理由
行くあてもなく、僕はただ、歩いていた。
サリュから隙を見て抜け出し、人目を忍んで学校外の整った外観を通り過ぎ、やがて結界の外へ、森の奥へ奥へと踏み入る。
そうしてある木の前で立ち止まり、勢いを付けて枝の上に飛び乗った。
膝を抱えて座り、顔を埋める。
すると僕の周りが様々な光で溢れ、僕を慰めるように、ふわふわと揺れ動く。
《また、何か落ち込んだことでもあったの?》
一つの光が小さな人の形を成し、やがて頭に直接声を届けた。
「……ううん、そんなんじゃないよ」
顔を埋めたまま、僕はその声に返す。
人型をした小さな女の子は、僕の肩に腰を下ろし、足をぶらぶらと上下に揺らす。
《じゃあ、何でこの場所に来たの?》
「それは……ちょっと、落ち着きたかったから」
ここは、何かあった時、必ずと言っていいほど訪れる場所である。
前来た時は、確か一気に真っ暗になった将来に絶望し、ひどく落ち込んでいた時であった。
だからかいつもより心配そうに側に駆け寄り、周りの光も僕の様子を探っているのがわかる。
《ひどく……疲れているのね》
「そう、かな」
《ええ。だってあなた、いつも何があったのか、私たちに話してくれるじゃない》
「……うん、そうだね」
そう言った後、顔を上げ、肩に乗り淡い光を放っている赤髪の女の子を見やり、曖昧に笑んだ。
「でも、本当に……何でもないんだ」
《……嘘ね。あなたのそんな悲しそうな表情、滅多に見ないわよ?》
少女の眼差しが鋭くなる。
何があったのか、説明を要求する目。
誤魔化しきれそうにないその目に負け、僕は一度深くため息を零した後、暗くなり始めている空を見上げた。
「僕……もうすぐ、いなくなるんだ」
《……どういう、こと?》
「さぁ。死ぬのかもしれないし、僕という存在の定義がなくなるのかもしれない」
ーーだから、と。
再び顔を埋めながら、その続きを口にする。
「僕と関わったら、ダメなんだよ。いなくなるとわかっている人間と一緒にいても、いなくなった後、多少は気を遣わせる。もしかしたら、泣かせてしまうかもしれない。必死に、探させてしまうかもしれない。
……そんなのと仲良くなっても、ダメなんだよ」
弱々しく零したそれを、皆真剣な表情で聞いているのがわかる。
しばらく訪れる静寂は、きっと何を言ったらいいのかわからなかったからと、戸惑いからだろう。
揺れる光は暖かく、肌寒くなり鳥肌が立って来た肌を、優しく包み込む。
《じゃあ、私たちとももう、仲良くしてくれないの?》
「それ、は……」
口を開いたのは、赤髪の少女。
寂しそうな声に慌てて顔をあげれば、そこには柔らかな笑みを浮かべた少女がいた。
諭すように左手を僕の頭に添え、上下に動かす。
《あなたと関わろうとしている人たちがいるのね。その人たちは、あなたと同い年なのかしら? あなたは今、もしかして学校に通っているの?》
「……そうだよ」
《そう。そして、1人になろうとしているのね》
撫でる手をやめ、空を見上げる。
その瞳に宿すのは、複雑そうな感情の渦。
彼女は、僕のことを知っている。
僕の、正体を知っている。
そしてあの日、物凄く落ち込んでいたことも。
だからこそ、言葉が出てこないのだろう。
僕の言い分を、きっと彼女は理解している。
理由はわからないまでも、僕の置かれている状況を必死に把握しようとしてくれていることがわかる。
《……そのいなくなるというのは、決定事項なの?》
言葉を選ぶように、ゆっくりと呟く。
「ううん。でも、助かる可能性はゼロに近い」
《あなたは、助かりたいの? それともそのまま、いなくなりたい?》
「もちろん、助かるのなら助かりたいよ。けどーー」
《ーーなら》
僕の言葉を遮り、彼女は続ける。
《その可能性に縋っても、いいんじゃない?》
じっと見つめる顔を僕も見返し、ゆっくりと首を振った。
「もしそれで、僕が助からなかったら? いなくなった僕を見て、探さない保証はどこにあるの?」
《……探されても、いいじゃない。人は迷惑を掛け合って生きる生き物よ。自分が迷惑をかけるからって、相手がそれを嫌がるとは限らないわ》
「でも、損にしかならない場合もある」
僕がいなくなることは、ほぼ確定のようなものだ。
それがどんな方法なのかはまだわからないまでも、周囲に与える影響だけははっきりとしている。
そんな状態で皆と関わろうだなんて……自分勝手で、傲慢で、卑劣で……最低だ。
《あなたが、学校に通う理由は何?》
真剣な目を僕に向ける少女。
その目を誤魔化したくなくて、僕も真剣に、本当の心を伝える。
「それは……人と接せないまでも、皆と……普通の生活を送ってたらいるはずだった場所で過ごして、少しでもそこにいた、いれたという証拠を……残したかったから」
人と、触れ合えなくてもいいから。
迷惑なんて、かけたくないから。
ただ、その場所に、いるだけでいいから。
ーー僕は、皆がいる場所に、ただいたかったんだ。
その場の雰囲気に、空気のように溶けていたかった。
嫌われてもいい、無視されるのも望むところだ。
皆が笑う後ろで、僕も笑っていたかった。
最後の時を……そうして、過ごしたかったのに。
《あなたは今、苦しいのね。本当は皆と仲良くなりたいけど、自分の事を考えると、仲良くしないほうがいい。そうしてその狭間で、悩み苦しんでいるのね》
「…………」
《でもそれは、あなただけの考えでしょう?皆がどう思うのかは、本当はわからないでしょう?》
「そんなのっ」
ーー決まってる。
そう言おうとした口は、彼女の人差し指によって遮られる。
《あなたは、人のことを知らなすぎるわ。というより、見くびりすぎね。私だってこの場所から滅多に離れないからあまり知らないけど、それでもあなたよりは知ってる気がしてきたわ》
一呼吸置き、彼女の指が離れる。
《確かに、あなたがいなくなって、仲良くなった人たちは必死にあなたのことを探すかもしれない。悲しみ、泣き叫ぶかもしれない。
ーーでも、それでいいじゃない。
あなたと、仲良くなれた人との時間は、思い出は、消えたりなんかしないわ。
あなたは、未来のことではなく今だけを見てたらいいの。
例え悲しんだとしても、人は立ち直る。だから、未来じゃなくて今自分がどうしたいか。それだけを考えなさい》
優しい彼女の声音。
それに同意するかのように周囲の光も揺れを大きくし、僕に近づいていく。
近づくと聞こえる小さな声は、『そうよそうよ』『お前は考えすぎだ』『ていうより、優しすぎるのね』『あなたが幸せなら、それでいいじゃない』、などなど、様々である。