5-18. 当惑
どうも頭がはっきりしない。少しだけぼうっとする。手元も足元もおぼつかない。私の身体、誰か勝手に動かしてる?
なんて。
原因ははっきりしている。先日のアースのよくわからない発言だ。
今まで愛を囁かれたことなんて何度もある。家では家族の子たちから、学院では女の子たちから、王宮では貴族の男性たちから。
どの言葉も嬉しかった。ある時は受け止めて、ある時は上手く躱して、やり過ごしてきたのに。
だというのに、今、どうすればいいかわからなかった。受け止めるのも躱すのも、私が今まで行ってきた行動のすべてが違うような気がしている。
アースは私のことが好きだと言った。
彼は私のことをずっと嫌っていると思っていた。いや、最近は好意を感じていたと思う。でもそれは仲間意識だと思っていた。嫌悪が好意に変わった際の跳ね返り。ただ跳ね返っただけだと思っていたのに、そうではなく純粋な好意らしい。
アースは私のことが好き。そう思うと、なんとも言えない気持ちになる。
じゃあ、私はどうなの? アースのことは好きなの?
どちらかと言えば、好きではある。彼なら世界を良くできる、そんな風に信頼を寄せているくらいには。
でも、それが恋愛感情かと言えば、よくわからない。
アースの妻、王妃。なれるかどうかは置いていて、なった場合、私の夢が近づくのは確か。私と言う庶民に権力が付与される。アースに頼らなくても、私自身が動いて世界に干渉できる。
打算的な私は、結婚しろと訴える。形だけでも結婚して、実情は今まで通りにすればいい。可愛い女の子たちと戯れていればいい。力だけ奪い取って、アース君は放置。
けれど、どこかで不誠実だと叫ぶ私もいるのだ。アースに嘘をつくことを負い目に感じている。
「……何を考えているのかしらね」
ため息。
打算的な私と道徳的な私がいがみあって、答えは出てこない。
これから世界を良くしていこうと意気込むべきタイミングで、何を悩んでいるのだか。
冷静に考えて、庶民の出の私がアースと結婚できるわけもないのに。それに、王家の血は特殊。金獅子の血を薄めないために、近しい者でしか結婚しない。公式上、名も知らない場所で生まれたとされる私なんかが入り込めるわけもない。
だから、これはアースの絵空事。可哀想な妄想。可愛い私に、間違って要らない感情を抱いてしまったがゆえの、事故みたいなもの。
忘れましょう。
ええ、私には関係のない話。
「マリアさん、今日は変な顔をしているのね?」
と思って廊下を歩いていたら、テスタと出会ってしまった。
油断していた。普段だったら足音で誰が来たかを判別して、テスタの場合は会わないように踵を返していたのに。気が付いたら正面から顔を覗かれている。
「変な顔、ですか?」
「ええ。楽しみにしていたご馳走を床に落としてしまったかのような、そんな顔」
「……どんな顔でしょうか?」
「何かを残念がっているような、寂しそうな、顔だったわ」
ぎくり。
「そんなことありません。私はいつでも笑顔ですよ。今は第一王子ファンド様が引いてくれて、アース様が王になるこの時、気分が高揚して仕方がありませんわ」
「その節はおめでとう。私もマリアさんが嬉しそうで嬉しいわ」
「ありがとうございます。アース様にも伝えておきましょう」
それで話は終わりだと思って私は頭を下げたのだが、すすす、と近くに寄ってくるテスタ。耳元で、囁いてくる。
「もしかして、何かアース様に言われたの?」
「え?」
「いえ、さっきアース様とすれ違った時、貴方と同じで心ここにあらずだったから。あっちは楽しそうだったけどね。これは何かあったわね、と思って」
最悪だ。よりによってアースの阿呆も浮かれている。私も大概阿呆だけれど。
「……何もありませんよ」
「嘘よ。私の勘は当たるんだから。誰にも言わないから、ね?」
嬉々として寄ってくる。こういう人は絶対に口が軽い。特にこの人はふわふわしているから、自分が言ったことにも気が付かないかもしれない。
「結婚するの?」
「……」
あまりにストレートな言い方に、口が開かなくなる。
脳は全力で動いているのに、体がついてこない。
「あら、ホント?」
無言の私を見て、テスタは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「……あり得ません。何度も言うように、私は庶民の女なので」
「でも、否定する材料はそれだけでしょう? 貴方は可愛いし、腕が立つし、頭もいい。イーリス女学院に通った実績もある。十分だと思うけれど」
「庶民の女というのが、致命傷なんですよ」
「そうかしら? アース様なら受け入れてくれそうだけど」
そりゃ、アースから言ってきた話だし、本人は気にしないでしょうけど。
「それに、アース様ならそういう人を選びそうって思われてるから大丈夫よ。ほら、以前から社会の格差をなくしたいって言ってるし、有言実行しそうじゃない?」
がつんと頭を殴られた気分だった。
確かに、私たちがこれから目指すのは、皆が平等な世界。段々と貴族社会もなくしていこうと考えている。
その一手目として、王と庶民の結婚。これ以上ないくらいのスタートになる。当然障害も多いだろうが、私とアースなら超えられる。
打算的な私がそうだそうだと声を大きくした。
「……」
「あら? 私、いいこと言った?」
嬉しそうに微笑むテスタ。
私は傾きかけた気持ちをなんとか押しとどめた。
「揶揄わないでください」
「本気なのになあ。私はマリアさんに幸せになってもらいたいの。そういえばね、以前話した貴方を養子にって話、夫も賛成してくれたのよ。私の言う事なら、間違いないって」
「……それは、それは、なんといっていいか」
「だからね。身分も気にしなくていいのよ。貴方はこれから好きなところに行けるの」
少し、揺れた。
カウルスタッグ家に入れば、すべての問題が解消される。私とアースは結婚し、私は王妃。より権力を持った状態で、世界を良くできる。
私はどこでもうまくやっていける。なんだかんだで楽しそうにしているアースも想像できる。
いまだふわふわしている脳は、正常な判断ができているとは言い難い。
「少し、考えさせてください」
私は返事を先送りにしただけなのに、テスタは飛び上がって喜んでいた。
「ええ、ええ! じっくり考えてね。私はいつまでも待ってるから」
ぶんぶんと千切れんばかりに勢いよく手を振って去っていく。良い年のはずなのに、随分と子供っぽく見えた。
というか、私はただ返事を保留しているだけなのに、なんでアースといい、テスタといい、嬉しそうにするんだろう。私はそんなにはっきりと嫌なときは嫌と言えていたかしら。色んな私がいて、よくわからなくなる。
悩みが減るどころか、増えてしまった。
どれが一番都合よく動くことができるだろうか。私がしたいことと重なるだろうか。
選択肢が増えていく。昔はたった一つの選択をうまく加工していた。成長し、やれることが増えてくると、それだけ選択肢と共に悩みも増えていく。
「贅沢な悩みね」
何もないをうたっていた私。今は悩めるくらいに色んなものがある。
とりあえず、一番信頼している人に相談しよう。
◇
「ぜっっっつっつっつたいに、やめた方がいい」
家に戻って相談したら、全力の否定が返ってきた。その剣幕に思わずたじろいでしまう。
「い、イヴァン……?」
「だから王宮なんかに行ってほしくなかったんだ」
赤色の眼が逆立っている。銀色の髪の毛がうねっている。最近滅法女性っぽくなってきたその顔は、本気で怒ると少し怖い。
「いい、マリア。よく考えてね。確かに貴方が王妃になれば、ある程度の実権は握れるし、マリアの目標にも早くたどり着けると思う。それは間違いない」
「ええ、そうよね」
「でも、絶対に破綻するよ」
イヴァンは私の目の前まで顔を近づけてくる。
「あまり言いたくないけれど、言うよ。マリア、貴方は化け物で、アースは人間なの」
少し胸が痛い言葉。自分では何度も言っていたけれど、他人から言われると少し痛みの質が変わってくる。
「でも、アースだって化け物だわ。金獅子の原初を持っていて、それをもう自覚している。十分に普通の人間とは違う。だから私たちは手を取り合えたわけだし」
「随分と仲良くなったみたいじゃん。学院の時にはあれだけバチバチしてたのに」
細められた目。
呆れた嘆息は、イヴァン自身にも向けられたものだった。
「ごめん、少し言い過ぎたかも。いつものマリアだったら、私もここまで言わないんだけどね。今は私がしっかり言っておかないとダメみたいだし」
「今の私は変?」
「ええ、とっても。なんだか浮かれてるみたい。そもそも、普段のマリアなら絶対にすぐに断ってる内容の話だもん」
「……やっぱり?」
イヴァンが言うんだから、そうなんだ。彼女は私のことを、下手したら私よりもわかっている。
「……まあ、気持ちもわからなくないけどさ」
イヴァンはため息をつく。その息には諦念も含まれていた。
「勿論、私はマリアの家族として、愛する人として、アースに公式上の結婚相手をとられることも嫌。なんかマリアを寝取られたみたいですごく嫌。でも、それだけじゃないよ。なんで迷ってるか、そのマリアの気持ちも少しはわかる」
「私もわからないのに?」
「マリアが迷ってる理由は二つ。当然、アースのことを憎からず思っているってのもあると思う。なんだかんだで一番付き合いのある男の子だしね。ここまで一緒に頑張ってきたし、そういう感情を抱くのもまあ、ほんの少しわかる。
でも、マリアが迷っている一番の理由はこっちじゃなくて、”人間の世界”に憧れているんだと思う。アースと結婚して王妃になれば人間になれると、そう思ったんじゃないの?」
わからない。でも、心臓がどくんと音を立てたのは確か。
「私たちはいつだって化け物だった。後ろ指差されて、目立たないように取り繕って、人間の形を保ってきた。こんなことして生きていたくないって思ったのは私も同じだよ。王妃になれば堂々と生きていけるって、そう思うのも間違いじゃない」
「……そんなつもりは、ないわ。自分だけそんな立場に行こうなんて、そんな」
「責めてるわけじゃないんだよ。そういう気持ちは、私たちの誰にでもあるってこと」
私は、化け物。
でも、化け物になりたくて化け物でいるわけじゃない。何度言い訳を繰り返したって、結局は堂々と道を歩けるような人間でありたい。
その思いは、否定できない。
「でもね、忘れないでほしいんだ。私たちはそうやって生きてきた。ある時から急に変われるなんて、そんなこと、ないんだよ」
イヴァンの眼は、もう怒っていなかった。ただ、寂しそうに、私を見つめる。
「理想を追い掛けるのはいい。努力を続けるのも素敵だよね。でも、夢に囚われてはダメ。自分の手に負えるかどうか、しっかり見定めてね。マリアは良く見えているようで、たまに抜けているから、心配なんだよ」
優しく抱きしめられた。
「イヴァン……」
「マリアがしたいようにすればいいよ。何が起こっても、私が一緒に頑張ってあげるから」
「ええ、イヴァン。何があっても、貴方と離れることはないわ。私たち、家族だからね」




