6
石の中はだんだんと上下の感覚がなくなり、水中のようにアジュールは漂っていた。
時間の感覚も薄れていき、シャルが喋っていない間は夜なんだろうなと推測する。
うとうとしながら、夢を見た。
前世もこうやって遠征をやっていた時の、夢。
いや、記憶となるのか。
帝国の東方で人が多数行方不明になる事件が起きた。
魔物の仕業と思われるが、実態が掴めず魔術団に要請がきたのだ。
他の魔術団の実力も確かではあるが、不可思議な現象においてはアーヴィの第3魔術団へと依頼を出すのが主流となっていた。
アーヴィには神の加護がある。
魔王を斃すという使命があるため、それまでは何があっても死ぬことはない。
ならばと危険な依頼が回されるようになったのだ。
クラウスは苦い顔をしながら受けていたが、アーヴィは特に気には留めていなかった。
破格の待遇を受ける代わりにと言われれば、望んでなくともそうかと受けるだけだ。
森のなかを移動する湖が手掛かりとみて、遠征に出た。
2日程はただ森の中を歩き回るだけだった。
一行は、20名程で自分の魔術団とあとは軍の面々。
黙々とただ歩いて手掛かりを探す。
たまに魔物が出るが雑魚ばかりだった。
3日めの夜。声が聞こえた。
助けてと。
アーヴィにはすぐに魔物の声だと分かった。
起き上がるが、一行は全員眠りについていた。
見張りも、全員。
罠なんだろうなと思う。
手掛かりであれば、掛かった振りをしよう。
アーヴィは1人で声のする方へ歩いて行った。
途中ふらふらと同じ方向へ歩く男と会った。
身なりからして、冒険者だろう。
同じ魔物を探していたのかもしれない。
魔物の性質が分かるかもしれないと、男を止めず同じ歩調で歩く。
しばらくすると、男と自分から魔力が吸いとられてるのに気が付いた。
(魔力を糧にする魔物か)
ならばと男と魔物の魔力の線を立ち切り、その場で眠らせる。
男に魔物避けを施し、アーヴィは引き付ける力の方へ歩く。
しばらく行くと、小さな湖に出た。
魔物の気配はするが姿は見えない。
(水の中か?)
水辺に近づくと、突然水がうねり飲み込まれた。
死ななくとも苦しみはある。
息が出来ず苦しむのは嫌だなと、ひとまず呼吸を確保。
水面の光がわからないほど深く引き込まれるがまだ底が見えない。
その上魔物の姿も見えず、そこでこの湖自体が魔物だと気付いた。
(どうするかな)
魔物自体は大した力はなさそうだが、抜け出し方が分からない。
深く水の中を落ちていくうちに、どちらが上かも分からず漂っている感覚となる。
だんだんと眠くなってきた。
呼吸さえ出来れば水はほのかに温かく、これが魔物だとはわからないほどだ。
徐々にここから抜け出すのは無意味に思えてくる。
(眠っててもいいんじゃないか?)
いずれ魔王が現れれば否が応でも叩き起こされるだろうし、この魔物も自分の魔力があれば他を襲うまでなく過ごせるだろうし。
結果被害がなくなれば問題ないだろうし。
(ここはひどく居心地がいい)
うとうとと、眠りに入る。
暖かくて、穏やかな気分だった。
どれほどそうしていたのか。
緩やかな時間を過ごしていたのに揺さぶられて意識が浮上する。
(起こさないでくれ)
ここに居たいんだ。
しかし揺さぶる力はだんだんと強くなり。
うっすらと眼を開く。
(煩いな…)
揺さぶる気配が煩わしくて、呪術を飛ばす。
次の瞬間、腕を捕まれた。
(やめろ)
抗おうとするが、一気に引っ張られ光の中へ引き上げられた。
光が眼を射す。
「アーヴィしっかりしてください!」
誰かに頬を容赦なく殴られた。
痛い。意味が分からん。
殴った相手を睨み付ける。
「クラウス、てめぇ」
叩き起こした上に殴られて怒りは頂点に達している。
後ろで水音がして頭から飲み込もうとする影が見えた。
「やかましい」
術を飛ばし、一瞬で水を蒸発させる。
唸り声の様なものが湖から聞こえて、その音すら耳障りとなり、湖ごと消し去った。
「すぐ片付けられるくせに、何捕まってるんですか」
「は?寝てたんだよ。起こすな。しかも殴りやがって」
「貴方が攻撃してくるからでしょう?寝ぼけてるから起こしてあげただけです」
「起こさなくてもよかったんだよ!」
「ふざけないで下さい!魔物に取り込まれてるのを放置出来るわけないでしょう!?」
「どうせ死なないんだから放置でもいいだろうが!」
怒鳴り合いの中、クラウスがピタリと口をつぐむ。
顔を歪めて、泣きそうな顔で。
「どうせ死なないなんて、言わないで下さい。師団長なんですから、居ないと困ります」
呟くほどの小さな声で言うから、何に怒っていたかを忘れてしまった。
こいつはいつでもそうだ。
クラウスだけは、自分を捨て駒にしようとはしない。
死なないと言うのにいつだって助けようと手を伸ばす。
そんなんだから、自分も…
「…ル。アル、眠ってる?」
ゆらゆらと眠りの狭間に意識が浮上する。
(誰の声だろう)
クラウスでないなら起きなくても問題ない。
あいつは容赦ないからな。
意識を漂わせながら、アジュールは再び眼を閉じた。
3日目の朝問題の山の麓に到達する。
一行はそこで二手に分かれた。
今回パーティが同行した理由はここからが大きい。
村を見に行く魔術団と山を登るパーティ。
寝床に着くのと村までの距離はほぼ同じなため、村を魔術団が調査する間に古龍が動き出さないか見ておくのだ。
何かあれば即退避となっている。
村自体が原因であれば再度襲われる可能性もある。
それが杞憂に終われば次は古龍の調査に合流する。
山頂に転移のためのポイントを作りそれにつなげた鍵を魔術団に渡しておく。
それを辿って転移すれば魔術団も一気に山頂へ上れるので、効率的に動けるというわけだ。
パーティは多少の魔物に遭遇するも難なく山頂へとたどり着いた。
山頂から少し下った窪みに古龍は眠っていた。
気配は消しており、気づかれた様子はない。
魔術団が調査を行っているであろう時間も全く動く気配はなかった。
村を消滅させた禍々しさなど感じず、穏やかな寝息を立てている。
(本当にこの古龍がやったのかな)
(うん)
シャルのまさかの即答に驚く
(どうして分かるの?)
(んー。なんとなく?)
まったく答えになっていない。
しばらくの間見ているだけだったが、転移のポイントが淡く光りクラウスの一行が現れた。
「村のほうは何もありませんでした。こちらは?」
「寝てるだけだな」
ルドヴィも拍子抜けしたように古龍を見る。
「何も収穫なしか。ポイントはこのままでひとまず帰るか」
「そうですね」
「先にどうぞ?」
ルドヴィの言葉に魔術団は転移して帰っていく。
クラウスを残して。
「どうした?」
「ずっと気になっていたのですが。貴方が持っている物を渡してもらえます?」
一瞬自分の事がばれたのかと思ったが、クラウスはルドヴィの前に手を差し出す。
何のことか分からず一行が成り行きを見守っていると、おもむろにルドヴィはこっちに近づいてきた。
「目ざといな」
「何に使うつもりなんです?」
「ちょっとな」
そういうとルドヴィは手を伸ばしてシャルの首元からブローチをむしり取った。
「ルドヴィ!?」
とっさに取り返そうとするシャルを躱し、それを古龍のもとへ投げ付けた。
何が起こっているのか分からなかったが、世界がぐるぐると回った後全身に何かがまとわりついた。
石を割られ隂伏の術が解けると同時に一緒に投げられた液体が撒かれたのだと理解したのは後になってから。
「アル!?」
「アル!!」
クラウスの声とシャルの声が重なる。
一瞬なのにゆっくりと落ちる感覚の中で確かに古龍の眼が開き、眼が、合った。
『イタ』
声なき声が聞こえて古龍の炎に巻かれる。
熱くないそれは結界のようにアジュールを包み込み、閉じ込めようとしていた。
閉じようとするその隙間に銀と黒の光が刺す。
キンッと高い音が響く。
炎を退け弾かれたアジュールの身体は皆とは反対側に飛ばされた。
とっさに緩衝の術を展開するが、負荷がかかりすぎたらしく意識が飛ぶのが分かった。
まずい。
焦ったけども、別にいいのかと思い直す。
ここにきて焦った自分にちょっと笑える。
そこでアジュールの意識は途切れた。