2-17
広場の端から足を踏み入れ、中に入っていく。
現状を確認。
エイフルは左手と右足を損傷。
アネットは四肢の骨を折られ、
アルコは脳震盪のような状態。
そして、全員、圧倒的戦力差に絶望しきっている。目の奥の光を濁らせきっている。
「かわいい……♡」
ぞくぞくと身体を這いずり回る感情を、興奮を、かつての私は知らなかった。
今、知った。
知ってしまった。
駄目だと心の底では思っているのに、ざわざわするさざめきを、ぞくぞくする揺らめきを、止められない。
さっきまで楽しく会話をしていた少女たちが未来を刈り取られて絶望に打ちひしがれている様は、とっても嗜虐心をそそられる。多幸感を駆り立てられる。
知っていく、知っていく。
明るい希望だけが、人の喜びなのではない。
薄暗い絶望だって、こんなにも人を悦ばせてくれる。
普段手元にないから? 普通に生きていたらあり得ないから? 限定された状況だから?
理由はまだ判然としないけれど。
どちらにせよ。
私は、今。
嬉しく、楽しく、心地いい。
普通の人はきっと、まずは最初に彼女たちを心配するのだろう。大丈夫と声をかけて抱き起こすのだろう。
まず嬉しくなってしまった私は、きっと異端。
でもね、私は普通でも、人でもないの。
狂おしいほどに愛おしい背徳感。
後悔するほど胸を焦がす道徳心。
相反する感情が重なり合って、混ざり合って、私の歩みを進ませるの。
「あ? 次は誰だ、って、てめえか」
蛇獣といったか、の覚醒遺伝を持つ男が私を見て眉をあげた。名は覚えていないし、覚えるつもりもなかった。
だって、”敵”だもの。
大切な友人を傷つけた悪人で、英雄に反目する敵。
「わざわざ何しに来た? エリクシアはどうした?」
「貴方たち、何者なの? ひどいわ。いたいけな少女にこんな仕打ち。人の心を持っていないのね」
「はあ? 質問に答えろよ」
「大丈夫、エイフル?」
私はエイフルに近づいていって、屈んで彼女の顔を覗き込んだ。左手の右手は真っ赤に染まっていて痛々しいが、凛々しい顔には傷も変化はない。ただ、疲れ切ったように、眼は開き切らなかった。
「……マリア」
ひび割れた声。
私は渾身を振り絞って笑顔を押し止めた。
「ひどい怪我ね。喋らなくていいわ。後は私に任せて」
「……私は」
震える右手が私の服を掴んだ。嗚咽と共に、声が。
「悔しい。嫌いだ。嫌いだ嫌いだ嫌いだ。この世界が、悪が、私自身が。なんで、なんで、こうもうまくいかないんだ。私は間違っていない。悪いのは全部周りで、私は正しいはずなんだ。正しいことをしてきてるんだ。なのに、全てが私を否定する。弱い私を、身分の低い私を、正しい私を、全部……」
くしゃくしゃになった顔。
エイフルは正しい。
正しすぎる。
だから自分を曲げられない。まっすぐに壁にぶつかって、思いっきり押してしまう。回り込むことも、上ることもできずに、その場で闇雲に剣を振るう。
そんな壁、どうとでもできるのに、やり方を知らない。
不器用すぎて、可愛い。
「貴方は正しいわ」
「……でも、」
「私が証明してあげる。貴方の正当性と、その強さを。わかる? 貴方が頑張ったから、私が間に合ったの。貴方の行動が、正義が、皆を救ったの。だから、私を見ていて。貴方の正義を実行する、私を」
エイフルの目が見開いた。
「マリアぁ……」
私を見る。
私だけを、見る。
――っ、快感。
「無視すんじゃねえ。何がしてえんだおめえはよ」
「アネット、ごめんね、遅れてしまって」
私は次にアネットに近寄った。大の字にうつ伏せになった彼女は、普段の彼女らしくなく、顔面を涙で覆っていた。
「マリア……逃げてくれ。おまえだって敵うやつじゃない。私は、結局誰も守れなかった」
「でも、皆生きてるわよ。貴方が身体を張ったからでしょう?」
三人とも、満身創痍で致死一歩手前。
でも、生きている。
「貴方のおかげよ。貴方は皆の命を守れたの。貴方は護衛官だから、人を殺すのは仕事じゃない。人を守れた貴方は、しっかりと自分の仕事をこなしたの。後は、私が引き継ぐわ。貴方たちを守り切ってあげる」
アネットの手が私に触れた。
「……ごめんな。頼む」
普段弱みを見せない彼女が見せた弱み。
それを得られれば、嬉しさでどうにかなってしまいそう。
「おい! なんとか言ったらどうだ! 姫の紹介だからって調子に乗りすぎんなよ!」
「アルコ師匠ったら、こんなぼろぼろになって」
ぼうっとしたアルコの表情。
いつもの理知的な目はそこにはなかった。
「まりあ……」
「ええ、私はマリアよ。貴方の一番弟子のね」
「ごめんね。だめなししょうで……。私はほんとは……」
鼻が鳴る。
私はそんな小さい師匠を抱きしめた。
「見せてもらったわ、貴方の大きな背中。一筋の魔法を。ダメなわけがないじゃない。貴方が駄目なら、他の人は全員駄目だわ。貴方は優秀で素晴らしい魔術師でしょう? そしてそんな偉大な魔術師の弟子は、とても優秀なの。見ていて」
抱きしめながら、私は笑う。
小さい力でアルコは私を抱きしめ返してくれたから。
誰にも見えないところで、我慢しきれなくて、笑っちゃう。
「――いい加減、茶番はやめろ、くそ女!」
怒鳴り声。
……無粋ね。
少しイラっとするくらい。
私はアルコを離して男に向き直る。
「さっきからぎゃあぎゃあ何を言っているの? 貴方の言ってること、何一つわからないわ」
「ああ!? てめえは姫に協力したんだろうが。てめえらの中で一番位の高い女の素性と、厄介な魔術師の無力化、俺らに協力してたんじゃねえのかよ」
「? 何を言っているの?」
私は心底不思議そうな顔をしてから、大仰に手を打った。
「ああ、なるほど。そうやって混乱させようと言うのね。三人に嘘を伝えて、仲たがいをさせようとしているんだわ。ふふふ、馬鹿ね。私よりも貴方のいう事を信じる人間が、一体どこにいるというの?」
私は笑う。
べたべたに周りを塗り固めて、綺麗にコーティングした嘘。それは、真実に見える。
私の前では、嘘は正直に勝る。
「――馬鹿ね」
「……てめえ」
男の額に青筋が走る。頬が引きつってぴくりと動いた。
「竜の客だと思っていたが、違ったようだ。貴様、狂人の類か」
毛深い大男が呆れたように呟いた。
狂人。
狂った人。
正気でない人。気が違った人。狂者。
言葉では知っている。けど。
うーん、それはどうなのかしら。
私はいつだって冷静。ほしいものを手に入れるために冷静に頭を動かしているだけ。気が違っているわけでもない。狂人という称号は、私にはふさわしくないわ。
「よくわからないわね」
「どちらにせよ、竜の期待を裏切った罪は重いぞ」
「ここまで人を殺して傷つけた罪人がよく言うわね。とにかく。私の大切な人たちを傷つけたんだもの。相応のお礼は必要よね」
「こっちのセリフだ、ボケが!」
蛇男がその場で地面を蹴り込み、一瞬で私との距離を詰めた。
近づく過程でその右腕が振りかぶられる。眼は殺意に染まっていた。一度瞬きをしている間に彼の腕は私に届くだろう。
背後で三人の息を飲む音が聞こえる。心配そうな視線を背中に感じる。
そんな顔しなくても大丈夫よ。
全部、見えてるから。
拳の行先も、腕の筋肉の脈動も、怒りに満ちた視線も。
全部全部、見える。
私の知っている範囲内。私がいくらでもどうとでもできる状態。
心臓を狙ったその突きを、私は腕を掴んで止めた。
「あ?」
動から静。一瞬で動きを止められて、茫然とする男。
「エイフルの傷ついた腕は、左手だったかしら?」
力を入れる。
バキ。
鈍い音をして、割れた。
男の左腕が、骨ごと粉々に砕けた。
「あ
「あと、右足?」
私はボールを蹴る様に手加減をして男の右足を蹴り上げた。すると、男の身体は錐もみ上に数回転、激しい音を立てて無様に地面に転がった。
「う、が……」
折れ曲がった右足を押さえて呻きを上げている。
「威勢がいいのはもう終わり? 私は貴方たちの中では罪人なんでしょう? 裁かなくていいの?」
私は正しいのに。
ただ友人の仇を討ってるだけなのに。
他の子たちを守ろうと、敵と戦ってるだけなのに。
それは悪いこと?
「ふふふ」
と、そのタイミングで邪魔者。
毛深い大男の拳が風切り音とともに襲来。
それを掌で受け止めると、大男の目が曇った。
「――化け物かッ!」
「それはもう聞いたことがあるの」
化け物。
言われなくて、もう私の中にそれはあるの。
つまらないから、ぽい。
拳を掴んで上空に放り投げた。
大男の身体が宙に浮き、たっぷり数メートルほどの自由落下を経て、地面に落ちた。受け身をとっていたから大したダメージではないようで、すぐに起き上がって私に睨む。
「……貴様、何者だ」
「私はマリアよ。ただのマリア」
「そうではない。貴様の正体……出生についてだ。私たちが二人がかりで手も足も出ないとは……。まさか、原初の御方?」
「……知らないわ」
脳が急にストップをかけた。
未知に対する好奇心が、動きを止めた。
私は知らない。けれど、このことは知りたくなかった。
それを聞いたら、私は人間じゃなくなってしまう。
……。
……あれ?
「……もう人間じゃないのに?」
思ったことに首を捻る。
化け物。私は化け物。
何度も何度も口にして脳に刻んで、払しょくしたはず。私は化け物を認めたはず。
なのに、どうして。
いまだに、そんな言葉に心を揺り動かされるのか。
それではまるで――
「 になりたいみたい」
私は、それより上のはずなのに。
私は、 よりも優秀なはずなのに。
綺麗な の皮を被った、かわいい化け物のはずなのに。
今更、 だと思っていた頃に戻りたいなんて、あり得る? 泣いていたばかりの幼少期に思いを馳せるなんて、考えられる?
「くだらないわね」
思考は一周して、一蹴する。
私は笑う。
綺麗で可愛いマリアの皮で。
愛を貪り食う化け物のままで。
「私がなんであっても、どうでもいいでしょう?」
私は男の胸部を蹴り飛ばした。足にかかる感覚で、骨が何本か折れたのがわかった。
「ぐ……」
「大丈夫、殺しはしないわ。同じこと。因果応報ってやつよ」
最後に小声で。
他には聞こえないように。
「大丈夫。すべてが終わったら、”助けてあげる”。私は、貴方たちのヒーローでもあるからね」
男の瞳に映る私は、
「――」
私は男の頭部を蹴り飛ばして、気絶させた。
「もう大丈夫よ、三人とも」
そしてとびきりの笑顔で、三人に近寄っていった。