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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
二章 学生二年目
56/142

3-15
















 葉は陽すらも覆い隠す。

 ゆらゆらと木漏れ日が揺れて、眼前を不明瞭なものに変えていく。


 前から思っていたけれど、この森は一学院の敷地内にあるものとしては、少々規模が大きすぎると思う。端から端まで移動するのに、徒歩で十分くらいはかかりそう。

 それくらい広い森。授業でも私用でもあまり利用されることのない静寂な場所。中心部まで来てしまえば、木々に囲まれたこの場所からはあらゆるものが逃げられない。声も、音も、姿も。全てが秘匿される。こんな場所がある理由も、存外そんなところにあったりして。


 なんて妄想をしながら歩いていく。

 前を歩くバレンシアが立ち止まったのを見て、私も立ち止まった。


 辺りには木々が生い茂っていて、前も後ろも覆い隠してしまっている。自分がどこから来たのかも、どこへ行けばいいのかもわからない。上を見れば葉っぱが繁茂していて、お日様の位置もわからない。葉の隙間から木漏れ日が私たちを照らしてくれている。


「さて」


 バレンシアは振り返って私を見つめた。


「この中から好きな樹を選ぶといいですわ。この樹を墓標に、辞世の言葉くらいは書いてやるですの」


 私は首を傾げた。


「どういうこと?」

「わかんだろ、くそごみカマトト女。てめえはここで私が殺す。理由は簡単。てめえが私と同じ位置から言葉を吐くという、その性根が気に入らないんですわ。てめえは蟻。私は獅子。権力、思考力、武力、周囲の力、――あらゆる力を持っている私に勝てるかもなんて、そんな淡い希望を抱くその蛆の沸いた脳をすりつぶしたいんですわ」

「くひっ」


 言いたい放題じゃないの。

 でも、私は嬉しい。彼女からは私がそんな酷い存在に見えている。そんな気の触れた存在だと本心から思っている。それはまさしく、私の知らない私。今まで好意的な目ばかりを受け取ってきた私に向けられる、抜き身の刀の様な双眸。


「ええ、そうね。私の脳には蛆が湧いている。貴方がそういうのだから、そうなんでしょう」

「認めんのか、きもちわりいんですの」

「貴方の中ではね」


 貴方の中の私は、確かにそんな存在。私を構成する一部は、そんな生き物。

 でも、私は、それだけじゃないのよ。


「私は私を知らない。私が一番わからない。鏡に見えるのは何もない私。だから、色んな人に教えてもらいたいの。皆の中には確固たる自己があるでしょう? だから皆、私のことを色んな目で見てくれる。色んな立場で、感情で、見つめてくれる。そこに私がいる」


 誰が見る私も、私。そこに例外はない。

 だから。


「私は実は貴方のことを、そう嫌ってはいないの。鬱陶しくも思っていないし、怖いとも思っていない。傍から見れば最低な貴方でもね。だって貴方はそういう人間だから。私はそれをわかっているから。だから、そんな貴重な、一人しかいない貴方から見える、私を教えて。貴方しか見えない私は、どういう存在?」

「ほんっとーにきもちわりいんですの」


 私が向けた笑顔に対して、心底の呆れ顔。

 そう、貴方は私の本心を聞いて呆れてしまうのね。そして私はそんな貴方に呆れられるような存在。また一つ、私を知れた。

 私に訪れるあらゆるものを、私は受け入れる。


「カウルスタッグ家もけったいなものを捨ててくれましたの」

「そうよ。カウルスタッグ家は酷いところなのよ。だから私はこの学院に来たの」

「あ?」


 バレンシアの目が初めて私を捉えた気がした。ただの景色に焦点が合っていくような感じ。

 貴方は何をしてもいい。文句を言っても悪態をついても、なんでも。だが一つ、私を見ないなんて、そんなことは許されない。それだけは看過できない。だから、貴方が欲しい話題を作ってあげる。


 もっと私を見なさい。瞳の奥で私を咀嚼しなさい。


「私はこの学院に来ることで、デリカと出会えた。貴方と出会えた。公爵家の貴方たちに、ね。私をこんな場所に追いやった公爵家。そう、ピースはもう揃ったの。貴方が私に近づいてきてくれたおかげで」


 当然、ブラフ。私は自分で言っている言葉の責任を負うつもりはない。バレンシアから貰った言葉を組み合わせて誇張しただけ。

 だが、バレンシアが気にしているのはこれだろう。私の中の、この言葉たちだろう。無理矢理抱き寄せるように、引き寄せるように、私は餌を撒く。


「――てめえ、どういう」

「私の演技力は見てくれたでしょう? 貴方以外、誰も私が化け物だとは思っていない。私は皆にとって英雄で救世主で頼りになる存在で、今も昔もこれからも、変わることはない。私はこの見た目を利用して、上に登っていく。公爵家に――おっと、この先は言えないわね」

「……」


 バレンシアが押し黙る。

 何の意味もない言葉に踊らされている。


 私の本質は、混ぜることにある。状況を環境を感情をあらゆるものを見つめて解析して理解してかき混ぜる。どんなものも私の前ではぐちゃぐちゃになっていく。


 真実を見る眼と、虚飾を作り上げる脳。

 それが私から見る、私の本質。


「うっぜえ」


 バレンシアはぎり、と歯を鳴らした。


「てめえ、それで優位に立ったつもりですの? 何を言おうが、てめえがどんなやつだろうがどうでもいいんだよ。私に逆らったこと、それだけで極刑に値するんですわ」

「そうね。どうでもいいわね。だって嘘だし」


 ぷちんと音がした気がした。

 バレンシアの顔が真っ赤に染まる。

 ふふ、貴方は怒るとそういう顔をするのね。可愛い。


「死ねですわ」


 バレンシアは強い。

 強いという事は、すなわち速いという事だ。速ければ相手の元にすぐ飛び込めるし、衝撃は強くなるし、余波も生まれる。攻撃も防御も速さがあってのこと。

 また私の視界から消える彼女。


 でもね。

 私だって強いと思うの。

 速いのはもちろんだが、私の強さはこの目にあると思う。人の動きや表情をつぶさに理解できる。次の動きを予測し、前もってこの体を動かすことができる。

 バレンシアは確かに速いし強い。でも、私はその動きを一度見てしまった。それは致命的よ。


 背後に回ったバレンシアの攻撃を寸でのところで身を捻って躱した。以前の攻撃は本当にぎりぎりだったけれど、今回は意図してのぎりぎり。拳が通り過ぎた後、私の蹴りが彼女の腹部に入る様に、計算した動き。

 が、バレンシアはもう片方の腕でそれを防いでいた。手加減はあまりにしていなかったのに、私の攻撃はバレンシアの腕に吸い込まれてしまった。衝撃が飲み込まれて、バレンシアの身体は少し後ろに後退する程度。


 私は追った。バレンシアの顔面に拳を叩き込もうと右腕を振りかぶる。バレンシアが防御に腕を動かしたのを視界の端で捉え、右腕を引く。反動で左腕を押し出して彼女の脇腹に叩き込んだ。

 硬い。

 ド、と音がしたのは、彼女の身体が横跳びに飛んで、木にぶつかったから。折れ曲がった幹はみしみしと音を立ててそのまま倒れていく。バレンシアの身体が木に隠れていくが、その瞬間の殺意に塗れた猛禽類の眼は見逃さない。


 木の影から体が飛び出して、私に突進してくる。今までよりも速い。恐らく本気のスピード。

 でも、少しだけ遅い。

 私は飛び込んできたバレンシアの顔面を掴んでそのまま飛んできた方向に放り投げた。再び吹き飛んでいくバレンシア。


「ははっ」


 思わず笑っていた。楽しかったみたい。


 まるで一歩ずつ階段を上っていくようだ。

 バレンシアは速い。エリクシアよりも一段程。私が今まで出会った中で一番強い。

 色んな人と戦うたびに出会うたびに、どんどん他人の強さを知っていく。そして、そのたびに私は自分の強さを、異常性を知る。


「貴方も特別な人間なの、バレンシア。どうして貴方はそんなに強いの? 私と一緒という事? 化け物なの? 魔女なの、悪魔なの、獣なの?」


 貴方しか言えない言葉がある。貴方でしか表現できないことがある。


「ねえ、教えてよ」


 木々が数本倒れこんだ先。

 むくりと起き上がった金髪金眼の少女に問う。


「……ああ、うぜえ」


 髪を振る動きに異常は見られない。大きな怪我はしていなさそう。膨れ上がった髪は垂れ、その表情はうかがい知れない。

 ただ、声だけで充分怒気は伝わってきた。


「どいつもこいつも何も知らねえくせして、仮初の世界で満足して、下らねえ仲間意識で喜んで、詰まらねえ生を享受している。何も知らねえってのはいいよなあ、頭空っぽで嗤ってられるんだからよお。うぜえええなあああ」


 その言葉は私だけに向けたものではなかった。

 イライラをぶつけているのは、私にではない。

 私ではない誰かに、怨嗟はぶつけられていく。


「てめえら人間は、誰に飼われてるかもわかってねえ。無作法に数を増やして無遠慮に秩序を乱す害悪が。家畜を飼って優越感に浸ってるようだが、飼われてんのはてめえらの方だ。家畜小屋を嗤ってるてめえらの家こそが家畜小屋だ」


 何を言っているのかわからない。

 だが、バレンシアの中で一つの堰が壊れたのは間違いないようだった。


「うぜえうぜえうぜええええ。何が人間だ、何が学院だ、何が人間社会だ。雑種の癖に、何の脳もない肥溜めのくせに、数だけは増えやがって。イライラさせるなあ」

「何を言っているの?」


 バレンシアの顔が上がって、髪の隙間から鋭い視線が射抜く。


「てめえは知らねえんだろ、カウルスタッグ家の落とし子よぉ。この世界が何なのか。魔物が人間が覚醒遺伝が、何なのか。てめえらは自分のことすらもわからねえ能無しのくせによお。能無しが私に楯突くんじゃねえよ。種族の壁をあまつさえ超えようとしてんじゃねえよ」

「……」


 バレンシアは知っているようだ。

 私の知らない世界を。

 誰もが知らない常識を。

 それが何かはわからないけれど、バレンシアの気に入らないものらしい。


「それって何のこと?」

「教えるかばあか」


 赤い舌が向けられた。


「まあしかし、どうせてめえはここで死ぬんだ。知りたがりなくそなてめえに冥土の土産に教えてやるよ。【王国の刃】グレイストーン家の力を。世界の真実の一端を」


 うめき声。もしくは、咆哮。

 バレンシアの姿が変わった。


 それは、そう。エリクシアの時と同じ。竜人である彼女、その”擬態”が剥がれた時と同じ。


 体が隆起していって、骨格から姿が変わっていく。四肢が盛り上がり、金色の毛が生えていく。長く膨らんだ髪がたてがみのように揺れる。爪、牙、強靭な四肢。そして、獅子のような相貌。全体は元の彼女の二倍ほど。

 数秒の後には、普通の人間ではない存在が立っていた。


 正直、驚いた。


「貴方、覚醒遺伝持ちの人間だったの。うまく隠していたのね」

「覚醒遺伝持ちだあ? そんな紛い物と一緒にすんじゃねえ。私は、私の一族は、過去より一度も人間に甘んじたことはねえ」

「人間に甘んじる?」


 まるで自分が人間ではないと言いたげなセリフ。


「私たちの原初は、人間を操る側に回った。人間にむざむざ狩られた他の脳のない原初どもとは違う。今なお現存する、この世界で最強の一族だ」


 何かに酔うように、歌うように。


「だから、私はてめえらとは慣れ合わねえ。てめえらとは文字通り、格が違う」


 バレンシアの言う事はほとんどわからない。

 けれど、わかることはバレンシアは自分が人間ではないと思っているという事。だからこそ他の人間に残虐な行為に及べたという事。


 確かに、人間は家畜を躊躇なく殺す。娯楽に鳥を狩り、遊び半分で虫を殺す。相手が同族でなければ、それは残虐な行動には値しない。バレンシアから見れば、人間こそがその対象なのだろう。

 また一つ、理解。


「なるほど。貴方は人間ではないのね。自分が人間じゃないと思えば、人間に残酷なことも簡単にできるんだわ」


 頷いて、でも、その考えは私の中には入ってこない。


「私は人間だからわからない感覚ね」

「あほ言ってんじゃねえ」

「阿呆とはご挨拶ね。私は貴方とは違うみたいだから言っただけよ」

「てめえはなんで私についてこれた?」


 心臓が一度鳴った。どん、という音だった。


「私たちの一族は、この血を絶やしてはならねえ。この血を汚してはいけねえ。ゆえに、子孫繁栄は近親相姦によって成り立つ。だから同じような見た目になる」


 一族の範囲。それはどこまで? 見た目って? 共通するところなんてあったかしら?


「馬鹿なてめえでもわかるだろうが。てめえも私と同じだ」

「違うわ。私は人間よ」

「金髪に金眼は我が原初が人間の擬態を纏った時の姿だ。カウルスタッグ家のてめえも変わらねえ」

「私は人間だってば!!」


 私の声に反応して、遠くの方で鳥が羽ばたいていった。


 わかった。わかった。わかった。わかった。

 こいつも、私を間違えている。

 こんなにも人間の皆から信頼されて祝福されて好かれている私が、人間じゃないはずないのに。

 百歩譲ってそうじゃないとしても、人間として生きているのに。


「間違いは正さないとね」


 痛みは、愛。

 エリクシアだって最初は間違っていたけど、わかってくれた。

 姿かたちが歪むくらいに教えてあげれば、バレンシアだってわかってくれる。


「ああ、可哀そうになあ」


 バレンシアの眼が細められる。その感情は、憐み。


「てめえだってカウルスタッグ家にいまだ居られれば、そんな腐った思想に至らなかったろうに。人間と同じ場所で過ごしちまったから、脳みそまで愚かになってしまった」

「うるさいわよ」

「うるさいのはてめえだ。私を他の覚醒遺伝持ちの”人間”と同じだと思っている時点で、終わってんだよ」


 こいつはうるさい。うるさい。

 もういい。


 他の誰も見ていないし、本気で戦うことにする。そのためにここまで来たのだから。

 両腕を引きちぎれば、両足を粉々に砕けば、その煩い口も静かになるだろう。


 私が一歩足を踏み出したとき。


 腹部が涼しくなった。


「さようなら、マリア・カウルスタッグ。てめえはあくまで、蛮勇だった」


 遠くで聞こえる声。

 近くにいるはずなのに。

 目の前で嗤っているはずなのに。


 視界は彼女が獰猛に嗤っているのを映しているのに、聴覚の反応は遅い。触覚も同様。伸ばした手が彼女に伸びていかない。彼女の真っ赤な腕を掴もうとしているのに。


 おかしい。

 私の身体じゃないみたい。


 思い通りに動かせない。勝手に膝が付いた。


 頭が揺れて、視線が下に。


 赤。


 真っ赤。


 私の腹部に、あるべきものがなかった。肉も骨も血も、あらゆるものが欠落していた。そこから湯水のように血が流れだしている。


 道理で涼しいわけだ。内臓が血管が直接風に当たっているのだから。


「――、」


 声も出ない。

 頭も動かない。


 私は


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