9
「何で戻ってきた?」
噴き出す炎ギリギリの所にルドヴィは立っていた。
「ちゃんと合格か聞いとかないと?」
「クソ真面目かよ」
「死ぬつもりだろうから、今のうちに?」
「案外残酷なんだな」
うっすらとアジュールが嗤う。
古龍に引きずられてか、感情が抜け落ちたアジュールにルドヴィが少し怯む。
「合格だよ」
「なら、よかった。正直炎に飛び込むのかと思っていたけど」
「そのつもりだったけどな。タイミングを逃した」
噴き出す炎を見ながらルドヴィが微妙な顔で告げる。
「声が聞こえた。女の声で、ありがとうってな」
ささやくような声は古龍のもとへ向かったという。
「鱗…」
「ん?」
アジュールが触れた冷たい鱗を思い出す。
「ギルドの裏の鱗、多分古龍のものだ」
もしかしたら、導いていたのは神ではなく彼女だったのかもしれない。
「そうだとしたら、踊らされてたのもわるくないな」
「うん」
二人で炎で染まった洞窟の外を見つめる。
「シャルは魔物の巣で見つけたんだ…」
「え」
炎を見続けたまま、ルドヴィが言う。
「魔物も、人間も何もいないところで生きていた」
その意味を考える。
「どこからどう見ても、人間なんだがな」
「攫われてただけでは…」
「…そうだな。アル、シャルを頼むな」
アジュールの返事を待たずにルドヴィは踵を返す。
「とりあえず別の出口にいくぞ」
洞窟を話しながら奥へと歩く。
「炎、どれくらいで消えるのかな」
「さあな、3日か1週間か1か月か」
「魔力戻してくれたら出れるけど?」
転移が可能となれば帰還はたやすい。
「んー。そうだなぁ」
「まだ何か企んでんの?」
呆れたようにルドヴィを見上げる。
「もうすぐ。ほら、出口だ」
答えずルドヴィが指し示す先に確かに光が見えた。
確かに出口だった。
洞窟からでれたのはいいが…。
「どうすんの?これ」
そこは先が崖になっており、他に道などなかった。
「よし。アル、心中するか」
「嫌だ。断る」
そうかそうかとルドヴィが豪快に笑う。
「だから、魔力戻してって」
じっと茶色の瞳を睨みつける。
「アルは欲しいものがあるか?」
「は?」
「俺はな、昔あこがれた人がいたんだ。高見に居て到底届かなかったけどな。あの輝きに近づこうと努力してきた。欲しいものと聞かれたらいつも思い出すのはあの輝きだった」
空の彼方を見上げながらルドヴィが言う。
何かを伝えたいのだと気付き、口をつぐむ。
「一つだけ助言してやる。アル、誰かの傍に居たいなら、そうなれる人間になれ」
唐突な言葉だったが、何かを見透かされた気がした。
ルドヴィは固まったアジュールの頭を豪快にかき回し、いきなり抱き上げる。
「ということで…よっと」
「…っ」
ルドヴィは予告もなくアルを抱えたまま崖から、飛んだ。
かなりの高さにさすがに血の気が引く。
魔術はまだ使えない。
それでも、
届くはずだと、その名前を叫んだ。
「クラウス!」
叫んだ瞬間空間が歪んだのが分かった。
腕を引かれ、ルドヴィの腕から誰かの腕へと絡めとられる。
「本当に、あなたは…」
クラウスに抱えられていた。
「すまない」
ホッとし、素直に謝る。
クラウスはアジュールを抱えたまま、森の中へゆっくりと降りていく。
ルドヴィも同じ速度で降下してもらったらしく、同じタイミングで地面に着くと大人しく座り込んだ。
お互い無言の後、先に口を開いたのはルドヴィだった。
「頼みがある」
見たことのない真剣な顔で言う。
「ここで、処分してほしい。師団長ならその権限はあるはずだ」
帝国に戻り裁かれれば殺されるまではいかないかもしれないが、到底戻ることなどできないのだろう。
「お断りです」
「あんたじゃない」
「え?」
「俺が頼んでいるのはアルにだ。アーヴィ様と呼ぶべきか?」
「は?」
クラウスがアジュールを見るが、ぶんぶん首を振る。
違う、自分はばらしてない。
「俺には魔力の色が見える。質というのか?仕組みはよくわからんが。クラウス様は白銀だな。アーヴィ様は、澄んだ蒼だ。あの大戦で、俺はずっと見ていた。蒼い光とそれを彩る白銀と」
じっとアジュールを見ながら、ルドヴィはアジュールではない遠くを見ていた。
「ずっと、魅せられていたんだ。忘れられない光景だった。あんな澄んだ色の魂でいたいと、そうありたいと思っていた」
自嘲するように、泣きそうな顔でルドヴィが言う。
「それなのに、間違えちまった。なんでだろうなぁ」
何かを守りたいと思っていたのは同じなのに。
「アルに裁いてほしいんだ。図々しいのは分かっている」
「無理ですね」
クラウスにしては珍しく怒りを押し殺している声だと分かった。
「そうか。まぁそうだわな」
アジュールはただ無言でそのやりとりを見ていた。
どこから気づいていたのだろうか。
偶然にもあのギルドへ行った時から?
「あぁ。これ返すわ」
ルドヴィが投げてよこしたのをとっさに受け取る。
自分の紋章だった。
受け取った瞬間、呪術が解けた。
同時に目の端でルドヴィが動くのが見えた。
短剣を構えて。
クラウスはとっさに身を捩るが、アジュールを抱えているので避けきれない。
考えるよりも、先に身体が動いていた。
魔力を流し、術が放たれる。
「アル!やめなさい!」
「ほんと、甘いんだよ」
重なった声の後一瞬揺らめき、術を受けたルドヴィの身体は掻き消すように消えた。
「…どうして」
クラウスが呟く。
「わからない」
ルドヴィが消えた地面を見たままアジュールは答えた。
どうして。
あの大戦で、あれだけの犠牲を出して。
魔王は斃したじゃないか。
それなのに。
世界は救われたんじゃないのか?
それなのに。
意味を壊さないでくれ。
笑っていたじゃないか。
それなのに。
自分が、やったことの意味を…。
「ちょっとの怪我くらいなら治せるのに。わざわざ望みを叶えてやらなくても」
「そうだけど…クラウスが怪我をするのも、ルドヴィがクラウスを傷つけるのも見たくなかったんだ」
淡々と答えるアジュールに、クラウスはため息をつく。
「怒る対象がいないので、泣かれると困ります」
でも溢れるものは仕方ない。
「何でクラウスが怒るんだよ」
「そりゃぁ、自分の大事なものを泣かされたら面白くないでしょう」
本気で怒っている風体に分からなくなる。
「お前分かんないよ。ずっと冷たいし、離れてるのがいいって言ってたじゃん」
「言いましたねぇ。貴方私の傍にいたら甘えが出るので。ちゃんと令嬢らしくしてくれないと、家族から反対が出てきそうな雰囲気なんですよ」
「別に、クラウスに相応しくないと言われれば、何時でも解消して構わない」
「そしたら貴方貰い手ないですよ?」
「平民になって、冒険者になるから大丈夫だ」
「私に会えなくなっても?」
「そりゃぁ、ちょっと寂しいけど」
「ちょっとじゃないでしょう」
「…」
「なので、お勉強真面目にお願いしますね」
顔を覗き込まれて黙り混む。
人はめんどくさいし、怖い。
クラウスだけだったんだ。
理解してくれるのも、ほしいものをくれるのも。
甘えているのは自覚している。
自分は何かをクラウスに求めている。
そしてクラウスも多分同じ物を欲しがっている。
ルドヴィの言葉が聞こえる。
傍にありたいなら、そうなれる人間になれ。と
「アル?」
「…努力する」
ぼそりと呟いた言葉に、クラウスは優しい笑みをくれた。