3-6
ロウファ・カインベルトがスカートを履いてきた、その事実は同級生をざわつかせた。
常より腰に下げていた木刀を置き、ただざく切りにしていた髪に手入れを入れて、白く艶やかな生足を曝け出している。スカートのなんと防御力の低いことかと嘆いて男性用のズボンを特注していた、彼女らしからぬ行動。
元来の彼女を知っている人たちは、皆目を白黒させて彼女に駆け寄っていった。
「私は身の丈に合った生き方をすることにするよ。私は、騎士になれる人間じゃない」
なんて、今までの過去をあっさりと覆して、一人称すら変わってしまった彼女。一日の間に、一晩の間に何があったかなんて、わかるはずもない。せいぜいがCクラスのとある生徒と揉めたという話が出回ってるくらい。
誰もが不思議に首を傾げ、何があったのかと邪推するしかない。
真実は私以外、知りようもない。
「真実は美味しいわね」
他の誰も知りえないという絶対性。私だけが彼女の少女を知っているという優越感、大切なものを手に収めた独占欲。
独り占め。
状況を操るのは、支配するのは、私。他の人間は私が吐き出した結果をただ見つめるだけ。
廊下。慌ただしくロウファを質問攻めにするBクラスの少女たちを遠目に見ながら、私は腕の中のシクロの頭を優しく撫でてあげる。
この一件で起こったことは、単純にシクロの暴走。
私がロウファを調理しようと思っていたのはその通りだけど、シクロをけしかけたわけじゃない。どうしようかと迷っていたくらいだもの、予想と違う結末になってしまった。
でも、私が欲しいものは得られたからいいか。道中は私の手からこぼれていったけれど、最終的に私の思い描く状況になってくれた。
ロウファは、私のものになった。
人が積み重ねてきたその人の自我、矜持、歩んできた道。
そういったその人を形作る大切なものも、簡単に壊れてしまうのがわかった。壊せてしまうことがわかった。
私なら。
大切なものを見抜ける目と、壊すためのあらすじを書き上げる脳と、それを実現する力が、私にはある。
くすぐったそうに笑うシクロ。
楽しそうで幸せそうで、私も嬉しくなる。どこか吹っ切れたような顔は、私にとっても望ましい。
そう、貴方は我慢しないでいいの。貴方は感情のままに、欲望のままにふるまえばいい。私が、貴方のための素晴らしいストーリーを作ってあげる。全部、ハッピーエンドにしてあげる。だから、私から離れちゃだめよ。私に、未知を教えて。
ごろごろと鳴いている白黒の毛の子猫を撫で回していると、
「マリア」
イヴァンが近づいてきて、首を傾げてきた。
「一応、マリアの思い描いた通りでいいんだよね。ロウファ・カインベルトを落としたってことは、頂点をとるつもりなの?」
「ん? 単純にロウファが可愛かったから抱きしめただけだけど。頂点って?」
「この一件で、ロウファ・カインベルトは堕ちた。以後、マリアに歯向かう事もないだろうし、もう家柄や自分の立場に拘泥することもなくなると思う。あれだけプライドを折られちゃえば、もう元のように立つこともできないでしょ」
イヴァンがやれやれとばかりにため息をつく前で、私は昨晩のことを思い出して口角が上がってしまう。
私との圧倒的な差を知ってしまって。届くと思っていた私が遥か高みにいることに気が付いてしまって。それは同時に覚醒遺伝持ちの人間との差で、兄を殺した仇敵との差で。彼女程度の力では、強敵と対峙しても傷一つ負わせられないことを、確信してしまった。
つまり、これ以上訓練しても、まるっきり無駄だと、本能が悟ってしまった。今までもこれからも、彼女の存在理由が瓦解した。
そんな折れた心に忍び込むのは簡単だった。私が杖になってあげればいい。足が折れたなら足に、手が折れたなら手に、心が折れたなら心に、私が代わりになってあげればいい。
強者になれないのなら、弱者の道を示してあげればいい。
男性になれないのだから、女性にしてあげればいい。
彼女の穴に、私は入り込んだ。喪った数多を埋める様に、新しい彼女をあげるように。そして、内面から、外側から、ぐちゃぐちゃにしてあげたの。
きゃんきゃんと泣いて、でも最後にはとろとろになっていて、とっても可愛かった。
「ええ、そうね。心も体も滅茶苦茶になっちゃったから、もう彼女は元には戻れない。私から離れられない。ロウファは私を愛してくれる。だから、あの子のすべては私のもの」
「つまり、Bクラスは牛耳ったも同じこと。ロウファ・カインベルトは求心力の高い、リーダーだったもんね。これでマリアは、Cクラスと、Bクラスを手に入れたわけだ」
「ふふ、なるほど」
イヴァンの言っていることがわかった。
Cクラスの皆の中には私がいて、ロウファを足掛かりにBクラスの中にも私が増えていって。私は、だんだんと、周りを自分のものにしていく。
じゃあ、次は?
「どうする?」
イヴァンの問いかけに、私は首を横に振った。
「別にほしくないもの。どうもしないわ」
「そう言うと思った。マリアは肩書とかはどうでもいいもんね。”肩書”とかは、ね」
強調して微笑んでくるイヴァン。
私のことをよくわかってる。
嬉しい。
「そうね。肩書とかはどうでもいい。どうでもいいけれど、デリカはほしいわね」
Aクラスはどうでもいい。全クラスを私のものにしても、同級生の中で一番になっても、私はそこに魅力を感じない。そんなくだらないもの、欲しい人が持っていけばいい。
ただ、あの小動物みたいな彼女は私のものにしたい。私で心も体もいっぱいにしたい。
嫌いな相手と定義しているアースの怒った顔も見られるし、一石二鳥だしね。
ほしい。
そう思ったら、行動するのみ。
「そしてそれを実行するなら、この騒ぎを利用しない手はないわよね」
せっかく誰でも介入できるような、面白い状況になっているんだもの。
ロウファが落ちたことにより混乱するBクラス。ここぞとばかりに威張り散らすAクラス。
二つの勢力に対立の図はすでに組みあがっている。つまり、何をしようが、犯人の姿さえ見えない限り、お互いはお互いを目の敵にするだけ。
「――さて、イヴァン、シクロ。これからどうするか決めたわ。手伝ってくれる?」
◆
「デリカ様はどこ?」
朝。登校を終えて、席について、授業の前の歓談後。
朝会になってようやく、誰かがぽつりとつぶやいた。
Aクラスの教室内。誰も答えることはできなかった。
ただ、誰もが事の重大さをまだ理解していない時の話であった。
◇
デリカ・アッシュベインの姿が掻き消えた事は、学院の中で大問題になった。
とある日の放課後から彼女の姿を見た者がいなくて、最後に目撃された日からすでに三日が経過していた。
私は廊下を歩きながら、ざわめく人たちの会話を盗み聞く。
「どこにもいない」「もう三日も経つぞ」「そろそろ本当に生死にかかわってくる」「Bクラスの人間が昨日見たって」「なんで、どこで。Bクラスの人間が隠しているんじゃないのか。最近Aクラスとまた衝突していた」「Bクラスの人間に話を聞きに行こう」「そもそもいつも一緒にいた取り巻きの四人はなんて言ってるの」「知らぬ存ぜぬだね。最近はあまり一緒にいなくなっていたし」「じゃあ責任はあの子たちにあるの? 護衛も兼ねていたんでしょう?」「責任と言えば、教員方。噂だと、この事実をまだアッシュベイン家に伝えていないそうよ」「生徒にも戒厳令が敷かれてるし、隠ぺいするつもりかしらね」「もしも外部の犯行だとすれば、イーリス女学院の存続にも関わるわ」「覚醒遺伝持ちの人間が処刑前に逃げたじゃない。それが関係してるの?」「もしも、もしも、デリカ様が死体で見つかったら」「護衛の職を怠った取り巻きは下手したら極刑。教員も厳罰、Aクラスの子らも罪に問われるかも。相手は公爵家よ」「……それを見越したBクラスの仕業だったりして。Aクラスの子の親が失墜すれば、繰り上がるもの」「あるかも」
欺瞞、胡乱、疑惑。
ぐわんぐわんと、皆の頭の唸り声が聞こえる。
誰も、霧の中に消えた公爵令嬢の姿を掴むことができていない。
実情が掴めない以上、人は噂に頼るしかない。朝もやのように頼りない世迷い事に耳を傾けるしかできない。
人の中にあるもの。くだらない肩書、身分、矜持。それらによって発生する責任という思い枷は、処罰という痛みは、人を凶暴化させる。人を、狂わせていく。
ああ、知らなかった。人の狂気は、連鎖していくのだ。
AクラスはBクラスの子に詰め寄っていく。知らないと言うしかないBクラス。でも、Aクラスの子はBクラスのせいにするしか生きる道はない。それがわかっているから、Bクラスも反発する。
互いに責任を擦り付け合う、地獄絵図。教員も止めることはできない。誰もが、責任の担い手が現れるのを待って、下を向いてしまう。
喧嘩、殴り合い、戦争。
溝は深まっていって、最終的には暴力となる。
Aクラスの子がBクラスの子を突き飛ばして、剣術に長けたBクラスの子が反撃してAクラスの子が怪我をして、Aクラスの子が魔術を使ってBクラスの子が大けがをして、その魔術の子をBクラスの子が袋叩きにして重症になって――
混乱、困惑、絶望。
学院という箱庭は、ぐちゃぐちゃになっていく。
誰もかれもが疑心暗鬼になって、自己保身に走って。関係ない子たちは対岸の火事を気取るしかなくて。物事は一向に前に進まない。
誰も解決できない、最悪な状況。
このまま噂が広がっていけば、いずれは上に知られてしまう。そうなれば、誰が処罰される? 誰の首が飛ぶ? そもそも、デリカは本当に生きているのだろうか。死体を誰が発見したいなんて思う? 第一発見者になんか、なりたくないわよね。だから、本気で探しもしない。
不安と恐怖のブラックボックス。誰もが目を逸らしているのだから、解決するわけもない。
知ってる。
私は知ってる。
物事が大きいほど、怖いほど、人はそこから逃げたがる。
絶対に解決しないといけないのに、解決しようと動くと当事者になって、責任が生まれてしまう。そうなると、死地に近づいてしまう。
矛盾にも似た不具合。全員早く解決したいはずなのに、その歩みは死者のように遅い。
時間が経つごとに大きくなる爆弾。誰も、鎮火のさせ方を知らない。
私以外は。
三日が過ぎた後の、放課後。
私は自室に戻って、そこにいる少女に笑顔を作った。
「どう、デリカ。元気?」
金髪金眼の少女はつまらなそうに本を読んでいたが、私の顔を見ると花が咲くように笑顔になった。
「遅いよ、マリア。ずっとここにいて、本当に退屈なんだから」
「ごめんなさい。やっぱり外はまだごたついていてね」
「確かにばたばたしてるみたい。廊下を慌ただしく走る音がよく聞こえるもん。やっぱりまだここに、あいつらがいるんだ……」
不安そうに眉を寄せるデリカ。
「ええ。”デリカも見た通り”、”半年前の事件の首謀者が、この学院に潜伏しているのよ”。だからこうしてデリカは安全なところにいたほうがいいの。この前だって、狙われていたのはデリカだしね。イヴァンかシクロか私が、しっかり守ってあげるから」
今日の当番になっていたイヴァンに視線を投げると、首肯が返ってきた。
デリカはぶるりと体を震わせた。
「うん、本当に怖かった……。あの竜人、逃げ出した後、まだこのあたりにいたんだね。三日前に見た時に、隣にマリアがいてよかったよ。そうじゃなかったらもう殺されてたかも……」
「そうみたいね。でも、安心して。私たちは彼女たちを追い払った過去があるから、彼女たちも手は出せないはずよ」
「そうだよね。学校にいたら、どさくさに紛れることもあるし、その、……また裏切られるかもだし」
唇を尖らせるデリカ。
そうよ。
現に学院の連中は、貴方を本気で探していないの。どうやったら自分が被害者になることができるか、責任を回避できるか、考えているだけ。あの時から何も成長してはいない。
私はこんなにも人を操れるように成長したというのに。
「ふふ。そのせいで学院も今はばたついているけど、貴方は心配しないでね。貴方を呼ぶ声がしても、返事なんかしないように。また、一人だけ生贄にされてしまうかもしれないから。敵は私たちがすぐに見つけてまた成敗してあげるからね」
「うん。わかった。信用できるのは友達のマリアだけだもの」
にこっと、笑いかけてくれる可愛い子。
嬉しい。
デリカは私に全幅の信頼を置いてくれている。
ああ、嬉しい。これって、愛だものね。
◇
「ごめんなさいね、エリー。こんなところにいてもらっちゃって」
私は学院に備え付けられている森の中に入って声を出した。
真夜中。四方八方が鬱蒼とした木々の中。誰も聞いていないような静謐の中で。
私の声に反応して、葉っぱが揺れた。揺れて、葉ではなく一つの影が目の前に落ちてくる。
「いいえ。私のことなど構わなくて問題ありません。マリア様の思う通りになっているのなら、それが私の喜びですから」
赤髪に灼眼の、可愛い少女。
エリクシアは私の前で恭しく首を垂れた。
「今、私の部屋にはデリカがいるから、貴方が戻ってきちゃうと話がこんがらがっちゃうのよね。それもそれで楽しそうだけど、デリカにはロウファとは違った形で落ちてもらいたいし」
裏切り。手のひら返し。
ロウファの時に使ったこの方法は、人の矜持を折るのには効果的。でも、人の心が激しい音を立てて折れてしまうから、少し怖い。
今度は、薬品に漬けるようにしていきたい。溶解性の液体の中に入れ込む様に。どろどろと本人も気が付かないうちに、飲み込んだ内側から、触れた外側から、じわじわと溶かしていく。
楽しみ。
「では、良かったのですね。あのタイミングで彼女の前に姿を見せて」
「ええ。満点よ。予想以上にデリカは怖がって、私にしがみついてきたわ」
彼女にとって、今や周りは全部敵。
命が狙われる状況下にいるともなれば、心で信じ、力のある私にすがりつくのは当然。
後は、じっくりことこと煮込むだけ。
「というわけで、もう少しだけここにいてくれる? 終わったらすぐに迎えに来るわ。また部屋で一緒に寝ましょうね」
「構いません。マリア様が楽しければ、それでいいのです」
にっこりとほほ笑むエリクシア。
カワイイ。
そんな顔されたら、止まれなくなっちゃう。
「外でってのも、刺激的よね」
私はエリクシアの口を塞いで、そのまま押し倒した。