1-9. その価値
えっちな夢を見た。
イヴァンとシクロと素肌をくっつけ合って、色っぽい声を出し合う。その行為はとっても幸せで、気持ちよくて、怖いことなどすべてが吹き飛ぶ甘美を持っていた。
目を覚ます。
下腹部が気持ちよくて、何故か気持ち悪い。
おねしょをしたような感覚。物心ついてからはそんなことはなかったのだけれど。
二人に気づかれないようにベッドを這い出して、寝間着をたくし上げた。
「……なにこのねばねばしたの」
小水とは違う液体がパンツを汚していた。
私は怖くなって、誰もまだ起きていない孤児院の廊下を駆けた。水場まで来ると、服を脱いで、必死に下着を洗う。
ぽたり、と桶の中に液体が落ちた。
怖い。怖い怖い。
私は、特別。
みんなと違う、特別。
特別は、この先どうなるのだろう。
孤児院を出た後、何をされるのだろう。
特別の中では特別ではないアンナだって、あんな目にあったのだ。修道士たちから特別だと何度も言われる自分なら、どんな処遇になる?
もっと痛くて辛くて悲しい目に逢うのだろうか。あるいはそれは、今の自分の人生を破壊してくれるのだろうか。
「……ふふ」
水の中に映った金色の少女は、泣きながら笑っていた。
楽しそうに泣きながら、悲しそうに笑っている。人間の感情を無視した表情に、人らしさは感じられない。
ああ、化け物だ。これは、化け物だ。
でも、中途半端。
人間の形をしている化け物。羊の皮を被った何か。自分が人なのか化け物なのかもわかっていない、哀れな道化。
振り切れたい。
人間なら人間で、化け物なら化け物で。
自分が何者なのかわかれば、まだ不安も少なくなるだろうに。こんな不安ともおさらばできるだろうに。
いまだに何なのかわからない私。
誰でもいい。
早く、私を教えてほしい。
私を定義してほしい。
「マリア」
顔を上げると、イヴァンとシクロが廊下から顔を覗かせていた。私と視線を合わせると、ぎょっとした顔になる。
「どうしたの? 泣いてるの?」
「泣いていないわ」
にっこりと笑う。
笑うのだ。
笑えば、皆がしあわせになるのだから。
そう言われたから。
二人は近づいてきて、抱きしめて手を握ってくれた。
それが暖かくて、今まで言えなかった言葉が口を転がり出た。
「ねえ、二人とも。私が化け物でも、傍にいてね」
同じ、化け物になって。
そうすれば、私はきっとどこでも生きていける。
二人の瞳に映る私だけが、私なのだから。
「皆、化け物だから、大丈夫よ」
「マリアなら化け物でも歓迎です」
二人の笑顔に安心する。
安心して、安心して、安心して。
どろどろと、また不安になる。
◆
子供に聞かせられない話は、闇が世界を覆ってから行われる。
「アルゼルク騎士副団長」
「ドルク教師」
「クロウシス上級議員」
「バーゼンデルク男爵」
その他もろもろの名前が読み上げられる。
数十にも上る名前を書面上で確認して、セレズニア孤児院の修道士たちは息をついた。重い息はそのままその密閉された地下室の中で沈殿して、空気を澱ませる。
蝋燭の火が揺蕩い、彼女たちの輪郭をゆっくりと揺らした。
「返す返すも、恐ろしいですね。ここまで多くの殿方、それも、国の重鎮たちを虜にするなんて。上客がついて喜んでいただけの数年前が懐かしいです」
「このことが公になるだけで、国が傾くわね。一介の修道士が背負う重荷ではないでしょう」
「上はなんて言ってるんですか?」
「あっちも困惑しているようね。上客へのフォローで手一杯みたい」
ここでさらに一人が加わった。「見回り終わりました。皆、寝ています」扉を開いて中に入った修道士は、部屋の重苦しい雰囲気に息を飲んだ。
「ど、どうしたんですか?」
一人が机の上を指差す。
机上、散乱した書類。幾重にも積み重なったそれは、いずれも同じ依頼内容のものだった。
「……まさか」
「ええ、その通り。これ全部、マリアの見受け話よ」
引きつった顔になる。
「見間違えでなければ、私は外に出たらこれを忘れないといけませんね」
「賢明ね。外でこれらの名を出せば、誰の名であろうと、貴方は黄泉へと旅立つでしょう」
国の実権を担う、精鋭たち。
あるいは、中枢に蔓延る薄暗い闇。
それが大口を開けてマリアを求めていた。
「マリアは十歳。”売り”に出すにはまだ二年もある。それなのに、もうこんなにもマリアを手に入れたいと願う方たちがいるんです」
「それに、この書類だって綱渡りのようなもの。世間に知られれば、そしりは免れない。一族の破滅も免れませんわ」
「表上は人身売買を禁止している国なのに、まさかその国を動かしている人間が競売に参加しているなんて知られれば、失脚は間違いないですものね」
「けれど、そんなリスクを背負ってでもあの子がほしいって、そう言ってるのよ」
修道士の一人は苦い顔をして、錠剤を口に放り込んだ。
「胃が痛くて仕方がないわ」
「動くお金は、……億、ですか?」
「まさか」
笑う。
「桁が違うと思うわ」
しいん、と水を打ったかのように静かになる小部屋。
誰も、言葉を発せなかった。
宝玉だと思って大事に育っていたそれ。輝きは時を経るごとに強くなっていって、今やその輝きは持ち主の目を潰すほどに強くなっていた。
「”琥珀”が売られると、界隈では有名になっているわ」
「……後には引けないと、そういうことですね」
「ええ。腹をくくりましょう。他の子なんかどうでもいいわ。マリアを十全に出荷すること。それが私たちの義務にして、責務となりましょう」