2-24
学院まで戻ってきて、寮まであと少しのところで。
二人が最初に出会った学院内の湖の付近にて、私たちは向かい合う。
「こんばんわ、ミドル先生」
「ああ、こんばんは。今日も変わらずいい笑顔だな。それで、おまえはこんな夜中にどうして外を出歩いている? 夜間外出は禁止だったはずだぞ?」
「あら? そうでしたか? それは申し訳ありません。規則を見落としてしまいました」
「まったく、仕方のないやつだ。まあいい。御咎めはチャラにしてやる」
「いえ、罰は受けますよ。悪いことはいけないことですからね。反省文と謝罪で大丈夫?」
「いらないと言ってる。俺がここでおまえと向き合ってるのは、それがどうでもよくなるほどの別件だ。おまえだってわかってるだろう」
ミドルの眼が細められる。
「林間学校では見事に騙された。女優も真っ青な演技力だった」
「お褒めに預かり光栄です」
「……認めるのか? 演技だったと」
「褒められたから喜んだのですけど、何のことですか? よくわかりません」
とぼけてみる。
ミドルはそれは大きなため息を吐き出した。
「とんでもないやつだな。確かに、犯行の瞬間を見てなかったら俺も疑心暗鬼になってたよ。どちらにせよ、俺はこの一件ですべてを学んだ。おまえは、”見てはいけない”生物なんだってな」
見てはいけない生物?
新しい呼び方ね。
「どういうこと? 教えて?」
「あの事件以後、この一か月、おまえのことを本気で調べた。生まれから今迄を全部調べるために、王都から下町まで駆けずり回ったぜ。孤児院育ちのマリア。半年ほど前、王都の上層部が瓦解した。それが、不法な人身売買が原因だった。噂くらいは聞いていたが、まさかおまえがその、売られていた少女だとはな」
「懐かしいわね」
思い出す。
あの、私の価値が決定づけられた日を。
私が、一兆ドリムの女になった瞬間を。
「人身売買に参加していたやつらにも話を聞いた。全員、おまえのことをいまだに欲しがっていたよ。身分を失ってぼろを纏って人らしい生活すらできていないのに、まだおまえを買えると勘違いしている、落伍者だった。そんなやつらから逃げるために、おまえはここに来たってところか」
「当たりです。第二王子が必死に隠したはずなのに、暴くなんてすごいですね」
笑いかけたのに、褒めたのに。
ミドルの顔からは険が解けない。
「おまえは人の心を食い散らかす、怪物だ」
うるさい。
そんなことは知っている。
「一兆ドリムの傾国。過去おまえに狂わされた人間は枚挙に暇がなく、これからも増えていくだろう。俺は、おまえがこの先、国すらも傾けていくと予見している」
「大げさね」
「大げさなものか。現におまえは、国を動かす大事件を起こした。数多の死傷者を出したこの事件、覚醒遺伝持ちの人間の首領ってのも、おまえの隠された姿か? イヴァンとシクロもお仲間か?」
「それは違うけど。私は別にあの事件について、企画しても協力してもいないわ」
「またお得意の虚飾か? じゃあなんでやつらを逃がした? 計画が上手くいかなかったとみて、せめて半殺しにして逃がそうと考えたんじゃないのか?」
「ああ、見られていたの。でもね、私はたまたま、あの時彼らに初めて出会っただけ。逃がしたのは、勿体ないと思ったから。意味もなく死んじゃうなんて、可哀想だもの」
「嘘をつけ。あれだけ用意周到な寸劇を演じておいて。信じられるものか」
「くふふ」
本当のことなのに。
綺麗すぎて、隠れすぎて、私の真実すら信じてもらえない。
これでは虚飾と言うよりも、あやふや。
真実が嘘になって、嘘が真実になって、嘘が嘘のまま、真実は真実を認められない。
でも、貴方がどう考えようが、どっちでもいい。
真実という宝物は、私だけが持っていればいい。
「本当よ。ぜーんぶ、本当。そして、ぜーんぶ、嘘。さあ、本当を、見つけてみて」
ミドルの眉が寄る。
私が話すと、皆そんな顔をする。
私を理解しようと、出来事を理解しようと必死になる。
でも、どこかでおかしくなるの。わからなくなってしまう。脳が止まって、壊れて、考えをやめてしまうの。
じっと私を見れば、見てくれれば、わかることなのに。私の口から出ること、嘘と真実を見抜けるはずなのに。私から見た他の人の言葉と同じように、真偽の見極めは簡単のはず。
できないってことは、私のことをしっかり見ていないという事。
他人に対する理解が甘いという事。自分のことしか考えていないという事。
私は貴方たちのことを理解しているのに、なんで貴方たちは私を理解してくれないの。
それは、もはや怠慢で、罪に等しいと、私は思うんだけど。
だから、壊れてしまうのは自分自身の責任よ。
私は悪くないわ。
「……やはり、おまえと会話するのは、無駄みたいだ」
「どうして? もっと話しましょうよ。私ときちんと理解して。本質を確かめて、カタチを認めて。そうすれば、きっとすべてがわかるし、私も嬉しいわ」
考えた結果、エリクシアはすべてを私に委ねて歪んでしまい。
考えた結果、アースは悩んで慟哭の声をあげて怒りを深めて。
貴方は?
どうなるの?
私と出会って、私を知って、どんな姿を見せてくれるの?
さあ
オシエテオシエテオシエテオシエテオシエテオシエテオシエテオシエテオシエテオシエテオシエテオシエテオシエテオシエテ
「――もういい」
ミドルは私を見つめた。
敵として、排除する対象として。
「おまえは、道化師だ。ふらふらと動いて、戯れに人をいじくり倒して、自分だけが笑う害悪だ。これ以上の被害者を出さないために、ここで俺が鉄槌を下さないとな」
道化師。
道化を業とする人。道化のうまい人。ピエロ。
なるほど。
「確かに。しっくりと来るかも。ありがとう。教えてくれて」
私は、道化師でもある。
今回の出来事は、まさにそれだ。舞台の上にあがって人に真実と嘘を振りまいて、チップとして愛という対価をもらった。
正しい呼び方は、嬉しい。
「……おまえは、いや、」
ミドルは言い淀んで、口を閉じた。
「元魔術師団として、おまえを捕まえる」
ミドルは足元の土を蹴り込んだ。土がめくれ、宙に舞う。
「【流星】」
魔術の行使。
蹴り飛ばされた土は一瞬で固まって固形物となり、音の速度でもって私にとびかかってきた。
狙われたのは腹部。当たれば胃の中のものを吐き出して、もんどり却ってしまうかも。
それは嫌だったので、土の塊を手のひらで捕まえて、握りしめた。ぱらぱらと、土は細かくなって地面に帰った。
「これは土遊び? 私も好きよ」
「……」
唖然とするミドル。
私は、ミドルがやったように、足元を蹴り込んだ。飛び散る土。
「【流星】」
同じように、呟く。
すると土は塊となり、そのまま一直線にミドルに向かっていった。「っ、【凪】!」ミドルはその土塊に魔術を打つと、私と距離をとった。私の土は宙で砕けて消えていく。
ミドルは体勢を立て直すと再度構えた。
「【彗星】」
私の足元を指さしながら。
足元の土がぼこぼこと音を立てて、持ち上がっていく。その過程である程度固まってくると、さっきと同じように私向かってとびかかってくる、のを、「【凪】」の一言で霧散させる。
その魔術はぱらぱらと宙で崩れ落ちた。
「……」
「どうしてそんなに茫然としているの? 貴方が教えてくれたのよ、先生」
私は、よくものを見ているからね。
貴方たちと違って、真似っこが得意なの。
「……おまえは、なにもんだ」
「その台詞は、もう飽きた」
最近、何度も言われて、困惑されて、不安視されて。
私が何者か、それを教えてくれるのが、他人である貴方たちの仕事でしょう。
自分の姿は、鏡がないとわからないくらい、一番遠いものなのだから。
「貴方の引き出しは、もう空っぽなの?」
そうであったなら、ここで話す意味はもう一切ない。寮に戻って可愛い女の子たちと、楽しい時間を過ごした方が有意義。
私を知りえない人間に、興味はないの。
「【炎弾】」
指先に、炎を灯す。
アルコが教えてくれた炎の魔法。でも、彼女が教えてくれたものから、少し修正する。細く、密度を込める。一直線に目的を射抜くような、強力なものに姿を変える。
「【炎線】」
ビ、と紙を引き裂くような音がして、私の人差し指からそれが放出された。「【土壁】」とミドルは口にして、足元の土を隆起させて自身の前に生み出す。ミドルと私との間に生まれた壁はけれど、私の魔術によって簡単に貫かれた。
「ぐ、あああああああああああっ!!!」
炎線はミドルの左肩を射抜き、彼を絶叫させた。肩を押さえて私を睨んでくる。
「安心して。熱いからきっと傷口もすぐに塞がるわ」
「……化け物が」
「つまらないわ。それ、百万回聞いたから」
終わりね。
このまま炎線を何度か打って、気絶してもらいましょう。
「だがな。俺も、昔は化け物だなんて言われてたんだ」
この状況で、ミドルは笑う。
私の知らないミドル。化け物ってことは、私と同じってこと?
少しだけ興味が戻ってくる。
「悪いな、俺の”元”生徒。生け捕りは無理そうだ。ここで死んでくれ」
ミドルは両手を広げた。
最後に、どんなことをしてくれるのだろうか。
わくわく。
「おまえは死なないと駄目だ。俺がここで殺さないと、国が終わる。来世ではせめて、普通であってくれよ。
【天変地異】」
囁くように口にすると。
地面が、総じて、敵になった。そう、直感的に思った。
足元が揺れ、視界の端で土が生き物のようにうねりを上げ、棘になる。あるいは、鋭い爪に、牙の生えた獣の口のように、形を変えていく。
それらが凝固していく。外見は艶めいて、月明かりの下、金属のような光沢を持ち始める。強度もそれに近いのだろう。
大地より生まれ出でた数多の凶器が、一瞬のうちに私に狙いをつけたのがわかった。
「――」まずい。
距離をとろうと足に力を込める、その瞬間。
「【凪】」
ミドルの指先が私を捉えた。
体が硬直する。四肢が、動かせない。脳からの指示が遮断される。
あれ、これ、やばい。
ぶわっと血液が脳に駆け上がって、心臓が爆音を奏で始め、でも身体は動かなくて、脳がパニックを起こして、思考が飛んだ。
ここにいたのは、知らない私だった。初めて教えてもらった焦った私。なんて、それを喜ぶ余裕はなかった。
土でできた牙が爪が咢が、がちがちに凝り固まって、やってくる。私を殺そうと、やってくる。
私の胸中を焦燥感が占めた。
初めて知る死の味。それは、死にたくないと体を強張らせ、死の景色を見たくなくて目を閉じて、
味がしなかった。
ばき、ぐしゃ、ぐちゃ。
そんな効果音と共に、砕け散ってはじけ飛ぶ。
私に当たって、硬度の差でもって霧散していった。まるで、鉄に泥団子をぶつけたような、圧倒的差異があった。
鉄のような私と、土のままの土塊。
服が泥だらけになってしまった。
でも、それだけ。
私の皮膚は一切擦りきれず、私の肉は砕かれず、私の四肢は悠然と体から伸びている。
「……」「……」
二人して見つめ合う、奇妙な時間。
一周回って面白い。
「あはは」
何が起きているのかわからない。第三者の介入でもあったのかと思って待ってみても、何も起こらない。殺気のこもったミドルの魔術を、なんのことはない何もしていない私の身体が無効化しただけ。
私って
「おまえは、本当に、何者だ……」
死地すら何もせずに返してしまう、異常性。
流石に、これは、予定外過ぎる。
私は、顔が良くて頭が良くて運動神経が良くて――人と比べて際立った才能を持った、そういう人間だと思っていたけど。
違うの?
チガウノ?
じゃあ、本当に、なにもの?
ミドルは後ずさって、私に背を向けた。
私は反射的に、口にしていた。
「【天変地異】」
ミドルが行使した魔術を、同じように、私と同じ”化け物”と呼ばれた存在に向けて。
ほどなくしてミドルの足元が隆起して、彼を転ばせた。
同じように、土で作った爪が牙が咢が彼に襲い掛かる。彼は悲鳴を上げて、それに飲み込まれていった。赤い血が噴き出て、骨が折られて、四肢が切り取られて噛み砕かれて、数秒後には、真っ赤になって動かなくなった人間の姿がそこにはあった。
これが、私がなるはずだった姿だった。
「……」
近づいていって、顔を覗く。
閉じられた目は、私を映すことはない。死ぬことなく吐き出している浅い息は、かろうじて彼が保った化け物の片鱗。
ミドルは自分を化け物だと言っていた。
でも、決定的に、差とかそういう次元じゃないくらい、私とは違っていた。彼は魔術で瀕死になるくらいの、ただの弱い人間でした。
「ひひ、」
誰が笑っているのだろう。
この、底冷えするくらいの冷えた笑い声は、誰のもの?
いや、ナニのもの?
「なんで?」
頭を掻きむしる。
頭が痛くて、でも同時にぼうっとして、ワタシが保てなくなる。
「なんでんんでなんあんであなんであんだんで」
私は、なんでこんなに強いんだ。普通、怪我するはずなのに。死んでいたはずなのに。
わからないわからない。
生きていくたびに、未知が既知になって、私は色んな事を知っていく。
そう。そうだよ。
知っていっているはずなのに、なんでこんなにもまだわからないことが多いんですか。
一番大切な、自分のカタチもわからない。
私は
私が何で死ぬのかも、わからない。
それすらも、わからない。
「化け物」
最近、受け入れたその称号が、ひどく怖くなる。
「私は、やっぱり、人間じゃないの?」
認める。
認めよう。
認めます。
認めますから。
私は、人間になりたいんです。
人間がいいんです。
どうか、誰か私を、教えてください。
◇
翌日の学校に、ミドルの姿はなかった。
どうも、覚醒遺伝持ちの人間が脱走して、それと出くわして戦闘し負けてしまったらしい。
見るも無残な姿は再起不能で、介護なしでは生きていけないようだ。元魔術師団の精鋭は、皆から惜しまれつつも引退してしまった。
うわごとで私の名前をつぶやいているらしい。犯人が私だと錯乱していたらしい。
でも、残念ながら、私は犯行時間に、Cクラスの他の子と一緒にいたの。
全員がそう証言してくれたから、それは真実。
私の疑いは晴れて、また学院生活が始まった。
私は、また、笑うの。
笑う事しか、知らないからね。