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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
二章 学生一年目
32/142

2-15










 ◆



 生徒たちがその出来事を知ったのは、大きな叫び声と、モノが倒れる音、壊れる音を聞いたからだった。将来はこうなりたいだなんて明るい未来の話をしていたのに、眼前には恐怖が差し迫っていた。


 にわかに苛烈な気配に支配される宿舎内。

 部屋に集まっていたCクラスの生徒にも、それは十分に伝わっていた。


「え、なに……?」


 明らかに先ほどまでの雰囲気とは異なる。虫の鳴き声だけが響いていた宵闇に人間の悲鳴が混じりだす。

 聞き逃さないようにと、体を強張らせる。

 ぴくりとも動けない状況は、まるで時が止まったかのよう。


 けれど、何もしないことこそ愚行である。

 その場で最初に立ち上がったのはイヴァンだった。真剣な顔つきで部屋の扉を開けて、廊下を見つめる。視線の先、ちょうど部屋の前を横切ろうとした使用人を捕まえた。その真っ青な顔に、イヴァンの眉間の皺も深くなる。


「どうしました? 何が起こってるんです?」

「しゅ、襲撃です。外の兵士が全員死んでいて……。私も何もわからないんです、早く皆さんに伝えないと……」


 それだけ言い残すと、使用人は再び駆け出した。

 会話は部屋の中にいても聞こえていた。

 全員が一気に悲痛な表情になる。人の死をここまで身近に感じたことは誰もなかった。


「……」


 イヴァンは言葉一つ発されない空間の中で、思考を進めた。

 誰が何のためにかはわからない。状況も戦況も、そもそもわからないことだらけ。

 でも、優先事項はたった一つ。


「シクロ、行くよ」

「はい」


 イヴァンがそう言って廊下に出ると、シクロは素直に従った。二人して得体のしれない廊下に脚を踏み出す。口に出さずとも、二人の目的は同じだった。


「ち、ちょっと、二人とも! どこ行くの?」


 レインが真っ青な顔で問いかける。


「マリアのところ。何が起きようが、やることは変わらないからね」


 なんの迷いなく言い切る二人に、ぽかんとする残りの七人。その数秒の茫然のせいで、二人についていくという選択肢を取り逃した。

 イヴァンとシクロは二人、薄暗い廊下を歩き始めた。


「確かに、外からは血の匂いがしますね。あの使用人の方の言っていることは間違いではなさそうです。だとしたら、マリアは大丈夫でしょうか?」


 心底心配そうなシクロの声。

 イヴァンは鼻を鳴らした。


「マリアがこんなことでどうにかなるはずがないよ」


 イヴァンは内心、少し呆れた。シクロは少し考えが足りない。イヴァンの心配はマリアが”どこにいるか”だけ。


 マリアの一番恐ろしいところは、適応力にあると思っている。

 どんな場所でも輝き、自身を主張する。まるで蝋燭の光。闇の中に薄っすら灯った光。蝶も蛾も関係なく、あらゆるものが彼女に吸い寄せられていく。そしてその蝋燭の光はゆらゆらと揺らめいて、近づいてきたものを飲み込んでいく。

 食われた人間は自分が食われたことにも気づかない。


 イヴァンは鼻を動かした。

 何度も嗅いだ、マリアの匂い。一生脳内から離れることはない甘美。それは決して色あせることなく、二人をマリアの元に導いた。


 マリアは、屋外、月光の下にいた。

 扉を開いた先の世界に、イヴァンは息を飲んだ。


 まるで絵画のように。

 漆黒を背景に月の光を浴びた金色は、真っ赤な下地の上で輝いていた。


「待ってたわ、二人とも」


 優雅に振り返る、美少女。

 足元は、息を止めた死体の山。異臭と内臓が無造作に散らばる地獄絵図。

 でも、切り株の上に座った彼女は、妖艶に微笑んでいた。


「……マリア」


 イヴァンは息を飲んだ。背後では、シクロが嗚咽を噛み殺したようだった。

 イヴァンの懸念を察して、マリアは手を振った。


「勘違いしないでね。これは私がやったことじゃないわ。私が来た時には、もうこんなになっていたの」

「どういうこと?」


 不思議に眉を寄せると、マリアが近づいてきた。

 純粋に、無邪気に、まるでお気に入りの玩具を見せびらかすかのように笑っている。


「これはね、エリー含む覚醒遺伝持ちの人たちがやったの。不遇ばっかりのこの世の中を変えたいんだって。それにしても、ひどいことよね。せっかく大人になるまで頑張って生きてきた人たちが、みーんな、死んでしまったわ。もったいない」


 マリアの言う皆とは、兵士のこと。

 武骨な鎧を身にまとった兵士たちの末路は悲惨なものだった。いずれも真っ赤になって、人としての機能を失っている。


「……うぇ」


 シクロがついに吐瀉してしまった。

 それくらい、広場は肉と油と血が入り混じった匂いが充満して、地獄の様な有様になっている。


 ただ、そんな汚物に塗れた空間でも、マリアは美しかった。

 満面の笑みは、汚れない。


「でも、こんな絶望的な状況こそ、ほしいものよね。英雄が、ヒーローが、救世主が」

「……どういうことですか?」


 シクロが口を拭いながら問いかける横で、イヴァンはその言葉の意図を理解して震えた。


「マリア。……まだ完全に状況は理解できないないけど、やりたいことはわかったよ。大丈夫なの? それは、下手したら”全てから”恨まれる方法だと思うけど」

「イヴァンはやっぱりすごいわね! 頭がいいわ」


 マリアが満面の笑みになったのを見て、イヴァンの心は温かくなる。


 ――そう。マリアのことを一番に理解しているのは、理解できるのは、私。


「確かに言う通り。私は今から、”全員の救世主”になる。でも、それができたとき、私はすべてを手に入れられると思うの」


 マリアが伸ばしたのは、月。

 宵闇の中で世界を照らす、唯一の存在。

 誰も手に入れられていない、理想。


「私は、皆がほしいものをあげるの。絶好のタイミングで、最高の状況で。そうすれば、誰もが幸せになれる。私も、皆を”唯一助けられる存在”になれるの。全員の心の中の深いところに、住むことができるの」


 それは誤認だ。

 落とし穴に堕とした張本人が手を差し伸べるかのような倒錯。


 でも、イヴァンだって、マリアの言っていることはわかる。

 ”落とし穴を掘った瞬間さえ見られなければ”、手を差し伸べた存在はマリアの言う通りの英雄であり、救世主足りうる。

 犯人と探偵は、同一人物だって良い。


「そして、私にはそれができるわ」


 マリアは笑う。

 綺麗なくらい、怖いくらい。


「ねえ、手伝って、イヴァン、シクロ。私は全員に、愛されたいの!」


 夢見る少女の様な顔で言われれば、イヴァンが首を横に振る選択肢は存在しなかった。



 ◆



「……アネット、アルコ、ついてくるのだ」


 イヴァンとシクロが去った部屋の中。

 残された七人のCクラス生徒。

 茫然と二人を見送ってしばらくしたタイミングで、エイフルが立ち上がった。


「え?」と誰が呟いたかもわからない疑問符。

「これは危機的状況である。しかし、裏を返せばチャンスでもある」


 エイフルは部屋の隅に立てかけていた自身の剣を手に取った。


「得体のしれない存在に、護衛の兵士たちが全滅? はっは。最悪な状況だな。だがしかし、敵の目的に予測はつく」

「え、な、なんで?」とアルコは震えながら。

「この場を襲うということがすべての答えである。有名な貴族令嬢の多々集まったこの課外授業。目的は彼女ら以外にあり得まい。人質にして要求するか、首を晒して愉快に嗤うか、それはわからんが、そんなものだろう」

「く、首って……」


 震えるアルコを見て、エイフルは不遜に鼻を鳴らした。

 アネットが「で?」と口を開く。


「そうかもしれないが、エイフル。あんたはこんな状況で何をしようってんだ?」

「無論、賊への天誅である。悪は栄えてはならんのだ」

「豪胆なことで。だが、敵は兵士を皆殺しにできるプロだぞ。私たちだけで戦いに行くなんて、むざむざ命を散らす行為じゃないのか?」


 エイフルは口角を吊り上げた。


「尤もだが、この状況においては不正解だ。よくよく考えろ、私たちの価値を。名だたる貴族令嬢が多くいる中で、我々の価値は吹けば飛ぶようなものだ。例えば敵さんが人質を考えていたとして、それは首に名札のつく存在だけだろう。残りはどうなる?」

「……人質は五十人もいらないってか?」

「そうだ。捕まって何かあれば、真っ先に切られるのは我々だろう」


 ごくり。

 全員が、からからに乾いた喉を鳴らした。


「そんな未来ならば、足掻いて見せようと、そうは思わないか? 悪に屈したまま野垂れ死ぬなど、路傍の犬っころにすら劣る」


 エイフルは口角の端を歪めた。

 学院に入学して、半年。すでに学友との仲も縮まってきた頃。

 Cクラスの中で、各々の性格も大体把握しているが、エイフルは時折無謀ともいえる行動をとるきらいがあった。良く言えば革新的、悪く言えばやけくそ。


 だから、全員まずは疑った。

 賛同するのは危険だと。

 だが、そんな雰囲気を感じ取ってか、エイフルはあっさりと背を向けた。


「……ふん。臆病者め。私は一人でも行くぞ。ここで動かなければ、私が私である意味がない。途中でマリアたちも拾えれば僥倖だな」

「いんや、私も行く」


 アネットも立ち上がった。その手には、アルコの首根っこを捕まえて。


「え、えええっ! な、なんで、私を捕まえてるの?」

「敵が覚醒遺伝持ちってんなら、おまえの魔術も必要だろ。魔術師団の力見せてくれよ」

「いやいやいや。私まだひよっこだし、こ、っこ、殺し合いなんて……」

「もしかしたら、すでにマリアたちは戦ってるかもしれない。弟子を見殺しにするのか?」

「……。……わかった」


 渋々といった様子で、アルコも立ち上がった。

 エイフルは満足げに頷いた。


「ふむ。これで最低限戦えるメンツはそろったか。作戦は移動しながら伝える。行くぞ」


 残された者たちのことには目もくれず、エイフルは廊下に出た。アネットとアルコも続いていく。


「……」


 残された四人はさらに茫然とした。


「……私も、少しやることがあるから」

 そしてテータも立ち上がり、


「こうなると、私もちょっと欲が出てきたっす……。これはスクープっす。この取材を成功させれば、滅茶苦茶新聞売れるっすよ。ピンチはチャンスっす!」

 クリスも。


 戦闘能力のないはずの二人も、いそいそと廊下に出てしまった。

 残されたのは、レインとスカイア。

 まったく戦闘能力のない二人。


「……」


 遠くの方で大きな音がした。

 二人は肩を寄せ合って、お互いの手を取り合った。


「……とりあえず、私たちは避難場所に行きましょう」


 震える足で、廊下に出たのだった。


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