2-10
「……あまりにもマリアが完璧すぎてね。隠された正体とかあるのかなあ、って思って、ついつい見つめちゃった。別に、他意はないヨ。ただの興味」
へらへらと笑う。
嘘。
虚。
人間の本質は、善だと思う。
それは幼いころから嘘が悪いことだと教えられているからだろうか。もっと人間としての根底に、種族的に、嘘を忌避する細胞があるのだろうか。
どれにせよ、ゆえに。
人は嘘をつくのに適した種族ではない。
人の嘘は簡単だ。
真実を口にするときは何も変わらないのに、嘘を吐くと何かが揺れる。
瞳であり、体であり、心であり。
見逃せない、気配のうねりが存在する。
私はそれを簡単に見抜くことができる。
「テータの実家は探偵なの?」
「違うよ」
「じゃあ、おとぎ話に出てくる忍者?」
「そんなのいるわけないじゃん」
「誰かに頼まれているの?」
「……それも違うって」
嘘。
一瞬。刹那。
常人では見逃すくらいの隙間。
テータの脳が一回転する時間。
その際の音すらも、私は逃さない。
「へえ、それじゃあ、誰に頼まれたの?」
「違うって言ってるじゃん」口を尖らせた。「私のことはいいよ。それよりも、マリアのことを教えて? なんでそんなに可愛いの? なんで運動も勉強も魔法もできるの?」
「むしろ、オシエテ?」
なんで皆できないの?
私だけができることになっているの?
むしろ、私はそちら。
私という何者かもわからない、白紙の存在。
そんな白色に、誰もが負ける。
本気すら出していないのに、オナジだと勘違いする。
「ねえ、なんで私にできることが、みんなはできないの?」
「……え?」
「皆言うわ。私ができる、って。私は何でもできる、すごいって。でも本当は違うんじゃない? 私ができるんじゃなくて、皆ができないんじゃないの」
一人になると、思考は巡る。暇なときに、よく考える。
私が化け物なのではなくて、
皆が化け物なのではないの?
私以外こそが、何もできない、矮小な化け物なんじゃない?
私だけが、唯一の人間。
でもそうなると、人間って何、って話になる。
二本足で歩いて言葉を話して大人数で群れて生活の知恵で生き抜いて大切な人を抱きしめるのが人間?
だったら、私だってそうだ。
でも、貴方たちは私を人間とは呼ばないんでしょう?
私を同じだと認めてくれなくて、違う者だと思い込みたくて、人間以外で定義したいんでしょう?
「――だから、オシエテ、って言ってるの。貴方が見る私を教えて♡」
人間以外だと断定するのなら、代わりの存在を教えて。
私はテータに近寄って、その手をとった。
一瞬遅れて、テータの身体が震える。
遅い。
遅い晩い、
襲い。
私はテータの身体を抱きしめた。
ぎゅううっと、テータの体から軋む音がするくらい。
「ちょ、ま、マリアっ、なにっ」
「ねえ、ここ最近、私のことをずっと、ずっとずっとずっと、見てくれていたんでしょう? 私、知ってるわ。だから、ね。オシエテオシエテオシエテ――。貴方の目に移った、私をオシエテ」
眼前、吐息のかかる距離に、テータの目が合った。
彼女の瞳に映る私は、綺麗だった。
楽しそうに嬉しそうに飲み込む様に、テータだけを見つめている。
反してテータの顔は驚愕が張り付いたまま。
「――はな、してっ」
「だぁめ。教えてくれないと、いたずらしちゃうわ」
「……なに、んっ」
ちゅ。
と。
テータの唇を奪う。
熱と熱が交錯して、お互いの唇に乗った互いの粘液が、同じ色になる。
一瞬、二人は一人になる。
「――っ」
見開く瞳。
脳の止まった顔。
ああ、
可能ならば、
このまま、
彼女を、
奪って食べて蕩かして、
私のものにしたい。
「ねえ、テータ。私、貴方のこと、大好きよ」
耳元。
震えて声も発せない可愛い少女。
鼓膜と共に、心を揺らすの。
「とっても大好き。貴方のためになら、どんなことでもしてあげちゃう。でもね、私は貴方のことが大好きなのに、貴方が私を好きじゃないのは、不公平じゃない?」
困惑。「……ど、どう、え、なに?」逡巡と焦燥。
「そう、怖がらないで。私は人間ヨ。人間だから、好きな人に好意を伝えるの。抱きしめるの。愛を交換するの」
この瞬間だけは、私はすべての悩みを忘れられる。
愛を伝える瞬間が、私にとって最も人間らしい瞬間。
互いの体液を交換し合う状況こそが、私が最も人間に近くなる状況。
私のことを人間だと認めてくれる相手の表情が、たまらない。
「くひっ♡」
制御できない私。
笑い声も、行動も。
テータを抱きしめて、逃げようともがく彼女を決して逃がさないようにする。
まずは体を堕としてしまえばいい。
体と心は別。
でも、体と心は繋がっているから、だんだんと私にすべてを委ねるようになる。
好きの感情を、体からも心からも発するようになる。
そうなれば、貴方も私になる。
一つになる。
ああ、
――さいこう。
「ひ」
怯える小動物。
痛くしない怖くしない悲しくしない。
ただ、一緒に、気持ちよくなるだけ。
誰だって、望むことでしょう。
私はテータの衣服に手をかけた。
がらりと。
訓練室の扉が開いた。
スカイア・タイル。
秀才で、見たこと聞いたことを忘れないらしい、並外れた頭脳を持つ子。
彼女は欠伸をしながら入ってきて、教室の端に置いてある教科書を拾った。私たちには気づいていない。「あったあった。アネットは人使いが荒いんですよね……」そして帰ろうとしたところで、ようやく私たちの姿を見つけた。
口づけを交わし合う、私とテータを。
「……」
茫然。
「こんにちは、スカイア」
私が挨拶すると、それをきっかけにどんどん顔が赤くなっていった。
「あ、あわあわあわ……」
「どうしたの、固まってしまって。一緒にする?」
微笑みかけて唇に指をあてると、ボン、と大きな音を発して、トマトのように真っ赤に熟れた。
「けっつ、けけけけけけ結構ですっ! 見てません聞いてません忘れましたあああっ」
まさに脱兎のごとく。
扉を蹴破って駆けて行ってしまった。
と同時に、片手を離した隙に、テータも私から離れて天井に戻っていったところだった。
荒い息だけが、残滓となって私の周りに残された。
残念。逃げられてしまった。
「テータ。続きがしたくなったらいつでも言ってね。私は貴方のことが大好きだから、いつでも待っているわ。貴方に、絶対の愛を、安心をあげる用意があるの」
お預けを喰らったけれど、仕方がない。この欲求はシクロと晴らそう。
それに、私が真に望むのは、こういった無理矢理にではない。
与えたいのは、愛。
欲しいのも、愛。
愛の交換がしたい。
だから、お互いの望んだうえで、こういうことがしたいの。
撒いた種は十分。
「あとは、待ちましょうか」
収穫時期を間違えた果物ほどおいしくないものはない。
熟れ切った最高のタイミングで、最高のものを食べる。
それに尽きるわね。
◆
スカイア・タイルは、自分が異常者であると自覚している。
人の言う、忘れるという行為がわからない。
寝れば忘れるだの、別のことに集中すれば忘れるといった言葉が、本当にあるのかも疑わしい。
でも、誰もが安穏とした顔で生きている限り、忘れるという行為は実際に存在するのだろうとも思う。
「ああああああ忘れろ、忘れろっ」
忘れようと呻くのは、この世で私しかいない。
寮の自室。
ベッドに突っ伏して、うなりを上げる。
スカイアにとって、日々の生活は自分の脳内を広げることと同義であった。
脳内にはいくつもの部屋があって、一日ごとにその部屋が増えていく。部屋の扉は開いていて、いつでも必要な情報が取り出せる。その部屋のなかにある景色は色あせることはないから、一年前にすれ違った人の顔も思い出せる。
完全記憶能力。
この力を買われて、イーリス女学院に入学した。
けれど、この能力はデメリットもあって、部屋にカギがかけられないのだ。思い出したくない過去も幾度となくフラッシュバックしていく。
物心ついた時は自殺未遂を何度かした。自分の行動が後悔と共に何度も押し寄せてきた。それくらい物事を忘れられない脳内は、トラウマや恥ずかしい過去を野ざらしにして、スカイアを自責の檻に閉じ込める。
何もなかった日でも、寝る前はずっと死にたくなる。
でも、今日見た光景は衝撃的過ぎた。
級友のアネットが教科書を失くして騒いでいたから、覚えている場所を口にすると、取ってきてと依頼された。スカイアは人づきあいが苦手なので、頷くことしかできなかった。今日はこのことで唸る予定だったのに。
マリアとテータ。
すでに全校生徒で有名になっている美少女と、同級生が、キスをしていた。
ここは女学院。
そういった女女での逸脱した関わり合いもあると聞いたことがある。都市伝説だと思っていたのに。
いざ見ると、ほとんど初めて脳が動きを止めた。
でも、そのことははっきりと覚えていて、今もフラッシュバックしている。
「しかもマリア、シクロともそういう関係だったよね……」
入学式の時に濃厚なキスをしていたことは、忘れようもない。
ある時はイヴァンともイチャイチャしていたように思える。
「あわわわわ……」
自分には関係のない話。
でも、知ってしまった。
余計なことばかり覚えていく愚鈍な脳。
「明日から、どんな顔して会えばいいんだよお……」
昨日のことは気にしてないよ、なんて爽やかな笑顔と共に言えれば、それが一番だけれど、そんな動きが自分にできるわけもない。せいぜいが、「あ、あ、え、お、わた、わたし、忘れました!」なんてどもりながらの返答になる。
しかも、自分の力は知られているから、言い訳のしようもない。
……最悪、口封じ?
「あばばばばっば」
スカイアは口から泡を吐いて意識を手放した。
翌日、忘れてないかな、なんて希望的観測に浸って。
当然、忘れているわけもない。
当の人物たちに会わないようにこそこそと朝食をとって、小さくなって登校して、こそこそと教室に入る。
中には、テータがいた。
「あ、スカイアちゃん」
声をかけられてしまった。
スカイアは絶望した。
「あ、え、お、おはよ、テータ」
「おはよー」
簡単な挨拶もそこそこに、席に着く。
すぐさま「ちちちちょっと、トイレ……」と席を立とうとすると、「そういえば昨日のことなんだけどね」と水を向けられた。
「え、え、え、昨日の事って?」
「私とマリアが抱き合ってるところ見たでしょう? あれ、私が転んだところをマリアが抱きとめてくれたんだよね。だから、多分スカイアが思っているようなことはないから、安心して」
「う、え、」
「あ、やっぱり勘違いしてた。私とマリアはそんな関係じゃないってば」
スカイアはしっかりと覚えている。
テータの潤んだ瞳を。
マリアの欲した目を。
艶めいた二人の唇を。
でも、知らない。見てない聞いてない。
「そ、そそそそそうだったんだあー。よよ良かったあー」
「うん、気にしないでね」
「ももももちろん。わ、私、全然覚えてないからー」
完璧な返答して、スカイアは教室を出た。
安堵の息をついて、前を向く。
「おはよう」
マリアがいた。
「むきゃあああああっ!」
「うわ、吃驚した! スカイアってそんな声出せるんだね」
マリアの隣、イヴァンが驚いている。
でも、そんなことに気を配っている余裕はない。
「おおおおおはおははよう……」
そのまま横を通り過ぎようとすると、その間際、囁かれた。
「昨日のこと、忘れないでね」
私に。
テータと真逆なことを言って。
「私、貴方のことも、大好きだから」
ぞわり、と、何かが肌を撫でていった。
忘れえない記憶と、感覚。
彼女はそれを残して、笑っていた。