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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
二章 学生一年目
40/142

2-23














 ◆


 その断頭台は冷たく聳え立っていた。

 過去、数多の罪人の血を吸ってきたギロチンは、今宵も人の血を求めてみしみしと不気味な音を立てていた。

 使用予定を翌日に控え王国の広場に設置されたそれは、人々に怨嗟と期待でもって迎えられている。一か月の間、怒りを憎しみを貯め続けた人々の感情が、発散される日を待ちわびていた。


 そこに置かれる予定の首は七つ。

 いずれも、大事件を引き起こした罪人。

 四十名ほどの兵士を惨殺し、未来の王国を担う少女たちの肉体、精神に傷を負わせた罪。兵士の家族、高位につく人間は当然、彼らに死でもっての償いを求めた。

 憎しみは同じ覚醒遺伝持ちの人間からも向けられた。王国内で今まで悪かった立場がさらに悪くなったと、批難が止まることはない。


 畢竟。

 広い王国内。

 誰も、その処刑に異を唱える者はいなかった。

 王国の中枢部に存在する法廷、そこでの判決は圧倒的多数の支持をもって、処刑となった。地下に幽閉された罪人たちすらも異議を唱えることはなかった。彼らもまた、衰弱しきってその日を待っている。


 牢屋の最奥に彼らはいた。

 覚醒遺伝持ちの彼らは、普通の人間よりも肉体の回復が早い。一か月もあれば、捕縛の際に与えられた大抵の怪我は治っていた。しかし、一か月間冷たい石に囲まれ続け、食事も碌に与えられない状況に置かれれば、肉体よりも先に精神が音を上げていた。

 当初は鉄格子の向こうから恫喝されて震えていた牢屋番も、今や安心して船をこげるくらいまでには静かな空間。

 耳を澄ませば、かろうじて息の音だけが聞こえてくる。


「……姫」


 個別の牢屋。頑丈な鉄格子の中で、一人の男が隣の部屋に押し込まれた、血族に竜を持つ少女に問いかけた。


「いかがしましょう」ルールスというその男は、牢屋番に聞こえない程度の小さな声で、「明日が約束の日となっております。このままですと、全員が首を落とすことになりますが」

「……」


 隣から答えはない。


「全員、焦燥しきっておりますが、かろうじて命は保っております。死に際に華を添えるくらいの働きはできましょう。可能であればせめて、貴方だけでも逃げてください。我々の悲願を、つなげてください」

「……」

「姫。貴方が本気を出せば、このくらいの鉄格子、簡単に砕けるはずです。貴方は原初の中でも最強格の竜の血を引いているのです。このまま雑種の餌になることを、看過するつもりですか」


 静寂、そして、


「……姫!」


 ルールスが少し語気を強めると、「ううううううううううううう」と唸り声が聞こえてきた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 小さな声で、神に祈りを捧げる様に。かつての強者はそこにはいなかった。今はただ、脆弱な子供のように震えているだけ。

 この一か月、何度も繰り返した会話。そして変わらない返答に、ルールスは嘆息するしかない。


「いくら言っても駄目だ。竜は殺されちまった」


 反対側から、男の声。スタッグという蛇獣という原初を先祖に持つ男。彼の声にもまた、諦念が含まれていた。


「終わりだよ、もう。俺たちは終わりだ」

「おまえまで諦めるな……ただ、確かに、姫が処刑前に治るという見込みは外れてしまったようだ。ここまで心を病むとは、とんでもないやつと出会ってしまったようだ。スタッグ、おまえは奴と姫との戦闘は見ていたか?」

「いんや。俺も気を失っていたからな。ただ、思い返しても勝てる気が一切しねえ。俺は腕と足を一本ずつ失ったしな。竜だっておまえも見た通り、捕まった時は全身の骨を折られ、致死の一歩手前だった。こうなるのも無理はねえ」

「……あいつは、なんだったんだ」

「知らねえよ。あいつに直接聞けよ」


 ため息は重なり、それきり話し声はなくなった。

 この中で最も強い存在がうずくまってしまっている現状、他に誰も動きようもなかった。

 全員が全員、手ひどく痛めつけられた。あるものは左手と右足を失い、あるものは全身の皮膚がただれ、あるものは瞳から光を失った。

 覚醒遺伝によって回復が早いといっても、人の枠組みから外れているわけではない。喪った四肢は戻らないし、折れた心は復元することもない。


 誰もが、自分たちは人間だったと思い知る、皮肉な結果。

 人間だから、どうしようもないと、明日の死を見つめる。

 罪人全員の描く未来が、死で重なったとき、


 ごとり、と、人の倒れる音がした。ルールスが顔を上げると、椅子に座っていた牢屋番が床に転がった音だった。寝たのかと思っていたが、彼が起き上がる様子はない。


 そして、その影から一人の人間が現れる。

 月の光すら届かない闇の中。

 灯りもない宵闇の世界。

 けれど金は輝いてそこに立っていた。


「こんばんわ、皆さん。約束通り、助けに来たわよ」


 全員が息を飲む中、エリクシアは誰よりも過敏にその声に反応した。膝にうずめていた顔を上げ、その少女を確認する。一か月前と変わらない笑顔で、そこに立っている、彼女を。


「……マリア、様」

「エリー。元気そうね。良かった」


 マリアは微笑んで、エリクシアに近づいていった。「ひっ」エリクシアは反射的に牢屋の奥に後ずさる。


 脳に過るのは、一か月前の戦闘。否、戦闘とも呼べない蹂躙。彼女こそが、今迄敗北の文字を知らなかったエリクシアに、敗北と恐怖と畏怖と絶望と、様々な負の感情を植え付けた張本人。

 がたがたと身体は勝手に震え、けれど、その目は逸らせなかった。

 マリアの笑顔が濃くなったのが、エリクシアにはわかった。


「エリー。どうして私から逃げるの? 私の事、忘れてしまったの?」


 その微笑みを見せられると、心臓がきゅっと痛くなる。脳が縄できゅっと締め付けられているような気分になる。


 けれど、何故だろうか。

 締め付けられて脳が動かなくなると、思考が止まる。そうすると同時に、じわっと、不思議なふわふわするような気分にもなるのだ。

 恐怖心が、ぼんやりと、薄れていく。夢心地の気分、酩酊、倒錯。


「い、いえ。忘れていません。マリア様」

「そう? 嬉しいわ。じゃあ、よく顔を見せて」


 エリクシアは恐る恐るマリアに近づいていく。

 手が届くくらいまで来ると、「うん、相変わらず可愛いわ」と、頭を撫でられた。


 猛獣の口の中に頭を突っ込んだような、そんな気持ちだった。

 でも、一度頭を差し出せば、後はどうでもよくなった。食われても仕方ないと脳が判断すると、危機感が麻痺して、快感が脳を走り抜ける。


「ふ、ふへへ……」


 だらしなく笑えるくらいには、撫でられることが気持ちいい。


「良い子ね、エリー。私の気持ち、よくわかってくれたみたい」


 わかるはずもない。


 協力すると言って裏切られて、ぼこぼこに蹂躙されてこうやって愛を囁かれて。 

 エリクシアの心はもう、ぐちゃぐちゃだった。元の形が思い出せないくらい、滅茶苦茶にされてしまった。

 考えても考えても、あの夜の行動に正解は見つけられなくて。

 わからない。わからない、わからない。

 この人がわからない。この人を目の前にした自分もわからない。


 けれど、わからないなら、もう、考えなければいい。

 考えを捨てて、矜持も放って、心を覆っていた外套を脱ぎ散らかして。

 そうして、すべてを差し出せばいい。


 そうすれば、ほら、こんなに幸せ。

 綺麗で美しい絶世の美少女の瞳の中に映されて、幸せ。そんな彼女を見れて幸せ。声を聴けて、触れてもらって、思考を感じて、幸せだけになる。


「マリア様ぁ」


 甘い甘い、声。

 自分がこんな嬌声を上げているなんて、信じられない。でも、きっとマリアはこれがほしいのだ。マリアのためなら、脳が考えをなくして、積み重ねてきた矜持すらも吹き飛ばす。

 これが、もしかしたら好意なのかもしれない。


 だから。


「おいてめえ! どんな面してやってきやがったんだ! てめえのせいで滅茶苦茶だ! どう責任取ってくれんだ、ああ!!?」


 スタッグが大声を出したとき、どれほどぞっとしたか。

 この人の機嫌を損ねることがどれほど恐ろしいのか、知らないのか。

 それは芯から震える怒りになった。私よりも弱い存在が、マリアよりも圧倒的に弱い存在が、マリアにそんな口をきいていいのか。


 あり得て良いことではない。


「黙れ、スタッグ! てめえ、殺されてえのか!」

「え、……は?」


 予期せぬところからの怒号に、当惑したスタッグの声。

 けれど、エリクシアの怒りは収まらない。


「次そんな口をマリア様に聞いてみろ。私がおまえの舌を引き抜いて八つ裂きにするからな」


 殺気を声に乗せると、牢屋は静まり返った。

 しんとした中で、マリアの笑う音だけが聞こえる。


「エリー。嬉しいわ。本当にわかってくれたみたいね。やっぱり貴方は私と同じね。近い存在なのね。だから、私の考えていることがわかるんだわ。素敵」

「はい、マリア様。私は貴方と同じです」


 微笑んで、鉄格子を掴む。近づけるだけマリアに近づいていく。


  一つだけわかった。

マリアの言う事を聞いていればいいのだ。

   彼女に、従っていればいいのだ。

 そうすれば私を傷つけるものは何もなくて。

    マリアという籠の中、安寧が約束される。

 何も考えなくていい。

  幸せになれる。

   それがすべてで、いちばんひつようなこと。

わかった。


「ふ、ふふ……」


 脳は理解して、喉は乾いた笑い声を吐き出した。

 そしてその思考を裏付けるかのように、マリアは近寄って、口づけをくれた。

 甘くて暖かくて、脳髄が蕩けて行きそうな、それを。


「正解よ、エリー。良かった、やっぱり痛みは愛なのね。わからなかったことを、わかってもらうことができたの。また一つ、わかっちゃった」


 マリアは蠱惑的に嗤って、鉄格子を掴んだ。そのまま引っ張ると、それは音を立てて壊れて外れた。


「ほら、外に出て。このままだと殺されてしまうものね」

「はい。マリア様」


 有無を言わさず、脳を介さずに応えて、エリクシアは牢屋の外に出た。

 久しぶりの自由。けれど、マリアの視線の前では、縛られているかのような感覚があった。四肢すら操られているかのような感覚。でもそれが、脳を麻痺させるくらい気持ちがいい。


「ほら、他の人も」


 マリアは順次、牢屋の鉄格子を外していった。不安と不満を隠せない顔つきで、残りの人間も牢屋から出てくる。


「姫。これは一体どういうことです」


 ルールスが眉を寄せてやってきた。

 エリクシアは笑った。


「貴方もマリア様の言う通りにするんです。それが正しいことですからね」

「……姫。正気に戻ってください。あれは、化け物です。私たちの理解の外を超えた、恐怖が形になったかのような、異物です。やつが次に何を考えているかなど、想像もできません。隙を見て逃げましょう」

「どこに逃げるの?」


 エリクシアは笑った。

 諦念と喜色を前に出して。


「貴方は逃げていいんですよ。私は逃げないし、止めもしません。どうなるかは知りませんけど」


 マリアからは逃げられない。

 出会ったしまったことは、すなわち底なし沼にはまったのと同じこと。濁流にのみ込まれたのと同義。足掻けば足掻くほど、深みにはまっていって溺れ死ぬだけ。

 諦めて一緒にいればいい。考えを捨てて飲まれればいい。幸いなことに、この沼は暖かく心地よいのだから。


「……姫!」

「貴方もマリア様に従いなさい。これは命令よ」


 エリクシアが睨みつけると、ルールスは黙り込んだ。

 全員を解放した後、マリアは手を叩いた。


「それでは、皆、しっかりと逃げてね」


 マリアの後をついて階段を上っていく。

 道中には昏倒している人間が何人かいた。兵士や侍従が、廊下の隅に寝かされている。どれも死んではいないようだった。彼らの歩みを止める人間は一人もいなかった。


 外に出る。

 壁に覆われた中庭。そこには兵士の姿もない、自由があった。

 一か月前と同じように、月が明るく世界を照らしていた。


「罠ってわけでもなさそうだ。結局、何がしたかったんだ」


 スタッグはマリアに問いかけた。

 マリアは笑う。


「言ったでしょう。皆に幸せになってもらいたいの」

「それがわかんねんだよ」

「私は、皆に愛されたいの。貴方たちのおかげで、学院内での私の立場は盤石になった。同級生たちは、皆、私を好きだと言ってくれるわ。敵になってくれた貴方たちのおかげ」

「……」

「でも、それで終わりじゃあ、勿体ないでしょう? せっかく貴方たちとも出会えたんだもの、この出会いを捨ててしまうのはダメ。貴方たちにも私を好きになってもらいたいの」

「……なると思ってんのか?」

「なるわ」


 マリアは断言して、大仰に両手を広げた。


「だって私はこんなにも強くて、可愛くて、頭がいいんだもの。そして、貴方たちを助けた恩人なの。ほらね、好きにならない理由がないでしょう?」


 堂々と言い張るその姿に、場違いなくらい楽しそうな笑顔に。

 その場にいる人間たちは息を飲んでいた。


 考えれば考えるほど、わからなくなる。

 確かに、助けてくれた。でもそれは、彼女が引き起こしたことが原因だ。悪いのはマリアで、でも、正しいのもマリア。貶すべきか、感謝するべきか。


 ぐにゃりと、足元が歪むような感覚。

 ルールスもスタッグも、その他の人間も、言葉を発することができなかった。言いようのない感情に飲み込まれて、動けなかった。

 エリクシアだけが、奥歯をかみしめて笑っていた。


「……くそ、ダメだ。これ以上話しちゃいけねえ。俺はさっさと逃げることにする」


 スタッグは背を向けて歩き始めた。

 他の面々も続いていく。

 ただ、エリクシアだけは動かなかった。 


「姫?」


 振り返るルールス。


「私はマリア様についていきます」


 エリクシアは笑った。

 もう、脳が動かない。マリアの言う事以外聞けないくらい、脳がダメになってしまっている自覚があった。

 そんなエリクシアを見て、マリアは恍惚の表情で微笑んだ。


「最高よ、エリー♡ よく、本当によくわかっているわ。私たちはもう、離れてはいけないの」


 抱きしめられ、楽しくて嬉しくて幸せになる。

 エリクシアは、自分の居場所を知った。


「彼らを見送った後、すぐに合流いたします。マリア様♡」



 ◇



 七人を見送った後、一人で学院までの帰路を歩く。


 良かった。

 エリクシアはわかってくれた。

 私の愛を受け取ってくれたからだ。つまり、やっぱり私は間違っていない。

 私が愛を囁けば、皆私を愛してくれる。少しの暴力、精神的負荷、圧力、それらをブレンドすれば、人の心は簡単に瓦解する。

 よくわかった。

 嬉しいわ。また私は、人間を知れた。より深く、人間らしい化け物になれる。


 一応、学院の規則として外出禁止があるので、見つからないように、耳をそばだてて歩く。

 警戒をしっかりしていた。


 でも、否、だから、だろう。

 私は耳元の風切り音で、ようやくその存在に、攻撃に気が付いた。

 膝を折ってかがむと、私の上をナイフが通り抜けていった。あのまま歩いていたのでは、首が引き裂かれていたかもしれない一撃。


 地面を蹴って、背後にいる人物と距離をとる。


「……外すか、今のを。俺から出る音は、すべて消していたんだが」

「ナイフから出る、風を切る音は聞こえたわ」

「まあ、確証を得られてよかった。この攻撃を避けられる奴が敵にむざむざ捕まるなんて、そんなわけないんだからな」


 私が振り返ると、そこにはCクラスの担任教師、ミドル・ライゼフが立っていた。

 敵意を、むき出しにして。

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