『この場は貴様たちに協力した方がいいと状況判断した』
「う……」
意識が浮上した瞬間、頭に痛みが走った。頭痛をかき消すように頭を振って瞼を開けば、そこにはヘルガーの顔があった。
どうやら私は今、疾走するヘルガーの腕の中にいるらしい。
「ヘルガー。……これは、うぐ」
「あまりしゃべるな」
身体が痛い。
特に頭痛が酷く手を頭に当てると、ぬるりとした感触が返ってきた。
見てみれば、赤い液体が手の平に纏わり付いている。
額辺りが割れたか……。結構な怪我を負っていた。
「済まないな。庇いきれなかった」
「いや……状況は?」
今ヘルガーが走っているのは遺跡の通路の一つのようだ。周囲に他に人影は無い。
「気を失っていたのはどれくらいだ?」
「五分程度だな。部屋が崩壊して、あそこにいた奴らは全員千々に逃げた。それで」
直後、轟音。ヘルガーの肩越しに振り返ると、背後の壁が破壊されているのが見えた。
下手人は緑色の触手。蛸のようなそれは、先端にギョロリと蜘蛛の目が剥いている。
「俺らは追われている最中だ」
「なるほど、把握した」
あれは間違いなく、シンカーの一部だろう。
触手は私たちを発見するとシュルシュルと躍るように迫って来る。最初は一本だったが、壁の穴から更に二、三本来援した。
「あれは、千切れるか?」
「可能だが、刃物が欲しいな」
「なら私が……」
「いや、お前のダメージは酷いぞ」
そうだろうか? ヘルガーの言葉を確認するように身じろぎしてみると、身体のあちこちからズキリと強い痛みが返ってきた。
「う……。腹になにか受けたか」
へそ周りに鈍く広い痛みが広がっている。瓦礫か何かが腹に衝突したのかもしれない。内臓は辛うじて無事のようだが、かなり手酷い打身だ。
その際、吹き飛ばされるでもしたのだろう。手足も擦ったり捻ったりしている。特に左足が痛い。これは間違いなく捻挫だ。
「悪化を恐れなければ補助器具で無理矢理動かせるが……」
「止めておけ。まだ無茶をするタイミングでも無いだろ」
ヘルガーはそう言いながら、肉薄した触手を踏み台にして加速した。踏みつけられた触手は床にめり込み、ぶちゃりと目が潰れた。
「撒いても撒いてもやってくるが、幸い俺の逃げ足はまだ捉えられていない」
ヘルガーは怪力で、俊足だ。私を抱えてもバイクの如き速度で通路を走り抜けられる。
なら、まだ猶予はあるな。
「く……」
痛む身体を叱咤し、懐の携帯端末を手に取る。ビートショットを呼び寄せる装置の素材にしたのとは別の端末だ。
まず連絡したのは竜兄。数秒後、回線が開けた。
「……竜兄、生きてる?」
『エリ! 無事か!』
「そっちこそ」
身内の無事が確認できてホッとする。まぁ、ヒーローが命を落とすような事態になれば私たちの命なんか木っ端のように散るけどさ。
「状況は?」
『最悪だな! 触手に追われている! 親衛隊を庇いつつ後退しているが、いい避難場所はあるか!?』
「だったら中央広場に向かってくれ。そこにならはやてちゃんもいるし、何より奴には手が出せ、な……」
手が出せない、と言おうとして思い留まる。
奴の悲願を考えればこの遺跡は必須だ。ならば中心部を狙うことは無いと思いたいが、そもそも既に奴は遺跡の内部を破壊している。怒りに我を忘れて遺跡ごと沈める可能性も無きにしも非ずだった。
だが、遺跡の内部でそれ以上に安全な場所が無いのも事実だった。
「……やはり、中央部へ向かってくれ。そこが一番マシだろう」
『了解した! お前は!』
「とりあえず、撒く」
竜兄との通信を終え、次の連絡先に掛ける。
「よし……蝉時雨か?」
『おう、どうした? ここまで地響きが伝わってくるから、尋常な事態じゃ無いことは分かるが』
「ちょっとトラブルがあってな。シンカーが暴れて下手したら沈む」
『まじか』
「だから、イチゴ怪人の供給を切ってくれ」
事ここまでに至れば、最早裏切りを隠しておく必要は無い。もう露呈しているのだから。
なれば、そもそもこの遺跡を浮かせている供給源を断ってしまえばいい。
「不時着できるようにコントロールできそうか? ゆっくり、あまり人気の無い場所に降りてくれ」
『無茶を言うなぁ……! 僕は古代兵器のエンジニアじゃ……あ、おい!』
通信の向こう側で、揉める音が聞こえると通信の主が入れ替わった。
『エリザ、大丈夫なの?』
はやての声だった。心配しているようだ。
私は安心させるように声音を整えて告げる。
「大丈夫。想定内だ」
『いや……流石にそれは嘘って分かるよ』
おっと。はやても察しが良くなってきたな。
「ははは。確かに少し……予想以上かもな」
『……私にできることはある?』
はやてが決意を秘めた声で問うてくる。はやての首輪はスイッチ一つで致死性のウィルスが流し込まれる。そしてそのスイッチはまだシンカーが持っていた。
それなのに私に聞いてくるということは、覚悟を持っているということだ。例え死んだとしても私に協力するという覚悟が。
だけど、それは私の臨むところでは無い。
「無いな。待機だ。万が一シンカーからの連絡があった際は、従え」
『……私、貴女の為ならば……』
死ねる、か? しかし。
「生憎、私は私の為に君の命を消費するつもりは無い」
冷たく突き放し、そこで通信を切った。
揺れる腕の中で溜息をつく。
「難儀なことで」
触手を躱しながら茶化してきたヘルガーを睨んだ。仕方ないだろう。はやてを死なせるわけにもいかない。
私はビートショットに連絡しようとして……アドレスを交換したのが雷太少年ということに気がついた。しまった。この場ではビートショットと連絡を取る手段は無いな。
「……ま、ビートショットなら死ぬことはないか」
「むしろ、殺し方を教えて欲しいな」
電磁生命の機械を倒すのってどうすればいいんだ。この高度から落ちれば流石に死ぬか……? いや、飛べたわ。
それはさておき、もう腕の中でできることは終えた。後は逃げ切らねば。
「それで、撒けそうか?」
「ちょっとしつこいな。まだ増援が来るだろうし」
「増援?」
私が首を傾げるのと同時に、進行方向に立ちはだかるように滲みだしたのは見覚えのあるスライム。成程、キメラ共か。
「う……ぐ」
電撃で蹴散らそうとしたが、痛みが邪魔をして集中を散らされる。その間にもスライムはどんどん増え、輪郭を作ってキメラへと変じていく。
ヘルガーが舌打ちをする。
「ちっ……突っ込むぞ!」
やむを得ない。多少の手傷は負うのは覚悟するしか無い。
そう思って身構えようとした瞬間、スライムとキメラが消し飛ばされた。
「何!?」
電撃だ。電撃が邪魔者共を打って道が開いた。
当然私じゃ無い。私よりも出力の高いこの雷は……。
「ビートショット!」
スライムたちの向こう側から姿を現したのは、群青色の機械駆体だった。
『この場は貴様たちに協力した方がいいと状況判断した』
ビートショットはそう言って超電磁ソードを腕から伸ばすと、私たちとすれ違うように疾駆した。その姿を追って振り返った瞬間には、触手たちは全て膾にされていた。流石の切れ味だ。
仕事を終えたビートショットはそのまま反転し私たちと併走する。私たちと同じ場所から退避した筈なのに特に消耗した様子も無い。分厚い装甲は瓦礫程度では傷一つつかなかったらしい。
「流石だな」
『この程度なら造作も無い』
「そうか。……今更だが、よく協力してくれる気になったな」
ヘルガーの腕に揺られながらビートショットに疑問に思っていたことを聞いてみた。
「正直ダメ元だったんだぞ。雷太少年にメッセージを送ったのは」
バイドローンの野望を阻止すると決めて竜兄に連絡したのは来てくれるという確信があっての事だったが、ビートショットはどうせなら、といった気持ちだった。端末の電話帳に目がついただけだ。
だから来てくれる旨のメッセージが届いたのには本当にびっくりしたんだ。
私の疑問にビートショットは、機械の両腕で器用に肩を竦めながら答えた。
『当方は危険だと、罠だと判断した。しかし……』
首を振りながらカメラアイを明滅させるビートショット。まるで溜息をついているようだ。感情豊かな機械だ。
『雷太は『あの人はこんなつまらない嘘はつかない』と言ってそちらを信じた』
「あの時だけの交流で、そこまで信用を得られるとは私も思ってもみなかったな」
素直に驚く。ラーメン屋での会話はそこまで深い物ではなかった気がするが。
『ドクトルやゐつ曰く、雷太は人の本質を見抜く目が優れているらしい』
雷太少年にそんな特技があったのか。天性の才能か、子どもらしい直感か。いずれにせよ、そのおかげでビートショットはここにいる。
『当方には分からないことだがな』
そう言うとビートショットはどこか寂しげな雰囲気を垣間見せた。
機械には機械の悩みがあるのか。
『さて、どうするのだ?』
切り替えてビートショットは聞いてきた。
そうだな……最初は中心部へ避難しようと考えた。だが、ビートショットという戦力がいるのならば別の戦略が取れる。
「よし、ならおびき寄せよう」
『何?』
「丸々太っても、引きこもりになるのはよくないからな」
再び背後に現れた触手を見て、私は笑みを浮かべた。
「表に引っ張り出してやる」




