3-14
私たちがバレンシアの元に辿り着くまでの道のりに、妨害はなかった。
私が多くを率いて歩いていくのを、誰も止めはしない。教師も、生徒も、すべてが黙って道を開けた。慌てて顔を逸らして、何かをしているふりをして、咎められない程度にさりげなく道を開けてくれる。
バレンシアを心から支持している人間がいないことに気づくことができる。誰もが恐怖から表面上は付き従っているだけ。あれだけ周りを気にせずに行動すればそれはそうだろうけど。私の後ろの少女たちの足取りも、幾分か軽くなったようだった。
バレンシアの姿は校庭にあった。
太陽の下、優雅に紅茶を啜っている。
紅茶の良い香りと鳥の囀る鳴き声のする、優雅で楽しそうなティーパーティー。
されどそれが異質に映るのは、椅子が生徒で構成されているせいだろう。小柄な少女が四つん這いになってバレンシアを支えている。テーブルも、体の大きい二人の生徒が連なってできている。日除けになっているのも、当然ながら生徒。バレンシアに直射日光が当たらないように黙って立ち尽くしている。
備品に人間を使用する倒錯。対面に誰も座らないお茶会。何が楽しいというのだろうか。
私たちが真っすぐにバレンシアまで向かうと、彼女は紅茶に口をつけた状態で心底いやそうに眉を寄せた。
「なんですの、せっかくのティータイムに有象無象がごちゃごちゃと……。くそうざってえから死んでくれませんの」
相変わらずの毒舌。しかし、今回の私は引かないわ。
今の私はきちんと正義を持っているから、貴方にわざわざ負けなくてもいいの。貴方の横暴を止めてくれと懇願されているだから、皆は私の行動のすべてを認めてくれるの。だったら、私は何でもできる。何をしても私は認めてもらえる。
貴方を止める。どんな手を使ってでも、ね。
「うるさいのはどちらかしらね、バレンシア」
「あ? 誰に口をきいてんだ、ですわ。くそうぜえ猫を被るのは辞めたんですの?」
「どうして貴方に遜る必要があるの? 絶対悪である、貴方に」
校舎から視線を感じる。
少数ではない、多数。全校生徒が見守っているのではないかと思うくらいの大量の視線が、校庭まで届いてくる。
そう、もっと私を見て。私を心の中に入れ込んで。
私は正義。貴方たちの騎士。悪を切り捨てる正義の英雄。
貴方たちを、救ってあげる。だから、私を、しっかり見つめるのよ。
「バレンシア、貴方は悪だわ。誰もがそれを口にしないだけで思っているわ。貴方に改善してほしいと、それが叶わなければ消えてほしいと、そう願っているの」
「そんなことを言ってんのは誰ですの? ここに連れてこいですの。漏れなく全員腕を引きちぎってあげますわ」
「貴方だってわかってるでしょう。全員よ。この学院の生徒全員が貴方を悪と断定している。その証拠に、私たちは誰にも止められることなくここまで来た。全員が、私に期待しているのよ。貴方を止めることを、懲らしめることを」
そして今、全員がバレンシアが倒れる未来を願って見つめている。
その希望を、懇願を、叶えるのが、私。
「なるほど。じゃあ話はくそ簡単。全員殺せばいいんですわね。血祭ですわ」
ほとんど全員から憎悪が、憤慨が向けられているというのに、尚も変わることのないバレンシア。
正直、すごいと思った。
人の目は大切だ。自分が他人にどう見られているかは、そのまま自分の生き方に直結する。誰だって他人に、そうでなくても友人、愛する人には良く思われたいものだ。そのために自分を着飾っていく。
でも、バレンシアにはそれがない。他人に興味がないからか、唯我独尊で圧倒的悪を貫き通す。
むかついている相手なのは間違いない。けれど、私の仲に興味は生まれた。どうしてそんな風に思えるのか、知りたい。他人の目を一切気にしないその根拠は何? 私の知らない人間のカタチを教えて。
「血祭って、それが許されるわけはないでしょう」
「うっせえ。私はそれが許されるんですわ。なぜなら、私はてめえらとは違うから。根本的に、生まれた時から、てめえら雑種とは異なっている崇高な存在なんですの。てめえらにどう思われようが、私の未来は約束されているんですわ」
「どういうこと?」
「うっせえですわ。それを答える理由は私にはねえですの」
バレンシアはその場で立ち上がった。少女の上に立ち上がって、幾分か高いところから校舎を、私たちを見下ろしてくる。
「残念ながら、この学院の生徒全員、半殺し確定ですわ。罪状は私の邪魔をしたこと、私を不機嫌にさせたこと。本来なら極刑のところを、今回は特別に半殺しに負けてあげるんですの。バーゲンセールですわ」
視線は、私に。
「バーゲンセールの切符は、マリア、そしてマリアに加担するやつら全員の首だ。てめえらは漏れなく全員さらし首だ。校門の前に並べて飾ってやるから覚悟しておけよ。――ですわ」
殺気。ぞわっとするほどの圧力をもって、睨みつけられる。
同時に、ぞくぞくしてしまう。今迄感じたことのない圧。私が知らない私に出会える瞬間。
でも、そんなことを考えているのは私くらいで、皆怖がっているみたい。息を飲む後ろの子たちを鼓舞するように、私は微笑む。
「皆、恐れないで。正義は私たちにあるわ。白百合騎士団の力を見せましょう」
「白百合、騎士団? なんだそりゃですの」
首を傾げるバレンシアに、デリカが啖呵を切った。
「貴方の悪行を終わらせるための騎士号よ。今、貴方を王国の敵と認定し、私は騎士号『白百合』を発令したわ。公爵家の人間として、王国の繁栄を願う者として、バレンシア、貴方を摘発します」
「ああ、何かと思えば、ただの御飯事ですのね。乳飲み子の楽しい楽しいお人形遊び。くっだらないですわ」
バレンシアは鼻で笑った。
「てめえが何に希望を抱いてるか知らねえが、心の底からくだらねえですわ。蠅が何匹集まろうが、世界は何も変わらないですの。酔っ払いは泥酔したまま理想を抱いて溺れ死ぬといいですの」
「それがおままごとかどうか、試してみる?」
私の言葉を受けて、バレンシアは大仰にため息をついた。
はあああ、と、肺の中からすべての空気を吐き出すと、失望を顕に私を見つめる。
「つまんねえですわ。くそが腐った妄想を垂れ流しただけの全く無意味な時間ですわ。もう、終わりだ終わり。マジでてめえは死ね」
一瞬。
バレンシアの姿がぶれた。
立ち尽くす残像を残して、バレンシアの姿は私の目の前へ。
瞬きをしている暇もない。バレンシアの腕はすでに振りかぶられて、拳は私の顔面に向かっている。その速さ、受け止めればただでは済まないだろう。脳漿をぶちまけるかも。
首を逸らしてその攻撃を避ける。寸でのところだった。バレンシアの拳が風を切って、風圧が頬を打った。私は避けたのと同時に、彼女の腹部に蹴りを放った。少しだけ本気の一撃。普通の少女であれば、当たれば臓器が破損して一生起き上がれなくなるくらいの攻撃。
が、足首をバレンシアに掴まれて阻止された。そのまま放り投げられそうになるのを、反対の脚も宙に浮かせて、バレンシアの顔面に差し向ける。「ち」舌打ちが聞こえて、バレンシアは私の脚から手を離して距離をとった。蹴りを空ぶった私は一回転してその場に着地する。
時間にして一秒ほどの攻防だったろう。だが、たった一秒で私は理解した。
バレンシアも、特別だという事を。私に近い存在だということを。
そして、バレンシアも私を理解したようだ。少しだけ目の色が変わる。
「……そりゃあそうか。てめえ、カウルスタッグ家の女の腹から出てきやがったんですものね」
「その家は、知らないけどね」
今度は顔色を変えずに返すことができた。
「ち。ここでてめえの頭蓋を弾き飛ばせば簡単に終わった話だったのによお。手間とらせんじゃねえですわ」
「それは私も同じことよ。貴方には今ので退場してほしかったわ」
なんて言うけど。
どっちでもいい。そのまま倒れてくれればあっさりと私が英雄になるし、苦戦するのなら、未知を知ることができる。
どうなろうが、私の望むところ。愉しい。
一泊遅れて、息を飲む音が聞こえた。私の周りから、バレンシアの周りから。
私とバレンシアはこの中では突出した存在である。それを、全員が理解した。
「――」
バレンシアの視線が私の後ろに流れたのを見て、私は殊更に殺気を飛ばした。バレンシアはそれに感づいて私に視線を戻す。
動きはなくても、互いをけん制し合あう。
バレンシアが私のカワイイ子たちを狙うのなら、その隙をついてあげましょう。手を出すつもりなら、次は本気でその腹をえぐり取ってやる。先程の攻防で、彼女だって、私との力が拮抗していることを察したはず。私から目を離すことがどれほど愚かかわかっているはず。
そして、忌々し気に舌を打つ。
「めんっっっどくせえですわ。てめえ、頼んでやるからここで死んでくれませんの?」
「同じ言葉を返すわ。貴方は害悪。いるだけで私たちの邪魔になる。私だけじゃない、生徒全員の総意よ。ね、ここから消えて」
「――ああ、殺してやりてえんですの」
絡み合う殺気。
だが二人とも、その殺意を行動に移してはいない。
例えば腹部に穴を開けて血潮をぶちまけたりとか、あまりに衝撃的な光景を生み出してしまうと私の英雄の価値が陰りそうだから、私は本気を出せない。そして、バレンシアも彼女なりの制約か何かを抱えているようだった。何かをしたいけれど、寸前のところで我慢しているのが見て取れた。
お互いに牽制しあって。
最終的に。
「おい、てめえら。こいつらを殺しておけよ。このくだらねえおままごとを楽しんでいる夢見がちな餓鬼どもに、現実を教えてやれ、ですわ」
バレンシアは取り巻きに命令した。従順に頷く十人の死んだ目の兵士。
「てめえらが処理している間、私はこの女を惨殺してくるんですわ。四肢をもいで、脳髄をぶちまけて、臓器を引きちぎって、楽しい標本にして飾ってやるんですの」
バレンシアの顎が引かれる。こっちに来いという意思表示。
さて、どうしようかしら。確かにバレンシアと一緒に行けば、未知に出会えそう。けれど、こっちに残るのも楽しそうだし、悩みどころだわ。
「マリア。行っていいよ」
イヴァンが声をかけてくれる。
「私もシクロもいるから、心配してるようなことにはならないよ。あと、こっちのことは、後できちんと教えてあげるから、行ってきな」
流石イヴァン。私のことをわかってくれている。大好き。
「で、でも、マリア。大丈夫ですか? さっきのバレンシアの動き、やばかったですけど」
心配そうなシクロ。大好き。
「大丈夫よ。やばいならやばいで、楽しそうだし」
もしもバレンシアが私よりも強いというのなら、それはそれでもいい。
私という化け物、その死に方を理解することができるのだから。
私は白百合騎士団の面々に笑顔を投げた。
「任せたわ、麗しの騎士たち。他の生徒をしっかりと守って、この場を収めてね」
そして、私はバレンシアについていった。
人気のない場所、学院内部の森の中に入っていく。