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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
二章 学生二年目
53/142

3-12















 自分が何者かなんて、そんなこと幾度も考えたに決まっている。

 今まで生きてきた人生の中、起きた直後も、食事の最中も、勉強の最中も、ベッドの中に入った時も、私は考えてきた。


 ふとした拍子に頭を過る疑問。幼少期からずっとずっと悩んで困って苦しんだ設問。

 結局ここまで生きてきても、私はそのことに答えを出すことができていなかった。私と言う存在は、いまだに誰が見ても不明瞭で不定形。

 わからない数多の中で唯一と言ってもいいわかっていることは、私の”したいこと”だけ。


 人の目に映りたい。

 人の心に残りたい。

 何故なら、そうして人の中に入り込んだ私は、その人の中で間違いない明確な私になるから。私の中では形がわからない私だって、人の頭の中では確定した存在になれるから。


 マリアという少女は、例えばイヴァンの中ではお節介を焼かなくてはならないけど憎めない子で、例えばシクロの中ではすべてを傾倒してしまえるほどに魅力的な存在で。

 彼女たちの中では、それが私なのだ。間違いなく、私はそこにいる。人の中には、わかりやすい私がいる。


 だから、私はマリアを知らなくてもいいと思っていた。皆が知ってくれればそれでいいと思っていた。皆と接して皆を知って、私を知ってもらえれば、それが私なのだと思っていた。今までその皆というのは、文字通り皆だった。


 けれど。

 バレンシア・グレイストーン。あいつだけは皆ではない。あいつには、私を中に入れ込んでほしくない。


 何故なら、彼女は私を見ていないから。彼女が持つ何らかの情報だけで、私を判断している。私の知らない私を知っていて、それが、それだけが、私だと思っている。接している私を、ありのままの私を見つめても認めてもいないくせに。


 違う。

 私は、そんな浅い存在じゃない。

 バレンシアの視線――憐みと呆れの入った視線で見られるような、そんな存在じゃない。


 私がバレンシアに向ける感情は、いまだ誰にも向けたことのないものだった。言葉にはっきりとは言い出せない、苛立ち、焦燥。嫌悪ともまた違う、緑と紫をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような気色の悪い気持ち。

 それを解消するためにも、いつか私を彼女の身に教え込んでやらないといけないと思っていた。どうやってあの性悪を一泡吹かせてやろうかと考えていた。


 そんな日常の一幕。

 バレンシアは、あろうことか、私に宣戦布告を示してきた。


「マリアと仲の良いやつは、全員もれなく処刑ですわ」


 イーリス女学院に在籍する生徒のほとんどが一同に会する、昼食の時間。全校生徒を飲み込んでもまだ余裕のある広い食堂の中で、歓談と食事というのどかな時間をぶち壊して、バレンシアは告げた。


 その声は大声でなくても通る。否、通さないといけない。遮ったが最後、どんな目に逢うかわからないのだから。

 まるで食事に泥を塗りつけられたかのような顔となって、けれどそんな悲痛な感情を一瞬で落として、生徒全員はその言葉に耳を傾けていた。


「一年生から三年生まで、庶民から公爵令嬢まで、関係なく問題なく差別なく、マリアと交友を持つもの、私はそれらをぶち殺しますわ。理由は単純明快。マリアが気に入らないからですの。ぼこぼこにしたら楽しそうだからですの」


 食堂の中心で、豪奢な椅子に座りながら、バレンシアは口元を歪めた。窓から入る陽気な日差しすら無視して空気を凍らせる、気味の悪い笑みだった。


「判断基準は私が決めますの。例えばマリアと同じテーブルで食事をする、マリアと仲良さそうに話をする、マリアと廊下ですれ違う、マリアを視界の中にいれてしまう、どれでも、私からすれば処刑の対象ですわ。私はそんなてめえらを処罰するんですの」


 暴君。

 災厄。

 そんな言葉が頭を過った。

 また、気持ちがざわめく。多分、これがむかつくということ。

 バレンシアの本性を目の当たりにすることで、バレンシアの指を突きつけられることで、この気持ちの正体が少しだけわかった気がする。


 私が今まで、こんな人間に出会ったことがなかったからだ。

 今まで私の見た人間、接した人たちは、会話が通じた。人間としての言葉が、友好関係になろうと思う前提の下で交わされていた。自己保身が透けていて、仲よくしようという好意が、自分の行為に対する不安が、他人との調和意志が、しっかりと見えていた。


 彼女には、それがない。

 絶対の自信と、揺らがない瞳。それを悪用した暴力と圧力。周りを自分と同じ人間と思っていない。ゆえに、常に上から非難を顧みずに口を動かすことができる。普通の人間にある感情が、抜け落ちてしまっている。後ろを振り向いたことも、横を盗み見たこともないのだろう。ただ、すべての事象を下に見ている、まさに暴君。


 こういう人間もいる、そう納得すると、少しだけ気持ちが落ち着いた。

 私はまだ人間を知りえていなかったのだ。人間を知った気でいてしまった。それは私の落ち度。友好的な対応に慣れてしまった私の後悔。

 バレンシアという人間もいる、と考え直す。こういう人間だっていると改める。そうすれば、いつも通りの微笑みも形作ることができた。


 周りを見渡すと、生徒たちは不安そうにバレンシアと私とを見比べていた。どちらにつくべきか、瞳は揺れている。大多数は、バレンシアに流れたみたい。私が視線を向けると、慌てて逸らされてしまう。

 寂しい。

 バレンシアは私から逸れていく視線を見て、満足げに頷いた。


「それらの罪状を見た瞬間、私の部下が粛清するんで、てめえらは気をつけるんですの。わかってると思うが、私はやると言ったらやる女ですわ。ここにいる全員が死んでも、なおコロスですの」


 バレンシアが手を挙げると、その背後から一歩足を踏み出す十人の取り巻き。眼は揺れない。忠実な兵士なようで、死んだ魚のようだった。


「告げ口陰口歓迎ですわ。マリアに反旗を翻したやつは、褒めてやるんですの。てめえらだって思うところはあるだろ、ですわ。こんなぽっと出のクソ雑魚庶民が、英雄のように、救世主のようにもてはやされている。ここはどこだ? 貴族の学院だろうが、ですわ。てめえら、こんなクソ野郎がでかい顔していて、許せんのかですわ」


 煽る。

 少しだけ、周りの生徒たちの目の色が変わった。

 圧倒的強者の前で、ぞんざいな迫害理由を手に入れて、翳した正義の様な形をした悪行に流されて、生徒たちの目は加害者のそれに変わっていく。彼女たちの中で、私は悪者に変わっていく。


 ――馬鹿ね。

 バレンシア本人も、感情を殺して彼女に付き従う取り巻きも、彼女に煽られて自分が優位にいると勘違いする観客も、全員まとめて。

 全員、馬鹿だ。

 私を見ていないのか。まだわからないのか。私という化け物は、こういう場でこそ輝くというのに。


 いいわ。その喧嘩、買ってあげる。

 私だって貴方の顔面をぶん殴りたい気分なの。


「……ひどいです、バレンシア様」


 私はバレンシアの目をまっすぐに見つめて、涙を流した。

 一筋の涙は頬を伝って流れ落ち、生徒たちの視線を反射する。


「私はただ、いつだってなんだって、皆のためを思って行動しているのです。私は英雄でも救世主でもない。ただ、必死に目の前の問題や課題を解決しようと尽力している、一介の少女なのです。庶民ということは否定できません。でも、この学院は、貴族も庶民も関係ない、そういう場所ではございませんか」

「猫かぶりうぜえですの。てめえを殺す理由はうぜえだけで十分ですの」


 バレンシアの心に私の言葉は響かない。会話の形すらなさない。最初は私の言葉に一切揺れないその心を鬱陶しいと思ったけれど、もういいの。

 もうそんなことはわかっている。貴方に言葉は必要ない。そういう人間だと、理解した。今私が話しかけたのは、バレンシアであって、バレンシアではない。

 横目に、私の涙で申し訳なさそうな顔をする少女たちを見やる。


「王国は、王は、何を求めてこの学院を作ったのでしょうか。それは、校風に現れていると思います。自由に、少女の間だけでも、階級の関係ない楽しい時を過ごしてほしい。一生の友人を見つけてほしい、そんな思いでこの学院で成り立っているのではありませんか?」


 歌うように、響かせるように。

 綺麗で滑らかで耳心地の良い私の言葉は、凍り付いたこの食堂を溶かしていくの。


「だとすれば、バレンシア様。貴方の言う、庶民が鬱陶しいという発言は、王に反抗するものではありませんか? 私はいいのです。どうせ脳のない庶民ですから。ただ、庶民の中にも、将来の王国を背負って立つ俊英がいることを、どうかわかっていただきたいのです」


 私の色は、さしずめ橙色。暖気のように、周りを緩和させていく。

 反して、バレンシアの色は青色。冷えて凍らせて、叩き割ってくる。


「うっせえんですわ。てめえごときクソ雑魚ゴミムシが私に逆らうなんて、口答えするなんて、それだけで極刑物ですわ。調子に乗ってんですの。わかってんだろうな、てめえら。マリアの言葉に同調する、それだけで殺される理由になるんだからな、ですわ」


 また、冷え込む。

 少女たちの思考が恐怖で止まる。

 不安にならなくても大丈夫よ。バレンシアのことを理解した私は、負けないから。


「貴方のおっしゃる貴族と言うのは、どこからになるのでしょうか。例えば貴方と同様の立場にいなければ貴族ではないと、そうおっしゃるのでしょうか」

「当然ですわ。人間には格がある。ここにいるてめえらは総じてミジンコですわ。弱小貴族どもは、ゴミムシじゃないだけで、私とは一線を画してますの」

「では、この場にいるすべての少女に、価値がないと?」

「自明ですわ。てめえ、くだらねえこと聞いてんじゃねえですの」


 私はバレンシアのことを理解しきれていない。今まで見たことのない人間だから、それは仕方がない。けれど、その人間性の一端は掴んだ。

 馬鹿ね。貴方を見つめる少女たちの視線が尖りだしているのに、気が付かないの?


「それでは、私を処刑した後で、貴方はどうするんですか?」

「言っただろうが。てめえを支持した連中をぶち殺しですわ。てめえみてえな嘘で塗り固めた欺瞞の英雄に傾倒する頭のおかしい奴を粛清ですの」


 欺瞞の英雄。

 そこだけは少し感心した。私のことを理解している。調査の中で、私の工作の何かが見つかっていたのか。

 だが、どうでもいい。だって、ここにいる少女たちは、それを知らないから。


「……それだけは、どうかやめてください。私はいいです。貴方のおっしゃる通りの人間ですから。けれど、私の仲良しの子たちだけは、どうか許してください。お願いいたします」


 弱弱し気に呟いて、私は首を垂れた。

 当然、バレンシアは「馬鹿か、ですわ。許すわけないですの。てめえは殺す」とあざ笑う。


 さて、問題。

 悪はどっちでしょうか。身分の差を突き付けられて、ありもしない罪に問われている少女と、むかつくというその理由だけで人を殺そうとしている少女。

 今、私は健気な少女になったのよ。そして貴方は、そんな健気を踏みつぶす害悪。


「――私はマリアを支持するわ」


 背後から、声。

 鈴を鳴らすような声は、デリカ・アッシュベインのものだった。


「同じ公爵家として恥ずかしいわ、バレンシア。王国の目指す未来は、繁栄よ。そこには貴族だけでなく、優秀な人間が真価を発揮することが求められる。ゆえに、国を挙げて優秀な人物を見つけてCクラスを作ったり、自由な校風を押し出しているの。貴方の言い草は、そんな王国の繁栄に水を差すだわ。処罰されるのはどちらかしらね」


 前に進んで私の隣に立ってくれるデリカ。真っ青な顔をして震えながらも、護衛の四人もデリカの周りに寄ってくる。


「あ? てめえクソ猫。誰にモノ言ってるかわかってんですの? 死にてえんですの?」

「貴方こそ、誰に口を利いているの? この会話を正式書名に残して議会に上げてもいいのよ」


 アッシュベイン家は、王国の議会、その議長を務める名門。あまりにはっきり言い切るデリカにバレンシアは眉を寄せたが、それだけだった。


「その前にてめえを殺せば終わりですわ」


 目が血走る。バレンシアの取り巻きが武器に手をかけ、デリカの護衛が顔をひきつらせた。


「なら、私がデリカ嬢とマリアを守りましょう」


 次に出てきてくれたのは、ロウファ。腰の剣を引き抜いて、天井に向ける。


「我が騎士の忠誠は、マリアに」

「落ちぶれクソ騎士団が、何を言ってんですの」


 鼻で笑うバレンシア。

 でも、私の周りの少女たちは止まらない。

 次はCクラスのみんなが、私を取り囲んでくれる。全員総じて、バレンシアを睨んでいた。


「あっは。馬鹿が集まってくれたんですの? これで確認する手間が省けましたわ。全員、殺す」


 だが、まだ止まらない。ロウファが剣を抜くのを見て、Bクラスのほとんどが、デリカが胸を張るのを見て、Aクラスのほとんどが、私側についてくれた。


「みんな……」


 私は感激に涙を流す。

 演技半分、本心半分。

 ああ、素敵。そして、幸せ。


 バレンシアは少女たちを恐怖で煽ったつもりだろう。けれど、私は少女たちを好意で操る。

 自発的か、受動的か、どっちの気持ちが強いか教えてあげる。

 正義を胸に掲げた人間の方が強いことを、教えてあげる。


「ああ?」


 バレンシアが初めて表情を変えた。

 何故なら、だんだんと私の方に皆が集まっていくから。日和見をしていた少女たちが、デリカの、ロウファの、色んな子たちの参戦を受けて、私に味方してくれる。皆、自分こそが私を守る騎士だと、友人だと、胸を張って立ってくれている。


 私は嗤った。

 バレンシアだけに、口角を釣り上げて見せる。口だけで、「ばあか」と教えてあげた。

 青筋が立つのが見えた。


「――上等だ、クソ雑魚。戦争だ」


 バレンシアが殺意を顕にし、取り巻きも構えたその時、食堂の扉が開いた。学院の教師が入ってくる。


「何してるの、貴方たち。もう授業が始まるわよ」


 勢いよく声を張り上げたものの、「え……」殺気立つ二つの陣営を見て、顔を引きつらせていた。

 バレンシアは怒りを露わにしたまま立ち上がった。彼女が自分の脚で歩くのを、私は初めて見た。

 そのまま教師のところまで歩いていくと、その顔を掴んで、食堂のテーブルにたたきつけた。教師は身体から力が抜けて、ごろりと床の上を転がってしまう。


「うっせんだよ、クソ雇われのくせに、ですわ。てめえの命だって私からすれば、茶葉にも劣るんですの」


 バレンシアは一度舌打ちすると、「てめえらの顔、全部覚えたからな、ですわ」再び椅子にふんぞり返ると、そのまま取り巻きたちに囲まれてその場を去っていった。


 バレンシアは多分知らないのだろう。

 そんな彼女の背中を見つめる生徒たちの視線が、敵意と怒りに染まっていることを。


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