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傾国令嬢 アイのカタチを教えて  作者: 紫藤朋己
二章 学生一年目
29/142

2-12













 魔物という存在は話によく聞いていたが、実際にどういうものかわかってはいなかった。

 人間とは一線を画す存在。人類の敵。排斥されるべき存在。いずれの話にも書記にも、魔物を忌避する文章が載っていた。皆が言うのなら、きっとそうなのだろう。


 誰もが魔物を忌避している。

 心の底から、殺すべき仇敵と捉えている。


 でも。

 私の周りで、実際に魔物に出会ったことのある人はいなかった。

 それなのになんで?

 見たこともないのに、どうして嫌えるの?


 不思議だ。

 好き嫌いすらよくわからない私。会って決まることじゃないのだろうか。

 存在だけで人を恐れさせる魔物。

 価値、感覚が曖昧なこの世界。

 考え方次第では、絶対な嫌われ者、魔物こそが絶対的な存在なのではないだろうか。


 うーん、考えがうまくまとまらないので、現状に戻る。

 今。

 魔物は鉄格子の中にいた。


「あーあー。どうも。アタシは魔物討伐局のフォンという者だ。ああ、覚えなくてもいい。ここにいる生徒のほとんどは、アタシと絡むのは今くらいなもんだから。ただ、こいつを捉えてきた怖い人だってことだけ、忘れないでね」


 女性。

 鉄格子の前に立ち、揶揄ように、けれど気だるげに私たちを見渡す。

 腰まで伸びた長髪。鉄格子にかけられた傷の多い細い腕。私たちよりも一回りくらい年上の、美人さん。

 綺麗な顔つきは目を引くが、しかし、それ以上に彼女の中で主張しているのは、頭頂部に生えた二本の突起。ぴょこぴょこと揺れるそれらは獣の耳だった。


 覚醒遺伝。

 イヴァンよりもシクロよりも目立つその特徴。


 ごくりと息を飲む音がする。

 周りを見渡すと、生徒たちの視線は、色んなところに散っていた。覚醒遺伝を持つ女性にも、鉄格子の中にも、鉄格子を囲む兵士にも、そもそもの現状にも。それなのに、表に出る感情は一様で、――恐怖だった。


「へっへっへ。あんたら、どっちにビビってんだよ。アタシか? それとも、中のこいつか?」


 フォンが軽く鉄格子を叩く。

 かん。と高い音。


 格子の中にいるのは。形容しがたい生物だった。

 豚の顔面、鶏の羽、犬の両足、体躯は大きく膨らんだ脂肪の塊。色んな動物の特徴を有していて、名称をつけることもできない、ナニカ。


 少なくとも人間ではない、奇異な生物。

 それは人の言葉を理解できないようで、時折家畜のように鳴いていた。


「……はい、皆さん。この度は、魔物討伐局からフォンさんに来ていただきました。流石に魔物の住む森の中には入ることはできませんので、こうして一匹を捕獲してきてもらいました。この林間学校の目的の一つ、世界を知るという意味で、これ以上の授業はありませんね」


 にこにこと揉み手をしながら生徒に話しかけるのは、学年主任。Aクラス担当のクラウチという恰幅の良い初老の女性だ。

 しかし、彼女が望んだはずの状況のはずなのに、少し頬が引きつっている。


「……こんなグロいものを連れてきて、どういうつもりです。もっとマシなやつはいなかったのですか。生徒たちが怖がっているでしょう」


 放心する生徒が数多いる広場。クラウチは彼女たちに聞こえないくらいの小さな声とともにフォンを小突いていた。


「へっへ。それは難しい注文ですな。魔物討伐局の精鋭でも魔物を生け捕りにするのは難しい。あんたの言う、”綺麗なやつ”は手に負えない。安全に捉えられるのは、こういった知性の薄い”キメラ”だけです」

「刺激が強すぎます。目の前にいるのはこれからの王国を作り上げる淑女たちですよ。トラウマになったらどうするんです」

「では、たかだか教育のためにアタシたちに辛酸を舐めろと? それこそお門違いだ。私たちの専門は魔物を殺すこと。”敵”を殺すこと。むしろあんたらの敵がどんななのか、よくわかるいい機会だと思いますがねえ」


 呆れたようなため息。それから、フォンの顔は私たちに向いた。


「こんな生物がうろうろしているのが、あんたらの生きる外の世界だ。ゆめゆめ、留意してくれ。護衛があるから、なんて甘えるな。専門家でもあるアタシらでも、戦いの中で年に数人は死んでいく」

「……」

「あーらら。ひよこちゃんたちには刺激が強すぎたかな」

「そうだと言ってるでしょう。これだから、人間もどきは……」


 嗚咽を漏らす少女も出始めた。

 潮時だと、私でも思った。


「じゃあ、今回の野外授業はこれで終わりにしよう。ないとは思うが、一応質問には答えようと思う。質問したいやつはいるか?」

「それよりもこれをさっさと片づけて頂戴」


 クラウチの声に賛同の首肯多数。

 一学年の総意となった。


「はい」


 どうもこのままでは質問の機会が失われそうなので、私は手を挙げた。


「お、一番こういうのダメそうな子からまさかの質問」

「えっと」

「……質問は勝手にして頂戴。Aクラスの子は宿舎に戻りますよ」


 私に一瞥してから背を向けて、クラウチは足早に宿舎に向けて歩き始めてしまった。Aクラスの子も我先にとそれに続いていった。Bクラス、Cクラスの子たちもそれに続く。

 残されたのは、私、シクロ、イヴァンといういつものメンツ。


「皆ビビりすぎでしょ……。こんな豚さん一匹に」とイヴァンは欠伸。真昼間だから、そもそも脳が回ってなさそう。「わ、わわ私は、ビビってないですけどね」とシクロは口元を震わせている。


 二人とも、私に合わせて残ってくれたのだろう。

 嬉しい。


 フォンがにやにやしながら私に近づいてきた。


「置いて行かれたな、お嬢ちゃん。あんたは貴族じゃないのかい?」

「ええ、生まれも育ちも下町の孤児院です」

「そんなナリをしていて? 貴族様の落とし子ってわけ……いや、なんでもない。沈黙は金だな。まあ、どのみちアタシの今日の仕事はこれだけだ。なんでも聞いてくれ」

「マンツーマンで教えてくれるってこと?」

「へっへっへ。なんだ、そんなに聞きたいことがあるのか?」


 聞きたいことなど、無限にある。

 伽藍洞の知識に、体験が追い付いてくる。今まで触れたことのない経験を得られる。

 未知が目の前にあること。脳が震えるほど嬉しいのに、他の子はそうじゃないのだろうか。

 知らないことが知ることになる。他人を知る、世界を知る、私を知る。


 それは、私にとって、一番望むこと。


「まず、この子はなに?」


 鉄格子に近づいていって、まじまじとそれを見つめた。

 小粒な瞳と、目が合った。

 陳腐な家畜のようで、されど自身を主張する不思議な生き物。


「そんなに近づいて、気持ち悪くないのか?」

「どうして?」

「どうしてって、こんな生物見たことないだろ?」

「見たことないから気持ち悪いの?」


 初めて見る生物が気持ち悪いという評価なら、初対面の人間は全員気持ち悪い相手という事にならない?

 でも、人には初めましてって言葉があるし、初めては悪いことじゃないはずよね。

 それぞれの人間を別の生物と捉えるのがいけない?

 種族単位で、初めてみる生物が駄目なのかしら。


「……そうだな。確かに、嬢ちゃんの言う通りだな。なんで気持ち悪いかと言われれば、言葉にはできそうにない。そもそもアタシには学もないしね。伝える術もない。まあ、それでも言うとするならば、本能かな」

「本能?」

「自分の根っこ、無意識が叫んでるんだよ。こいつは自分に危害を加える生物だ、ってな。もしくは、理解ができない生物だから、何をされるかわからないってところか」


 埒外の存在。

 思考が読めない生物。


 なるほど、それは納得できる。

 初対面の相手でも、分類上は人間だ。幼少期を超えたということは、最低限人の世界に順応できているということになる。つまり、自分の知っている存在に近しい。

 この生物は、何もわからない。

 何が目的で生きているのか、どうしてこんな姿になったのか、どんな場所で生きているのか、私たちのことをどう思っているのか。


「つまり、フォンさんもこれが何かわからないのね?」

「だから人間はこれに魔物と名前をつけた。家畜のように食えもしない。獣のように本能だけでもない。そんなものを、魔物とした」

「なるほど。わからないものを、わからないままに定義したのね」


 無理に答えを出す必要もないのか。


 魔物は魔物。

 私は、マリア。

 マリアだから、マリア。

 それでもいいのかもしれない。


 魔物くんの目の奥を見つめる。

 その深淵には、流石に何も見えなかった。


「……貴方は何?」


 問いかけても、応えは返ってこない。


「貴方は何なの? 本当に魔物なの? 化け物なの?」


 一目見ただけで、人から避けられる存在。

 無条件で嫌われる存在。

 一瞬で、他者との違いが明確になる存在。


 それは、化け物に相違ない。

 私と


「あんた、名前は?」


 フォンに尋ねられて、私は顔をあげた。

 試すような粘着性の高い視線に、笑顔を返す。


「マリア。名字のない、ただのマリアよ」

「マリアか。見たところ、結構”できる”な。私にビビってる様子もないし、魔物を気持ち悪がらない胆力も気に入った。どうだ、卒業後はうちに来ないか?」

「うちっていうと、魔物討伐局?」

「ああ。魔物ってのは、世界中のどこにでも散らばっている。そいつらが王都に入り込まないように、その他の街で悪さをしないように、殺すって仕事だ。王都はある程度良い血がないと生きていくのは厳しいが、魔物討伐局なら生きづらさはない。ある程度の権力も持てるしな」


 あまり将来のことについて考えたことはなかった。目の前のことにいっぱいいっぱいで。

 そうだ、私だって大人になる。大人になれば、お仕事に就く。私は何を仕事にしたいんだろう。


 魔物討伐局。

 この魔物を殺す仕事。

 よくわからないけれど、外の世界で生きるというのも悪くはないかも。


「後ろの二人はどうだ? 純粋な力で上にのし上がる世界だ。覚醒遺伝持ちも多くいるから、王都にいるよりも後ろ指差されることもないだろうさ。覚醒遺伝持ちが一番輝ける場所だぜ」


 おっかなびっくり鉄格子に触れているシクロと、うつらうつら船を漕いでいるイヴァンに水が向く。

 二人とも興味なさそうにそっぽを向いてしまったので、私が代わりに。


「素敵な申し出ありがとうございます。考えてみますね」

「へっへ、前向きでよろしい。一個、人生の先輩から忠告だ。マリアは綺麗だからわからないと思うが、この世は存外生きづらいぜ。見た目が他人と違うだけで、家柄に箔がないだけで、簡単に迫害の対象になる。羊しか生きられない世の中だ。大方、なんかの才能を買われてイーリス女学院に入ったんだろうが、ここに染まるなよ。生き方はなるべく早く決めておいた方がいい」

「ふふ」


 笑いが漏れてしまった。

 怪訝な顔をするフォンに、私は微笑みかける。


「おかしいわ。皆、皆、みーんな、外見のことしか口にしないんだもの」

「……この世はそういうもんなんだ。一番最初に入る情報、それが見た目だからな」

「じゃあ、中身はどうあってもいいの? 羊の皮を被れば、狼は羊の中に入ってもいいの?」


 この魔物だってそう。もしかしたら中身は人畜無害かもしれないのに。人間と同じ知性が宿っているかもしれないのに。確認もせずに、全員離れていった。


 じゃあ、人間っていうのは、見た目だけの話なのか。

 だから、私は許されているのか。

 見た目がいいから。人間としての見た目が優れているから。

 カわイイから。


 人並外れた運動能力も、学業成績も、魔術の才能も、いずれもが二の次。

 私が人とずれていると感じるあらゆるものは、他者にはどうでもいいものかもしれない。


 ようやく、理解。

 私は、可愛い。誰もが羨む見た目をしている。

 そして、私という生き物は、社会の上では、そこで完結しているのだ。

 思考とか、生まれとか、性格とか、友人関係とか、癖とか。ありとあらゆる私を構成するものは、他人にとって意味がない。興味すらない。

 私は、ただ、綺麗な顔で、笑っていればいい。

 だから、私が思い悩むことはないのかもしれない。

 笑顔だけが求められているのだから。

 心の中でどう思おうが、私の勝手。

 どうしようが、私の思うがまま。


「ひひっ」


 私は可愛い。

 皆が近寄ってくるくらい。

 一兆ドリムを出すくらい。


 この魔物とは真逆ね。


 だから。

 この魔物は存在するだけで許されない。

 私は、存在するだけで、許される。


 あらゆることが。

 笑っているだけで、私はすべて、許される。


「……あんた」

「教えてくれてありがとう。また一つ、私は私を知れたわ」


 見た目に気を遣おう。

 皆が好きなマリアになろう。


 それでいい。

 それだけでいい。


 後は、私が好きなように。

 中身は、私好みに。


 私に、任せて。

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― 新着の感想 ―
[一言] 皮が良い故にカわイイって…そこにゾッとしました。 非常に楽しく読ませてもらっています。これからも応援しています。
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