燃える大男
結局アリンナは朝になっても姿が見えず、僕とリンネは二人きりでランタン食堂の女将さんの依頼を引き受けることになった。朝食は卵がしっかりと染み込んだフレンチトーストとベーコンで、二人ともとても気分良く朝を迎えることができた。近くの牧場から今朝送られてきたという搾りたての牛乳をゴクリと飲み込むと、寝起きでぼやけていた気分も引き締まる。どんなトラブルが起きるかわからないから、これからは毎食これが最後の晩餐になると思おう、と僕は決心した。もし今日死ぬとしても、これが最後の食事なら後悔なく死ぬことができそうだ。
街の北側にある鉱山まではそうかからなかった。完璧に舗装された道には多くの人が行き交っていて、道中で恐ろしい獣と出くわすこともなく、目的地には1時間ほどでたどり着くことができた。舗装された道は鉱山が近くなると徐々に砂利道になっていって、道の途中には重装備をまとった警備隊が何人か立っていた。鉱山の麓にはバリケードが築かれていて、5人ほどの大柄の男たちが近づく者をにらみ殺すような表情で周辺を見張っていた。僕より何十センチも高く、横幅も大きい男を前にひるんだが、リンネの前で格好悪い所は見せたくないと思い意を決して話しかけた。
「あの、人を探してるんです。カオリって子なんですけど、聞き覚えはありますか?料理人としてこの鉱山に来てる子です。」
「あ?なんだてめえ。教会からここに入る許可はもらってんのか?なあ。」と言って大男は凄んだ。
「黙りなさい。耳はついてないのかしら?カオリを探してるって言ってるのよ。話が通じないならあなたに用はないからさっさと上の人間を連れてきなさい。バカはバカらしく肉体労働だけしてればいいわ。」
リンネがそう言うと、離れたところから会話を聞いていた4人の大男たちが近づいてきて、僕とリンネを取り囲んだ。いくらなんでも挑発しすぎだ、と僕がリンネに耳打ちすると、彼女は「私何か間違ったこと言った?」と僕に尋ねた。発言に間違いはないけど、行動は間違ってる。リンネの辛辣な言葉には正直言ってかなりスッキリしたが、この状況は少しマズい。
「お嬢ちゃん、度胸あるねぇ。なら俺たちが教えてあげるからちょっと中に行こうか。ああ、兄ちゃんは邪魔だから今ここで死んでくれて構わないぞ。」
ひとりの男がニチャァと笑いながらそう言い、腰にあった斧を右手で取り、振りかぶった。僕はとっさに腰の剣に触れたが、次の瞬間には斧が目の前まで迫っていた。死んだ、と思ったが斧は僕の顔の前で止まった。眼前には魔法陣があった。魔法陣は僕に対する攻撃を防ぐとすぐに消えた。リンネが魔法を使って守ってくれたらしい。僕は彼女に感謝したが、それと同時にリンネが次に出る行動について危惧した。おそらく彼らを皆殺しにするつもりだろう。できれば目の前で死人が出るのは見たくない。
傍観していた4人の大男たちは「なにやってんだ。さっさと殺せ!」と叫んでいたが、斧を振り下ろした男は不思議そうな顔をして自分の手元に目をやっていた。男は「今何しやがった。てめえ。」と僕を見て言った。僕は何もしてないが、今の流れだと僕に原因があると思われても仕方なかった。僕はちらりとリンネを見る。リンネは黙って僕を見つめ返した。
「リンネ、殺さないでここを切り抜ける方法はある?」
「あるけど、殺しちゃダメな理由は?」
「火以外の君の魔法も見たい。例えば、記憶操作とか。できる?」
「はぁ。甘ちゃんね。わかったわ。」
リンネが呆れたようにそう言うと、次の瞬間に男4人の足が燃え始めた。僕はとっさに「リンネ!」と叫んだが、リンネは冷静な声で「黙って見てて。」と言った。男たちは自分の下半身が燃えていることに気づくと叫び始めた。
「うわぁぁ!!なんだこりゃ!熱い!熱い!」
「うぎゃああ!」
炎は数十秒の間燃え続けると、ふっと消滅した。リンネは体が焼けただれて倒れた4人のうちの一人に近づいて、その男の顔を右手でつかみ、目を見た。リンネと目があった男はウッとうめき声を出し、そのまま気を失って倒れた。リンネは他の3人の男にも同じことをすると、炎の餌食にならなかった男に近づいていった。大男は腰を抜かしてリンネを恐怖のまなざしで見ていた。
「ま、ま、魔女…殺さないでくれ!」
「あなたを殺すかどうかはこれから決めるわ。」
リンネはそう言うと、男の腹を蹴り飛ばした。少女の蹴りとは思えない重たい蹴りだった。おそらく魔法で強化したのだろう。男は吐血し、咳き込む。リンネは地面に倒れた男の髪をくしゃりと掴んで、少女とは思えない力で男の頭を持ち上げた。
「わ、わかった。何が聞きたい?」
「あなた、さっきの話聞いてなかったの?カオリを探してるって言ってるのよ。」
リンネは再び男の腹に蹴りを入れた。目をそむけたくなるような暴力的な光景だった。男はうめき声をあげながら僕の方を見て必死に助けを求めた。
「おい、兄ちゃん!この女をどうにかしてくれ!」
「答えてくれれば死なずに済むよ。それとも、カオリに関して何か後ろめたいことでもあるのかな。」と僕は彼を突き放して言った。男は態度を冷たくした僕に絶望して、観念したのかボツボツと語り始めた。
「カオリは中で男たちの相手をしてる…俺は下っ端だから具体的なことはわからねえけど、帰らせるつもりはないみたいだった。俺も共犯か?魂を吸い取って殺すのか?」
「そう。ありがと。」
リンネがそう言って顔を覗き込むと、男の目からスッと色が抜けて、男は意識を失ってその場に倒れ込んだ。
「リンネ、マズいことになったね。すぐ救出しないと。」
「そうね。ところで、なんで殺すのを止めたの。」とリンネは僕をじっと見て言った。
そう聞かれて、僕はしばらくの間黙った。僕はなぜ殺しを止めたんだろう。彼らにも守るべき家族がいて、彼ら自身の人生があるから?いや、そんなことには正直興味もない。僕は単純に、リンネが道を外れた行為をするのが悲しかったのかもしれない。ずっと遠くまで見えていたはずの地平線に靄がかかったようだった。ハッキリしないモヤモヤした感情を前にして、僕は「わからない。でも殺すような場面じゃなかったし、君が人を殺すのもあまり見たくない。」と言った。リンネは「そっか。」と一言だけ返した。その表情はどこか悲しそうに見えたが、僕の勘違いだったかもしれない。