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  最後に見たのは何だったか覚えてはいない。

  覚えてはいないけども、少しの躊躇と罪悪感とそれらを上回る達成感のようなもので、全てを終わらせられる事に自分はひどく満足していた。

  たぶん、恨まれるだろうなと思いながら。

  それならそれでもいい。

  お前はまだそこにいるべきだから。



  先の大戦の爪痕がいまだ至る所に残っている。あれから8年。

  魔族との戦いは人間側が勝利した。

  優れた魔術師や多くの剣士、冒険者が最前線であるここエルドア帝国に集結し、死に物狂いで退けたのだ。

 わずかに残った魔族は散り散りに逃げて行った。

 魔術師の多くが命を落としたし、剣士や冒険者も多数戦死した。

 みな英雄と称えられ、生き残った者は復興に尽力し、世界は少しずつ平和へとなりつつある。

 その中でも魔王と呼ばれる魔族側の指導者を倒し、その呪術でもって死んだ稀代の魔術師アーヴィの名前は英雄の中の英雄として後世にまで語り継がれることとなった。


 漆黒の髪に深い蒼の瞳。

 あまり人前に出ることのなかった人物であったが、平民でありながら魔術師団長となった実力とその整った容姿によって帝国民に広く知られていた。

 そして彼のそばにはいつも魔術副師団長クラウスの姿があった。

 金の髪に翠の瞳、いつも穏やかに微笑む副師団長は大天使のようだとささやかれていた。

 二人が並ぶ様は対のようでもあり、その美しさから帝国の双宝とも呼ばれていたのだ。

 アーヴィが死んだとき、残ったのはいつも身に着けていた師団長の証である金の紋章だけだった。

 それを拾い上げた副師団長は何も言わず、残っていた魔物を殲滅させたという。





「つらい」


 侯爵家の末娘アジュールは可愛らしくも豪華なベッドで一人愚痴ていた。


「お嬢様?どうかなさいました?」


 優秀な侍女は独り言すら拾い上げて伺ってくる。


「なんでもないの」


 そう答えるアジュールに微笑み侍女は下がっていく。下がるといっても部屋の中にいるのだ。

 身の回りのこまごましたものの整理をしながら様子を伺っている。


(いや、いつもいなくてもいいから)


 アジュールが寝ている間も交代で誰かがいる。

 普通、いくら貴族といってもここまではしない。

 全くのプライベートがない部屋。それはアジュールの体の弱さにあった。

 ほんのわずかな時間で体調を崩し、高熱を出す。

 ちょっとした油断から何度か手遅れになりかけたため、屋敷中が常に監視状態となっているのである。

 外出も禁止されていて屋敷の移動にも制限があった。

 そんなアジュールを家族は溺愛している。

 淡いプラチナブロンドに深い蒼色の大きな瞳。

 透き通るような肌。

 小さな顔に小さく桜色の唇。

 天使のようなと称されるアジュールは誰からも愛された。


「あまりの可愛さに神様が連れて行こうとしているのかもしれない」


 アジュールが高熱を出すたびに父親はそう言って枕元で心配し涙するのだ。


(いや、もう、かんべんしてほしい)


 その天使の様なアジュールは、しかし天使のような魂を持ち合わせてはいなかった。


(可愛いから死ぬとかありえんだろ)


 そしてかなり口が悪い。


 しかし心に思っても、口に出したらダメなくらいはわかっている。

 そんなことを言ったが最後、まず父親と母親は卒倒するであろう。

 後々の面倒を考えれば、年相応の子供の真似などなんてことはない。


(猫をかぶるのは前から得意だったし)


 しかし毎日毎日息が詰まるような環境で、もともと自由奔放な性格のアジュールはそろそろ限界を迎えていた。

 アジュールは前世を覚えている。

 最初からではなく、徐々に思い出してきたのが4歳辺り。

 それから4年。閉鎖された環境と制限された行動の中新たな自我が生まれることはなく、すっかり前世と同化してしまっていた。


 話には聞いたことがある。

 魂は巡り、時々記憶が忘れられないまま次へ行くことがあると。

 そういった者は高貴な魂として聖職者になるのが常だ。

 アジュールも自分に記憶があることを伝えれば、いずれはそういった道にいくのかもしれないが、窮屈な聖職者などまったくもってごめんだった。


 人付き合いは苦手だ。

 人は何考えているかわからないし怖い。

 そしてめんどくさい。

 生まれ変わってもめんどくさがりの性格のままのアジュールは、前世では稀代の魔術師アーヴィと呼ばれていた。


「アル、体調はどう?」


 母親は優しく、常に気遣ってくれる。


「お母様。今日はお散歩出来そうなくらい元気です」


 猫かぶりは完璧だ。


「そう。よかった。でも大人しくしてなさいね」


 今日も外へ出るのはダメらしい。内心舌打ちをする。


「あぁ、そうだったわ。午後からお客様がいらっしゃるから、そのつもりで」

「はい」


 またか。

 部屋を出ていく母親を見送り、アジュールは途端に憂鬱になる。

 また、あの無駄な時間を費やすのか。


 アジュールの体調不良は主に呪いによるものとされている。

 前世からの底なしの魔力をそのまま持って生まれたらしく、本来なら喜ばしいことなのだろうが問題はそれを一切使えないことにあった。

 何らかの呪いに阻まれているらしく、魔術を使うとその熱量は内に返ってしまい、結果身体を蝕む。

 魔術を使わなければと思うが、一定の間隔で飽和した魔力は溢れだし結果高熱が出てしまうのだ。


 今までたくさんの医師や魔術師が訪れては呪いを解こうとしたが、誰一人として成功していない。

 両親はそれでも諦めず、胡散臭い術師でさえ可能性があればと、見つけてきてはアジュールに引き合わせて呪いを解こうとする。

 しかし全員見たことのない呪いですと口を揃えて言い、諦めて帰っていく。

 そりゃあそうだろう。これは魔王の呪いだ。

 魂を縛るほどの執念でもって、自分を殺そうとしている。


(まったくしつこいやつ)


 このままであれば身体が耐えられずそのうち死ぬのだろう。

 別にそれはかまわない。

 優しい家族は悲しむだろうが、転生したこと自体が間違いなのだ。

 何故と思う。あそこで全部終わらせたかったのに。


 それともこれは罰なのだろうか?神の意思に反したから?

 窓の外を眺める。

 平和な空気に真っ青な空。

 8年前とは身体に感じる気配がちがう。

 かつての副師団長であったクラウスを思い出しながら思う。

 あいつは上手く生きているだろうか。優しくなった世界で。


(しかし貴族なんてなるものじゃないよな…)


 がんじがらめのしきたりや家訓、家同士の付き合いに社交界での振る舞いや立ち位置。

 副師団長だったクラウスも貴族だったからずいぶん生きにくそうだった。

 公爵家の三男として生まれた不運か、厳しくしつけられるものの、家は継げない。

 貴族の三男によくあるように忠誠の駒として、軍人となるべく幼少のころから宮殿に預けられていたという。

 しかしいきなり魔術師としての才能が判明し剣を取り上げられ、魔術団に入ることとなったが、家柄により最初から副師団長。

 軍人になるべくして育ったにもかかわらず性格は穏やかで、だれにでも優しかった。


 自分はというと、前世では使い捨ての駒だった。

 魔力の大きさが判明してから神殿に売られ……親の顔は知らない。

 ありがたい神の啓示とやらで魔力は与えられたものであり、この先起こる大戦でその力でもって魔王を斃すよう告げられた。


 そこで自分は死ぬことも。


 恐れなくてもいいと。それはこの世界のための尊い使命であり、魂は救われると。

 そんなこと言われて喜ぶと思ったのか?

 ばかなのかと不敬にも思いましたね。

 啓示は魔力を持った他の神官達にも伝わるから、そこからの待遇は破格のものだった。

 他にも予知夢のようなものも何度も見たが、未来を変えられることなく戦いまで結局全てカミサマの筋書き通りだったんだろう。


 ただ1つだけ逆らった。

 自分のささやかな抵抗は最後まで誰にも気付かれず多分成功した。

 駒として扱われるのは癪だった。

 死ぬのは怖くなかったけど。

 何にも執着できず、欲しいものもなにもなかった。

 魔力をうまく扱えるように学校へも行ききちんと学んだ。

 最年少で師団長へと就任しても文句言わずすべてに従った。


 役目は果たしたはずだ。

 なのになぜまた生きているのだろう。

 魂は救われるんじゃなかったのか?

 やっぱあれか。カミサマを怒らせたのか。

 どちらにしても現状はポンコツな身体をもった子供だ。

 ここでも何一つほしいものは見つかりそうにない。


「ひさしぶりですな、アジュール様」

「?」


 午後からの訪問の主は白髪の初老に差し掛かった魔術師だった。

 覚えはないが会ったことがあるらしい。


「覚えてないだろうて。最後に会ったのは5年も前だからの」


 3歳ならまだ記憶も曖昧で覚えてはいない。


「ロギンス様は今は引退されてるけど、昔は第1魔術団の師団長をされてたのよ」


 母親の付け加えにもそうですかとしか言いようがない。


「5年もかかってしもうた。呪いを解く鍵を見つけたぞ」


 その言葉に周りがしんとなる。

 期待半分、猜疑半分。


「ロギンス様、それは本当に…」

「呪いの質を探っていての、わしも一瞬見たことがあったんじゃが。確信と鍵をなかなか見つけれなくてな」

「鍵とはどういうことでしょう?」


 常に上品に動く母親がいつになく焦っているのが見える。

 本当に娘が大事なんだな。

 そんな母親だから良い子のお嬢様を演じてしまうんだ。


「呪いを放ったものはすでに消滅しておる。そういった場合、呪いとつながっている鍵があるんじゃ」

「まぁ。ではその鍵があればアジュールの呪いは解けるのですね」

「そうじゃが…すまないが今日はまだ持って来れなかった。日を改めて来るが、知らせだけでもと思ってな」

「そうですか…」


 明らかに落胆する母親。


「却って期待させすぎたかの」


 母親の様子にすまなそうにロギンスが謝る。

「いえ!いいえ!申し訳ありません。このような喜ばしいこと!」

「なら、よかった。鍵を持っておるものが多忙でな。預かるのも難しいんじゃ…来週には来れるはずなんだが」

「はい、お待ちしております」


 涙ぐみ何度もお礼を言う母親を見ながら、何の感情も持てずアジュールはなんなら呪いと一緒に記憶も消してくれないかなと考えていた。


「では、また。第1師団長のクラウスという者と一緒に来るでの」


 クラウス。

 その名前にドクンと心臓が鳴る。

 あいつが、来るのか。

 出世したんだな。当たり前か。そうか、生きてるんだな。


「アル、良かったわね」


 薄く笑った自分に呪いが解けるのが嬉しいのだと勘違いした母親が笑いかける。


「はい、お母様。楽しみです」


 どんなふうにあいつが生きているか、楽しみだ。



 それから1週間後。

 公爵家の庭にある東屋でみんなに見守られながら、アジュールはかつての副師団長であるクラウスと対面していた。

 師団長である金の紋章をローブに付けている。


「なに、痛い事などなにもない」

「大丈夫だよ、アル。ちゃんとした人だから。お父さんちゃんと調べたからね!」


 ロギンスと家族を見れば、不安がっていると見られたのか、それぞれが励ますように言ってくる。


(いや、調べたって…本人の前で言っていいのか)


「初めまして。アジュール様。本日はよろしくお願いいたします」


 爵位はあちらのほうが上のはずだが、仕事だからかすごく丁寧に挨拶された。

 いや、こいつは昔から自分以外には丁寧だったなと思い出す。


「初めまして。アジュール・フォン・エンブルクです。本日はどうぞよろしくお願いいたします」


 一応それなりに身に付けた淑女の礼で自己紹介する。

 対するクラウスはにっこりと笑っているものの、何だか目が笑っていない。


(へえ、雰囲気変わったな)


 前は始終穏やかだった雰囲気が、少し刺々しいものに思えた。


「それでは失礼いたします。アジュール様、私の手の上に手をお乗せください。まずは魔力を見ます」


 用意された椅子に座ったアジュールの前に、クラウスが跪いて手を差し出す。

 そっとその上に手を重ねれば、クラウスが目を閉じ魔力を探っているのが感じ取れた。

 ピクリと何かを感じたかのようにクラウスの手がこわばる。


(気づいたか?)


 魔力は人それぞれ違いがある。

 その人の性質に沿うように、人それぞれに波動が違うのだ。

 そしてアジュールの波動はおそらく前世のままであろうと思われる。


(何か、言われるかな)


 特に焦るわけでもないが、何となく待ち構えていたもののクラウスは何も言う事はなかった。

 そしておもむろに懐から別の金の紋章を出して、アジュールの手に握らせた。


「?」


 瞬間、何かが弾ける感覚。

 そして理解した。呪いが解けたと。

 あぁ、この紋章は、かつての自分の。

 ほっと息をつくアジュールを意に介した風もなく、クラウスは紋章を手から抜き出し、見守る家族へと告げた。


「解けました。アジュール様からは大きな魔力を感じます。しばらく魔力を放出すれば体調も落ち着くでしょう。暴走も感じられませんので、すぐにコントロールできるようになるかと思われます」


 淡々と説明したクラウスはアジュールの手をそっと握ったまま立ち上がる。

 そしてもう片方の手を上空へ差し出した。

 サァっと庭園に霧雨が舞う。


(魔力が、抜けた……)


 ほっとした。久々に息ができた感覚になる。

 霧雨は人を避けて降り注ぎ、その光景は光を反射し煌めいて、幻想的な美しさに一瞬誰もが言葉を失った。


「これがアジュール様の魔力です。綺麗な力でしょう?」


 その言葉に居合わせた全員がこくこくと頷いた。


(しかしなんの茶番だ?)


 この具現の仕方はクラウスの力であって、アジュールの力の具現ではない。確かに素はアジュールの魔力ではあるが。

 そしてこれはイベントでよくアーヴィが行っていたやつだ。

 一見簡単そうに見えるが、空気中に霧雨を撒き水気と冷気を感じさせつつ、人はもとより周りの何物も濡らすことなく消えていくそれはかなり繊細な技術が必要だ。


(どうしてこれを?)


 同じ魔力と気付いたはずなのに。こちらを見ることなく、そっと手を外された。


「あの…」


 痛みを我慢しているように空を見ているクラウスに思わず声を掛けかけたが、サッと身を翻された。


「ではこれで。この先アジュール様の行く末が明るく幸に溢れる事をお祈りしております」


 こちらを見ないまま爽やかに言って、クラウスはロギンスとともに去っていった。

 もてなす用意はしていたものの、丁重に断られた。仕事を理由に出されると強くも言えない。

 忙しい身なのは承知の上頼んだのはこちらなのだ。

 顔色のよくなったアジュールを見て、皆一同に泣きながらよかったよかったと繰り返している。


 対してアジュールの心中は複雑だった。

 どうやら自分はこのまま生きていかないといけないらしい。

 何故か酷く落胆していた。


(せめて記憶消してくれよ…)


 欲しいものもやりたいこともなく、しかも女の身体で何をどうすれば。

 はぁ、とため息がでる。

 クラウスの生存も上手く生きている事も確認したなら後はやることがなくなった。

 元気そうだったな。ただ…最初に顔を合わせて以降、最後までクラウスは一度も目を合わせなかった。

 多分、気付いたはずなのに。

 まったくおくびにも出さない態度がどこか面白くない。

 前世での記憶をもっているとこまでは気づいていないだろうが、もう少しリアクションがあってもいいのではないだろうか。

 人に注目されている中、前世のことを話すこともできず、それでも懐かしさに本当はちょっと反応を期待したのに。


(まぁ、当然か。恨む対象と同じ魔力を見つけたのだ。あまり関わりたくないのが本音だろう)


 身体はずいぶん軽くなったけれど、思いの外疲れててその日はそのまま死んだように眠った。

 次の日からはこれ迄の退屈が嘘の様に教育という地獄を味わう事になるとは知らず。


 幼少期(今も幼少期だと思うが)十分な教育が出来なかったという事で、社交界デビューに向けてみっちり行う事になったのは、淑女としての振る舞いと座学。

 座学は以前の記憶で楽勝。むしろ不審に思われない程度にセーブするとして。

 問題はダンスや歩き方や喋り方やら。

 無理だろ、あんなの。


「おしとやかにみえて意外と雑」というのが先生方の反応。

「甘やかしすぎたかしら」と母親。


 この記憶さえなければと何度思ったことか。

 どうしても長年男として生活したものが消えない。

 大股で歩かない。座ったら動かない。屋敷を走らない。どこでも寝ない。

 毎日毎日怒られっぱなしだ。

 元気にさえなってくれたらいいって言ってたのは嘘だったのか。

 熱が出ないのは嬉しい。身体が軽いのも嬉しい。


 でも、日々大きくなるもどかしさは何なのだろう。

 誰も本当の自分を知らない。

 自分はアジュールであるけど、アーヴィだ。

 何不自由ない生活を送れるだけ幸せなのだろう。

 でもここから抜け出したい。

 ここには本当の居場所はない。

 1人ではないのにずっと独りでいる感覚。

 前世と同じだ。いや、前はクラウスがいたからまだましだった。


「どうして居ないんだよ」


 もう一度会えればまた傍に居ると思ったのに。

 不貞腐れたようにつぶやく。

 ただ今は外見も性格も似てないのに似た魂を持ったクラウスに会いたかった。


 初めてクラウスに会ったのは師団長となるのが決まった後。

 真面目そうな奴というのが第一印象だった。

 印象を裏切らず確かに真面目だったが、酷く寂しそうに映った。

 仕事を押し付けても文句を言わずこなす。

 どうせそのうち死ぬのが分かってる自分はやる気なんて出るはずがなく、魔王が現れるまでだらだら過ごしていた。

 だんだんとアーヴィのいい加減さに気づいたクラウスは事あるごとに小言を言うようになり、かなり容赦なく怒られていた気がする。

 神のお告げの件も聞いたはずだが、全く意に介した風はなく、ひたすら個人として扱うあいつにいつしか救われていたのだろう。


 なのに。

 あの日。


 何時ものようにサボって昼寝をしていたアーヴィは冷たい空気に目を覚ました。

 気づくと既に夕方で。

 いつもなら途中でクラウスが起こしにくるはずなのに。

 おかしいなと思いながら起き上がると、真っ青なクラウスが向かいのソファーに座っているのに気付き思わず叫び声をあげてしまった。


「びっくりした…おい、クラウス?」


 叫び声にも反応せず、固まったように動かない。

 肩をゆさぶってようやくこちらに視線を寄越した。


「無理なんだそうです」

「は?何が?」

「もともと、1人では無理なんだそうです。それほどに魔王の力は強大なのだと」


 嫌な予感がこみ上げる。


「何の話だ」

「突然啓示がありました。補助するべき役割を持って生まれたのだと。共に死ぬのだと。貴方と」


 こいつが嘘などつくはずがない。

 が、意味がわからない。

 生贄など1人で足りるだろう?

 俺は何も持たず、生きることに執着はない。

 でも、こいつは。クラウスは生きることに渇望しているのを知ってる。

 独りに慣れてるけども寂しいところが似ていると思っていた。

 似ているけども、根本的に違うところ。

 家族からも周りからも何も与えられず、奪われつづけたこいつが何かを得ようとひたすら努力と機会を伺っているのを知ってる。

 それを、世界ごと奪おうとしてるのが、神なのか。


「啓示なら…魔力のある者は普通は共有されるはずだが」

「そうなのですか?」

「あぁ。それ、ただの夢じゃね?」

「いえ。間違いではないと…貴方なら分かりますよね?」

「…」


 分かっていた。何故共有されなかったのか分からないが、神の啓示であると。

 自分の中の運命の部分が理解していた。


「私は、死ぬのですね。貴方と」


 一瞬、独りで死なないのだとどこかで喜ぶ自分を見た。

 ざっと血の気が引く。

 自分は今何を考えた?

 そんなアーヴィに気付かず、クラウスは項垂れたままため息をつく。


「仕方ありませんね。私でも役にたつのなら。神に逆らえるはずもありませんし」


 何と言葉をかけるべきか分からなかった。

 啓示については、周りに知られていないならそのままでというクラウスの希望はもちろん呑んだ。

 こいつはこれから定められた役割に真面目に従い死ぬ為にいろんな努力をするのだろう、と思った。

 だから、怒るだろうなと。

 死ぬ覚悟で死線へ行ったのに、生きながらえたなら多分怒るだろうなと。

 でもそれはまぁ、自分が死んだ後だからいっか。

 神の意思に逆らって、アーヴィは全力でクラウスを生かす事を密かに決めた。


 それから心ばかり真面目になったアーヴィに、貴方と死ぬならあの世でも退屈はしそうにないから悪くはないですと、クラウスは笑っていた。

 でも1人夜中に抜け出して丘に佇んでいたのを知ってる。

 あのときお前は何を見て何を思っていたんだろうな。

 一度も胸の内をさらけ出さず、泣き言も言わないクラウスに寂しさを感じながら放っておいた。

 分かっていたんだ。

 俺では、救えないと。


 魔王は確かに強大で手強かった。

 どこからこんなに、というほど湧き出た魔物の中央で世界を壊しにかかる魔王。

 周りの協力と犠牲を踏み台にして、クラウスと魔王へと近付き交互に呪術でもって畳み掛けた。

 いくら無限に回復出来る魔王とて、絶え間ない攻撃に徐々にその命を削られていった。

 半日か、1日か分からないほどの時間のあと確かに勝機が見えた。

 魔王の核を晒しだす。

 言葉はなかったが二人何をすべきかは分かっていた。

 同時に呪術を叩き込む。

 消滅を悟った魔王から最後の力をもって呪術が放たれる。

 同時にクラウスに用意していた術と保存しておいた魔力で、空間遮断を掛けその前に立ち塞がり呪術の全てを引き寄せた。

 クラウスに背を向けていたから、どうなったか分からない。

 それでも、間に合ったと思った。

 そこで記憶は闇に途切れている。


 覚悟を決めたやつからそれを取り上げた。

 怒るだろうな。

 そして独り取り残されて恨むだろうなと。

 でも、未練があるなら生きるべきだろ?

 生きて何かを掴むべきだと思ったんだ。

 神の意思に反するとしても。



 寝静まった夜。

 アジュールは起き上がり、外套を羽織り靴を履いた。

 目くらましと消音の魔術を展開する。

 あまり複雑ではないそれはそっと広がり部屋が淡く光る。

 綻びがないか確認して窓を開ける。

 術のため大きく窓を開け放しても、外の見張りは気づいていない様子だった。


 転移。


 昔の懐かしい波動の力が身体を包み込み、術が展開していくのを感じる。

 ふわりと体が浮遊する感覚とともに、景色が暗転する。

 次に目に入ったのは小高い丘の慰霊碑だった。

 大きな石でできた慰霊碑の前にはたくさんの花が手向けられていて、戦がまだ遠い昔ではないことを物語っていた。

 そこには偉大な魔術師アーヴィという小さな碑も建てられていて、なんとも言えない気持ちになる。


(自分の墓をみられるやつもそうそういないよな)


 たくさんの人が死んだんだ。

 自分だけではなかった。

 運命とやらに理不尽を感じなくはなかったが、あの戦場で周りの協力がなければ使命は果たされない事にその場でやっと気付いた。

 予告があるかなしかの違いだった。

 たくさんの人を巻き込んで、その上で運命に逆らってただ1人だけを救った。

 自分の罪はどれほどだろう?

 石碑に祈る事さえ不敬に思える。

 あいつを助けるための力があればどれほどの人を救えたんだろうな。


 人気のない夜中に、うっすら光りながら慰霊碑に佇む姿は亡霊と間違われても仕方のないものであるが目撃するものはいない。

 呪いが解けて以来、部屋に侍女が滞在することはなくなり、夜中にたびたび屋敷を抜け出すようになった。

 街の真ん中にある小高い丘に毎日来ては何も出来ずただ佇む。

 ここに来れば、あの時のクラウスの気持ちが分かるのかもしれないと思った。

 でも結局何一つ分からない。

 当然だ。あいつは何も言わなかったから。


 さわさわと少し冷たい風になぶられながら宮殿の方角を見る。

 クラウスは宮殿の師団室にいるのだろう。

 懐かしいのか。

 謝りたいのか。

 分からないけど、もう一度会いたいと思った。


 アジュールはそっと右手を上げる。

 防犯のため、王宮には結界が幾重にも敷かれている。

 そこに侵入するのは師団長の紋章があれば難なくできたであろうそれは、今は非常に難しい。

 それでもと、道を作るために身体に魔力を流す。


 もともと結界の術式を組んだのも以前の自分だ。

 それを上回るものが新たに敷かれているとは考えにくい。

 結界が幾重にも張られているのは、どうしても魔力の途切れる穴ができてしまうためだ。

 流動的に魔力が流れ続けるそこで一瞬できる穴。

 そこからすべりこめばいい。


(ほころびの場所も把握済みだし。結界の数もたしか4つ)


 アジュールの足元が淡く光る。

 かざした手からさらに魔力を流す。人には見えない道筋ができる。

 それはまっすぐ王宮へ向かい、結界へ滑り込んでいった。


(一つ、二つ、三つ……最後)


 しかし四つ目のほころびが見つからない。


(おかしいな)


 場所が変わったのだろうか。

 引き上げようとした瞬間、チリリと指先がしびれた。

 呪術が送り込まれたのだ。

 とっさに手を引くものの、何かに掴まれた感覚と同時に意識への干渉を受け、アジュールは意識を手放していた。


 魔術において、一番の攻撃は呪術である。

 術でもって、相手の意識の支配から破壊、それは時として身体もを消滅させるものである。

 先の魔王が死に際に怒りとともに放った呪術でアーヴィは身体ごと消滅した。

 痛みも苦しみもなく一瞬のことだったと思う。

 後悔などしていないが、いつまでも残るこれは何なのだろう。


「クラウス?」


 目が覚めると異空間と分かる空間の中、アジュールはクラウスに抱きかかえられていた。


「なにやってるんですかあなたは」


 口調が副師団長時代のものに戻っている。

 ということは気づいたのだろう。

 自然と笑みがこぼれる。


「やっとか。おそい」

「まさか記憶を持ったままだと思わないでしょう?普通」

「それはそうかもしれんが、全く聞きもしなかったじゃないか」


 嬉しいはずなのに、少しふてくされた口調になってしまった。


「さっきの呪術、クラウス?」

「そうです。とっさに止めましたが。だいじょうぶですか?」

「一瞬掴まれただけだ」


 ほっとした様子でそっと抱き起しながら顔を覗き込まれた。


「顔色も戻りましたし、よかった。結界に侵入があったものだから探っていたら、最後のを破られそうでしたので呪術を飛ばしたんです。その瞬間にあなたの波動と気づき止めたのですが」

「おせーよ。何かあったらどうしてくれるんだ」

「変わってませんね、その理不尽なとこ。しかし、その顔でその口調はちょっと」

「大丈夫だ。使い分けてる」


 自信満々に答えたが、何故か深くため息をつかれた。


「全く、貴方はいつも予想の斜め上をいきますよね。戦場でもそうでしたし」


 一拍おいてクラウスは疑問とも独り言ともとれる様につぶやいた。


「…何であんなことをしたんだか」

「あれはしかたない」

「仕方ないわけないでしょう!」


 クラウスが珍しく声を荒げる。


「あの時、呪術は2人に向けられていましたよね?どうして一人で引き受けたりしたんですか?」

「だって、お前死にたくなかったろう?」


 じっと顔を見て真面目に答えた。


「瞳は同じなんですね」

「は?」

「死ぬ覚悟は出来てましたよ。神の意思を曲げるなんて思想はもとよりありませんし」

「覚悟とお前の意思は別物だろう」

「でも、独りだと貴方寂しがるじゃないですか」

「…」


 一瞬頭が白くなった。

 そこで自覚した。そうか、自分は寂しかったのか。


「今も、寂しくなって会いに来たのでしょう?」


 見たことない優しい笑みを向けられて、顔が熱くなる。

 何だこれ?何だこれ。


「そういうとこ、変わってないですね」


 頬を撫でられてさらに熱が上がる。


「図星つかれると黙るとことか」


 大事そうに抱き込まれて、身動き出来ない。


「神様からのご褒美かな」

「何が…」

「こんな美少女に生まれ変わるとか」

「お前ロリコンだったのか…」


 ちょっと引いた。


「酷いですね」


 引いたけど、肩に頭を埋めて震えて泣いている気配がするので、仕方ないから背中をたたいて宥めてやる。

 しばらくしたら落ち着いたらしいが、何故か膝に乗せられ、クラウスは一転してニコニコ笑っている。

 この状態も変な感じだが、落ち着くのでよしとしよう。


「なぁ、生き残って何か手に入れられたか?」

「欲しいものですか?特になかったんですがね…少し欲が出てきました」

「そうか、よかったな」


 ほっとして嬉しくなった。

 本当に良かったと心の底から思った。

 知らず笑顔になっているのに自分でも気が付く。

 我ながら単純だなと思いながらも、懐かしい顔がよく見たくてクラウスの顔を覗き込む。


 ぐっと妙な声が聞こえた気がした。


「?」

「…いえ。確か、デビューに向けて作法を勉強してると聞きました。頑張って下さいね」

「え?うん……あ」


 勉強の言葉にはっと現実を思い出す。

 慌てて外の気配を探る。

 まずい。明るくなりかけている。


「帰らないと」


 送ると言うクラウスに万が一屋敷の者が部屋に来た場合を想定して断固拒否した。


「またくる」


 そう言うアジュールにクラウスが懐から紋章を取り出し手渡す。

 かつての自分の、紋章。

 手に馴染むそれを握りしめる。


「お守りだったんですが……お返しします。これで次は王宮にどうぞ」


 わかったと答えて異空間を抜け出す。

 出た先は墓碑の丘で、そこから屋敷へ跳んだ。

 展開していた術を消して布団へ潜り込む。

 次はいつ会いに行こう。

 緩む頬を自覚しながら考えた。

 会いに行ってよかった。

 クラウスだけはちゃんと本当の自分を見てくれている。

 神様なんて、魂の救済なんてしてくれなかったじゃないか。

 自分を救ってくれるのは、いつだってクラウスだ。


 そして2ヶ月後、公爵家の三男と候爵家の末の令嬢の婚約が決まった。


「やっぱりあいつロリコンじゃん」


 可憐な令嬢の独り言を拾うものはいなかった。




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