゃう。

 次に欲しいのは、えっと、速さ。

 機動力と言う意味では、飛んだほうがいいわよね。

 ね、エリー。


「私の力で良ければ、お使いください」


 ええ、使わせてもらうわ。

 エリクシアの翼が生える。一度羽ばたかせると、簡単に体が空に舞い上がる。

 そのまま急降下してバレンシアにとびかかった。バレンシアは避けようと足に力を籠める。


「【凪】」


 ミドルが呟くと、ぴたりとバレンシアの動きが止まった。「【天変地異】」再度、詠唱。バレンシアの足元の土がぱっくりと口を開けてバレンシアを飲み込もうとする。

「っ」舌打ちを一回、バレンシアはその場で跳躍する。

 そこに、シクロの拳が入った。「ぐ」腹部を強打されて木々をなぎ倒して飛んでいくバレンシア。イヴァンはそれを逃がさない。バレンシアにはイヴァンの血を付着させ、鎖のように引き伸ばしていった。あるところで凝固した血を引き寄せて、バレンシアの身体をこちら側へ。


「死ねよ!」


 バレンシアは大口を開けて、咆哮した。

 一瞬、世界が無音になる。鼓膜がなくなってしまった?

 でも、それも一瞬で解消される。私はバレンシアの身体を掴んで。

 そして。


「てめえが死ぬですの」


 バレンシアの拳をバレンシアの顔面に打ち込んだ。金色の腕は振り抜かれ、バレンシアを地上にたたきつける。


「――げほっ」


 むくりと起き上がったバレンシアの前に私は降り立った。

 髪はばさばさで血だらけ服はぼろぼろの彼女。尊大にふんぞり返っていた姿はそこにはない。


「てめえ……」

「何ですの、そんなぼろぼろになって。くそ雑魚が移るからこっちくんなですわ」

「何の真似だ!!」


 絶叫。

 激昂。


「あっはっは!」 


 おかしい。何もおかしくないことが、こんなにもおかしい。


「何がおかしいの? 私はバレンシアなのよ。貴方の瞳の中には私がいる。私の瞳の中にもバレンシアがいる。つまりは、私もバレンシアということでしょう?」

「ちげえだろうが!」

「どうしてそう言えるの? ほら、教えてよ。私が貴方ではあり得ない理由を話してみてよ」


 バレンシアの瞳に映っているのは、バレンシア。

 バレンシアの顔をして、バレンシアと同じ背格好で、バレンシアの口調で声質で同じ言葉を吐けば、それはバレンシアではないの?

 逆に、バレンシアではないと見抜ける方法があったら教えてほしい。


「てめえ、てめえは……どこにいやがった。この世界のどこに、てめえのようなやつがいたっていうんだ」

「わからないわ。でも、それはどうでもいいことじゃない?」


 だって私は、私でなくてもいいんだから。

 私は皆であって、私だから。

 わかった。私は皆になるために、生まれたのだ。他人に自分を教えてあげるために、他人のことを見てきたんだ。


 バレンシアの拳も、もう私には届かない。

 私の胸部を狙ったその拳を、私は掴んで握りつぶした。「あ、ぐぁ」バレンシアの手で、バレンシアの手を握りつぶす。



「オシエテクレテ、アリガトウ」



 感謝、そして、無関心。

 もう貴方からもらえるだけの私はもらえたから、もういらない。

 喉を叩いて、手を握りつぶして、腹部を蹴り飛ばす。ボールのように軽々と飛んでいく金色。大きな音と共に木にぶつかった。


「ふざけ……この、私が……」


 うめき声を出した後、そのまま動かなくなってしまった。


 残念ね。私の化け物の方が貴方よりも上だったみたい。

 さて。


「エリクシア」


 私は木の上で震えている少女を見つめた。

 マリアはいつものようににっこりと笑って、彼女に問いかけた。


「貴方は、何か見たかしら?」

「――」


 息を飲むエリクシア。

 別に私は全員を取って食おうとしているわけではない。

 バレンシアという存在は理解した。もう私に何かを教えてくれる存在ではないと認知した。だからもういらないのだ。

 他のみんなは、まだまだ私を教えてくれる。喜色を、好意を、幸せを。恐怖を、悲哀を、絶望を。

 それに、私はエリクシアのことが好きなの。人間として、愛する人は一生愛し続けるわ。

 だから安心して応えてくれていいのよ。


「いえ、何も……」


 エリクシアは逡巡の末、そう答えた。


「綺麗で美しいマリア様が、悪で腐ったバレンシアを懲らしめただけでした」

「あはは。エリー。私は貴方が大好きよ」

 

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