2-22 不動の意
翌日、日が昇ってきたタイミングで、応援の兵士がやってきた。
随分早いなと思えば、同じような催しがイーリス学院(男子の方)でも行われていて、そこの生徒を護衛していた兵士たちが駆けつけてくれたのだった。
林間学校を同じタイミングでやることは兵士を半分にしてしまい、愚の骨頂だと思ったが、確かに最近の事故一つない林間学校を顧みれば、油断するのもわからなくもない。
そのおかげで、私は楽しかったわけだし。
怪我人から馬車に運ばれて行った。
エイフル、アネット、アルコは重体で、第一便で王都に運ばれていった。半殺し状態になっている敵たちも、縛られて同様に。
エリクシアは擬態も解けないで、縛られた後も丸まって震えていた。
大丈夫なのに。私が助けてあげるのに。
貴方も、救ってあげるのに。きちんと伝えたはずなのだけれど、忘れてしまっただろうか。
次に運ばれていったのは、一晩中恐怖と戦った貴族の少女たち。避難部屋で固まって怯えていた彼女たちは、兵士に抱えられるようにして馬車に乗り込んでいった。
怪我人でもなく、貴族でもない私は、一番最後。
今ちょうど出発した馬車が帰ってきた後、帰れるのは昼頃になるらしい。
外。
先ほど死体が処理されたばかりの広場。破損し倒壊した宿舎の隣。誰もない静謐な場所で、侍女さんたちが作ってくれた朝ごはん、サンドイッチを食べながら、私は物思いに耽る。
全て終わってしまったが、果たして上手くやれただろうか。
点数で言うと、八十点くらい?
色々と塩梅がわからなかったところがある。人の心がどこまで耐えられるのか、どこまでだったら許容できるのか、不確定なまま始めてしまったせいだ。
もっと追い詰められたかもしれない。もっともっと、恐怖の泥沼の中に頭頂部まで漬かった状態の彼女たちに手を差し伸べればよかった。
そうすれば、もっと感謝されたのに。
ほんの少し残念。
「……ここで何をしてる」
ぼうっとして天を仰ぐ私に声をかけてきたのは、第二王子アースだった。後ろには護衛のグランもいる。
「見ての通り、朝ごはんを食べているのよ」
「誰もが怯えて碌に食えていないのに、いいご身分だな」
「貴方こそ、こんなところにどうしたの? わざわざ私の朝ごはんに茶々を入れに来たの?」
「まさか。そんなに暇じゃない。私もイーリス学院の林間学校には参加していた。話を聞いて、兵士と共に駆け付けたまでだ」
「それはそれは。ご苦労様ね」
もぐもぐ、ごくん。
私はサンドイッチを飲み込んで立ち上がると、彼に背を向けた。
当然、アースは呼び止めてくる。
「おい、話はまだ終わってないぞ。ここで昨日、何があったんだ?」
「貴方も聞いたでしょう? クリスが話していた通りです。敵がやってきて、兵士全員で応戦。私たち生徒は彼らに守られながら避難して、それから、Cクラスの有志で弱った敵と戦って、なんとか勝利をもぎ取った。怪我人も出たし、痛ましい事件でした」
「……確かにCクラスのクリス・ミウリはそう証言していた。目撃者は彼女しかいないし、淀みなく話していたし、嘘をつく理由もない。間違いはないとは思う、しかし……」
言い淀んでいる。
振り返ると、アースは鋭い目つきで私を睨んでいた。
「細かい証言が、他の子たちと異なっている。他の生徒は事が始まる前にはすでに兵士は敵に殺されていたと震え、勇敢に戦ったCクラスの人間は何もできなかったと嗚咽を噛み殺し、Aクラスには私が悪いなんて嗚咽を漏らしている子もいる」
「恐怖のあまり、パニックになっているんでしょう。死体の山を見れば、誰だって取り乱します」
「確かに、医師もそういう診断だが……。他にも疑問がある。いくら兵士との戦いで弱っていたとはいえ、Cクラスの少女たちにここまでのことができるのか? 敵のほとんどは再起不能まで損傷しているんだぞ」
「王国の兵士の努力の賜物です。王子として、遺族に英雄譚をお話しください」
「……綺麗すぎる」
アースは結末を疑問視しているらしい。
せっかく私が書いたシナリオを貶すなんて、やっぱりこの人は嫌い。
でも、言いたいことは少しわかった。事実は小説より奇なり。現実はかっちりとはまるパズルではないのだ。確かにアースが言う通り、少し綺麗すぎたのだ。生徒にも被害者を出すべきだったか。
「綺麗で何が悪いんですか? 生徒は全員無事。兵士は勇敢に戦っての殉職。敵の思惑は叶わなかった。起こらないことが一番ですけど、こうして起こってしまった以上、皆、最善を尽くし、それが結果に現れたと思いますが」
「……おまえだ。おまえは何をしていた?」
胡乱。
猜疑。
私は、疑われている。
知らず、口角が上がってしまう。
ああ、この人を嫌っていて、良かった。
そんな目で私を見てくれる人は、この男しかいない。
綺麗すぎるというのなら、この話が疑いなく通ったこともそうだ。誰もクリスの言う”作り話”に異を唱えなかった。クリスの口が上手いのはその通りだけれど、少しくらい文句があってもいいのに、と思っていた。
甘い甘いお菓子は、歯を溶かすだけ。少しの苦みがほしかった。
「何もしていませんよ」
「本当か」
「その目。私を疑っているというんですか?」
「当然だ。おまえには前科がある。人の心を食い尽くした、悪食の前科が」
「く、ふふ。どうしてそんな風に疑うんですか? そんなに信用ならないと?」
「笑みが漏れているぞ。その心臓に手を当てて答えろ、魔女。貴様は何をしていたんだ」
会話を続けるほどに、アースの目に険が宿っていく。
私の一挙手一投足を、疑いを持って睨みつけてくる。
「く、ひひひっ」
そんな風に疑われてしまったら、我慢できるわけもない。
嫌っている相手になら、本性を曝け出しても問題はないし。
そもそも。確かに。
上手く操れたこの事象を、書ききれたこの物語を、誰かに自慢したかったのも、私なのだ。
私は笑う。
「あたり♡」
「――っ」
息を飲んで、アースが剣を引き抜いた。後ろのグランも腰の剣に手をかけている。
「何をした」
「言ったら後悔するかもよ?」
「言え!!」
「ふふ、事実を教えてあげる。兵士は全員、敵によって簡単に排除されていたわ。敵は無傷で宿舎を囲ったの。敵はデリカに目をつけて、不安がったAクラスは全員でデリカを排斥。Cクラスの皆は戦いはしたけど、瞬殺されたわ。本当に、絶望的な状況だったのよ」
アースの顔が青くなる。
「全然、話と違うじゃないか」
「だから言ったのに。後悔するかもって。そうよ。王国の見る目は節穴で、王国の兵士は無能で、Cクラスの生徒は蛮勇で、貴族の少女たちは自己愛が過ぎて、教師は自己保身の塊で、誰も何もできなった愚か者ばかり。ここに英雄譚は存在しない」
アースは唇を噛んで、口を開いて、そして、閉じた。
王国の頂点に位置する人間が、私の話に肯定することも、否定することもできないのはわかっている。どれも、王子として認められる内容ではないからね。
彼は私の描いた話を読み込むことしかできない、一介の読者でしかない。
「そ、それで、おまえは、何をしたんだ?」
「助けただけよ。敵を全員叩きのめして、デリカ様を皆のところに送り届けて、救援が来るまで皆を守っていたの」
嘘はついていない。
ただ、本当のことを言っていないだけ。
「……それだけじゃ、ないだろう」
「ねえ、貴方はどんな時が一番ご飯が美味しいと感じる?」
私は足元を見つめた。私が零したサンドイッチのかすに、虫が集まっている。自分の事だけを考えて我先にと群がる虫たちは、人に似ていた。
「何を」
「答えて」
「っ、そりゃあ、自宅で料理人が好物を作ってくれた時だ」
少し呆れた。
もしかしたら、彼の中には私のほしい答えはないのかもしれない。
「空腹時、でしょう」
と思ったら、グランが渋面を作って答えてくれた。
私は笑う。
「正解。じゃあ、いつ、本気で飲み物を飲みたい?」
「喉が渇いた時」
「いつ、心の底から買い物をしたい?」
「そのものが必要な時」
「いつ、助けてもらいたい?」
「……」一度、グランは逡巡。引きつった顔で、「まさか……」
モノに価値が出るのは、希少性が出た時。あるいは、必要に迫られた時。
「お腹が満たされている時と空腹で死にそうな時では、食事の価値は大きく違う。全部、同じこと。最も価値が出るのは、必要に駆られているとき。心の底から渇望するとき」
アースもわかってくれたようだ。
怒るというよりも、放心して、言葉を失っている。
「おまえは、……何を言ってるんだ?」
「貴方の質問に答えるわ。私は何をしたか、でしたっけ? 答えは、”何もしなかった”の。皆が欲しがるまで、渇望するまで、死ぬ直前まで、英雄を、救世主を求める、最後の最後のタイミングまで、私は我慢したの。何もしないを、していたの」
ぎりぎりの、ぎりぎりまで。
私という英雄の価値が天井に届くその瞬間まで、戦場で血が流れるのを放置しただけ。
「ほら、私は嘘を言っていないわ。”何もしていない”でしょう?」
アースの声は、かすれていた。
「できたのに、か」
「ええ」
「無傷で敵を殺せたのにか」
「そうね」
「兵士が殺されるのをわかっていたのにか」
「そうよ」
「全員がトラウマになることを、見越して」
「当然じゃない」
よくよく考えてほしい。
「生徒に被害を出すつもりは最初からなかったわ。でも、どうせ助けるつもりだったのだから、過程くらい好きにさせてほしいということ。私が最も感謝される瞬間を作って待って、何がおかしいというの?」
ただのセルフプロデュース。
自分を一番いいタイミングで商品棚に乗せただけ。
「私がいなかったら、敵の思うがままだったのよ。蹂躙されて、デリカは攫われて、王国の無能さを指摘されて。感謝されることはあっても、恨まれることはないでしょう。ね?」
アースの剣先は震えたまま動かない。
苦渋の表情からも、悩みがはっきりと見て取れた。
「ねえ、感謝して。王国の未来を守ってくれてありがとう、って、ね?」
「俺は、おまえを……。俺が、おまえを、ここに、」
ジレンマを感じる。
貴方が私を学院に呼んだのよ。
だから、そのおかげで、みんながボロボロになって、でも、助かったの。
「どっちが良かった?」
私はアースに近づいていって、構えているだけの剣に触れた。コン、と指で弾くと、容易くその切っ先は私の方から離れていく。
「もしくは、どっちがいい? 私を学院から追い出す? 魔女だと言って追放する? ふふふ。クリスの記事によって世間でも英雄になるワタシに、そんなことできる? それとも、そんな顔を続けたまま、私を飼い続ける?
後悔してるの? それとも、過去の自分に感謝しているの? ねえ、教えてよ」
その瞳を覗く。
貴方が今、私のことで必死に考えているのはわかっているわ。
貴方の頭の中に色んな私がいることも、後悔と安堵の間で揺れ動いていることも、私にどんな言葉を返せばいいかわからなくなっていることも。
だから、私は、こう言うの。
「私は、感謝しているわ。色んな世界を教えてくれて。もっと、私は、これからも、知っていけるの。この、イーリス女学院でね」
アースの手に力が蘇る。
貴方の瞳しか映せない、私を、教えて。
「貴方のカワイイ婚約者、デリカも私がいただくわ」
その言葉が最後のきっかけだった。
アースの顔に憤怒が張り付き、剣が横なぎに振るわれる。
私は避けない。動かない。
彼の剣は私の首。そこに一直線に向かってきて。
しかし、ぴたり、と。
その少し前、肩口のあたりで止まっていた。
「いくじなし♡」
私は嗤って、その剣を横殴りして弾き飛ばして、彼の横を通り過ぎた。
背後からは、色んな感情のこもった獣の様な慟哭だけが聞こえていた。
◇
積み重ねられた死体。兵士の鳴れの果て。生きている人間を王都に運び終えた後に、順に運ばれる予定らしい。
その前で、一人の少女が泣き崩れていた。
もう貴族のクラスは出発したというのに、その貴族の子はこの場に残ってさめざめと泣いている。
「どうしたの、ロウファ」
声をかけると、ロウファが振り返った。私の知っている凛々しい彼女ではない彼女が、涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
「マリアか……。放っておいてくれ」
唇を噛んで、俯いてしまう。
「そんなこと言われても、心配よ。話せることだけでも話せば、少しは楽になるかも」
「……」
一度、迷ったように視線をうろつかせた後、眉を寄せた。
「兄が、死んだ」
「お兄さん?」
「この護衛団を指揮していたのは、兄だった。グレイ・カインベルト。将来は父の後を継いで、騎士団を背負って立つ逸材だったのに……。それに値する人格と実力を持っていたのに……」
その場に崩れ落ちてしまう。
身内が死んだのは、そんなに悲しいことなのだろうか。
むしろ弱い身内を恨むべきでは? 護衛団の長だというのなら、慢心して警戒を怠ったことを他の兵士に謝罪するべきでは?
なんて、流石にそんな言葉を吐くほど非情ではないけれど。
「……それは、その」
「いい。慰めの言葉は要らない。わかってる。兄は弱かっただけだ。覚醒遺伝持ちの人間に勝ちうるほどの力が、なかっただけなんだ」
ロウファは涙に塗れた顔を拭った。
そして、私に向き直る。
「いいところに来てくれた、マリア。どちらにせよ、僕は君に会いに行こうと思っていた。僕に稽古をつけてくれないか?」
真っすぐな視線。
「稽古?」
「ああ。聞くところによると、ここで最後まで戦っていたのはCクラスの皆だったらしいじゃないか。そんなことも知らずに避難していた自分が恥ずかしいが、後悔していても仕方がない。手負いだとはいえ、覚醒遺伝持ちの人間と渡り合える実力をもつ君と手合わせがしたい」
「いいわよ」
「ありがとう。そうだ。僕だって、強くなるしかないんだ。兄の無念は、僕が晴らす」
ものも言わぬ死者の山。
そんな場所にそぐわない綺麗な宣言をする彼女。
可愛くて、愛おしい輝き。
「わかった。それなら私も、精一杯、お手伝いするわね」
綺麗で美しい子は、大好物だから。
私好みに味付けしてあげよう。
ね?