2-11
私の日常は、彩られていく。
イヴァンと一緒に夜更かしをして、
シクロと一緒に寝ぼけ眼を擦って、
テータからの胡乱な視線を貰って、
クリスに色んな事の取材を受けて、
レインから市場価値を話し合って、
アネットと一緒に朝練を繰返して、
エイフルと悪と正義を語り合って、
アルコとともに魔法を高め合って、
スカイアの怯える背中を追掛けて、
そうして、私は私を、彼女たちを、
知って視って識って、
掴んだの。
本心を真実を中身を内訳を。
◇
入学して半年。
林間学校なるものが開催された。
「ここにいるのはいずれも箱入り娘ばかりだから、外の世界を垣間見る機会が必要なのよ。一年に一回、周りから呆れられるほどの大所帯で、少し離れた森のところにある別荘まで向かうの。毎年の恒例行事、実家から見ていたけど、私もまさか参加する側に回るとはねえ」
目的地に向かう途中の、がたごとと音の鳴る馬車の中。
一学年五十人に、護衛や教師を含めた総勢百人弱の人々を乗せた数多の馬車は、朝早くに学院を出発した。
私と同じ馬車に乗ったレインは、周りを流れる景色を見つめながら、この林間学校について知っていることを教えてくれた。
「外の世界?」
「世界はここだけじゃないってこと」
景色は移り変わる。学院を出た直後は石畳に舗装されてゴミ一つ落ちていなかった道だったのに、徐々に建物が汚れ始め、道は凸凹になり、ボロを着た人が増えていった。今は王都を抜けた下町を進んでいる。
「同じ王国内なのに、随分違うのね」
「こっちの方が私は合うけどね」
レインは商家の娘。
今でこそ貴族とツテのある中流商家だが、彼女が生まれた時はそうでもなかったらしい。
「近くの農家から野菜とか肉を買って、それを広場で卸してたんだよ。当時はあまり経費を乗せられなくてね。ほとんど原価で買いたたかれたりしてて、稼ぎはほとんどないときもあったわ。ひもじかったあ」
一度大きな取引を成功させてからは、商売が軌道に乗ったらしい。実績と手腕と目利きが評価されて、今はレインの家が売っているという事実だけで付加価値になるのだとか。
「いい? ものの価値ってのは不思議で、そのものに価値がなくても、持っている人によって価値がつくこともある。所有者、見た目、中身、状況、――ありとあらゆる条件で、値はすぐに変わるからね。マリアもよく覚えておくんだよ。だから必死にアンテナを張り巡らせて、時代の奔流に乗り遅れないように、しがみつかないといけないの」
「それはわかる気がするわ」
人からの評価は当てにならない。
たった一人の存在が踏み込んだだけで、一兆ドリムがゼロになることもある。
誰もが羨む絶世の美女が、簡単に可哀想な女の子にも成り代わる。
「だから、一番価値の高いところで売る必要があるのね」
「そして、商人は一番安いところで買うのだよ」
私たちは、にやりと笑いあった。
レインと話すことで、私もものの価値を理解し始めた。
Cクラスの子たちには、それぞれ、”自分”がある。
得意なこと、不得意なこと、特異なこと。できること、できないことを判断して、自分の適した生き方を決めていく。
行先を決めて真っすぐに進んでいくその姿は、とっても眩しくて、素敵。
では、私は?
どう生きるのが正解なの?
できないことがあれば、できることがあれば、定まっていくもの?
私がなんでもできるから、何をしていいかわからないの。
「マリア、外だよ」
対面でイヴァンが外を指さした。
下町を抜け、家屋がなくなっていく。代わりに現れるのは、茶色と緑。
まっすぐに遥か彼方まで続いていく土の道。その脇に主張する膝丈あたりまで生えた草。青空は視界の先の先まで広がっていて、触れないくらい遠くには大きな山が聳え立っていた。
最低限しか人の手が入っていない、自然そのものの世界。
まずはその姿に圧倒される。私が今までいた場所は、造られた小さな箱庭にしか過ぎなかった。
そして同時に、人間の力を思い知る。
こんな大きな場所を、人は変えていった。
私が知る家を、社会を、世界を、作っていった。
「……すごいわ」
「ええ、私も初めてみました」
私の腕を組んでくるシクロ。彼女の目もきらきらと輝いていた。
「外は魔物がいるからね。下町にいてもなかなか外に出ることはないわ。私も商談に付き合って、何度か出たくらい」
「あら、でもあそこに家があるわよ」
「そりゃあ、世界は王都だけじゃないから、村もあるわ。この道に沿って二日くらいで、他の町にもつくの」
「え、ここ以外にも人が住んでいるの?」
「まったく、これだからお嬢さんは……。と思ったけど、マリアは孤児院出身だっけ? ほんとの箱入りってことね。質問に答えると、そう。ほとんどは王国の管理下にあるけれど、大規模な街も小さい村もいっぱいあるわ。人が住んでいる場所はここだけじゃないの」
「へえええ」
思わず漏れる大きな吐息。
孤児院は小さかった。学院は少し大きくなった。王都は、もっと大きかった。
さらに大きいのが、世界。まだまだ、私の知らないことはいっぱいある。
私に何ができるかは、正直わからない。
でも、したいことはいっぱいある。
全部、知りたい、したい。
この世界すら、理解したい。
◇
おおよそ百人の人間による行軍は、夕方前には終了した。
やってきたのは、道中で見た村のような、小規模な集落。しかしその建物は王都にあるような立派なもので、雑草などは絡みつかず手入れが十全であった。
門のところには数十人の人たちが私たちに首を垂れていた。
馬車に降りた私たちは、クラスごとに別れて各担当教師の前に整列した。ミドルが眠そうな顔を隠しもせずに、欠伸を噛み殺した。
「全員いるか? いるな」
集まったCクラス十人の顔を見渡して、咳ばらいを一回。
「遥か昔、王は戦士だった」
「何の話ですか」
「黙って聞け。王国の歴史について知ってるやつも多いだろうが、おさらいだ。かつて人間は今みたいに華やかではなく、世界の隅っこで細々と暮らしていた。何故かと言えば、それは魔物の存在のためだ。やつらは強い。か弱い人間を餌にして、喰らいつくしたわけだ。そんな中徒党を組んで、魔物に立ち向かったのが、今の王国の祖になる。彼らは優秀な戦士であり、我々はそんな先祖の血を継いでいる。戦士の血を有する我々が、臆病者でよいのか。王都の一番安全な場所に閉じこもるだけいいのか」
黙って聞いている少女たち。
ミドルは拳を握りしめた。
「答えは否だ。我々は人間として、勇気の意志を示さねばならない。先祖の血を継ぎ、魔物に屈することなどないと証明しなければならない。――といった経歴があり、この林間学校は開催されている。王都から離れた森の中で三日を過ごし、自らが勇気ある人間であることを証明するのだ」
なるほど。
なんでわざわざこんなところまで来るのかと思いきや、そんな背景があったのか。
つまり、ここで過ごせば、私も人間ということ?
誰も私を普通の人間だなんて言ってくれないけど、人間だと思っていいの?
「頑張ります」
笑顔を向けると、ミドルも「おお、頑張れ」なんて笑っていた。
二十名ほどで私たちのことを待ち構えていた人たちは、三日間をともに過ごす使用人の方々らしい。全員が深くお辞儀をしていて、私はどうしようかと思った。
管理者や料理人以外に、おつきの使用人も用意されていた。生徒たちは三人一組になって、その組に一人、使用人がつくらしい。後から、初対面の使用人をうまく扱えるかという練習にもなっていると聞いた。
AクラスとBクラスの子たちは慣れた様子で使用人に荷物を預けているが、私たちCクラスはそうもいかない。ほとんどが使用人と過ごした経験もない庶民。頭を下げたままの使用人をどう扱っていいか、手をこまねいていた。
私とイヴァン、シクロは同じ組。
私たち担当になった使用人は、赤色の髪の少女だった。私たちと同じくらいの、女の子。私たちの前で旋毛を向けたまま微動だにしない。
「……」
顔を見合せる私たち。
お友達は欲しいけど、部下とか使用人はいらないのに。
「……とりあえず、部屋に案内してくれる?」
周りの様子を窺って、同じように言葉を発する。
「かしこまりました」
少女は顔をあげた。赤色の瞳。学院ではあまり見ない身体的特徴。宝石のように綺麗な瞳とは裏腹に、仏頂面を隠そうともせずに両手を差し出した。
「お荷物をお預かりいたします」
「え、いいわよ、そんな」
「そうですか。それでは、私についてきてください」
一度頭を下げた後、背を向けて、すたすたと歩いて行ってしまう。
私たちは再び顔を見合わせて、彼女についていった。
◇
憮然で愛想なし。
それが、エリクシア・ブランの第一印象だった。
私たちが案内されたのは、豪奢な部屋だった。四つのベッドが四方に置いてあり、入り口横には洗面台もある。調度品のようで、灯具、絨毯、シーツ、どれもが綺麗にメイキングされていた。
「掃除の方は済ませております。お疲れのようですので、まずはごゆるりとおくつろぎください。本日の予定は、ご夕食のみと聞いておりますので。私は廊下を挟んでの使用人待機室におりますので、御用の際にはこのベルを鳴らし下さい」
深々と業務的に頭を下げて、身を引いていく。
「待って」
私は声をかけた。
「何か?」
「貴方のことが知りたいわ。これから三日間を一緒に過ごすのだものね」
朱い目を少し揺らして、少女は口を尖らせた。
「エリクシア・ブランです。歳は十三」
「エリクシアというのね。とってもいい名前。エリーって呼んでもいい?」
「どうぞご勝手に」
にべもない。
にこにことした私の笑顔も、視線を逸らして躱される。
でも、私、知ってるわよ。
それ、少し後ろめたい何かがあるときにするんでしょう?
「じゃあ私たちと同い年ね。仲よくしましょう」
「……貴方方は主人で、私は使用人なので」
「分別があることはいいことだわ。でも、私たちは別に、偉くないの。だから、そんなにかしこまらなくて大丈夫よ」
「偉くない?」
初めてエリクシアと目が合った。
「ええ。私たちはCクラス。Cクラスは、才能枠なの。だから、皆可愛くて才能豊かだけど、身分はそうでもないわ。貴方と同じじゃないかしら」
「……」
胡乱な、何かを推し量るような目。
「……そうですか。しかし、イーリス女学院に入学されたということは、比類なき才能をお持ちという事。それは貴族様と何ら変わりはありません。少なくとも、国が囲いたい才能ということですから。ですので、私はあくまで使用人です」
「まあ、それが過ごしやすければ、そうしてほしいわ」
振られてしまったわ。
でも、心の底から私たちを嫌っての不愛想とわけではなさそう。
「私はマリア。こっちがイヴァンで、あっちがシクロ。皆さっき言ったCクラスだから、気兼ねなく接してね」
イヴァンもシクロも手を振り返す。
そんな二人を、エリクシアはまじまじと見つめる。
「お二人とも、覚醒遺伝持ちなのですね」
「ええ、とっても、綺麗でしょう」
私が微笑みかけると、びくっとエリクシアの瞳が跳ねた。その額にしわを寄せて私を睨んでくる。
「綺麗? どこがですか」
「イヴァンは白銀の髪が手触りがいいし、シクロの肌はああ見えてとってもすべすべなのよ。あら、そういえば、エリクシアもイヴァンと同じ、紅い目をしているわね」
「……そうですね」
エリクシアはむっつりと口をつぐんでしまった。
「では、私は失礼いたします」
辞儀を残して、部屋を出ていってしまった。
「あらあら、恥ずかしがり屋ね」
私は微笑んでベッドに座り込んだ。
「……マリアが話しかけてるのに、あの女、失礼じゃないですかね」
シクロは閉じた扉を睨みつけている。
反面、イヴァンは思案顔。
「ねえ、マリア。あの子、どう思った?」
「とっても可愛い子ね」
「そうじゃなくて、雰囲気と言うか、ただの使用人だと思う?」
「いえ、違うでしょうね」
どちらかというと、テータに近い。
使用人とは別の目的がある、そんな顔をしていた。
「え、どういうことですか?」
「これはただの林間学校ではないということでしょう。他の使用人の何人かにも、眼の座った人がいたわ」
「私もそう思う。それとも、こういう催しなのかな? 勇気を証明しろって言ってたし」
「どっちでもいいわ。どっちでも、何か事が起これば、人の状況が変わる。そうなれば、ワタシが差し込める隙間も大きくなるというもの」
普段通り、従来通り。
その行動には何も生まれない。継続という無味無臭な称号が得られるだけ。
一度しかない人生。
普段通りばかりを求めて何になる? 大きな出来事があって初めて、人は変貌するものよね。
私は、その変化が、変貌が、見たい。
見せて。そして、――
「楽しくなりそうね」
色んな思惑に乗っかって、最高の結果を出してあげましょう。