7-3
久しぶりの陽の光は眩しかった。
自分の正体を知ってから初めて空を仰ぐ。雲一つない蒼天は以前のように美しく、その煌びやかさを初めて鬱陶しいと思った。
足元、黒い影。陽の光を決して浴びることのない、太陽と物体の隙間。光を浴びた物の真似をして、自分も光なんじゃないかと勘違いする、哀しい存在。
私は今まで、人間になりたかった。多分、心の奥底では人ではないとわかっていたから。ただ真似っ子しているだけだから、不安が拭えない。愛想を振りまいて、私の黒色が暴かれないようにすることしかできない。
道化。それすら、私には過ぎた呼び方だけど。
まあしかし、それらはどうでもいいこと。私は私を知った。もう、未知はない。理想も、夢もない。現実に即して、地に足をつけて生きていくしかない。
影らしく、人の足元で人を見つめるの。そして、”影が人を動かすの”。者が動いて影が動くんじゃない。影が動くから、者が動くの。
「くひひ」
そう、やることは変わらない。今迄と同じ。皆の心を理解して、お互いの最善を提示してあげる。うまく誘導してあげる。
変わったのは前提。私は人間じゃない。だから、人間らしい行動はいらない。もっと残虐に、快適に、楽しく恐ろしく悍ましく美しく。人間の枠組みから外れて、動くことが可能になる。
「私は自由になったの。人間じゃないんだから、もっと大きく手を伸ばして行動してもいいの。ね、それってとっても素敵よね?」
私は隣を歩くエリクシアに尋ねた。瞳をのぞき込むと、嬉しそうな笑顔が返ってくる。
「ええ、マリア様。貴方の言う通りです。私たちは化け物。人間の常識にはもう囚われない。つまり、私たちには法も罪も何の意味もなさない」
「ふふ。縛られるものがないというのは素敵ね。ようやく解き放たれた気分だわ」
人間の常識。周りに合わせるとか、法を守るとか、罪を犯すなだとか。
全部もう、いらない。必要ない。私はこんなにも自由になった。
「裏を返せば、私は何をしてもいい。何になってもいい」
自由とは、肯定だ。
今まで過去は私を否定してきた。逆説的に、今私の立っている現在は私を肯定してくれる。
気分が高まるわ。
私は目覚めた翌日、建物から出て外を歩いていた。
その場所は村の形態をとっていた。
王国から離れた最果て。人の常識の及ばない地点。そんな端っこで、他の人に見つからないような小さな居場所。
こんなところでも、人は生きている。木造の家屋が立ち並び人が行き交っている。そのどれもが見た目が特殊な人間だった。肌の色が青色だったり、隠しきれない翼や角が生えていたり。王都では決して見られない光景。
ぱっと見ただけでも、百人ほど。人間の世界では石を投げつけられる異常者が多い。
「私はまだ、全然世界のことを知らなかったのね。王国にいた覚醒遺伝持ちの人間は、まだ人間の見た目をしていたもの」
「ここに住んでいるのは人の世界で生きられなかった者たちです。仕事がない、馴染めない、そんな生ぬるい話じゃない。生きているだけで、罪になる者たち。違い過ぎるからと遠巻きにされ、果ては魔物と同じ討伐対象にされてしまった人なんです」
「可哀想ね」
マリアと同じ。
まだ何もしていないのに、敵意と殺意と憎悪を向けられる。
「魔物と彼らは違うでしょう? 意思疎通はできるもの」
「ええ。ただ見た目が違うだけ。それだけの話なのに、こうも迫害を受けてしまう。私は、こんな世の中を変えたかったんです」
立場が変われば、考えも変わる。
私は過去を知っていく。過去、どうしてエリクシアがイーリス女学院を襲ったのか。
あの時、生徒は全員エリクシアたちを恨んだ。自分たちの命を脅かされたのだから、それは当然。私は恨みはしなかったけれど、エリクシアの気持ちもはっきりとはわかっていなかった。
今ならエリクシアの気持ちもわかる。ここにいる誰も、人間の世界で生まれたのにこんな端っこに追いやられたのだと思うと、やりきれなくなる。誰だって最初は希望をもって生まれたはずなのに。この世界に生まれて嬉しくて泣いたはずなのに。
私だって、/いや、マリアだって、そうだもの。
歩く中、私とエリクシアに突き刺さるのは警戒した視線だった。
確かに私は急に現れたよそ者。それに、ぱっと見では普通の人間。ここで過ごしたことのあるらしいエリクシアが隣にいるから大事になっていないけれど、一人で歩いていたら何しに来たんだと文句を言われそう。
この場所では、異常が普通。普通が異常。獣の耳でも生やしていこうかしら。
「ねえ、エリー。私、この村にいても大丈夫なの?」
「大丈夫以外の結論はありません。大丈夫です。私がすべての否定を握りつぶしましたんで」
「それは反感を買う行為では?」
「これは反旗を奪う好意です」
エリクシアは満足げに鼻を鳴らす。
「そのうち彼らもマリア様の力を目にすることになるでしょう。そうなれば、この無遠慮な視線は好意渦巻くものに変わるでしょう。少しだけ容赦ください」
「任せるわ。私も馴染むまでは余計なことをしないようにするから」
余所者は大人しくしてましょう。
「おい」
声がかけられた。振り向くと二人の男性が立っていた。
蛇の様な顔をした男と、類人猿のように毛深い男。私も見覚えがある二人は、むすっとした顔で私を睨んでいる。
「久しぶりじゃない。懐かしいわね。ここに住んでいるの?」
旧友に出会った時のように手を合わせてほほ笑むと、二人の顔が引きつった。
「てめえ、よくそんな顔ができんな」
名前は確か、ルールスとスタッグ。エリクシアとともにイーリス女学院を襲った存在。私の計画の足場になってくれた人たち。
「どうして? 助け合った仲じゃない」
「てめえが一方的に踏み台にしたんだろうが」
「元気そうで何よりね。壊れた四肢や骨は大丈夫なの?」
ルールスは顎の剛毛を撫でて,
「私の骨はもう大分前に治っている。スタッグの左腕と右足は、今下町の方で出回っている黒い丸薬を飲んだら治った。完治済みだ」
「あら、飲んでくれたの? 嬉しいわ」
「すでに姫から聞いたぞ。貴様が作ったものだと。その点は感謝している」
ルールスは頭を下げてくれたけど、スタッグは怒気のままに両拳を握りしめた。
「なんで頭下げてんだルールスよぉ! ふざけんなよ。てめえのせいであの時の計画が無茶苦茶になったんだ。俺はてめえを許してねえ」
剣呑な顔になるエリクシア。
「スタッグ。貴様、マリア様に楯突くつもりか? 舐めた口を利くならその腕を再び落とすぞ」
「おいおい、エリクシア。おまえはほだされすぎだ。こいつは俺らを助けたなんだとほざくが、こいつがいなければ全てうまく行っていたんだ。俺たちは今頃、王都の一等地でぬくぬく楽しい日々を送れていたんだ」
「ふふ」
私は思わず笑ってしまった。
爬虫類のような目が私に向く。
「何がおかしいんだ」
「杜撰な計画、下らない慢心、詰めの甘さ。どれをとっても、あの時の計画は上手くいかなかったわ。私がいてもいなくても貴方たちの要求は飲まれることはなかった。王国の議会に押しつぶされるか、刃に首を刈られるか、頭脳に裏をかかれるだけ」
彼らは王国を碌に知らない。王国の持つ力、どれであっても黙殺できる。内情を知っている私からすれば、一言。
「目に見えた死を回避できた。むしろ、私に止めてもらえて感謝するべきよ」
「……ああ? わかんねえだろうが。結果が出る前にてめえが邪魔したんだろうがよ」
スタッグは私の胸倉を掴んできた。
私はその腕を落とした。足元に戻る影、噴き出る血、落ちる右腕。
「……あ?」
「今もそうよね。貴方たちには考えが足りない。私が黙って聞いているだけだと、誰か言ったかしら? やり返されない保証があったかしら? 普通こんなことしないだろう、という下らない常識しか頭にないんじゃない?」
「あああああああああああああああっ」
数秒遅れての絶叫。
脅しっていうのは、相手を見てやらないといけないのよ。私がただ黙って聞いている時代は終わったの。
私は自分の指を切り落としてから、その五月蠅い口の中に手を突っ込んだ。私の血が、彼の中に潜り込んでいく。
体の中、そこは陽の当らない暗闇。そして、何があるのかもわからない影。つまり、私の独壇場。
彼の腕の出血が止まる。そして、もぞもぞと切断面が蠢き、腕が生えてくる。
手を口から引き抜くと、私は指を元に戻した。指についた涎類をエリクシアが拭ってくれた。すごい迅速なんだけど。
茫然と、再び生えてきた腕を見つめるスタッグ。
「私は影。影は形を真似るもの。今地面に落ちた貴方の腕を真似て、貴方の腕を作ったの。貴方の中に、影を植え込んでね」
力とは、自覚による。
影の使い方は、私の理解次第。
「影は傷つかない。影は壊れない。影はそこにある。だから、黒い丸薬を飲んだ人の身体は元に戻る。影の力を得て、以前の自分の身体を真似て、体を作り上げる」
観客は三人。茫然と私を見つめるだけの三人に、私は歌うように告げる。
「影は貴方たちを見ている。だから貴方たちを治せる。そして、貴方たちの中に眠る原初も見つけてくれる。私の思うがままに、影は人を変えていく――いえ、”元のカタチ”に戻していく」
あるべき姿に。
なすべき形に。
「……てめえは」
「化け物と言う? でもね、貴方たちと同じでしょう? 貴方たちと同じで、人間から迫害されてきた存在。マリアは貴方たちとは違わない」
私はスタッグの手を掴んだ。
「だから、協力してあげる。貴方たちの野望に」
スタッグは私から離れようとするけど、私は手を離さない。
「杜撰な計画、粗雑な道筋。それらは私の中には存在しない。やるからには緻密に絶対的に。間違いない勝利を約束するわ。私たちはもう味方同士、でしょう?」
「願ってもないことです」
答えてくれたのは、エリクシアだった。満面の笑み。やっぱりエリクシアね。
「人間は今まで陽の光しか見ていなかった。足元に影があって、そんなところでしか生きられない存在を知らない。見ようともしない。だから私たちがやるんですよね」
私はスタッグの手を離して、エリクシアに抱擁。甘くて優しくていい匂い。
「ええ、そうよ。エリーは本当にわかってくれるわね。私がやるからには、全てうまくいくわ」
ちら、とスタッグの顔に目をやる。
「私はすべてを可能にする。望むのなら、貴方を王座に乗せてあげてもいいわ」
「できるわけねえだろ」と言いつつも、にやりと笑う。「だが、できれば痛快だな」
ルールスは疑わし気。
「姫。信じてよろしいのですか? この女はたった今、スタッグの腕を落としたところですが」
「信じていい。マリア様は言ったことは守る。きちんと味方になっておけば、大丈夫だ」
「そうよ。私、味方は大切にするから」
まあでも、そんな中でも順位はあるけどね。
本当に好きな人に対しては、心をぐつぐつに溶かしたいとか、私の周りにずっといてほしいとか、色々考えちゃう。そうなってくれるための理由が欲しい。明確な鎖でぐるぐる巻きにしたい。そのためになら、少々の痛みはしょうがない。
でも、目の前の男二人はその域にいない。だから望まない限り虐めないから大丈夫よ。
「安心して。貴方たちに危害は加えないから」
「まあ、これだけ強い存在が味方だと思えば心強いのは確かだが……。だとすれば、姫。女王に一言言っておくべきでは?」
「おばあ様にはもう伝えてある。マリア様が起き次第、話し合いの場を設けると」
「おばあ様?」
私が首を捻ると、エリクシアは首肯を返す。
「私のおばあ様、竜の第二世代です。原初たちが交配を始めた、最初期の子供。ゆえに、私たちの知らないことも知っています。今後の野望の助けになりましょう」




