3-3
二年生になっても、私の日常が変わることはない。
作法、歴史、運動、魔術。人間として成長するための多くの授業を受けて、自由時間にはロウファと武芸の訓練をしたり、デリカとお茶を飲んだりする。
他にも、アルコと魔術の練習をしたり、レインと商売の話をしたり、クリスと調査に出かけたり、アネットと護衛術を学んだり、テータと学院の内情を確認したり、エイフルのリハビリに付き合ったり。
やること、やりたいことが、いっぱい。
毎日が充実して、楽しい。
こんな日々が、私の求めていたものなのかもしれない。
今日はロウファと剣を混じ合わせていた。
木刀と木刀とが互いを弾かせ合う武骨な音と息を吐く音だけが響く、厳かな訓練場。
何度か打ち合った後、私はロウファの一撃を受け止めて、いなした。彼女のバランスが崩れたところは見逃さない。私の刀が彼女の首を軽く叩いた。
「……負け、か」
ロウファはため息をついて、木刀を支えにその場にうずくまった。
私は木刀を蹴り上げて、足のつま先の上に乗せる。ぴたりと宙に固定されたようにその場に留まる刀。私はバランス感覚、体幹も優れているらしい。
「でも、惜しかったわ。ひとつ前の攻撃が上段からじゃなければ、私も危なかったかも」
「そう? 少し直線的だったかな。……マリアまでのあと一歩が遠いな」
唇を噛む麗人。
スカートではなくズボンを履いている彼女は、少女であって、同時に少年らしくもあった。少女にしては高い身長は疑似的に異性を彷彿とさせ、短い赤髪が風に揺れるところはカッコよく、下級生の少女たちの注目の的らしい。確かに、汗で髪を張り付かせている彼女はとっても魅力的。
彼女は中性的な顔から、高い声を出す。
「マリアから見てはどう? 僕の剣は最初と比べて速く、強くなっているかな?」
「ええ、貴方の剣は段々と良くなってるわ。この半年、一緒に訓練した成果が出てる」
「良かった。マリアはどう? 僕と一緒に訓練するメリットはある?」
「ないわけないじゃない。私だって大したことない我流の剣だし、綺麗な剣のロウファと打ち合えることはとってもためになってるわ」
「そう言ってもらえると良かったよ」
爽やかな笑み。
その笑顔は皆の言う通り、どこか少女から離れたような色をしていて、私の胸を高鳴らせる。
他の子にはない魅力にぞくぞくする。
私は遊ばせていた木刀を自身の手に握って、ロウファの顔を覗く。
「でも、私はね、少し意外だとも思うのよ。ロウファって最初会った時は、身分だの派閥だのに拘っていたから。Cクラスで身分も碌にない私なんて存在、気にしないものだと思ってた」
「初対面のことは忘れてくれると嬉しいな。ただ、自分の見識が狭いと思い知っただけさ」
ロウファはどこか遠くの方を見やった。
その瞳には、過去が映りこむ。
「僕の兄の剣は、敵に届きはしなかった。一緒に訓練をして、同じ道を辿っていて、僕よりも前を歩いていた兄は、簡単に死んでしまった……。兄よりも弱かった僕は、同じ状況になったら兄よりも簡単に死ぬだろう。このままじゃいけないと思っただけだ。必要なのは、貪欲さ。敵と戦った後、マリアはこうして生きていて、兄は死んでいる。どっちを目標にするかは明らかだ。僕の中の選択肢を増やしたかった」
ロウファは毅然として私を見つめる。そこに家族を亡くして泣き叫んでいた少女の面影はもう存在しない。
熱くて強い瞳。綺麗ね。
「素敵ね。過去の自分を捨てて前を向くのは、誰にもできることではないわ」
「ありがとう。でも、派閥の話を捨てたつもりもないんだ。今でも君には将来的に僕の傘下に入ってほしいと思ってるよ。あの事件を経て、Cクラスは当然として、君の価値も変わったからね。デリカ嬢も最近君と仲がいいんだろう? 彼女に勝つためにも、唾をつけておかないとね」
打算のついた流し目。試すように、楽しむ様に、私を見る。
デリカにそんな打算はないと思うけれど、確かに外野から見ればそう見えるのだろう。覚醒遺伝持ちの人間と負けず劣らない私を今のうちに囲っておいて、将来的には部下に引き入れる。護衛でも部下にでも、強い人間は引く手数多。
最近考え出した私の将来、それでもいいかもしれない。
誰かの下で働く。
この強さを売りものにしていく。
少なくともデリカやロウファとずっと一緒にいられるという環境は、悪くはないものだし。
「ちなみに僕の下につくというのなら、好待遇を約束しよう。僕が与えられる望むものをあげるよ。例えば、僕が騎士団の長を継いだ後の副団長の地位はどうだい?」
それも楽しそう。私の強さという個性は、そういったところで輝くものだし。
ロウファは自信満々に言う。
けれど、堂々と口にする裏に、いくらかの不安が見て取れた。私の目は、その揺らぎを捉えた。
「ロウファは不安なの?」
「……は?」
「騎士団を継ぐと言った時、言葉が揺れたわ。何か思うところでもあるの? 騎士団を継ぐ。そんな簡単にできるものなの?」
首を傾げて尋ねると、ロウファは顔をひきつらせた後、諦めたように笑った。
「なんだ、マリア。君は鋭いな。それとも、僕はそんなに考えが顔に出やすいのかな」
「いいえ。貴方の問題じゃないわ。私と貴方は最近よく一緒にいるでしょう? 私はずっと貴方の顔を見てきたから、だから、わかったの」
「……まあ、思うことがないこともない。僕は所詮、女だしね」
彼女は自身の胸に手を当てた。年相応に膨らんできた、女性特有の部位を。そして、細く白い腕を優しく撫でていく。
「僕は女だから、男性と比べて筋肉もつきにくい。剣を振る速度だって、思い描く理想とはかけ離れている。将来追いつけると思っていた兄の背中が、歳を経るごとにどんどん遠くなっていると感じてるんだ」
男と女。生まれ持った性別は変えられないし、自分ではどうしようもない。十四の歳の私たちは、諦めて受け入れて、ただ流れに身を任せるしかない。
もしかして、それが私が特別な理由なのかしら。それだけが理由なら、話は簡単でいいんだけど。
「ロウファは男の子になりたかったの?」
「できればね。父の期待に応えられるのは、男の方だし」
「でも、男の子だったら、そんなに可愛いロウファにはなれなかったのよ」
凛々しい顔つきのロウファ。
でも、時折見せる女性的な仕草は心を揺さぶるし、甘い汗のにおいは鼻腔をくすぐっていく。男の子だったら、それはそれでいいのかもしれないけれど、少なくとも今私の目の前のロウファはいなかった。
「女の子でもいいと思うわ。少なくとも、私は女の子の貴方が好きよ」
「はは。ありがとう。僕もマリアは好きだよ」
「ふふ、嬉しい」
本気にしちゃうけど、いいの?
水面に起こる、波紋のように。その疑問は、私の中に投下された。
男の子と、女の子。
私は今までどっちが良かったなどと考えたことはなかった。
ロウファは強くなりたいから、男の子になりたい。でも、私は男の大人をぼこぼこにできるくらいには強い。つまり、男の子になるメリットはない? 柔らかくてふにふにしている女の子は好き。女学院に入れたから、私は女の子でよかった?
でも、男の子のことをあまり知らないのにそうやって決めつけるのは早計? アース、グランと知っている男の子のことを想像するけれど、よくわからない。抱き着きたいのは、やっぱり女の子の方。
答えは簡単には出てこない。
でも、畢竟。
私は今の私の環境自体には満足している。女の子として女の子と一緒に日々を過ごすことが、楽しい。
ただ、人間の女の子だと断言することもできない私、何もわからない私自身が少しもやもやするだけで。
私はかぶりを振って、結論を口にする。
「女の子のまま、強くなればいいじゃない。私だって女の子でしょう?」
「そうだね。なれれば、だけど。……僕にも、マリアくらいの力があれば、そうやって胸を張れたんだけどね」
ロウファは悲痛な面持ちで俯いてしまう。
ああ、可愛い。
ギャップ、というやつ? 最近覚えたの。
普段凛々しくて、誰からも頼りにされている彼女が、不安を吐露している。男の子の混じった少女が、ただの弱弱しい女の子になってしまっている。彼女が自分の内面を伝えられるのは、私だけ。そう思うと、脳が桃色になっちゃう。
むしゃぶりつきたいくらいに、かわいらしい。
でも、まだ駄目。
私は知っているの。物事にはタイミングがあって、それにそぐわないと完璧は得られないってことを。我慢がとても大事だということを。綺麗な愛情は、ワタシだけがその瞳に映ったときに、とっておく。
「ロウファならなれるわよ。だからほら、一緒に頑張りましょう?」
木刀を構えると、ロウファは自身の頬を叩いて、顔を上げた。
「ああ。マリアを副団長にしないといけないしね」
「ふふ、それも素敵ね」
◇
「マリアとお茶会。友達とお茶会♪」
目に見えてうきうきしているデリカ。ごろごろと鳴く子猫みたい。
学校にはいくつかのティールームがあって、予約すれば借りられる。淑女として、作法や礼儀を学ぶための部屋だ。
そこで私とデリカはお茶の置かれたテーブルを挟んで向かい合って、侍従の淹れてくれた紅茶を飲んでいる。
二人きり。
邪魔のない空間。
「ようやくマリアと一緒にお話しできる」
「最近一緒にいられなかったものね。私も嬉しいわ」
「うん、嬉しい。マリアはいっつも他の子と一緒にいるんだもん。少し妬けちゃう」
拗ねた顔を紅茶のカップで隠す仕草も可愛い。デリカの公爵令嬢という肩書を忘れちゃいそうになる。でもこんなことを思いつつ、最初から私の頭の中にその肩書きはほとんどないけれど。
彼女は、ただのデリカ。それ以上でもそれ以下でもない。
だから私は、デリカの傍にいられるの。
「それは貴方も一緒じゃない。いつも一緒にいる四人はどうしたの?」
「追っ払ったわ。あれは友達じゃないし」
つまらなそうに眉を寄せる。
デリカは半年前のあの事件以降、取り巻きの四人に塩対応だ。デリカ曰く、四人と一緒にトイレに行ったのに、その場に置いて行かれたということだ。自分を置き去りにして逃げ出したのだから、信用を失って当然よね。
たとえデリカを狙っている敵が、わざと大声を出してそこを通り過ぎたとしても。トイレの近場が怪しいと誰かが無意味な密告をしていたとしても。行動に移したのは、彼女たちだもんね。
恐らく親から近づいておくように厳命されているのだろう、デリカから杜撰な扱いを受けてもめげずに静々とついていくしかできない環境には少し同情する。
少しだけね。因果応報だもの。
逃げた彼女たちと、助けた私。天秤がどっちに傾くかなんて、眼を閉じていてもわかる。
「あの子たちがデリカのことを裏切っても、友達を思っていなくても、貴方には私がいるもの。寂しくはないわよね」
私が笑いかけると、笑顔が返ってくる。
「うん。私たちは友達だものね。一生の友達」
心底嬉しそう。そんな顔をされたら、私も嬉しくなってしまう。過去の自分に賛辞を送ってしまう。
「でもね、だから少しマリアに言いたいことがあるんだけど」
「なにかしら?」
「わがままかもしれないけど、我慢できなくて。あんまり、ロウファ・カインベルトと仲良くしてほしくはないかも……」
唇を尖らせる小動物。
脳がきゅん、と音を立てる。
「どうして?」
「……だって、ロウファは私のこと嫌ってるでしょう? お高くとまってる貴族だとか、堕落した尻を乗せた椅子を空けてもらうだとか、入学式の時に散々言われたもの。そんな子と、マリアが仲良くしているのを見ると、寂しくなる」
怯える様に肩を落としてしまう。
確かに、一年前のロウファなら言いそうだ。
「ロウファはそんなこと思ってないわよ。入学したばかりの時は慣れない環境に少しぴりぴりしていただけじゃない? 彼女は最近それどころじゃなさそうだし」
揺れている心。どっちに倒れるかわからない不安定な状態。倒れたところで、私が優しく抱きとめてあげましょう。
「そうなの? でも、他の子たちから見たら、私とロウファは敵対してるんだよね。どっちが同級生を牛耳るか、まとめ役になるか、って」
デリカがそれを気にするのは意外だったが、周りにはそういった与太話が大好きな取り巻きがいる。感化されてしまったみたい。
誰が同い年の中で旗頭になるかなんて、私からすればどうでもいいこと。
でも。
皆が気にしていることなら、利用しない手はないわよね。人の目が集まるところにこそ、私の唯一無二の価値が存在するんだから。
状況すら食い尽くす化け物。それが私だもの。
「……マリアは私とロウファ、どっちがいい? どっちが好き?」
小さな瞳が訴えかけてくる。
私はデリカに即答した。
「勿論、デリカよ」
「ほ、本当?」
「当たり前じゃない。私たちは、親友だものね」
嬉しそうにはしゃくデリカ。心は喜色でいっぱいいっぱい。
後で私がロウファと仲良く歩いているところを見せれば、この子はどう思うのだろう。
嘘をつかれたと絶望するのだろうか。許せないと憤慨するのだろうか。裏切られたと哀しむのだろうか。振り向かせたいと奮闘するのだろうか。私だけを一心に見つめてくれるようになるのだろうか。
恐らく、全部。
デリカは自己肯定感の低い、人生経験の浅い女の子。
中身の少ない器。今、その器の中身は私の占める割合が多い。
だから、色んな私を注いであげる。赤くて青くて黒くて白くて、さっぱりしてねちょねちょした私を。
私は、そんな私を飲み込んだ貴方がどうなるのかが、見たいの。