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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
二章 学生一年目
31/142

2-14















 ◆



 誰が最初にその音を聞いたか。


 宿舎を取り囲む様に配置された兵士たちか。

 安全のために廊下を巡回する教師たちか。

 翌日の準備をする、何も知らない使用人たちか。

 耽る夜に話を募らせる生徒たちか。


 月だけが見つめる夜の中を、何者かが駆けた。


 最初にその動きを目に留めたのは、新人の兵士だった。今年から護衛団に配属され、初任務。場所が王都の外という事に不安はあったが、先輩の兵士も多くいるし、例年大きな問題も起こっていない恒例行事。しかも魔物討伐局が魔物を排した後の護衛任務だ。そこまで難しくはないと思っていた。

 抱いていた感想は、覆されることはなかった。

 栄光に駆け上がる最初の一歩。子守するだけの簡単な一日。


 そう考えたまま。

 考えが覆らないまま、彼は。


 絶命した。

 音もなく、残響もない。

 大きな産声を上げて生まれた生は、何も残さずに掻き消えた。


 命の灯に死の吐息を吹きかけたのは、大柄の毛深い大男だった。一瞬で首を絞めて呼吸を、脊髄を殺し、体から力が抜けた青年をその場に横たえた。


「……ふむ」


 低く小さい声で、自分の仕事の結果を見つめた。


 殺したのは毛もなく角もなく尾もない、色彩に変化もない、ただの人間。

 この世に数多蔓延る剪定してもしきれない害悪。

 一匹位死んでも、誰も何も言わないだろう。


 周りを見渡すと、彼と同じように順々と命が散っていくのが見て取れた。

 群からあぶれ、不用意にも孤立したコバエたち。まずはそれを狩っていく。そして、順々に歩みを中に進めていき、本丸を奪い取るのだ。


原初(オリジン)に、祝福を」


 呟いて、その男は歩みを進めていった。



 ◆



「……これは」


 護衛団を率いるグレイ・カインベルトは絶句した。

 交代時間を過ぎていくら待っても現れない兵士たち。共に訝しんだ数人を引き連れて詰め所から外に出て、兵士を割り振った区画を回っていくと、誰もいなかったのだ。


 生きている人間は。

 あるいは首を折られ、あるいは心臓を一突きされ、あるいは四肢がばらばらになって、物言わぬ遺体となっていた。


「どういう……」


 脳は警鐘を鳴らした。

 何が入り込んだかはわからない。

 ただ、危機的状況なのは確かだった。

 まずは状況を知らないといけない。一番このあたりに詳しい人物に、状況を把握してもらう。


「フォン、これは魔物の仕業か?」


 振り返って、同行した魔物討伐局の人間に声をかける。

 彼女は、血だまりの中にいた。


「違うぜ」


 フォンは笑う。

 音もなく、気配もなく。


 自分以外の護衛の人間全員を真っ赤に染めて、彼女は笑っていた。さっきまで会話をしていたグレイの部下たちは、一様に何が起こったかもわからない茫然とした顔でこと切れていた。


「……」


 さっきまで一緒にいて、ともすればくだらない話で盛り上がっていたのに。たった一瞬で、状況が変わっている。

 変えたのは、覚醒遺伝持ち、魔物討伐局に属する女性。


「魔物はきちんと狩ったよ。アタシたちは仕事に誇りを持ってる。獲物は取り逃しはしない。仕事ってのは、そういうもんだ」


 ぴこぴこ、と。

 機嫌よさそうに、彼女の頭頂部に生えた耳が動く。

 両腕は真っ赤。国から支給された制服にも人間の血を張りつけて、そいつは笑っていた。


「お、おまえ……軍務違反だぞ。いや、軍どころじゃない。人間として、おまえは終わりだ。人殺しめ。だ、だから俺は覚醒遺伝持ちなんか王都に、軍に、入れるべきじゃないと、そう、言ったんだ。おまえたちは人間じゃないんだから」


 グレイ・カインベルトは由緒正しき貴族である。

 一族は代々軍部の高い位についてきた。軍の中でも最高峰、騎士団の長だって父親だ。グレイも、将来は騎士団に入団する予定。この護衛任務を十全にやり遂げて、栄光の階段の切符を手にする予定だった。


 だが、手元にあるのは、血に汚れた切符。

 もう汚れてしまって、文字も霞んで見えない。

 驚愕の後には、怒り。

 自分の未来を汚されたこと、大切な部下を殺されたこと、王国に泥を塗ったこと。


「……ふざけるなよ、フォン。いや、化け物め。貴様ら化け物を飼おうとした王の恩情を踏みにじりやがって……。魔物討伐局という、腐った肥溜め。貴様らに体よく居場所を与えてやったというのに、その恩を無駄にして、どうするつもりだ。貴様らの居場所は、今のこの瞬間に世界から消失したぞ」

「あー」


 グレイから震える指を向けられて、フォンは耳をかいた。

 頭頂部についた、自慢の耳の方を。


「声ってのはさ、聞こえなきゃ意味がないんだぜ」

「ああ?」

「人間についているあらゆる感覚。それらはすべて、主観に依るんだ。自分が言ったのはわかっても、聞こえたかどうかは相手次第。自分がわかっていることを伝えても、相手がわかってくれるとは限らない」

「……化け物が。何を言ってるのか、わからないぞ」

「ひっひっひ。そういうことだ。アタシたちが泣いても、あんたたちは気づかない。アタシたちが死んでも、あんたたちは何とも思わない。会話ってのは、言い手と聞き手がいて、初めて成り立つんだ。同じ舞台に立って初めて、相手を理解する権利を得ることができる。さて、今のあんたとアタシ、同じところにいるかい?」

「いるだろ。そして貴様は、この場で私の部下を殺したまぎれもない犯罪者だ」

「これって、言葉は通じてるのかねえ。おんなじ種族なのかねえ」


 フォンはにやにやと笑って、足元の死体を蹴り飛ばした。腹を裂かれた死体は二つになって転がっていく。「貴様!」と叫ぶグレイに、鋭い眼光を差し向けた。


「同じことを、おまえたちもしているだろう? 知ってるぜ? あんたらには聞こえない叫びが、アタシたちには聞こえるんだ。地下の牢屋の中ですすり泣く子たちの、拷問室で泣き叫ぶ彼らの、悲痛が。あんたの耳には聞こえないのか?」

「……知らん」


 グレイは自らの腰に差した剣の柄に手をかけた。


「何を言おうと、今の貴様はただの殺人者だ。犯罪者が善悪を騙るな、汚らわしい」


 ぴくりとフォンの耳が反応する。

 平行線をたどる無駄な会話。

 上段のステージから降りようとしない、喜劇な役者。


「うっっせええな」


 フォンは柳眉を立てる。


「悪はてめえらだろ。自分たちの立場だけでものを語るんじゃねえよ、雑魚が」


 一瞬。

 二人の間には距離があって、そして同時に、明確な実力差があった。


 フォンが一歩踏み込んでグレイに肉薄するのと、グレイが剣の引き抜くのはほぼ同時。

 グレイが剣を振り下ろそうとするのと、フォンの右手が鎧を貫いてグレイの心臓を穿ったのもほぼ同時。

 フォンの右手が脈打つ臓器を握りしめて潰すのと、グレイの手から剣が零れ落ちるのも、同じ瞬間だった。


「ぐ」

「ばぁか」


 声も同時。

 思いは真逆。

 命を奪った者と、奪われた者。


「平和ボケした今だからこそ、アタシらは動く。人間の時代に風穴開けてやるよ」


 倒れ伏したグレイに、一瞥を投げた。


「ひっひ。それに、心配は無用だぜ。”声は届かないと、意味がない”って言ったろ。あんたの声は、どこにも届かないさ。周りにも、部下にも、王都にも、な。アタシは主犯じゃないということになっている。ひっひっひ。あーあ、死体に話すなんて、マジで無駄なことしちまったぜ」


 

 ◆



 にわかに外が騒がしい。

 教職員の中でそう思ったのは、ミドル・ライゼフだった。


 初めての課外授業。楽しい楽しい林間学校の最中で、外には多くの兵士が護衛中だとしても、ここは王都の外。魔物がひょっこりと顔を出す世界。生徒たちが外に出ないよう指導するのは、彼ら教員の仕事だった。


 廊下を歩いていると、いまだ起きている生徒たちの楽しそうな声が聞こえる。

 夜更かしを諫めるべきだという意見もあるが、ミドルはそれくらいならいいと思っている。むしろ日ごろ、しきたりやルールで縛られているのだ。少しくらい羽目を外したっていいだろう。

 これはAクラスもCクラスも変わらない。どんなに偉い人間の子供でも、本人はまだ子供なのだ。

 楽しむときには楽しんだ方がいい。

 その平穏を守るために、大人たちがいるのだから。



 黄色い声の出る生徒たちの宿舎を抜けて、端。

 裏口のあたりに差し掛かる。


 と、くぐもった声がした。

 次いで、何かが倒れる音。

 ミドルは眉根を寄せた。


「……誰か外に出たのか? それとも、兵士の連中も羽目を外してるのか?」


 それは困る。

 生徒は楽しむのが仕事だが、兵士は戒めるのが仕事なのだから。

 しっかりと仕事をしてほしいと思い、何の気なしに裏口を開いて外の様子を窺った。


 血の匂いが蔓延する地獄だった。

 あまりに絶望的な状況に、声も発せない。


 つい半刻前まで暇そうに兵士が巡回していた広場には、死体が積み重なっていた。新兵も、老年の兵士も関係がなく、眼から光を失って死んでいた。

 その中には、この護衛団を束ねるグレイ・カインベルトの姿もあった。

 つまり、最悪の事態。


 全体に知らせようと宿舎に戻ろうとしたとき、会話が聞こえた。


「おい、誰か来たぞ」

「兵士は全員やった。教師だろう」

「教師ってのは、殺していいのか?」

「生徒は殺すなと言われている」

「それだけか?」

「ああ、それだけを言われたな」

「なら、構わないというわけだな」


 頭上。

 ミドルの頭を超えたところから、何かが飛来した。宿舎の屋根に乗っていた第三者が飛び降りてくる。屈強な四肢、憎悪と殺意を孕んだ視線とともに、腕を振り上げ迫りくる。


 それらを見つめて、ようやくミドルは事の状況を知った。


「――」

「おせえ!」


 頭に角の生えた覚醒遺伝持ち。そいつの両腕がミドルに差し掛かって――。


「【凪】」


 ミドルは指を鳴らして、魔術を発現した。

 途端、襲い掛かる男の有している力が、力を失った。振り上げられた両手も導かれる重力も、一瞬だけ無効化される。硬い壁にぶち当たったかのように、宙にぴたりと止まった。


「?」


 困惑する男に、ミドルは続けた。


「【彗星】」


 ミドルの足元の土が隆起し、その形を変えて球形を形づくる。バネが力を貯める様に土の球体はぷるぷると震え、弾ける。それは瞬きする間に男との距離を詰め、そのまま彼に衝突した。「ぐげ」腹部に命中し、体が上空に跳ねる。そして、戻ってきた重力によって地面に叩きつけられ、その場にのたうち回る男。


 ミドルは足元の土を蹴り飛ばして、


「【流星】」


 飛び散った土は菱形になり、眼では負えない速さをもってそのまま男の背に突き刺さった。「ああああぐううう」絶叫する男の首を、ミドルは踏みつけた。


「他にいるやつも動くな。動いたらこいつを殺す」


 足に力を籠めると、男の悲痛な声が漏れる。


「まあ、動かなくても殺すけどな」


 思い切り体重をかけると、みし、と耳障りの悪い音がして、男は沈黙した。


「生かしておく意味がない。ここまで兵士を殺して、生徒に危害を加えようとするやつらだもんな。目的が何かは知らないが、邪魔させてもらおう」


 息を飲む音が周りから聞こえた。

 ミドルはその音から敵の数を確認した。

 外にまだ四人ほどいる。


 ――倒せるか?


 一対一なら可能性は十分ある。だが、全員が同時に襲い掛かってくれば怪しい。

 だがどちらにせよ。この場の敵は、全員自分が止める。あわよくば、殺しきる。生徒の安全は自分が守りきる。

 他の場所の襲撃は、他の教員がなんとかしてくれると祈るしかなかった。


「誰が首謀者だか知らないが、この俺にたてついたのは失策だったな。全員首を垂れて死ね」


 啖呵を切って、構える。

 死線をくぐる覚悟で、前を見つめる。


 しかし、前方から来ると思っていた声は、背後から。宿舎の中から。


「み、ミドル先生……」


 悲痛な声は、自分の生徒のもの。

 振り返ると、まさに自分が担任をしているクラスの子が、首元にナイフを当てられて現れたところだった。


「動くな。黙って投降しろ。そうすれば、この子と貴様の命は助けてやる」


 赤髪に赤目の少女。それは使用人だった。

 よく見ると、使用人の少女の背にうねる尻尾が見えた。侍従服のスカートの下に隠していたのか、彼女も覚醒遺伝持ち。つまりこれは、そういった輩が集まっての犯行。


 そこまで読んで舌打ちする。

 これは、外部による突発的な犯行ではなかった。王都の審査を受けた使用人にまで敵の手が及んでいる、計画的犯行。

 どこで間違えたか。例年通りと横着した役人か、簡単な任務だと侮った護衛団か、確認を怠った教員たちか。


 それはすでに遅かった。

 目の前には、震えている自分の生徒。


 いつもは余裕綽々な態度をしているのに、その様子は微塵も見られない。警戒対象だと言われていたが、この状況を打破できないくらいには普通の女の子。

 それはそうか。

 自信があっても、性格に難があっても、結局は少女なのだ。こんな命のやり取りなどしたこともあるはずがない。震えて当然だ。


「早くしろ」


 首にナイフが当たり、血が一筋、彼女の鎖骨を通っていった。

 ミドルは両手を挙げる。


「やめろ。大人しくする。が、一個、確認だ。さっき他のやつの話を聞いていたが、おまえたちは生徒には手を出さないんだな?」

「ああ。邪魔ものは消したが、子供は財産だ。殺すことはない」

「……そうかい」


 敵に屈することは、やってはいけないこと。

 けれど、それによって生徒の命を散らす方が、やってはいけないこと。

 自分は教員。

 生徒が一番大切だ。


 後ろから頭部を殴りつけられ、ミドルはその場に倒れ伏した。

 意識が遠くなっていく。

 遠くで、声が聞こえた。


「これでよろしかったでしょうか」

「ええ。百点の演技ね。あと、この人は殺しちゃダメだからね。私の大切な人なの」

「わかりました、――様」


 脳は声を受け取れない。

 意味がわからないまま、ミドルは意識を手放した。

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