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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
二章 学生一年目
33/142

2-16













 ◆



 裏口の戸を開けると、月の光が出迎えてくれた。


 雲一つない夜空。その光は太陽とも劣らない輝きでもって、広場を照らしていた。

 しかし同時に、輝きは影を作り、その凄惨さを、闇の深さを浮き彫りにする。


「……う」


 死体の山に、死臭の散在。

 背後でアネットとアルコが息を飲んだのを聞いて、エイフルは自身の剣にかけた力を強くした。


「聞いた以上の状況だな。あの使用人は嘘をついていなかったわけだ」

「でも、ここまでとは……」


 アネットの声も震えている。


「ああ、最悪に最悪を振りかけて、最悪で煮詰めたような状況だな。気分が悪い」

「私たちに手に負えるかな? 引いた方がいいんじゃないのか。先生たちに知らせないと」

「やつらが動くと思うか? 貴族たちだけを囲って、ますます殻に閉じこもるだけだと思うがな。それにどうやら一度舞台の上に立ってしまった以上、降りられないようだぞ」


 エイフルはこともなげに言って、意識を前に向ける。

 眼前。

 二人の覚醒遺伝持ちの男が、死体の山の脇に陣取り、欠伸を噛み殺してこちらを見つめていた。


「誰か来たぞ。生徒だな。話してた公爵家のお嬢さんか?」

「いや、それは金髪に金眼だ。こいつらのどれにも該当しない」

「なんだ。つまりは、人質の価値もない石ころか。殺さなけりゃ何してもいいって話だよな。外に出すなって命令だもんな」


 座っていた巨体が起き上がる。

 蛇のような細い瞳をした男だった。半袖の服から出た四肢にはうろこが見て取れる。尻尾が威嚇するように地面をたたいた。

 もう一人の方、全身を毛で覆った大男は、大仰にため息をついた。


「竜の逆鱗に触れない程度にしろよ」

「俺は玩具で遊ぶだけだ。何を怒ることがある?」


 そうして向けられた視線に、アルコは息を飲んだ。

 嗜虐的な視線に、高圧的な声。絶対的有利を確信した余裕。


「一応聞いておく。てめえらの親ってのは金持ちか?」


 答えたのはエイフル。


「ふむ。金持ちだと言ったら?」

「四肢を折って動けないようにして、人質だ」

「では、貧乏極まりないと答えたら?」

「四肢を折って動けないようにした後、”お楽しみ”だ」


 どちらにしろ、地獄。


「はっは。まったく無駄な問答だな。それでは答えるはずもないだろう」


 エイフルは笑って、背後に指を回した。アルコに見える様に合図する。


「はあ? ……そういうもんか? めんどくせえな。どっちにしろ俺らは金髪で金眼をした女を連れてこいと言われてる。おまえらじゃねえから、関係ないな」

「金髪で金眼? マリアのことか?」

「いんや。マリアじゃない方だ」


 エイフルはそこに違和感を覚えた。

 彼らの探している人物は恐らくデリカだろうが、なぜマリアでないと断言できる? 目的の人物の名前すら覚えていなのに、マリアのことには即答できるのだ?


「……マリアを知ってるのか?」


 疑念。


「さあな? 俺は何も知らない。そういう話だ」


 と首を捻って肩を竦めた蛇男に。

 その緩やかな所作の間を射抜くように。


「【炎弾】!」


 アルコが魔術を行使した。

 彼女の広げた手のひらから、人の拳ほどの大きさの炎が球の形を為し、男に襲い掛かる。目を剥いた男が避ける間も与えずにそれは着弾し、大きな音と煙を上げた。


「やっ……」


 アルコが喜色に染まる前に、煙が晴れて無傷な男が現れる。


「これが貴族の挨拶か? 御淑やかには程遠い、随分やかましいもんじゃねえか」


 三人は息を飲んだ。

 その魔術には普通の人間なら身体を四散させ、亡き者にするほどの威力があった。一切の手加減は存在しなかった。


 一瞬で気づいてしまった。

 何度同じことをしても変わらない。蟻が象に挑むような、鳥が太陽を目指すような、圧倒的な無力さに気づいてしまった。


「そんな顔するな。残念ながら、生物としての格が違うんだよ」


 挙句の果てに、殺そうとした相手に同情される始末。

 エイフルの脳が軋みをあげた。


「……なるほど」


 エイフルは頷いて、一歩前に進み出た。


「まったく、世は不条理だ。数多の悪が歪出でているというのに、力はそちらに味方する。正義を冠する者には悪を砕く力すら与えられない。悪だけが世を曲げる力を持つ。ああ、心の底から、心の臓から腹立たしいと、そうは思わないか」

「何を言ってんだ?」

「正義に力がないからといって、屈するのは道理が通らない。それでは悪が大多数になってしまう。力なき正義は泣き寝入りするしかない。それは絶対的、圧倒的に間違った世界だ。私は悪には屈しない。次の世でも、いつの世でも、私は正義のために剣を振るだろう。よって、この経験が無駄になることはない。私の意志は力に屈しないという証左になる」


 エイフルは歩みを進めていく。

 男に、悪に、憎しみの視線を携えて。


「……難しい話はわかんねんだ。わりいな」


 ため息をつく男との距離は、段々と縮まっていく。


 そして、エイフルは自身の間合いに男を捉えた。

 口角を歪めた後、男の首を叩き切ろうと、瞬速の一閃を放つ。今まで生きてきて、悪を切り裂くために磨いてきた技の結晶。


 男はそれを避けない。ただ、そこに立っているだけでよかった。それだけで、エイフルの剣は真っ二つに折れ、宙を舞い、土の上に突き刺さった。


「……」

「言ったろ。格が違うって」


 男がエイフルの左腕を掴んで、握りしめた。

 ぐしゃ、と


「あああああああああああああああああああっ」


 エイフルは自分の腕があらぬ方向に向いたのを見て、絶叫する。

 男が手を離すと、エイフルはその場に蹲った。荒い息を吐いて、皮膚を突き破って白い骨を曝け出した左腕を見つめる。


「まったく、雑種の人間ってのは弱すぎて、弱い者いじめをしてるみたいだぜ。だからといって手加減することはないけどな。さて、約束通り四肢をもぐか」


 男はエイフルの右脚を掴んで持ち上げる。宙にぶらんと浮いたエイフルは、歯を噛んで男を睨みつけた。


「お、それそれ。そういう顔をしてくれると助かるんだわ。おまえたちだって殺す前にぴいぴい鳴く家畜と、直前まで気丈な家畜だったら、後者の方が殺しやすいだろ。罪悪感も薄れるだろ? ありがたいことだな」


 ブン。

 と。

 風切り音がするくらい早く。男の腕が振られた。


 一瞬、無音の後。


 ドガン、と派手な音とともに、エイフルの身体は宿舎の壁に激突した。少女の身体は左手と右足の形を従来から変えたまま、そのままその場に崩れ落ちる。


「……エイフル」


 頭から血を流して虚ろな目を開けている級友。

 アネットはそれを見て、その場から動けなくなった。


「死んでねえよ。頑丈だな。まあ、生徒は殺すなっていうお達しだ。そいつはそれくらいにしといてやる」


 そいつは。

 それ以外は?


「次はおまえか?」


 男の視線を向けられて、アネットの心臓が一際音を鳴らした。


 馬鹿だ。

 自分は馬鹿だ。

 自分の力を過信していたわけじゃない。けれど、何かできると思っていた。

 このピンチに活躍できたとあれば、周りからの評判も良くなって、自分の夢にも近づける。そんな浅ましい欲につられた結果、眼前には死がある。


 死んでしまったら、元も子もない。すぐに駆け出して逃げるべき――


「……ぅ、ひ」


 声なき声を出す背後のアルコ。


 アネットは思い直した。

 なぜ、自分が護衛官を目指したのか。

 それは、弱きものを守るため。強さに驕るあらゆる敵から、味方を救うため。誰もやってくれないから、自分がやろうと、そう思ったのだ。


 自分は強くない。

 強くない強くない強くない。

 でも。


「……かかってこいよ、不細工」


 アネットは引きつった笑みを浮かべた。そして、小声で、


「アルコ。宿舎に戻って状況を伝えろ」

「ぇ、でも、」

「ミドルのおっさんでも誰でもいい。頼れそうな大人に伝えて、被害を押さえるんだ」

「む、むり」

「早く!」

「わ、わかった!」


 おぼつかない足取りを聞いて、アネットは男に向かい直す。


「俺が不細工だと?」

「ああ、なんだ、蛇みたいな顔しやがって。不細工だから世の中を恨んでんのかよ。カッコ悪いな」

「……一人くらい殺したってわかんねえよな」


 駆け出す蛇男。

 アネットは構えて、それを向かい打とうとする。

 男はまっすぐに走りこんで、二人の距離はもう互いの拳が当たるところまで来た。アネットの出した拳は、男の腕によって弾かれる。


 まずい、と思った時にはもう遅い。

 男はそのままアネットの背後に回り込むと、両腕と両足に絡みつき、がっちりとホールド、そのままアネットを地面の上に押し倒した。

 ぎりぎり、と不気味な音がして、アネットの骨がしなっていく。


「うっ」

「このまま締め上げて、両手両足を折ってやるよ。その後、腰と背骨と首だ。ぐちゃぐちゃのめちゃめちゃにして、てめえを人間じゃなくしてやる」


 ぞっとして身じろぎするが、圧倒的な力の前では離せそうにない。


「や、やめ……」

「やめねえよ」


 バキ、と音がして、右腕が。


「ああああああぐうううううううあああ」

「お、魔物みたいな声。もういっちょ」


 バキ。「ううがああああああっ」ボキ。「ぐうううううううっ」グチャ。「う、ああああ……」


「なんだ、もう元気がなくなっちまったのか? まだ四本だけだぞ。まだまだ骨はいっぱいあるのに、大丈夫か?」

「そのくらいにしておけ」


 アネットは霞む視線の先で、大男に頭を掴まれて、じたばたと宙にもがくアルコを見た。


「い、いたいいいいいいやめてえっ」


 わし掴んだ男の拳からは、みしみしと音が鳴っている。男の拳に血管が浮き出て、アルコの頭蓋が喉と同様に悲鳴を上げていた。


「殺さんよ。ただ、痛みってものを味わってもらう。もっと他人に優しくなれるようにな」

「あああああああああいいいいいいっ――」


 ぷつんとアルコの悲鳴が止まって、その体からだらんと力が抜けた。


 まるでごみのように放られたアルコの身体。

 小柄な身体はごろごろと転がり、アネットの目の前で止まった。吐息で体は上下しているが、頭が動いていないのか、ただぼうっと虚空を見つめるだけ。涎が一筋、彼女の口から地面に垂れていた。


「――」


 アネットは声もなく、何もできなかった。


 圧倒的な力を持つ敵からの蹂躙。

 生きるも死ぬも、彼ら次第。

 今まで生きたことすら否定された数分間だった。研鑽して、未来を見つめて、夢を語って。

 そのどれもが、意味のない時間だった。自分の十数年間は、他人の数分で砕かれる淡いものだった。


「あーあ。全員目が死んじまったよ。綺麗な顔が台無しだ」

「一人も出すなとの命令だ。それに、この世は弱肉強食。弱い者は淘汰されても仕方がない」

「違いねえな。可愛い小動物が巣穴から顔を出しちゃあ、いけねえよな」


 男たちは鼻を鳴らして、再び宿舎全体を見渡せるところに戻ろうとする。


 路傍の石のように、食べ残した料理のように。

 価値のなくなった三人は、身体の痛みすらなく、ただ茫然と蹲ることしかできなかった。

 どうせ誰も助けに来ない。


 このまま意味もなく死んでいく。

 声を出すこともなく絶望しきった状況で。


「そこまでよ」


 エイフルの耳は、


 アネットの目は、


 アルコの脳は、


 彼女を捉えた。


「私のクラスメイトによくもまあ、ここまでひどいことをしてくれたものね」


 金髪に金眼の級友が、笑顔と共に現れた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 可愛い子たちが痛い目に遭って悲しくなってきたところで、マリアちゃん渾身の「そこまでよ」で悲しい気持ちが吹き飛んで笑ってしまいましたw 自作自演でノリノリなマリアちゃんも可愛い!!
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