7-13. それぞれの
◆
「私は出来損ないなんだ……」
「どうして?」
「他の侍女ができることができない。普通わかるでしょと言われることがわからない。何度説明されても、わからないことはわからない」
「そうなの」
「なんで皆わかるんだ。どうしてわからないと言うと鼻で笑われるんだ、わかるのが普通なんだ。むかつくむかつく。でも、本当にむかつくのは、文句ばっかり言って何もできない自分なんだ」
「ふうん。じゃあ、ちょうどいいのかもね」
「は?」
「私はなんでもできる。一度聞けば、目にすれば、できないことはない。何もできない貴方となら、つり合いが取れるのかも。ね、リオン。貴方、私の侍女にならない? 私は貴方を出来損ないなんて呼ばないよ」
◆
「……」
「ボロボロな体ね。貴方はここで何をしているの?」
「……がう」
「人の言葉が話せないの?」
「……話せるよ。でも、私は話さない方がいいの。見てわかる通り、私は魔物だから。魔物として刈られてしまった方が簡単」
「魔術討伐局にやられたのね。確かに毛むくじゃらで大きい。でも、魔物は話せないと聞いた。だったら貴方は魔物ではないんではないの?」
「さっきから真っすぐに目を見てくるけど、私が怖くないの?」
「怖くない。だって私の方が強いもの」
「……」
「人間の姿になれないの? なれるんだったら、私の護衛になって。そして私の練習相手になって。普通の人じゃあ相手にならなくて面白くないの」
◆
「つまらなさそうな顔」
「ええ、つまらないですわよ。なんで私が貴方の侍女みたいなことをしないといけないのか、理解に苦しみますの。私はこんなことをしてる場合じゃ、……ち、なんでもないですわ。どうせ私はお姉さまほど優秀じゃないですからね。このあたりの配属が妥当ですの」
「お姉さんがいるの?」
「失言ですわ。私は今から貴方の侍女。それだけの存在ですの」
「そうだね。じゃあ、私の友達も兼ねてよ」
「え?」
「貴方は私に敬語を使わずに話せるんでしょう? だったら、そのままでいて。私は友達っていうのに興味があるの。いたら、楽しいんだって。毎日がつまらないのは私も同じ。私を楽しませてよ、ピレネー」
◆
ミリアは自分の直属の配下である三人を集めた。
リオン、クロウ、ピレネー。三人を前にして、無表情のまま口を開く。
「約束の日がついにくる」
マリアが侵攻を宣言した日が、目前に迫っていた。
「人々の混乱は収まりませんわ」
現在、王国内では混乱が相次いでいる。世界の終わりだと暴れまわる人や、窃盗や強盗なども頻繁に起こっていて、平和だった姿の面影もない。覚醒遺伝持ちの人間の強さは誰もが理解しているからこそ、それが大軍を率いてくることに恐怖に駆られてしまう。
「そうだね」
ただ、ミリアはそれらのことなど気にしない調子で、言葉を続ける。
「マリアがこの世界を壊しに来る」
「……そうですわね」
ピレネーはミリアの金色の瞳を見つめた。相変わらず何を考えているのか読み取れない。
リオンは先ほど確認してきた戦場の様子を思い起こす。
「ミリア様。戦場の準備は整っております。王国の外、平原に陣を構えた王国軍は、騎士団、魔術師団、護衛団、魔術討伐局、その他衛兵を徴収して、五万ほど。まだ土地の基盤もはっきりしていない新興国相手には余剰ともいえるかもしれない兵力が揃っております」
「足りないね」
ミリアは一蹴。
顔が引きつる三人に微笑んで、
「でも、それはいいんだ。そこはどうでもいい」
王妃のミリア。彼女はそれ以上戦場のことは聞かなかった。
「貴方たちをここに呼んだのは、一つお願いをしたかったから」
「お願い?」
クロウは眉を寄せる。
「うん。戦争が始まったら、敵は王宮まで入り込んでくるよね?」
「……そこまで侵入を許したら終わりですよ。ミリア様は負けを予想しているんですか?」
「違う。この戦争の勝ち負けはそこじゃない」
「……?」
「話を続けるよ。戦争中、ここに入り込んでくるのは、マリアとその周りになる。貴方たちには、マリアの周りを足止めしてほしい。王の間にはマリアだけを通してほしい」
「イヴァンと、シクロ、その他ってことですのね」
ピレネーは頷いてから顔を引きつらせる。
「……バレンシアもいますわよ」
「そう、だから、これはとっても難しい仕事。死んでしまうかも」
ミリアの表情がここに来て初めて変わる。
苦渋。
「でも、これは本当に大事なことなの。貴方たちの動き次第で、これからの世界が変わる」
話を聞く三人の脳内に、イヴァン、シクロ、バレンシア、そしてまだ見ぬ戦力の姿が過った。いずれの化け物とされる人間で、止めることすら容易ではない。
ただ、ミリアの眼は過去に見たことのないほど真剣であった。
「そうせよ、と命令ください」
リオンは胸を張った。
「私はそうします」
強く、ミリアを見つめる瞳。濁りも汚れも迷いもなく、まさに忠心であった。
「いくら相手が強大でも、命を落とす戦いになっても、私がやり遂げましょう。貴方は命令さえしてくれればいいのです」
「リオン……」
「……私も、やります」
次に宣言したのはクロウ。
「私の化け物がようやく役に立つというものです。正直、少し迷いました。マリアの世界、化け物の生きやすい世界。そうなった方がいいんじゃないかって、王国は一度滅んだほうがいいんじゃないかって、思っていました。けれど、私が決めるのはそこじゃない。私が選ぶのは、誰の下に就くか。貴方は私に居場所をくれた。魔物を人間にしてくれた。だから――貴方についていきます。貴方の考える未来に従います」
「ありがとう、クロウ」
リオン、クロウの目はピレネーに向いた。
ピレネーは眉を寄せて、「……私は」逡巡してから、
「お姉さまが好きです。マリアのことも、嫌いではありません。だから彼女たちと敵対するのはあまり気が進みませんわ。でも、私はそれ以上に貴方の友達ですの。貴方が初めてそんな真剣な顔をしているんですもの、断るわけにはいきませんわ」
ため息。
三人はいずれも、ミリアに向けて首肯を返した。
「ありがとう、皆」
ミリアは安堵の息を吐く。
「私は貴方たちが好き。今まで色んなものに目を向けなかったせいで、手にしないといけないものを落っことして生きてきた。もう少し人を見ていれば、今だってもっと良い方法を思いついたのかもしれないけど、できることをするしかない。無理やりな手法をとったから、誰も私についてきてくれない。頼れる人が少ない。貴方たちにしか頼めない」
顔を伏せる。
「でも、貴方たちがいる。だから私はやり遂げられる」
ミリアは顔を上げた。
「私が貴方たちの世界を作るから」
◇
「私が貴方たちの世界を壊すから」
宵闇、一人、星空の下で思いを馳せる。
目前に迫った殺し合い。
単純な数で言えば私たちに勝てる見込みはない。十倍以上の差がついているし、こちらは行軍して攻める側。物資だってもっていかないといけないし、進んでいく手間や疲労も存在する。攻撃する側は単純に不利。
けれど、勝算は多分にあった。相手は王国といっても、人の集合体なのだから。
私は影。人の背後に、心に、隙間に、入り込む存在。
私が王国で培った基盤は、王国を混乱させるのには十分だった。
一か月前に侵攻を宣言してあげたというのに、王国はいまだばたばたと慌て、動向を決められない。
ここまで大規模な人と人との戦争など、過去にはなかった。人間は原初や魔物と争ったことはある。けれど、それらは人間からすれば異物。別生物を殺すのに罪悪感は必要ない。異物を排除するという正義の元、一つの矛となったとびかかることができる。
でも、今回は少し異なる。見た目上は人間に近しい相手。少しだけ変な見た目をしていて、少しだけ異質な能力を持っていて、少しだけ周りから排斥された、”人間”。
それを同じ人間と呼ぶか、化け物と呼ぶかは、人によって異なる。だからまとまれない。民意は総意になりえない。個人の判断は悪意にも独断にもなりえてしまう。
逆に。私たちは覚悟を決めている。普通の人間が相手だと思って国を作り、攻撃対象を定めた。私たちが正義であるという意識はすでに刷り込んである。
自分の敵は決まっていて、
相手の敵は決まってない。
刃は片方にだけ向けられている、異質な状態。
そういう風に私が扇動したんだけどね。
私が魔国として国を立ち上げたという情報は、すでに王国内に伝播している。そうすることで、王国はまた揺れていく。マリアは生きていた、けれど、どうして敵になるの? 前までアースの隣にいたマリア。彼女がいなくなって、その場所にいるのはミリアに変わっている。
勘の良い人は、ミリアに憎しみを向ける。私に何があったのか、勝手に妄想して考えあげて、”私に都合の良い物語”を作り上げる。
だってマリアは素直で可愛くて頑張り屋さんなんだもの。そこを付け込まれて、王家に追放されてしまったのよね。可哀想可哀想。
私は。
競売では数々の入札者を。
林間学校では同級生を。
暴君事件では学院の生徒を。
魔術研究所では子供たちを。
政争では王宮の人たちを。
清掃では下町の人たちを。
私と触れ合った人たちにマリアを伝えてきた。彼らの心の中に、マリアを住まわせてきた。笑顔と会話をもって、絶大な存在感を見せつけた。
羨望の対象になり、
愛情の受皿になり、
希望の象徴になり。
あるいは。
どろどろに、
ぐちゃぐちゃに、
めちゃめちゃに。
狂わせた。
崩して、傾けて、歪ませて、
どうしようもなくしてしまったの。
私がいなければ違った人生になっていた人の、多いこと多いこと。私と出会ってしまったばっかりに運命の歯車の壊れた人は枚挙に暇がないだろう。
少々の罪悪感。
そして、多大な優越感。
私は、マリアは、そこにいる。
貴方たちの、心の中に。
私は、誰よりも、世界を動かした。
数々を狂わせてきた私。最後に私が狂わせるのは、王国。または、世界そのもの。
私に絶縁状を叩きつけた腐った世界。
貴様に私は今、手をかけた。
この戦に勝って、人類を破滅させて、新しい世界を創る。新しい時代を生み出す。
「私色の世界。最高よね」
誰も止めるに値しない。
マリアはあらゆる分野で最強。誰も比肩することのない孤高。
さあ、楽しい戦争の、はじまりはじまり。




