森林破壊
ゴゴゴゴと大地が揺れる音がする。そういえば、今日はよく地震が起こる日だななんて考えてた。おそらく森から出られない原因はこの地鳴りで、地形が僕たちの進む道を阻むように変形しているのだ、とリンネは言った。魔法は森の地形を自由自在に動かすほどの力なのか、と驚いた。10時間以上ぶっ続けで歩き続けて疲れ果てた僕たちはひとまず森の中でテントを開き眠った。次の日僕たちは早朝に起床し、この後どう行動するか作戦会議をしようとしていた。
朝の日差しが木漏れ日になって森の中を照らす。鳥がちゅんちゅんと鳴き、ガサガサと木と木を移動する音が心地よい。自然の空気はとても美味しく、なんとなく森林浴をしている気分になった。呑気なものだな、と思った。すべてが非現実的で理解できないだけかもしれない。森が動いて僕たちを閉じ込めてるなんて誰が考えるだろう。
「いつ気づいた?」と僕は彼女に尋ねた。僕は森のことはある程度知っているし、方位磁石だって持ち歩いているから道順を間違うはずがない。だから違和感に気づいたのは案内板を発見した後だった。何か間違えたのかと思ってこのまま歩き続けることを提案したものの、何時間も歩き続けて結果は体力の無駄遣い。彼女に申し訳なかった。
「森を歩き始めて、最初に魔法が使用されたのはおそらく中間点辺りよ。そもそも案内板があったのはあなたの言う森の入り口付近ですらなかった。私たちはずいぶん前からこの迷いの森の中で踊らされていたってわけ。」
彼女はそう言うと深いため息をついて言った。
「私が未熟なばかりに、ごめんなさい。でも、ひたすらに魔力の残りをたどって、なんとなくこの迷いの森の構造がつかめてきた。」
「構造?」
「ええ。普通に歩いたらここから出ることは一生できないわ。」
「・・・・・・・」
彼女はそう言うと、「安心して」と言ってはにかんだ。
「だから、魔法使いをぶちのめす。」
彼女はそう言うと立ち上がり、目を閉じて、何かをぶつぶつとつぶやきはじめた。その状態で数十秒経った頃、彼女の足元にある草が枯れるようにして粉々になり、風に吹かれて飛んでいった。足元の変化から時間が経つごとにそばにある木々が弱弱しくしおれていき、草花は枯れ、彼女の周囲に異様な力の集まりのようなものをビリビリと感じ始めた。因果関係から判断するに、自然から力を吸い取っているのだろう、と僕は思った。異変を察知した鳥たちが危機を察知して勢いよく飛び立っていく。待つこと5分、半径50メートルの緑が完全に消失すると、彼女は僕に「私のそばに来て!」と叫んだ。
「イグニス・ムルキベル!」
次の瞬間、一瞬にして世界が炎に包まれた。リンネと僕を円の中心にして渦を巻くように顕現した炎は、広がるのと同時により勢いを増し、視認できる範囲一帯にあるものをすべて呑み込んだ。数秒で周囲の草木は灰になり、炎はそのまま渦を巻きながら爆発的に広がり続けた。森は炎によって信じられないくらいに明るく照らされ、動植物すべてを巻き込んで消し去っていった。炎は数キロ先まで燃え広がり続け、数十秒経った頃、彼女は目を見開いて、背後を振り向いた。
「来る…!」
彼女がそう言った途端、物凄い地鳴りと共に、僕たちが立つ地面が膨れ上がった。とっさに彼女は僕の腕を掴み、目の前に即座に作った魔法陣の上を駆け上がった。僕は空中から下を見る。僕たちが先ほどまで立っていた地面は大きく割れ、底の見えない深い闇がそこにあった。すると、地面から先端が尖った木が何本も生え始めた。木はドリルのようにジャイロ回転しながら地面から盛り上がり、僕らめがけて次々に飛んできた。
「火よ!」
リンネがそう唱えると、木が燃え始める。だが火の勢いよりも、木が僕らめがけて飛んでくるスピードの方が明らかに早い。
「飛び降りるから私の腰に抱き着いて!」とリンネが叫んだ。僕は彼女に腕を回す。彼女は空中に描いた大きな魔法陣から地上にめがけて飛んだ。気づいてなかったが、おそらく今僕たちは地上100メートルくらいの地点にいる。僕の人生も終わりか、なんて考えてるうちに、彼女と僕は地面にぶつかった。「魔法陣のクッションよ、まだ死んでない。」彼女はそうぶっきらぼうに言った。僕は地面を見る。確かに、僕の身体はまだぐちゃぐちゃになっていなかった。僕は彼女を見て「逃げた方がいいんじゃないかな」と言った。
「さっき溜めた魔力が残ってるから、まだ戦えるわ。」
「戦うって言ったって、ちょっと無茶だ。規模が違いすぎる。君も僕も、このままじゃ死ぬ。」
「うるさい!集中できないから黙ってて。」
彼女はブツブツと呪文をつぶやき、ドーム状の魔法陣を作った。魔法陣には魔力を強めに込めたから、さっきの木の槍程度なら何度かは耐えられる、と彼女は言った。透明の魔法陣の中から外を見ると、地面は先ほどの敵からの攻撃で大きく起伏していた。周囲一帯は焼け野原で変化が見やすかったが、それは逆に言えば僕たちの行動も筒抜けであることを意味している。彼女は僕の方を見て言った。
「私だってわかってる。現状、勝ち目は全くないわ。」
リンネは賢い。普通の人なら熱くなってしまうだろうに、状況判断が冷静にできている。現状を顧みるに、相手は土とか木に精通してる魔法使いらしい。そして魔法の規模がいちいち大きい。森の地形を自由自在に変化させるだけでも異次元なのに、成長速度を無視して木を作ったり、底が見えないくらい深い地割れを起こしたり、やることがぶっ飛んでいる。僕はリンネを見て言った。
「おびき寄せるにしても少しやりすぎだったんじゃないかな。相手、かなり怒ってるよ。」
リンネは少し驚いた表情を見せ、「私がなんであんなことしたのか、分かってたんだ。」と言った。
「あなたの言う通り、あの女、たぶん本気で私たちのこと殺そうとしてる。」
「女?もしかして知り合いなの?」
「私たちはお互いのことをある程度は知っているの。この森に根を張ってたのは土の魔法使いのアリンナ。彼女はそもそも次元が違うけど、この規模の魔法を何発も即座に行使できるなんて普通じゃない。何年もここで力をため込んでいたとしか思えないわ。」
リンネはそう言うと、「もしかして…」と言い少し黙った。次の瞬間、魔法陣の真下の地面が割れた。落ちる!と思ったが、魔法陣は下に落ちていくことはなく、宙に浮いていた。そういえばさっきも魔法陣は重力を無視していた。そういうものらしい。僕は足元を覗き込む。そこには底の見えない深淵が広がっていた。こんなところに落ちたら確実に死ぬ。相手に殺意があるのは間違いないようだった。
また地鳴りがする。相手がどう仕掛けてくるか考えていると、ふと僕たちがいる場所が陰になっていることに気づいた。上を見ると、隕石かと思うほどに巨大な岩の塊が降ってくるのが見えた。リンネはそれを見て即座に魔法陣に魔力を込め始める。次の瞬間、轟音と凄まじい衝撃に襲われた。
目が覚めると、僕は地面に放り出されていた。なんとか生きているらしい。周りを見渡してみる。リンネの魔法で一面荒野になった一帯は、アリンナという魔法使いの魔法によってさらにめちゃくちゃな地形に変化していた。少し離れたところに巨大な岩が存在感をもって地面に食い込んでいる。衝撃波で岩の周りはクレーターになっていて、僕はそのクレーターの円にギリギリ触れない辺りで倒れていた。それにしても、さっきの攻撃をどうやって凌いだのだろう。リンネは無事だろうか。
僕は起き上がって周囲を見渡した。すると、リンネは僕から数メートル離れたところに倒れていた。マントは破れ、トレードマークのとんがり帽はどこにも見当たらなかった。僕はすぐにリンネに駆け寄って、脈を測る。よかった、生きている。僕は彼女を起こすために肩を揺らした。彼女はしばらくうなされて、ゆっくりと目を覚ました。
「リンネ。大丈夫?」
「あ…よかった…お互い、生きてたね…」
リンネは弱々しくつぶやいた。この様子だと、彼女はもう戦うことはできない。当然、僕も戦えない。そもそも、あんな滅茶苦茶な魔法を使う相手を敵にして生き残れる人間なんていないだろうと思う。天災に遭ったと思って、このまま殺されるしかないのだろうか。僕は立ち上がり、叫んだ。
「魔法使いさん!もう降参します。この子に手を出すのはやめてもらえませんか。森を焼け野原にした責任は、僕が取ります。」
言ってる途中で、なんて形式ばった物言いなのだろうと思って笑ってしまった。テンプレもテンプレだ。森を破壊したのは僕ではないし、相手が僕に責任を取らせても納得するはずがないのはわかっている。向こうからしたら僕たち二人を殺せばそれで物事は解決するのに、僕のこんなバカみたいなお願いを聞き入れるはずがない。でも僕は彼女に死んでほしくなかった。だから、いくら形骸化した物言いをしてでも自らを犠牲にして彼女を助けたいと思った。世界から美しいものが消えるのは惜しい。本当にそう思ってるのか、なんて悪魔の囁きも今の僕には通用しない。彼女を助けたい、死にたい。死にたい?
「もう気は済んだかしら?私じゃあなたには敵わないことはよーくわかったわ、アリンナ。殺すつもりはないんでしょ?ならさっさと出てきなさい」とリンネは言った。殺すつもりはない?
「うふふ、バレちゃったわ。リンネちゃん、久しぶり。」
どこからともなくそんな声が聞こえた。周囲を見渡すが、人影は見えない。キョロキョロしている僕に、リンネが「そこよ。」と地面を指さして言った。僕は地面をよく目を凝らして見てみる。すると、そこにポッコリと口のようなものがあるのが見えた。するとその口はパクパクと動きながら「そうそう。ここでーす。リンネちゃん当ったりー!」と、先ほどまでの緊張感が一瞬でどこかにいってしまうような陽気な声を発した。ハッキリ言ってかなり気持ち悪い。そんなことを思っていると、口の周りの土がモコモコと形を作り始め、顔の形になり、上半身、下半身と徐々に人間らしき形を形成していった。土に横たわるようにして全身が出来上がると、人体の構造と重力を完全に無視して体ごとそのまま起き上がった。平面的な物質が立体的な物質へ変化する過程といった感じだ。
地面に埋まっていると分からなかったが、土から形成されたその体はとても美しかった。艶のある長い黒髪に、キリっとした感じの目。唇は薄く、鼻や耳の形は調和が取れていて美しい。年齢は大体僕と同じくらいに見える。白いブラウスと緑のロングスカートがスラっとした細身の体にしっくりくる。身長は160センチくらいで、まさにスタイルのいい美人といった印象を受けた。魔法使いは美人ばかりなのだろうか。そしてこれだけの美人があんな滅茶苦茶な魔法を使って僕たちを殺しにかかってきたことが信じられない。
「リンネちゃん、久しぶりの再会を喜びたいところだけど…リンネちゃんがさっきの魔法で殺した動物と昆虫は数万を超えるんだよね。で、破壊した範囲は10平方キロメートル弱。大体、この森の3分の1くらい燃やし尽くした計算になります。」彼女は笑顔を崩さずにそう言った。かなり圧がある。そして彼女が怒るのは最もだった。自然に理解がある人間なら、森を燃やす人間に憤りを感じないはずがない。リンネが倫理観の狂った行動を平気で取るから、魔法使いはそういうものなんだとばかり思っていた。このアリンナという人は常識人だと認識してもいいのかもしれない。
「確かにちょっとやりすぎたかもしれない。でも、そもそもあなたが私たちをからかったのが悪いんじゃないの?」
「一理あるわ。」アリンナは即答して「でも楽しかったから仕方ないじゃない。久しぶりに面白そうなことが起きてるなーって思ってつい遊んじゃったの。さて、十分からかって満足したし、ご飯でも食べましょう!昨日あなたたちが食べてたお肉、とっても美味しそうで羨ましかったのよ。肥えて脂の乗った美味しそうな子が向こうにいるのは確認済みだから。積もる話はあとあと!」とにっこり笑った。さっきの認識はすぐに撤回した。