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赤と白のタイムカプセル

作者: PetaHz

第28回文学フリマにて発表したものになります。

※この小説はドラゴンクエストシリーズのネタバレを含みます。


「おい、ファミコン探しに行くぞ」

 週末の夜に電話を寄越した兄は、過程をふっとばして結論から話しだした。

「実家にまだあるはずだ。棄てた覚えも、売った覚えもないからな」

「どうしたんだよ、急に」

 こっちは仕事帰りで疲れている。ようやく大きな案件が片付いたから、今晩は晩酌しながらのんびり映画でも観るつもりだったのだ。そこにきて、喧しい兄の声は少し煩わしい。無意識にぞんざいな受け答えをしてしまう。

「なんか、流行ってるらしいんだよ」

「何が?」

「だから、ファミコンだよ。ファミリーコンピューター。お前も、よく遊んでたろ」

 ファミリーコンピューター。

 言わずと知れた任天堂の家庭用ゲーム機。おそらく世界で最も有名なゲームハードなのではなかろうか。そういえば、先月、それが昭和のものか平成のものかで兄と話題になったのだった。僕は平成元年生まれで、小さい頃ファミコンでよく遊んでいたから、なんとなく平成の玩具という気がしているのだけれど、五つ上の兄にとっては一〇〇%昭和のものなんだとか。まあ、どっちでもいい。他愛もなければ結論もない、酒の席での適当な話。ただ、後で調べたところによると、ファミコンの発売は一九八三年、七月一五日。昭和五八年。もろに昭和だから、やはり昭和の玩具でいいのかもしれない。

 僕はそれっきり気にもしていなかった。

 けれど、兄の中では未だその話題が続いていたらしい。

「知ってるか?一本一万とか二万とかするカセットもあるらしいぞ。あのゲーム好きな親父のことだし、けっこういい値段になるかもしれない」

 レトロゲーム、と呼ぶらしい。

 昭和レトロというものも流行っているという話だから、その類の話なのだろう。

 平成も終わるというのに、懐古趣味なことである。

 ヴィンテージグッズだ。古いブリキのおもちゃが何十万だなんて話は、テレビのお宝鑑定番組でもたまに見る。

「来月の、親父の十三回忌にはお前、戻ってくるだろ?ちょっと家の中を探そうぜ」

 要するに、宝探しというわけだった。

 一口乗れ、と言いたいらしい。

 まあ、本当の目的は、

「ネットで相場とか調べてくれよ。お前、ネットとか調べるの得意だろ?」

 つまりそういうこと。兄は機械音痴である。未だに、インターネットとユーチューブの違いがわかっていない。

「勝手に売ったら、父さんあの世で怒るよ」

 しかも自分の法事の日だ。化けて出るかもしれない。

「いいんだよ。俺は怒鳴られ慣れてるから」

「そんなこと言って……母さんもなんて言うか」

「半分は寄越せってさ」

「だね、そう言うだろうと思ったよ」

 母はそういう人である。

「財産分与だって言うから、だったら三等分にしろってゴネてやった

お袋と、俺と、お前とで」

 兄と母はよく似ていた。でも、僕は父親に似たとよく言われる。

「じゃあ、そういうわけだから。また日が近くなったら連絡する。それまでに、どんなカセットが高く売れるか調べといてくれよ。あと、どこが一番高く売れるかも」

 それは、ほぼ全ての作業ではなかろうか。あんたは何をするつもりなのか、と尋ねると。

「俺の職業はなんだ?コンサルタントだ。そう、1番重要な仕事はもう終わってる」

「それはなに?」

「儲け話を持ちかけた」

 そういえば、兄はいつもそうだった。

 このゲームが面白いらしいぞ、と持ってきて僕にやらせるくせに、自分は見ているだけ。そして、いかにも自分がクリアしたように自慢する。今回もきっと、自分がいかにも目利きであるかのようにして、覚えたばかりのインスタグラムにでも投稿したいのかもしれない。あるいはツイッター。

 まあ、だからといって、それで悪い気がすることもない。

 僕ら兄弟はいつだってそんな関係だ。

 それに、僕は兄に感謝している。彼が絶えず色々な遊びに誘ってくれるから、この三〇年間、一度も退屈したことがない。

 煩わしく思うこともあるけれど。

「頼んだぞ。俺も詳しそうな知り合いに聞いとくからさ」

「わかったよ」

「よしよし、いい弟をもって幸せだ。そうだ、昔二人でやってクリアできなかったやつあったろ。あれ、残ってたらクリアしてやろうぜ」

「調子いいね、いつも」

 とはいえ、今回も、こうして僕の無趣味な休日に話題を提供してくれたわけだ。正直、明日の休日の予定なんてなかった。

 とりあえず、ググるかな。

 僕の頭の中にはもう、オークションや中古ショップなど、リサーチすべき対象のイメージが湧いている。

「じゃ、またな」

「うん」

「風邪とか引くなよ」

「そっちこそ」

「ばか、俺が風邪なんてひくわけないだろ」

 そこで、電話は唐突に切られた。

 兄はいつだって勝手である。

「それじゃあ、酒の肴にアマゾンでも調べてみるかな」

 いい歳をした兄弟二人で、ファミコンの宝探し、か。

 どこか滑稽で、しかし、魅力的な感じもした。

 面倒なだけだった父の法事も、これで少しは楽しみになる……そんなことを考えつつ、僕はスマホを叩いて「ファミコン」の文字列を入力する。

 兄の言葉が耳に蘇る

『おい、ファミコン探しに行くぞ』

 これが、僕と兄が交わした最後の会話になった。

 

###


 兄は死んだ。

 あっけなく。ファミコンゲームの主人公のように。

 父の法事の一週間前のことだった。

「わからないもんね、人生なんて」

 東京から駆けつけた僕に、母は言った。その瞳はどこか澄んでいて、泣き腫らしたわけでも、呆然と気力を失っているわけでもない。

「兄さん、事故だったって?」

「県境の峠道」

 場所だけで、察する。下りの急カーブがある道だった。

「即死だって」

「そう」

 他人事のように、母は言った。

「お酒飲んでたんじゃないかって、警察は言ってた」

「兄さんは飲酒運転なんてしないよ」

「わかってるけど」

「けど?」

「だからなに?って話。誰を巻き込んだわけでもない。あの子は死んだの。たった一人で、いつのまにか」

 兄は深夜に事故を起こしたらしい。遅い時間は往来のない道だから、発見が遅れたらしい。同乗者も、目撃者もいなかった。

 前日は雨が降っていたから、そこでスピードを出しすぎたんじゃないかというのが警察の見解。飲酒運転の疑いは、すぐに晴れていた。

 結局、父の法事は先送りにされ、兄の葬儀が2日後に執り行われることになった。

 喪主は、母の代わりに僕が務める。

 生前の父と親しかった警官が葬儀屋を手配してくれていた。僕はただ、手慣れた葬儀屋の指示に従うだけで、あっという間に時間が過ぎる。

 僕も母も、本当は夢の中にいるようだった。

 本当は、兄の死を現実として受け取れていなかった。

 通夜がすぎ、葬儀が終わる。

 そして、父の名が彫られた墓石の前に立った時、急に母が泣き崩れた。僕もつられて、泣いていた。

「宝探しはどうするんだよ……」

 墓前で呟く。

 本当に、最後の最後まで、唐突で勝手な人だった。

 結局、話を持ってくるだけで、あとは全部僕にやらせようとする。

 実家に戻ってから確認した兄の遺品の中に、数枚の安っぽいチラシが紛れていた。ファミコンのゲームの名前がびっしりと書かれた、幾枚かの紙切れ。

『ゲームのMM大須店 高価買取リスト』

『スーパートマト名古屋店 買取価格表』

『ジオ 出張買取価格参考表』

 中古ショップの買取リストばかりだ。まさか、これを集めた帰り道だったのだろうか。そんなバカ死に方、あるだろうか。悲しさと、滑稽さが混ざって、変な笑い方をしてしまった。

 バカだよ、兄さんは。

 こんなもののために、命を落とすなんて。

 こんな。

「どうしろっていうんだよ」

 お金に変えて、何か墓前に供えてやればいいのだろうか。

 しばらく、そのチラシを眺めていた。

 僕が調べていたネットの相場よりも、少しやすい買取価格。やっぱり、僕が調べなければ大損をしただろう。

 ふと、タイトルに赤線が引かれたものがあるのに気づいた。

 きっとそれは、兄が僕にやらせた記憶のあるものだった。僕にも覚えがあるものばかりである。兄は後ろから指図するだけで、自分でやるのは下手くそだった。

 ああ、そうだ。忍者龍剣伝も、全部僕がクリアしたのだ。あれはすぐに死ぬ難しいやつだった。

 あっという間に、死ぬ。

 でも、何度でもやり直せた。

「下手くそなのに、スピード出し過ぎるからだ」

 でも、もうやり直せない。

 行き場のないぐじゅぐじゅした感情が、胸の奥で膨れ上がってくる。

 無意識に怒鳴っていた。

 兄が残した中古屋のチラシを天井に向かってぶちまける。

 バラバラと、もう意味のない紙切れたちが降って来る。

 その中の一枚が、偶然、手の上に落ちてきた。

 それは、チラシではなかった。それだけは手書きでゲームタイトルが書かれている。明らかに兄の文字ではない、丸っこい女文字。

『@ゆーの』

 下端にサインのように書かれているのは、たぶん、これを書いた人物のハンドルネーム。

 携帯電話の番号が、横に小さく添えられていた。

 

###


 未知の相手に電話をするのは勇気が必要だ。

 だから、まずはググってみる。

 「@ゆーの」なんて間違いなくSNSのアカウント名だろう。Twitterか、instagramか、YouTubeか。一昔前なら2ちゃんねるなんかを疑うところだけど(今は5ちゃんねるか)、ハンドルに「@」を付ける文化なんてあそこにはない。

 ただ、ありふれた名前である気がする。

 それで一意に特定できる自信はない。

 検索でヒットしたのは、とあるYouTubeのアカウントだった。正確に言えば、YouTuberのチャンネル名。もっと厳密に言うなら、vtuberというやつだ。アバターを介して視聴者とコミュニケーションをとる、最近はやりのコミュニティスタイル。

 やや古めかしい美少女キャラクターがサムネイルで笑っている。ありがちな3Dモデルではなく、2Dのドット絵を使うらしい。

 黒髪おさげの眼鏡っ娘。服装はメイド風味。なんていうか、ひと昔以上前のイメージだ。

 色合いも独特。

 たぶん十六色のパレットで描かれている。

 ゲームチャンネルのようだが、最近のゲームではなくファミコンや古いpcゲームの動画を作っているようだった。

 チャンネル登録者数1万ちょっと。

 僕は詳しくないけれど、そこそこ人気があるということか。

 動画一覧をスクロールさせていくと、懐かしいファミコンのタイトルが目に入ってきた。

 ドラゴンクエスト3。

 僕と兄が、クリアできなかったゲームである。魔王を倒したら真の魔王が出てきて、そこから1の世界にたどり着いて……そこでセーブが消えたのだ。

 どっちが悪いかで大げんかになって、結局、それっきりだった気がする。

 懐かしさを覚えて再生ボタンを押す。

 どうやら、勇者とあそびにんのふたり旅をするらしい。あそびにんを賢者に転職させるまでが山場だとか、敵のまほうつかいが強過ぎるとか、そんな話を、自動読み上げ音声がテンポよく進めていく。忘れていたはずの記憶が蘇り、僕は夢中で見続けた。

 そうだ。兄が勇者で、僕が魔法使いで始めたのだ。すぐに二人では全滅してしまったから、そのころ仲の良かった近所の女の子の名前で僧侶と武闘家を仲間にした。

 そして、二人で学校から帰って来ると親に怒られるまで旅をした。

 案外、覚えているものだった。

 動画を一本見終えて、兄の笑い声を思い出す。続きを見るか迷って、いたずらに画面をスクロールさせるとコメント欄の書き込みが目にとまる。

『弟とやったよ。クリアできなかったけど』

 インターネットリテラシーに乏しい兄は、本名でコメントを書き込んでいたのだった。

 スマートフォンに、兄の遺した電話番号を入力する。

 発信。

 電話はすぐに、「ゆーの」さんに繋がった。


###


 「ゆーの」さんは、僕より一回り年上の男性だった。

 電話で会う約束をとりつけたのは1週間後の日曜日。待ち合わせのファミレスに現れたのは、電話でのイメージ通りの人物だった。

 五〇手前くらいの、すこし小太りなおじさん。

 もちろんメイド服なんてきていないし、黒髪のおさげを作るほど頭髪も残っていない。けれど、メガネは同じものを使っていた。

「メガネが本体なんですよ」

 そんな冗談を言って、ゆーのさんは額の汗を拭きながら子供っぽく笑った。パックマンのプリントパーカーがいかにもだと思う。

「そうですか……お兄さんは、事故で……この度はご愁傷様でした。短い間でしたが良い友人でしたので、お悔やみ申し上げます」

 兄とゆーのさんの親交は一年くらい前からだという。動画のコメントがきっかけでチャットをするようになり、レトロゲームブームで一山当てようとしていた兄は、彼に色々教えてもらっていたらしい。

 兄のことだから、見ず知らずの年上の方に対して失礼はなかったか不安になったが、意外と二人はすぐに意気投合したそうだ。

「数年前まで銀行で融資を担当しておりまして、コンサルタント業をなさっているお兄さんとは仕事の話が合ったんですよ」

 なるほどと思った。

 ゆーのさんは体を壊して早期退職し、今は資産運用しながらYouTubeで活動していると言っていた。

 世の中にはいろんな人がいて、思わぬ縁があるものだ。

「それで、私は何を話しましょうか?」

 問われて、僕はちょっと困る。

「その、別に何か特別聞き出したいことがあったのではなくて、兄の遺した紙に名前と連絡先があったので。すみません」

「いいんですよ。私もこうして、実際に弟さんに会えて嬉しいですし」

「僕のことを知っているんですか?」

「お兄さんからかねがね」

 あの男は変なことを言っていないだろうか。

「いえ、悪口のようなものではなく、思い出話ですよ。弟はファミコンが上手かったと言っていました。ひょっとしたら、私よりも、と」

 そんなことをマニアでゲーマーな人に言ったのか。それはそれで、恥ずかしい。

「兄はなんでも大袈裟なんですよ。そりゃ、兄よりは上手かった自信はありますけれど。兄はマリオの一面すら苦労してましたからね。あ、2じゃないですよ。そんな下手な人間に褒められても困りますよ。だから、僕なんてとてもじゃありませんが、ゆーのさんには敵いませんって。マリオ2は、たしかクリアできませんでしたし」

「でも、小学一年生で忍者龍剣伝をクリアしたんでしょう?あと、ストリートファイター2010も」

「そんな話もしたんですか」

「六年生でもクリアできていなかったのに、って言ってました。私もすごいと思いますよ。私も、アレをクリアしろと言われてもかなり練習しないと無理ですからね」

 ストリートファイター2010がどういうゲームだったかまるで思い出せなかったが、この歳になって子供時代のゲームの腕を褒められるのも妙な気分だ。

「亡くなったお父様がずいぶんゲームマニアだったとかで、色々話を聞かせてもらいましたよ。自分がゲームが下手になったのは父親が四角いボタンをなおさなかったからだ、とも言っておられましたね。それが初期型のファミコンで、今は高値で取引されていると教えたら驚いていましたよ」

 きっと兄は目をギラギラさせていたことだろう。

「そこから、プレミアゲームの話になりましたね。弟がモノの価値をわかる男か試してやる、なんて言って、月に一回くらいですかね。お父様のファミコンソフトを持ってきては私に価値を聞かれていきました」

 なるほど、そういうことだったのか。

 自宅にあるものの価値を調べ尽くした上で、僕に話を持ちかけたのだ。勝負のつもりで。実に兄らしい。ただ、できるものなら、そのネタバラシは本人の口から聞きたかった。

 彼の得意げなドヤ顔が脳裏に浮かんで消える。

『おまえ、これの価値がわからないのかよ?』

『俺でも知ってるくらいだぜ?』

 そんな声が聞こえた気がした。

「事故に遭われた日は、大須のゲームショップにゲームを探しに行くと言っていましたね。私もいっしょに行きたかったのですが、ちょうどその日が娘の誕生日で」

 兄の遺品にゲームソフトはなかったから、結局何も買わずじまいだったのだろうか。兄は、何を探しに言ったのだろう。

「娘さんがいるんですか?」

「今年の春から大学に通っています。顔が私に似なくてよかったですよ」

 娘の話をするゆーのさんはとても幸せそうに見えた。

「誕生日プレゼントとか、あげたんですか?」

「ええ、ずっとせがまれていたものを……まあ、ゲームなんですけどね」

 なんだ、そっくりじゃないか。

「ちなみに何を?あ、僕ではわからないかもしれませんが」

 この数週間、兄に言われた通りに色々なレトロゲームを調べてきたから、実は少しだけ自信があった。

 けれど、

「シークレット・オブ・エヴァーモアを。SNES……その、海外のスーパーファミコンのなんですが……ご存知です?」

 さすがに洋物まではわからなかった。聞けば、日本では発売していないらしい。

「いい趣味してますね、娘さん」

「誰に似たんですかね。妹の方は、ゲームなんてまるで興味ないのですが」

 それは間違いなく父親にだろう。

 ゲームマニアの父と娘。

 それは、僕の家族と少しだけ似ている。父はゲームが大好きだった。たぶん、今も生きていたらゆーのさんのようにYouTubeにゲーム動画をアップロードしていたかもしれない。ゲームセンターcxを見るためにCS放送を契約して、毎回欠かさず見ていたような人である。

 ただ、ゆーのさん親子と違うのは、僕と兄は義務教育といっしょにゲームを卒業してしまったことだった。

 仲が悪かったわけではないが、高校生になって以降、父と話した記憶はあまりない。

「一度、娘さんに会ってみたいですね」

「いいですね。機会があれば。お父様のコレクションは宝の山なので、見せてやったら喜びます」

 僕たち家族の別の形が、そこにあるような気がしていた。

「僕も、詳しい人と一緒の方が助かりますよ」

 ファミコンの宝探しは兄の遺言みたいなものだ。

 最後まで付き合ってやろうと、この時、僕は心に決めていた。


###


 すぐにでも宝探しに取り掛かりたかったけれど、兄の遺産整理で実家周辺が慌ただしくなったことと、僕の方で急に仕事がごたついたこともあって、再び地元に戻れたのは2ヶ月後のことだった。

 兄にはそこそこ資産があったが、その殆どは離婚した妻への慰謝料として清算されていた。靴下の一足まで根こそぎ持って行かれたと母がぼやいていたが、実家に遺されていたもの(子供時代のものだ)は手つかずだった。まあ、そもそも、肝心のファミコンソフトは父の遺産であり母の所有物なので、別段心配する必要もなかったのだけれども。

 地元に戻ってきた僕は、実家に向かう前に駅に寄る。

 実は、待ち合わせている人がいた。

「ずっと楽しみにしてたんですよ」

 そう言って目を輝かせるのは、ゆーのさんの娘さんだった。父の遺したファミコンコレクションを是非見たいというのは本当の話だったようで、ゆーのさんに会った後からすぐにコンタクトがあった。積極的というか、趣味に対して貪欲というか、若さというか。意外だったのは彼女の容姿で、父親に似ても似つかないどころかとても垢抜けた今風の女の子だった。カジュアルなのにシックなコーディネイトで、栗色に染めた髪にウェーブなんかかけている。おっさんくさい言い方をするなら、芸能人みたい、である。これで重度のファミコンオタクとは、親の業は深い。

「さあ、早くいきましょう。早く早く」

 初対面のおっさん相手に物怖じするどころかグイグイくる。ひょっとしたら僕よりも乗り気だ。

「お土産は大須ういろうなんですけど、よかったですか?」

 ちなみに、彼女を見た母は理解が追いつかなかったようで、しばらく口をパクパクさせていた。


###


 書斎、と呼ぶよりゲーム売り場と言った方がしっくりくる。いや、博物館かも知れない。

 父の部屋は生前のまま残されていた。僕がこの部屋に入るのは、十数年ぶりのことになる。埃が少ないところをみると、どうやら母がたまに掃除をしているらしかった。少し散らかっているのは兄の仕業だろう。

 娘さんは目をキラキラさせて、時に感嘆し、時に息を呑み、時に震えながら硝子張りのショーケースに整然と陳列されたファミコンソフト達を瞳に映す。

 確かに。

 この数ヶ月で僕も知識を得ているからわかる。

 オークションなどで高値で取引されているようなソフト達が、この部屋には平然とした佇まいで鎮座していた。

「心臓が止まりそうです……ああ、これずっとやりたかったソフトです……父もバトルラッシュは持っていなくて……」

 感極まった声がする。やはり、マニアを殺せるほどのコレクションらしい。

「あげるとは言えないけど、貸すくらいならいいんじゃないかな」

 あまり嬉しそうにしているから、僕はそんな気分になった。

「ほ、本当ですか?!」

「まあ、借りパクはだめだけど」

「そんな!手袋とアタッシュケースを用意してきますよ!ああ、だめです……こんな貴重なモノ……ただで借りるなんて……弁護士を呼んで、証書を作って……しっかりとした貸借契約を……」

「そこまでしなくてもいいけど、そのくらいの気持ちでいてくれるなら僕も安心だよ」

 ついこないだまで誰も興味を持っていなかったものたちだ。価値のあるものかもしれないが、それでも宝石や調度品とは違う。

 だってゲームだ。

 遊んでこそ真の価値があるのではないかと思う。それに、父は殆どのソフトを発売日に買っていた。なら、バトルラッシュは今でこそ二十万以上の値が付くが、父にとっては定価二千八百円のソフトだったはず。それに対して、僕が定価以上の価値を問うのも変な話だ。

 それに、僕はそのソフトで遊んだ記憶は無い。

 思い入れは、ないのだ。

 僕にとって大切なソフトは、その買い取り価格表の中にはない。

 兄が残した手書きのメモ。

 そこに羅列されたソフトは、決して高価な物ばかりではなかった。そもそも、このメモには金額は書かれていない。スーパーマリオブラザーズ、忍者ハットリ君、スペランカー、未来戦史ライオス、忍者龍剣伝、ドラゴンクエスト3――それらの内容を、僕は全て思い出せる。

 兄のリストは、宝探しとは少し違っていた。

 何の為に作ったのだろう。

 また、僕にやらせるつもりだったのだろうか。いい歳した男二人でファミコンをやるつもりだったのかもしれない――きっと、それは楽しい時間になった。今となっては二度とあり得ないけれど。

「……どうされたんですか?」

 娘さんが心配そうに声を掛けてくれる。

 どうやら、僕は泣きかけていたようだ。

「いや、なんでもない……色々、思い出していたんだ」

 誤魔化すように、手近な引き出しを開けてみる。そこにもゲームカセットが詰まっていた。だが、こちらは陳列されているモノとは違って、箱はないし、モノによってはかなり痛んでいる。一本引っ張り出してみると、カセットにマジックで名前が書いてあった。

 二人分。

 兄と、僕の名前。

 そこは、僕ら兄弟用のゲームが収められた引き出しだった。

 兄のリストにあるゲームは、全部この場所にあった。

 その中に一本だけ、他とは違う向きでしまわれた黒色のカセットが目に付く。引っ張り出してみた。

 黒いカセットに、赤いラベル。その中央で顔を引き締める、剣を背負った少年。

 ドラゴンクエスト3、だ。

 この宝探しのきっかけになった、ゲーム。

「名作ですよね」

 後ろから、娘さんが僕の手元を覗き込んでいた。

「私もゲームボーイ版とスーパーファミコン版はクリアしましたよ。でも、そういえば、肝心のファミコン版はやったことないですね」

「へえ。リメイクされてるんだ」

「そうですよ。ほんと面白くて、私、大好きですよ。特にあの、ラスボスを倒したかと思ったら、実はそれは中ボスだった、なんて今でも熱い展開だと思いませんか?ああ、そうですね。ドラクエ6はこれのオマージュだったのかも」

 そういうマニアックな話はよくわからない。

 でも、兄の気持ちは少しわかった。リストに書かれた「ドラクエ3」の文字。そこにだけ、赤いアンダーラインが引かれている。


『弟とやったよ。クリアできなかったけど』


 兄が、ゆーのさんの動画に残したコメント。

 それが答えである気がした。

 兄は。

 兄は、これを僕にクリアさせたかったんじゃないだろうか。

「……ネットで調べれば、攻略法はわかる、かな」

「あ、やるんですか?ドラクエ3」

「うん。うちのファミコン、まだ動くだろうか」

「ファミコンは丈夫ですからね。でも、そうですね。それより、ソフトの電池の方が心配かも知れません」

 ファミコンのセーブデータは、内蔵されたボタン電池の電力で保存されているという話だった。

 確かに、二十年以上前の電池が残っているはずもない。

「試しに、起動してみましょうか?意外と、電池が生きていることもあるんですよ」

「でも、ファミコンを繋げるテレビが」

 確か、アンテナ端子に接続したはずだ。そんな旧式なテレビ、もう残っていない。父がゲーム用に物置にしまっていた一台は、しばらく前の大雨で浸水したからと、母が棄ててしまっていた。

 HDMIの時代に、そんな古いものが簡単に手に入るだろうか。

「あ、それならお部屋の入口の所にニューファミコンがあったので大丈夫ですよ。コンポジット出力できるので」

 忘れていた。

「そんなものもあったね、そういえば。でも、電池の問題は解決できないな」

 電池は交換できるが、その時点でセーブデータは消えてしまう。もし、中にデータが残っていたら、永遠に失われてしまうのだ。

「それなら、大丈夫ですよ」

 そう言う娘さんは、待ってましたと言わんばかりに得意げだった。

「こんなこともあろうかと」

 そして、ずっと背負っていた小さなリュックサックの中から、何やらごそごそと取り出す。

 現れたのは、四角いゲーム機のような何かだった。

 黒くて、なにやらカセットが差し込めそうな赤い蓋付きの穴が三つある。

 まったく知らないものだった。

「それは?」

「魔法の箱ですよ」

 オシャレな娘さんがオタクっぽく笑って言った。

「これにソフトを差し込めば、データを全部吸い出して、しかもHDMIの高画質でプレイできるんですよ。エミュレーターなんですけど。でも、そうすれば、中に残っているかも知れないセーブデータを保存したまま、電池交換が出来ます」

 それは、なんというか。

 本当に魔法の箱だな、と思った。


###


 母はでかけていたので、リビングのテレビを借りて魔法の箱を繋げてみる。カセットを差し込むと、データが機械へとインストールされていった。

『セーブデータを取り込みますか?』

 そんなメッセージが表示される。

 データは、残っていた。

 でも、僕と兄が挫折したデータは消えてしまって、それから一度も起動したことは無かったはずだ。僕の記憶が確かなら、あの日、冒険の書は全部消えた。

 なら、どうして?

 何が?

「タイムカプセルなんですよ」

 娘さんはコントローラを握って、画面をじっと見ている。

「父が言ってたんです。子供の頃遊んだゲームは、思い出の詰まったタイムカプセルなんだ、って。私は、まだわからないんですけど。でも、もっとおばさんになったときに、今やっているゲームをふと思い出して、その時セーブデータが残っていたら、それは凄く素敵なんじゃないかって。きっと、思い出がぶわって溢れてくると思うんですよ。今日、こうして素晴らしいコレクションを見せて貰ったことなんかも」

 いつか消えていく、かけがえのないもの。それを、現在に繋ぎ止めるもの。そういう考え方もできるのだろうか。

「……これ、遊べるんだよね。このまま」

「はい、どうぞ」

 手渡されたコントローラーは、ファミコンそっくりだった。

 Aボタンを押す。

 ゲームが起動する。

 タイトル画面はなく、すぐに選択肢が現れた。

『ぼうけんをする』

 Aボタン。

『ぼうけんのしょ 1:』

 兄の名前のセーブデータが残っていた。

 Aボタン。

 王様の前から、再開。その音楽に、鳥肌が立つ。無機質な電子音が、心を揺さぶる。思い出が、胸の奥から湧き上がってくる。鼻の奥に、懐かしい風が香る。

 兄はレベル1だった。

 兄に仲間はいなかった。

 おそらく、一人でこっそり進めようとして、初めてすぐにあきらめたのだろう。何故かはわからない。でも、そんなデータが残っていた。あるいは、ひょっとして、つい最近やろうとしていたのかもしれない。

 なんにせよ。

 そこには、今まさに冒険に出ようと足踏みをする兄の姿があった。


###


「このデータ。電池交換したらカセットに戻せる?」

「はい、大丈夫ですよ」

「じゃあ、やり方教えてくれないかな」

「簡単ですよ。すぐにやりましょう。あ、コンセント借りていいですか?」

「……え?」

 いつの間にか、彼女の手にはマイナスドライバーと半田ごてが握られている。なんだかすごい女の子もいたものだ。あっという間にカセットを二つに割って電池を取り出すと、瞬く間に新しいものと取り換えてしまった。電池のはんだ付けって、けっこう難しいのではなかろうか。

 そして、もう一度、魔法の箱に差し込んで、セーブデータの書き出しを選択する。書き出しは、成功。

 今度は父の部屋からニューファミコンをもってきて、赤白黄の端子をテレビにつなぐ。電源を入れると、画面が表示される。さっきと違ってぼやけているが、そこは気にしない。こちらの方が、僕には自然に感じられた。

 ぼうけんのしょは、ちゃんとある。

 Aボタン。

 再開。

 さて、仲間はどうしたものか。

 一人は僕だ。職業は僧侶。そこは絶対。

 残りの二人は……

「私、一緒に冒険してもいいですか?父も」

 悪くない提案だった。

「私が武闘家で、父は遊び人。それでいきましょう。で、クリアしたら、教えてくださいね」

 僕は快諾して、彼女とゆーのさんの名前をルイーダの酒場で入力する。

 今回の旅の仲間はどこかちぐはぐで、けれど頼もしい。

 とりあえず、四人そろえたところでセーブをする。続きは、帰ってからにしよう。ゆっくり、少しずつ、今度こそ。

 これが兄弟の最後の思い出になる。

 そして、全部終わったら、このカセットを墓前に供えてやろう。

 隣の仏間から、兄と父の遺影が覗いて見える。

 年甲斐もなくファミコンで遊ぶ僕の姿を見て、二人が穏やかに笑っているような気がした。


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