地上の竜宮城
アリンナという魔法使いが呪文を唱えると、荒れ地になった森の中心部に途端に緑が生まれた。木々が地面から現れ10数メートルの高さまで伸び、草花が生え、完全に元通りとは言わないまでも周辺一帯はある程度森の様相を取り戻した。さすがに動物や虫を作ることはできないけど、と彼女は言った。これだけの魔法使いでも死んだ生き物を蘇らせることはできないらしい。魔法にもある程度の限界があることを知る。
「さて、あとは中心だけ不自然に荒土化したこの土地を誤魔化すだけかな。」
彼女はそう言うと地面に手をかざした。すると地鳴りが起き始める。数分経つとアリンナは「こんなもんか」と言ってかざした手を元に戻した。僕は彼女に今何をしていたのか尋ねた。
「冒険者が通る道を元通りに直してたんだー。端っこの方はスカスカだけど、まあこんな森を隅々まで探索する人間なんていないし、誤魔化せるでしょ。それとごめんね、君の住んでた小屋からの距離は結構離れちゃったから、今までの距離プラス1時間くらいはかかるかもしれない。」と彼女は言った。「でももう戻らないし関係ないよね。」
「質問してもいいかな。」と僕は彼女に言った。
「うんうん。でもこんな冬の森の中でっていうのもなんだから、家の中で話しましょう。ここから数分歩いたところに私の住処を移動しておいたから。リンネちゃんと話したいこともあるし、ね。」
そう言うと彼女は僕にニッコリと笑いかけ、その次にリンネの方を見て笑った。何かを含んだような笑顔だった。リンネは心の底から嫌そうな顔をしていたが、諦めたように深いため息をついた。
アリンナの家に行く道中で都合よく現れた肥えた豚を仕留め、彼女の作った台車でそれを家の前まで運んだ。リンネがそれを丸焼きにし、切り分けと給仕は僕が任された。
土の魔法使いの家は木製の三階建てで僕が住んでいた小屋の何倍も大きく、森の中に優雅にその姿を構えていた。見た目は豪勢だが、その非現実的な佇まいはどことなく地上に突然現れた竜宮城のような印象を受けた。本来あるべきではない場所に当然のように存在する違和感。おそらくここは急ごしらえで建てられた家であり、普段住んでいるわけではないのだろう。
家の中に入ると、よりその空虚さが目立った。玄関から中に入るとまず目の前に現れたのは広い空間だった。部屋の中には晩餐会に用いるような縦に長いテーブルがあり、その上に花やインテリアで飾り付けがなされていた。まるで生活感のない室内は、今日のこの日のために作ったと言わんばかりに三人分の椅子がテーブルの一番奥と両脇にちょうどいい距離感で配置されていた。
「あなたも座りなさい。これからこの女に問い詰めてやるわ。」とリンネが言った。僕は給仕を終え、玄関側から見て右側の椅子に座った。
「そうそう、美味しいワインがあるのよ。100年物の絶品よ。3人で飲みましょ!」とアリンナが言った。そういえば、この世界で飲酒は何歳からOKなのだろう。リンネの方をちらりと見る。リンネは表情を全く変えず、嬉しそうに棚からワインを取り出すアリンナをじっと見ていた。リンネは飲酒経験はあるのだろうか。実は僕はお酒を飲んだことがない。この世界の法律のことはよく知らないが、元の世界でいえばやっとお酒が飲める歳になったことに今になって気がついた。成人したことの実感が初めて出てきた。
アリンナがコルクを開け、三人分のワイングラスにワインを注ぐ。椅子に座ると、さて、と切り出した。
「改めまして、私は土を司る魔法使い。アリンナと言います。以後お見知りおきを。」
「よろしく、アリンナ。」と僕は言った。「それで、聞きたいことが山ほどあるんだけど。」
僕がそう言うと、アリンナは微笑んだ。含みのある笑いじゃなくて、どこか安心感のある笑顔だった。
「まず安心してほしいのは、私は君たちの敵ではないわ。むしろ協力者に近いと思ってくれて構わない。」
「敵じゃないなら、どうしてあんな危険な攻撃を仕掛けてきたのかしら。そもそも、私たちを迷いの森に閉じ込めていたのはなぜなのか詳しく聞きたいわね。」とリンネは即座に言った。
「試練のようなものよ。」
「試練?」僕は彼女に尋ねた。「僕たちの旅がそう甘くないってことを伝えようとしてた?」
「そんな感じかな。ハッキリ言って、リンネちゃんは最強クラスの魔法使いだし、一緒ならたいていの苦難なら乗り越えられるわ。でもね、君たちがこれから為そうとしていることって、並大抵のことじゃないの。なんてったって相手は巫女よ。ただの魔法使いじゃない。あの恐ろしい巫女を欺くなんて、どれだけ強力な魔法使いでも実行しようと思わないことよ。」とアリンナが言った。
巫女、新しいワードが出てきた。正直言って、何も理解できない。そういえば僕はリンネから具体的なことは何も聞いていなかった。僕たちの旅の目的は、いったいなんなんだろう。僕にとって意味のある旅、とリンネは言っていた。話せないことがたくさんあるとも。でも、この魔法使いがここまで危険だと主張してる旅だ。僕にも知る権利はある。
「ちょっと待ってください。僕はリンネから何も聞いていません。巫女とか神とか、どういうことなのか教えてもらえませんか。」
「リンネちゃん、話してないんだ?」アリンナはリンネを見ながらそう言った。「まあ、当然と言えば当然だよね。あなたのエゴに彼を付き合わせるつもりなんだから。」
「黙りなさい。」とリンネが静かに言う。怒っているというより、苦しんでいるように見える。リンネのエゴとはなんだろう。僕がこの話にどう関わってくるのか、まったく見当がつかなかった。
「私にすら勝てないのに、巫女にどうやって勝つつもりかしら?それとも、勝負を避けて彼とあれを接触させるつもり?不可能ではないとは思うけど、無謀ね。巫女を出し抜くなんて。」
「そんなことはわかってる。でもやらなきゃいけないの。それにあなただってわかってるはずよ。現状維持にもいつか終わりが来る。」
リンネがそう言うと、
「まだまだ考えに甘い部分があるけど、意思は固いわね。言ってることも筋が通ってないわけじゃない。リンネちゃん。こうして物事が動き始めたんだから、皆知らんぷりはしていられない。あなたの目的が復讐なんて小さいことだったとしても、起爆してしまったからには元通りにならない。だから私も協力するわ。あなたのことは好きだから。」
そう言うと、アリンナはリンネの方に向いていた体を僕の方に向けた。
「君に話せることはすべて話します。そのうえで、君がどうしたいかを君の意思で決めてほしい。それとリンネちゃんはまだ子供だから、何も話さずに君を巻き込んだことを怒らないであげてほしい。君の役割について。君がこれからすべきことについて。話すわ。」