5-15. 刃二つ
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「あの女か……」
「ええ。あれが噂のマリアという女です」
宵闇に、二つの影は立っていた。
互いに金髪金眼の成人男性。二人は王宮の頂に立って、たった今王宮を出ていった少女の行方を目で追っていく。
少女の軽い足取りからは、二つの視線に気づいた様子はない。
「なんでこんなところまで登らないといけないんですか?」
「ここまで離れないとあれに気づかれるんだよ。影から伺ってた俺たちが何回微笑まれたと思ってる。おかげで何を考えて何をしてるか、なかなか追い切れない」
「……なるほど。それはそれは」
嘆息。
豆粒くらいの大きさの彼女を見つめることしかできないふがいさ。切り替えるように頭を振って、金の髭を蓄えた男は隣のやせぎすな男に尋ねる。
「で、あれはどこの出だ? あの見た目だ、まさか身内ではあるまいな」
「公には明らかになっていませんな」
「ふん。とは言っても、おまえの娘を痛めつけたのはあいつだろう? であれば少なく見積もっても第二世代、”我々と同等”でなければ話が繋がらない。それとも、おまえは自分の跡をそこいらの雑魚に負ける様なやつに継がせようと思っていたのか?」
「まさか。バレンシアは私の娘の中で最も優秀でしたよ。頭の回転、戦闘力、カリスマ性、どれをとっても間違いはなかった。ただ一つ、頭のネジが私たちに合わなかったことを除けば、ですけれど」
「致命傷だろうが。おまえの不手際だな。きちんと教育していないからだ。俺はおまえを一流に育てたはずだろう。なぜそこから学ばなかった」
「返す言葉もありませんな」
ベイク・グレイストーンは肩を竦めて薄く笑った。
「どうも私は子を育てる才能を貴方の下半身に置き忘れたらしい。実は反抗期の娘は一人だけではないのですよ。先日、また我が娘から嘘をつかれましてな。バレンシアが生きているという報告を握りつぶされております」
「はっは。馬鹿だな。おまえも、その娘も」
「ええ。残念ながら、ピレネーはバレンシアほど優秀ではありません。彼女が嘘をついていることなど、容易にわかる」
ひげ面の男は豪快に笑った。はるか遠く、下町の方に眼差しを向ける。
「ああ、生きていたぜ、おまえのカワイイ娘はな。下町でリーダーごっこをやってやがった」
「……そうですか。わざわざありがとうございます。しかし、あれの考えていることはいまだにわからないですな。せっかく生き残ったのに、どうしてわざわざ下町で下らないままごとに興じているのか。人間に混じるのをあれほど嫌っていたのに」
ベイクは大きくため息を吐いた。
死よりも享楽を選ぶタイプの女だった。つまらない人生に意味はないと豪語できる、清々しい性格。致命的な失敗すら起こさなければ、自分の跡を継がせるのに文句はなかった。
それが、ただのお遊びに甘んじるわけがない。
あるのだ、興味を惹く、狂気に満ちた何かが。
「おまえの娘は楽しそうだったぜ。その理由も口にしていた」
「ふむ。聞きましょう」
「”王国を殺す”んだとさ」
男の言葉にベイクは息を飲んだ。彼らしくない、惚けた声が出る。
「は、あ? あれは、そんな阿呆みたいなことを? ねじの外れ具合も、ついにそこまでいきましたか。王国の盤石さはあれだって良く知っているろうに」
「間違いじゃない。本人が偉そうに言ってたんだ。私たちは王国を殺す、ついてこい、と、雑魚どもに言ってやがったよ」
「……私、たち」
「ああ、そうだ。そして首謀者が、恐らくあの女だ」
男の眼は、再び眼下に落ちる。
金髪を優雅に揺らして歩いていく少女。その足取りは軽く、優雅で、そして、一切の隙がなかった。
「先日、第一王子の護衛が全員のされていた。やったのはあの女。第一王子の護衛だって、雑魚の人間にしちゃあ優秀な方。ただの女が手のひらに刺さったナイフの傷一つで躱せるわけもない」
「少しでも武術をかじった人間なら気づいたでしょう。あの傷は、わざと受けた傷」
「怪我があれだけなんて、楽しんでる証拠だよ。しかもあの女はその傷を見せびらかしてやがった。理由は二つ。武を知らない人間からは同情を集めようとした。見た目は可憐な少女だからな、怪我をしたとなれば、させた方に怒りの矛先が向く。これで第一王子はさらに逆境に入った。
そして、二つ目。あれは武を知ってるやつらへの、牽制だ。第二王子に逆らえば同じようにしてやるってな。奴さん、相当に頭が切れる」
「……化け物、ですな」
ベイクは少女を観察する。どこからどう見ても、可愛らしい少女にしか見えない。湖のほとりで花の冠でも作っていそうな、虫一匹で大声を上げそうな、守ってあげたくなる子にしか見えない。
だから、誰もが彼女についていく。守ってあげようと、あるいは、その外見を見つめていようと。
それが、彼女のやり方。獰猛な獣が、人畜無害な羊の皮を被っている。
ベイクは彼女の歩き方をつぶさに観察する。
その足音の感覚を、過去に見た人物と照らし合わせる。
「それに恐らく、彼女はまだ何かを隠し持っています。切れる頭、圧倒的な戦闘力、清廉潔白な外見、……そして」
ベイクはその後の言葉を飲み込んだ。
ありえない。そんな存在、見たこともない。そんな原初、聞いたこともない。
ベイクの代わりに男が答えを口に出した。
「残ってやがったな。俺たちの知らない原初が。ち、まあ、全員を殺し切れたとは思っていねえよ。腐っても死という概念の存在しなかったやつらだものな。そしてそれは、俺たちの中にいる」
「カウルスタッグ家、ですか」
マリアとミリア・カウルスタッグ。そっくりな見た目の、二人。
「王宮内で他の刃に確認させてるが、カウルスタッグ家に怪しい動きはない。たまに女とテスタが話しているのを見ただけ。それも世間話だ」
「暗号ではありませんか?」
「それもないな。テスタはそれができるタマじゃない」
「シャテンの方は頭が切れますな。しかし、彼は妻しか見えていない男。わざわざ我々と事を構えるとは思えません」
「ふん。優秀ではあるが、ゆえにつまらない男だよ」
「では、取り越し苦労ですか? ただの他人の空似?」
「……」
男は押し黙る。
ベイクもわかっていた。
自分で言いながら、これは簡単に見過ごせる問題ではない。取り越し苦労ならそれでいいのだ。致命傷になってからでは遅い。
「……かっちりと嵌まらないのが癪だが、怪しい芽は咲く前に刈っておかないとな。今後も動向は追っていく」
「お願いいたします。私はまだ”生者”であるため、簡単には動けません」
「ああ。”死者”である俺たちが裏で動いてやるよ。王国に陰りはあっちゃならない」
ベイクは頷いて、
「一旦、静観ですな。これからは、あの女の目的次第」
「おまえも気づいてるだろうが、強かだぞ、やつは。騙されるんじゃねえぞ」
「まさか。私が一番彼女のことを警戒していますよ」
ベイクは、彼女の能力の一端に予想がついていた。
だからもう”人の顔は見ない”。身のこなし、言葉、眼光で当人かどうかを判断することにしていた。
「誰もが簡単に手のひらの上だ。元々の自分を忘れて、やつに狂わされてる。今回の次期王の争いなんか、ほとんどあいつ一人で勝ち切ったようなものだ」
「決まりですかな?」
「決まりだろ。護衛を失って、他所からの評価にも差がある第一王子にこの劣勢を巻き返せる力はない。よしんばあったとしても、あの女を超えられる未来はない。また周りをうまく利用して、自分に都合の良い状況を創り出すだろうさ」
「あれが傾国というやつなのかも知れませんな」
ちょうど振り返ってきょろきょろと周りを見渡す彼女。
その顔は、何を失ってでも自分のものにしたくなくらい、美しい。
「第二王子を王にして、下町を牛耳り、王宮内に名を響かせて、一体何をしようというのか」
「王家への反乱じゃないことだけを祈るな」
「ええ。その思惑が明らかになった途端、彼女は現実を知ることになるでしょう。上には上がいることを知り、無謀に泣くことになる。王国の刃はいかな金属も切り裂くことを、誰も知らない」
なぜなら、知っている人間は全員漏れなく墓の下だから。
「おうおう、こええこええ。あんな可愛い子の首を落とすなんて、俺はしたくないぜ」
「グレイストーン家きっての武闘派であった貴方が何を言いますか。しかし、私も同感です。彼女の存在は、王国にとってまだ利がある。優秀な存在は、むしろどんどん育っていってもらいたいですからな」
「ひひ、真面目め。
なあ、かわい子ちゃん。どうか獅子の尾だけは踏んでくれるなよ。頭空っぽな人間ばかりが生きるこの金色の箱庭は、おまえ一人で壊すにはちと固いぞ」




