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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
二章 学生二年目
48/142

3-7. 貴方が知る現実















 ◆



 友人。

 家族。

 愛人。

 自分と相手との距離感で、関係を表す呼称は変わっていく。他者を表現する言葉は数多存在するけれど、全てを表現できているわけではないと思う。


 イヴァンは本に落としている視線、視界を覆い尽くす文字より、脳の思考の方を進めた。

 友人。同じ考え方を持ったり、行動をともにしたり、いつも親しくつきあっている人。

 家族。婚姻によって結びつけられている夫婦、およびその夫婦と血縁関係のある人々で、ひとつのまとまりを形成した集団。

 愛人。主に異性間において、深い性愛関係にある相手。

 言葉の意味として決定づけられた言語の羅列。辞書を引けば出てくるその言葉の意味を成す単語。言葉は意味を簡略化した言語のショートカットに過ぎない。


 では。

 言語化された定義から外れた関係、辞書から零れ落ちてしまった可哀そうな言葉、定義されない存在そのもの、それらはいったい何と呼べばいいんだろう。


 例えば、自分とマリアは家族である。ただ、定義に沿ったように婚姻したわけじゃないし、血縁関係があるわけでもない。自分たちがそう呼んでいるだけの、中身のない関係。

 例えば、デリカとマリアは友人である。確かに言葉の定義からすれば間違ってはいない。けれど、イヴァンにはとてもそうとは見えなかった。もっと、こう、主従関係のしっかりした、対等とは呼べない関係性。


「……ペット」


 イヴァンが呟くと、部屋の隅で本を読んでいたデリカが顔を上げた。


「何か言った?」

「いいえ、何も」

「ふうん。ならいいけれど」


 デリカは視線を本に戻した。

 表向き上はデリカを護衛している立場のイヴァン。二人きりの部屋の中、けれども二人の間に会話らしい会話は存在しなかった。お互いに興味がないことがわかっているから、業務的な会話しか交わさない。


 暇そうに本をめくっていくデリカを見て、少し不憫にも思った。

 彼女の見えている世界と実際の現実は、大きく異なっている。

 彼女の中ではエリクシアが校内に入り込んで生徒に不安を与えている。半年前の再来が起こるかもと思っている。

 でも実際にはエリクシアは完全にマリアの支配下で、親友だと思っている子がすべての首謀者。学校ではデリカの行方不明が多くの人の頭を締め付けている。

 真実を覆い隠されて、偽物の環境の中で生きる彼女。彼女の現実は、イヴァンたちにとっての虚構。今読んでいる本の中で起きているような話。イヴァンとデリカでは、生きている現実が違う。デリカはこの部屋が防護壁ではなく檻であることを知りもしない。

 マリアとデリカは手を取り合う友人のように見えるが、立っている世界が違うのだ。触れ合う指先同士は、次元が違う。それを友人と言っていいものか。友人だと言って憚らないデリカが、とても不憫だ。


 だが、しかし、同時に。

 イヴァンもたまに不安になる。色々と考えていると、さっと薄黒い何かが胸中に差し込んでくる。

 自分にとって、自分とデリカは違う。マリアからの見え方も違うと思っている。

 でも、もしかしたら、同じなのかもしれない。イヴァンはデリカと自分との間には大きな差があると思っているが、マリアから見ればその差は無視できるものなのかもしれない。イヴァンもデリカも、同じ景色の一部でしかないなんて。

 つまり、マリアは、私がデリカに向けているような視線を、私に向けているのかもしれない。


 歯噛み。

 考えすぎの自分の癖。直すべききらいだとも思っている。

 でも、考えるのは無料だ。自分の中で完結していく。外に影響を及ぼしはしない。

 だから、何度も何度でも考えて、そのたびに安心と落胆の中を揺れ動くのだ。



 夜になってマリアが帰ってきたので、デリカの目はそちらに移った。尻尾を振る犬そのものの仕草に、思わずため息が漏れた。

 いつものように、学校の現状を伝え聞いて、明日はシクロが護衛の日だと取り決めて、たわいもない会話を繰り広げて。


 そして夜が深くなったタイミングで、イヴァンは一人で寮を抜け出した。

 向かう先は森の中。誰もいないはずの鬱蒼の先。


「エリクシア、起きてる?」


 部屋から追い出されてしまった哀れな竜に声をかけると、頭上からは「なに?」という声だけが返ってきた。


「今日も少し付き合ってよ」

「……私は眠いんだけど」

「少しって言ってるでしょ」


 ため息とともに、赤色が落ちてくる。

 竜人、エリクシア。

 竜の覚醒遺伝を持つ、強敵。

 今は髪に葉っぱをつけて、眠そうに眼を擦っている。


「いいけれど、マリア様の許可はとってるんでしょうね」

「当然でしょ」

「貴方は他よりも話が早くて助かる」


 この竜人とマリアとの関係は、まさしく主従だ。

 マリアの言う事しか聞かず、マリアだけを見つめる。そして、マリアの利になることならなんでも行い、逆にマリアの不都合なことは排除する。自分の意志すら殺して、献身的にマリアに尽くす。

 マリアに対して、イヴァンともシクロとも異なった付き合い方。

 友人でも家族でも愛人でもペットでもない。

 執事? そんな感じ。


「マリア様が許可したのなら、付き合いましょう。私個人としても強くなる必要があるから。貴方との訓練はためになるし、考え方も近いから疲れないし。それに、貴方は世にも珍しい、吸血鬼の覚醒遺伝持ちだしね」


 覚醒遺伝。

 人間に流れている、魔物の血。

 過去に親族が魔族と契り合ったために起こってしまう、異常な反応。普通の人間が忌避する異常な見た目。

 イヴァンは吸血鬼。エリクシアは竜。シクロは不明。マリアの周りは、誰もがそういった異常を持っている。


 エリクシアは月を見上げて、

「吸血鬼は魔物の中でも最上位に位置する存在だったと聞いている。特に、月が出ている夜は格別だと。貴方がいかに雑種でも、第四世代の竜である私とも、今だけは互角になれると思う。だから私からも貴方の申し出は願ったり叶ったりだ。真夜中でなければもっといい」

「あんたは真夜中じゃないと外にも出られないでしょ」

「マリア様が望むんだから、仕方がない」


 不便なはずなのに、どこか満足そうなエリクシア。見えない鎖は縛られ心地がいいんだろう。


「仮にも竜で、なおかつ第四世代の私をここまでにできるのは、マリア様だけ。今まで誰にも屈服したことなんてなかったのに。それがこんなにぞくぞくするなんて……」

「……」


 イヴァンは眉を寄せて、質問するかどうか迷った。

 エリクシアは少なくとも自分よりはこの世界のことを知っている。

 逡巡の後に、イヴァンは聞くことにした。


「その、第四世代とか雑種とか、どういうこと? 何か知っているの?」

「貴方よりはね」


 返答に少しかちんとくる。


「知っていることを教えて。マリアのためにもなるはずよ」


 エリクシアは頬に手を当てて、思案顔。


「でも、これを伝えるのは、正直迷いどころだ。一緒に過ごしてみてわかったけれど、マリア様は本当に”このこと”を知らない。私からしても、無知は偶然なのか、仕組まれていることなのか、わからない。そうである以上、むやみに伝えるのはマリア様にとって危険なことになる」

「マリアのことを心配してるの? でも、知っての通りマリアは強いよ」

「知っていますよ。第”四”世代の私では歯が立たない。何人いようともね」


 その数字を強調するエリクシア。

 全体像はいまだつかめない。ただ、イヴァンはその言葉の意図の一端を読み取って、肩を竦めた。


「なるほど。で、マリアは、”第何世代”なの?」

「それがわかっていたら、私だって動いてる。わからないから、伝えられないんだ」


 エリクシアの言い方だと、強さと世代は密接に関わってきている。何を表す言葉なのかをエリクシアはこの場では教えてくれそうもない。そして、エリクシアが懸念しているのは、彼女よりさらに上の存在だろう。


「じゃあ、私は……」


 言いかけて、イヴァンは口を閉じた。

 先ほどエリクシアが言っていた言葉、その意味がぼんやりと浮かび上がってくる。


「……雑種」


 何に対して?

 エリクシアは肩を竦めていた。


「悲観することはない。貴方の血は濃い。だから他の覚醒遺伝持ちの人間よりも十分に強い。貴方の中に吸血鬼は、世代に関わらず、十分に強いと太鼓判を押せる」

「私の中の、吸血鬼」


 イヴァンは考える。エリクシアが言葉の端で匂わせる単語をつなぎ合わせて、自分なりの理解を深めていく。

 血、雑種、遺伝。

 覚醒遺伝の血。魔物の血。それらは、どこから来たものだ? どこで混じったものだ? そもそも、魔物と交配する人間が本当にいるのか? そこまで猟奇的な行動をする人間は、覚醒遺伝持ちの人間の数ほどいるのか?

 ――

 ―――

 ――――考えて。

 一つの推測を得て、イヴァンは口元が引きつるのを感じた。


 世界は意外と曖昧だ。

 物理現象を、魔術要素を、自分の身体の仕組みすらも知らなくても生きていける。数々の不思議や不明点を隣に置いたまま、見える範囲だけを見て笑うことができる。それが人間だ。

 誰も知らないで、誰も教えてくれないこと。それは必要ないから知らないのではなくて、もしかしたら、隠されているのかもしれない。誰かが独占している真実なのかもしれない。


 ――深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを見ている。

 どこかの本に書いてあった一文。

 ぞっとする。

 自分はマリアの虚構の上で過ごすデリカを憐れんだ。けれど、同じように、自分も真実を知っている何者かに笑われているのかもしれない。

 虚構を嗤っているとき、虚構に笑われているのかもしれない。


「……」


 未知を既知にすること。それはつまり、そのことを知らない人を自在に操れるという事。圧倒的差というのは、知識の差。知っていれば、利用することもできる。マリアの本質だって、そこにある。 

 調べてみる価値がありそうだった。

 けれど今は、イヴァンは頭を振って、エリクシアに向かい合った。


「じゃあ、御手合せ願える?」

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