6-7. 正体
「……貴方は」
この人は、私とミリアを別人だと気が付いている。どこに気がつく要素があったかはわからないけれど気が付いていて、なぜか青い顔をしている。
「どうしたの?」とテスタ。
「いえ、……なんでもございません」身を引こうとした後で、逡巡が見えた。「し、失礼ですが、貴方様のお名前をお聞きしても?」
「マリアと申します」
「――」
どんどん、顔が白くなっていく。
私は何もしていない。ただここにいるだけなのに、私から目を離さずに、ただ絶望しきった顔をしている。私は今までそんな顔をされたことはない。
テスタもシャテンもミリアも。カウルスタッグ家の人は誰も私を気にかけなかったのに。私をミリアのそっくりさんとして認識していたのに。何故だか、この給仕服に身を包んだ人だけ、私を怯えた目で見つめている。
彼女だけは、違っていた。
「……此度は、どのようなご用件でここに?」
声はこれ以上ないくらいに震えている。
「レイラ。その問い詰める様な言い方は何? 私が連れてきた、私のお客様よ」
主に背を向けて私をただ見つめるレイラ。テスタの言葉に慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ございません」
「もう。珍しいわね、貴方がそんなに取り乱すなんて。やっぱりミリアと見間違えちゃった?」
「……そうですね。とっても、似ていらっしゃいます」
「うふ。でも、似ていてもいいのかもね。この子はこれから、うちの子になるんだもの」
「え」
レイラは絶句していた。
その様子も気になるけど、私はテスタの言葉を否定するために手を振った。
「まだ答えていませんよ」
「ふふ、でもなんとなくわかるの。貴方は嫌がっていないもの」
確かにそうだけど。テスタを母に、ミリアを妹に、そんな生活も悪くないのかもしれない。公爵家の力をもってすれば、下町を守れそうだし。
でも今は、レイラの様子が気になった。
ぶるぶると体を震わせ、がちがちと奥歯を鳴らす。まるで死地にいるかのような。首元に刃物を突き付けられているかのような様子。
「テスタ。今からベイクのところに行ってくる。少し家を空けるよ。遅くなりそうだから、先に休んでいてくれ」
再度シャテンがやってきた。
柔和な目でテスタに言って、それから彼の眼は恐ろしいまでに震えるレイラを捉えた。そして、レイラはその場に蹲ってしまう。
「レイラ、どうしたの?」
気遣わし気なテスタ。そこに寄っていったのは、シャテンだった。
「ああ、私が運ぼう。最近家の仕事に加えて式典の準備も手伝ってもらっていたから、疲れているんだろう」
表上は「立てるか?」と易しい言葉をかけている。
でも、私はシャテンの言葉の重さを感じた。冷たい、刃物のような声。この場にいる誰でもなく、レイラはシャテンを恐れていたのだ。
私を見てシャテンに怯えるとは、どういうこと? 私が化け物だと知っているのなら、私に怯えるはず。順番も原因も違う気がする。
なぜ? なんで?
まだわからないことは多い。でも、確信に迫っている気がした。
脳が警鐘を鳴らす。大音量で絶叫している。耳鳴りがして、視界が明滅する。
知りたくない知りたくない知ってしまってはダメ。今すぐここから逃げて目を塞いで耳を塞いで心を閉ざして、全速力で逃げるの。じゃないと、じゃないと――
どうなるの?
シャテンとレイラが部屋を出る。
テスタは不思議そうな顔で首を捻った。
「どうしたのかしら、レイラ。あんなに辛そうにしてるなんて、よっぽど疲れが溜まってたのね。普段はあっけらかんとしているから、心配ね」
「ええ、そうですね」
「マリアさんは気にしないでいいわ。シャテンも動いてくれるみたいだし、すべてうまくいくから」
「……そうだと、いいですね」
順調だ。
色んなイレギュラーや絶望や失望があったけど、そんな中では順調にできている。光はまだ見えている。
このまま、なら。
何も起きなければ、
知ってはだめ、知ってはだめ、知ってはダメ。
何度も反芻して、繰り返して、でも、このままわからないままなのは嫌で。
最悪の想像は胸中にある。でも、これをこれから一生引きずっていくのは嫌で。
いっそのこと、わかってしまえば、一瞬の痛みで済むんじゃないかって思って。
今までずっと闇の中だったワタシ。その自分の形がわかるんじゃないかって。
二つの判断の中で迷いに迷って、
私は、
私は、
私は。
「少し、お手洗いをお借りしても?」
その場から立ち上がった。
「あ、ええ。場所はね」
「大丈夫です。外の侍従の方に聞きますから」
「そう?」
私は部屋を出た。
耳をすませば、誰がどこで会話をしているのかがわかる。
そちらに向かう。
脳内は全力でその足を止める。心臓は全力でその足を動かす。
肯定と否定とが折り交じり合って、希望と絶望が想像の中で交互に顔を出して、その意識に裂かれ、体中がばらばらになりそう。でも、私は前に進んだ。
最悪の想像は、最悪だから。だから、これ以上はない。
家を燃やされて、救おうとした人を殺されて、好きだと言ってくれた人に裏切られて。これ以上なんか、ないでしょう。ここが底でしょう。
未知の箱を開けても、なんだそんなもんか、なんて言って終わり。
私は私を知って、ようやく知り終える。そうして前向きに生きていける。
会話の部屋の前に立つ。その扉に耳をつけた。
二人の声が聞こえる。
「……私は十七年前、あれが生まれた時に確かに殺して捨てろと言ったと思うが? 貴様は私の命令に歯向かったということだな?」
「申し訳ございません申し訳ございません申し訳ございません」
「謝罪などいらん。今すぐ辞職しここを去れ。その先で殺してやる。いいか。テスタを傷つけるな悲しませるな困らせるな。何のために貴様に命令したと思ってる。テスタがあの時どれほどショックを受けたか知らんわけでもあるまい。食事も喉を通らずに、死の一歩手前まで衰弱したんだぞ」
「申し訳ございません……」
ほとんど涙声。
「一応理由を聞いておこう。なぜあれをすぐに処分しなかった」
「……高く、売れましたので」
「どこにだ」
「孤児院です。下町に、訳アリの子供を預かる施設がありました。テスタ様の容姿は大変優れていらっしゃるので、将来を見越せば大層高く売れると思いました」
「金のためか。下らんな」
「申し訳ございません申し訳ございません。どうせそこいらの好事家に買われて、そこで一生を終えると思ったのでございます。まさかこの家に戻ってこれるなんて、露にも思わず……」
「不幸中の幸いは、テスタがこのことを忘れていることだ。辛い記憶にふたをしているのだろう。可哀想なテスタ。あれを娘と思わなくて済んでいるのは、僥倖だ。あんなものが腹から出たなどと、思い返したくもないだろうからな」
身体から力が抜けていくのを感じる。
これは今、誰の話をしているの?
父親が言う処分だとか、母親が言う忘却だとか、侍女が言う孤児院に売ったとか、一体誰の話なんでしょう。
誰もがその子を否定するばかり。誰がその子を肯定してくれているの?
「あれは、”化け物だ”。産まれた時を見ただろう。私はテスタの絶叫をいまだに忘れられない。彼女が思い出す前に、再度処分せねばな。貴様もだ。さっさと辞表を書いてこい」
「ご慈悲を、ご慈悲を……」
私は耳を離した。
目の前が、暗い。
思考がまとまらない。
だからシャテンの足音が近づいているのにも気づけなかった。
開く扉、ぶつかる私。見下すように見つめるシャテン。
「……なんだ、聞いていたのか」
冷たい目。私を見ているはずなのに、そこに私は映らない。
”娘”を見る目ではなかった。
「……私は、なんですか?」
「私とテスタの子供だよ」
はっきりと、あっさりと。
「そして、失敗作だ。貴様は人間として生まれることができなかった。この世界でそれは致命的だというじゃないか。テスタは貴様のせいでおかしくなってしまった。だから捨てたというのに、まさかこんなところまで這いあがってくるとは。貴様の中の原初を知る前に、どこぞで死んでくれていることを願っていたのに」
「……」
「貴様が今からすることは単純だ。さっさとテスタの下に戻って、帰る旨を伝えろ。ここから出ていけ」
その後、どうするの?
親子でデート? 楽しみね。
私はテスタの下に戻ると、帰ることを伝えた。今日中に片づけないといけない仕事があって、すぐに戻らないと、と言った。きちんと微笑んで言ったのよ。すごいでしょう?
テスタは残念そうにしていたけれど、また会いましょうね、と手を振ってくれた。下町の件は動いておくから、と約束してくれた。私の縺頑ッ阪&繧は優しいわ。
私はカウルスタッグ家を出る。
王宮内、もう人気もない夜の廊下の上で、
殺された。
「テスタにこれ以上関わるな。思い出させるな」
腹から突き出る金属。私を突き破って食い破って、殺さんとする殺意の塊。
「……いたい」
私はよろけてその場に転がった。
傷は治るでも立ち上がれなかった。
いたいいい たいいいたいいいいあいちあいあたいたいちあちいいあたお
「下町が火事? ちょうどいいな。貴様はそれに巻き込まれたことにしよう。そうすればテスタも納得するだろう」
私を見降ろす冷血漢。私の傷が消えても、何も言わなかった。初めて見るはずなのに。
つまり、この人は知っているのだ。この原初を。そもそも、この人なのだ。私は、この人の持つ原初を受け継いだ。
「……どうして」
何を聞けばいいかもわからない。この人は全部を知っている。だからこそ、おいそれと聞くことはできなかった。
もう、何も、知りたくない。
誰も私を愛してくれない家族なんて、知らない。
「今から死に行く相手に何を語る必要がある?」
彼は再度私の腹部に刃物を突き刺した。「いたいっ」私は咄嗟にシャテンの顔を殴りつける。ぐらりと揺れたところ、刃物を蹴り飛ばして距離をとった。
「やめて……。いたくしないでよ」
さっきからずきずきと、びちゃびちゃと、ざくざくと、痛みが消えないの。
傷なんか残ってないのに。
「そうだよな。貴様は俺の娘だ。俺と同じ力を持っている。こんな刃物で死ぬはずもない」
「……」
後ずさる。
そう、私は物理的損傷では死にえない。でも、彼は他に手段を持っていそうな口ぶりだった。
「だが、半分は人間だ。テスタの血が入っている。だから、殺しきればいい。何回、何十回。何百回と殺して、死が幸福になってしまえばいい。テスタの前に二度と顔を見せなければいい」
物騒。怖い。
視界の先、歪んだ。何が歪んだかと思えば、彼の足元。
月明かり、あるいは蝋燭の光に照らされる、彼の足元。
光が当たった先に生まれ出でる漆黒の存在。
それが今、うねうねと四肢のように、蠢いている。光は変化していなのに、黒色だけが脈動を始めていた。
「私は、影だ」
そうして私は、私を知った。




