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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
二章 学生二年目
43/142

3-2













 ◆



 今年イーリス女学院に入学した新入生は、とある噂を聞いた。

 先輩には逆らってはいけない人が二人いる、と。


 一人目は【灰の女王】。

 王家の脇を固める三つの公爵家、そのうちの【刃】を司るグレイストーン家の令嬢。

 バレンシア・グレイストーン。

 その性格の獅子のごとき苛烈さ、ハイエナのごとき狡猾さ、蛇のごとき粘着性は、一度でも彼女に近づいたことのある人間なら痛いほど理解している。数々の人間を悪びれもせずに足蹴にしてきた様は、学院内でも恐怖と畏怖を巻き起こしていた。

 最上級生の彼女の名前を聞いた新入生は、さもありなんと頭を抱えた。少なくとも一年間は彼女の目に留まらないように、大人しくしていないと。


 だが、もう一人?

 その人物が思い至らない。

 デリカ・アッシュベインは確かにバレンシアと同じ公爵家の人間だが、その人間性に問題があるという話は聞かない。

 ロウファ・カインベルトのカインベルト家は、半年前の大事件の責任で格を落としたが、だからといっておかしくなったわけではない。

 他にバレンシアに並ぶ女性がいただろうかと、聞いたばかりのその人物の特徴を思い浮かべる。


 ――曰く、


 優秀な騎士であり、

 天才魔術師であり、

 薄幸の美女であり、

 薄情な商人であり――


 曰く、曰く、曰く。


 彼女に与えられた称号は、呼び名は、枚挙に暇がなく、どれが本当の姿が判別がつかない。まさかどれも当てはまるような人間ではないだろうし……。

 様々な噂話と憶測に隠されたその存在。

 名を、マリアと言うその庶民。


 しかし、バレンシアより質が悪いわけもないだろう、極悪の影に名前は薄れていった。



 ◇



 新顔の少女たちは視線の先で姦しい声を上げている。

 入学式が終わった後の、日常の一幕。昼休みの食堂にて、私がいつものように皆とご飯を食べている最中の話。集まった十数人の集団は、楽しそうにご飯を囲んでいた。

 私たちより一年遅れで制服に袖を通した少女たちは、はた目から見ても幼くて小さくて可愛らしい。反面、私たちは女性らしい凹凸のある体つきへと変化している。こんなことを考えるなんて、私も少しずつ大人に近づいているのだろうか。


「きゃあきゃあとうるさいですね……。黙らせましょうか」


 シクロは私と同じ方向を見て、野蛮なことを言う。


「可愛らしくていいじゃない。私たちだって一年前はああだったでしょう?」


 一年。

 ここに来て、一年が経った。長いようで短い時間だった。


 ”私”を探し求めてやってきた学院。予想以上にこの場所は楽しくて、私の知らない日常、私の知らない課外授業、私の知らない世界の常識、――数多を知っていくことができた。うっとりするくらい、濃厚な時間だった。

 一年間、色んな人に色んな視線を向けられて、私は色んなものになれた気がする。

 他の人に映る私は、多種多様な私。優秀で天才で美少女で、同時に、薄情で冷酷で暴力的。

 人によって評価は様々で、一緒になることはない。それはつまり、いっぱい、ワタシがいるということ。


 良かった。

 私は、何もないわけじゃない。

 マリアは、確かにここに、皆の中にいる。


 ほっとして息をつく。


「……にしても、いやに視線を感じるわね」


 私がちらと新入生の方に視線を投げると、いくつかの目が逸れていった。逆に言えば、それまではじっと見つめていたことになる。


「噂のせいだと思うよ」


 紅茶に口をつけて、イヴァンが言う。


「噂?」

「イーリス女学院を牛耳る、二人の噂」


 牛耳る? 二人?

 確かに私の耳は良くって、人の話がよく聞こえる。でも、真偽のはっきりしない話は好きじゃない。脳は余分な情報を削っていたみたい。


 イヴァンに先を促すと、彼女はその白磁の様な指を折った。


「一人は、バレンシア・グレイストーン。流石にマリアも知ってると思うけど、一個上で一番有名な先輩。公爵家の令嬢で、なかなか苛烈な人みたい。別名、灰の女王。三年生を牛耳ってるの」

「へえ。で、もう一人が?」

「マリアだって」


 頬が無意識に引くついた。

 三年生のバレンシアとはほとんど絡みはないけれど、同じ学院内、見かけたことが何度かある。


 自分の脚を地面につけない王女様。


 彼女にとって足とは他の生徒で、椅子も、机も、ひどい状況だと、便器も筆記用具すら他人が担っている。初めて気味の悪い存在だと思った人。

 女王と言う綽名がしっくりくる悪女。

 それと私が同じ?


「……それは、その、光栄ね」


 そんな人と同列に扱われるのは、流石に嫌。私は皆に優しく接してきたと思うんだけど。


「無理して笑わなくていいって。新入生の中では、マリアとバレンシアが同等の厄介さってわけじゃなくて、どうも有名の度合いで語られてるみたいだし」

「それならいいけれど……」


 不承不承に頷く。


「嫌であるのなら、命令するといい」


 同じテーブルに座っているエイフルが鼻を鳴らした。左の義手を折り曲げ、楽しそうに私を見る。


「その噂話の根元を根絶しろと、一言命令してくれればいい。この私がマリアのために、かくあるべしを体現しよう」


 くつくつと笑う様は綺麗だ。命令したら一直線に集団のところにいって、テーブルを砕くくらいはしそうだ。


「そうだ。マリアが嫌なことなら、私だって嫌だし。協力するぞ」


 アネットも続く。拳を合わせて好戦的に笑む。


「そうよ。マリアに反旗を翻す者は、全員、ぜ、っ。ぜ……」


 アルコは言葉に詰まった後、一度頭をこんと軽く叩き、


「全員、吹き飛ばせばいいのよ。天才な私たちに対しての不敬だわ!」


 じいっと私を見つめる三つの視線。

 熱く、黒く、ねちっこい。

 気持ちいい。


「ありがとう、でも、大丈夫。気にしてないわ」


 私が言うと、三人とも「マリアが言うなら」と矛を収めてくれた。


「でも、どうして私がそんな危ない人だと思われているのかしら」


 首を捻る。

 イヴァンが「ああ、それは」と言いかけたところで、背後から何者かに抱き着かれた。


「まーりあ!」


 小さい手が見える。甘い匂いが鼻腔をくすぐる。


「どうしたの、デリカ」


 振り返ると、デリカが満面の笑みでそこにいた。その後ろには、苦虫を噛み潰したかのような顔の、取り巻き四人。


「マリアが見えたから来たのよ。ねえ、一緒にご飯を食べましょう?」


 可愛らしく手を合わせる金色の少女。

 でも私の身体の前の皿には何も乗っていない。


「残念だけど、もう食べ終えてしまったの。今日はCクラスの方が授業が終わるのが早かったのね」

「……えー。そう、そうなの」目に見えての消沈。「最近全然一緒にご飯できてないじゃない。私たち、友達なのに。親友なのに、お話もあまりできてない。……私もCクラスに移ろうかな……」

「だ、ダメですよ」「そ、そうです。アッシュベイン様がなんと言うか」「考え直してください」

「うるさい。あんたたちに意見は聞いてない」


 取り巻きの助言を一蹴して、デリカの顔は再び私の方に。


「ねえ、マリアはどう思う? 私と一緒のクラスになりたくない? そうよ、貴方がAクラスに来ればいいんだわ。私が手続きしておいてあげる」


 きらきらな目。穢れを知らない純朴。

 私は再び首を横に振った。


「ごめんなさい。貴方と一緒に学べるのは嬉しいけれど、私に身分はないから。それに、毎日会うよりも、こうして時折会った方がその分嬉しいという事もあるのよ。時間が合えば、またご飯を食べましょう?」

「……私はいつでも会いたいけど、マリアが言うのなら」


 垂れてしまった尻尾が見えるよう。子犬の様な従順さと、可愛らしさ。

 意見を覆されて可哀想なデリカ。でも、抜け道はあるのよ。


 貴方が、堕ちればいいの。身分を剥いで、私と同じ身分まで落下すればいいのよ。そうすれば、貴方は私と一緒。否、一緒にいなければいなくなる。離れるという選択肢が消え失せる。

 最後の一押しは、そのうちに。

 まだ誰の色にも染まっていない無垢な宝石。私の色で、ぐちゃぐちゃに塗ってあげる。


 とぼとぼと他の席に向かっていくデリカを見送ると、今度は赤髪の麗人がやってきた。


「マリア。今、少しいいかい?」

「ロウファ。食後のティータイム中だから、問題ないわ」


 Bクラスのまとめ役、ロウファ・カインベルトは腰に手を当てて私を見つめる。


「良かった。今日もこの後、手合わせを願ってもいいかい? やはり自分よりも少し上の相手と戦えるのは、ためになる。僕の力が日に日に伸びているのが実感できるんだ」

「ふふ。私も色々とためにさせてもらってるし、いいわよ。じゃあ自由時間に訓練場で」

「ああ。嬉しいよ。今日こそは負かしてやろう」


 快活な微笑みを残して、ロウファは手を振って去っていった。


「……何を言ってるんですか、あの女」


 眉を寄せたのはシクロだった。


「マリアが少し上の相手? 負かしてやるって? 調子に乗るのも大概にしてほしいですよ。本当のマリアは貴方など地を這う蟻も同然なのに」

「シクロ。いいの。私は嘘をついていないわ。本当に私のためになるから、相手にしてもらっているだけ」


 ロウファは確かに言うだけあって、このイーリス女学院では武芸に富んだ方だ。そんな彼女と戦ってその姿を目に焼き付けることは、この世代の限界を知るに等しい。

 普通の少女の力が、どんなものか。どのくらいの力なら出しても違和感がないのか、それを確かめているの。


 そうすれば、私は人間に近づける。

 小は大にはなれない。でも、大は小を兼ねる。

 大きい器を小さく見せれば、私だって人間だもの。


 紅茶を啜ると、イヴァンが私の頬を突いてきた。


「わかった? マリア」

「へ?」

「マリアが目立っている理由」


 急にどうしたのだろう。


「何の話?」

「公爵令嬢デリカ・アッシュベインが尻尾を振ってあっちから寄ってきて、騎士の名家出のロウファ・カインベルトが好敵手と認めているんだよ。そんな庶民、周りからどう見える?」


 私はあまり気にしていないし、イーリス女学院の校風がそもそも自由だから忘れがちだけど、身分というものは大きい。上と下では、獅子と猫くらいの差がある。


 社会において、私は猫。可愛い小さい猫。

 それが最も大きい獅子とじゃれ合ってるのだから、皆首を捻っているのだろう。


 なるほど。

 そう考えたらとってもよく分かった。

 新入生たちは私がわかっていないから、困惑と共に見つめてくるのだ。

 まあ、どうでもいいけれど。

 どうしてもというのなら、教えてあげてもいいのよ。余すことなく、私のことを、ね。

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