「……そうか、これはイザナギなのか」
「……何?」
聞き返す。しかし先に答えたのはイザナの方だった。
『命令を受諾しました。生命培養槽を起動します』
地球儀状の物体が動き始めた。球体が回り、その表面に幾何学模様を映し出す。
その様子を見上げながら、シンカーが私の問いに答えた。
「そのままの意味ですよ。世界中の人間をバイオ怪人にするのです」
「なん、だと……? そんなことが可能なのか……?」
「出来るのですよ、この遺跡なら」
シンカーがステッキで床を小突く。すると床から染み出た緑色のスライムが、手の平サイズのシリンダーをシンカーに手渡した。
「この遺跡の名前はイザナ……その語源は伊弉冉、伊弉諾です。この二柱に伝わる神話は数多くありますが、その最後の逸話を知っていますか?」
「最後……黄泉比良坂の話か」
国の母であるイザナミは多くの神々を産んだ。国土や森羅万象も作り出した。しかし火の神であるカグツチを生み出した時、火傷を負いその傷が元で死んでしまう。
イザナギはイザナミを連れ戻すため死者の国である黄泉国へと向かい連れ戻そうとするが、決してこちらを見ないでというイザナミの言葉を無視して振り返ってしまった。
そこにいたのは腐敗した醜いイザナミの姿。
驚いたイザナギは逃げ出してしまい、それに怒ったイザナミは追いかける。そして黄泉と繋がる黄泉比良坂から飛び出したイザナギは、そこを大岩で塞いで追いかけてこられないようにしてしまう。
それに更に憤怒したイザナミは、「こんなことをするなら私は人の子を一日に千人殺す」と言い、それにイザナギは「ならば私は一日に千五百人の子どもを生み出す」と答えた。
二柱は離縁し、黄泉と幽宮にそれぞれ篭った。これがイザナミとイザナギの夫婦としての最後の逸話である。
「……そうか、これはイザナギなのか」
逸話を思い返して理解した。培養……つまり生命を増やすことが出来る。それはイザナギの力と言える。だが、起動には命が必要……
「いや、ならばイザナギとイザナミ、両方ということか」
殺し、生み出す。その両方の力を持つこの遺跡を古代人はイザナと名付けた。古代人がこれを何に使おうとしたのかは知らないが、もし命を増やす力を持っているのならば。
「ウィルスを増やし、散布する……」
空を飛ぶこの遺跡なら、増やしたウィルスをそのまま散布することが可能だろう。そうすれば、全世界の人間の何割かがバイオ怪人になり、それ以外の人間が怪物になるか、命を落とす。
……まずい。まずいまずい! それは流石に看過できない! 別に世界中の人間の姿が変わろうが私は気にしないが、百合が悲しむ。そして何より、家族みんなに危害が及ぶ!
「……!」
危機感を覚えた私はポケットに隠し持った機械の停止ボタンをこっそり押した。これでローゼンクロイツの機械は一斉停止出来る。バイドローンと敵対することになるかも知れないが、その計画を進めさせるわけにはいかない。
だが、押してしばらくしてもモニターは消えなかった。
「……何……?」
機械を操作していた構成員が怪訝な声を上げる。
「あれ……摂政様、機械が応答しなくなりました」
「何だと?」
「勝手に動いてます。どれも正常ですが、こちら側からの操作を一切受け付けなくなっています」
どういうことだ? 停止ボタンどころかこれは、コントロールが出来なくなった? いや……まさか。
「あぁ、大丈夫ですよ」
シンカーが安心すら感じさせる声音で言う。
「コントロールは全てイザナに移りましたから。これ以降機械を操作するならイザナに任せれば問題ありません」
……やられた。
シンカーはこれを隠していたのか。人工知能の存在と、生命の増幅を気取られないために隠していた。ここまでこぎ着ければ、後はどうにでもなると考えて。
「……何が起きてる?」
隣のヘルガーが私に小声で問う。私も、シンカーにバレないよう小声で答えた。
「人工知能に機械の制御を奪われた。もう私たちの意思ではこの遺跡を止められない」
「何……? おい、まずいんじゃないか」
「あぁ、まずい。流石に化け物だらけになった社会を百合に献上するつもりはない」
しかし機械は停止出来ない。ならば、バイドローンを一掃するしかこの遺跡を止める手立てはない。だがそれも。
「……ここにいる戦力でバイドローンに勝てると思うか?」
「無理だな。俺が十人いてやっと互角と言えるぐらいだ」
歴戦の猛者であるヘルガーが現状の戦力差をそう分析する。ローゼンクロイツ側の最高戦力がヘルガーだ。こいつが敵わないとなると、そもそも敵対すること自体がこちらの負けだ。
なら……
「……敵対行為は禁止する。イザナに遺跡を止めるように命令するのも駄目だ。イチゴ怪人の供給も止めるな」
「それじゃあ奴らは止められない」
「だがそうするしかない」
この計画はローゼンクロイツ側にインフラを依存しているが、バイドローン側はいざとなったら暴力で言うことを聞かせられる。というより、そうなるようにローゼンクロイツを、私を選んだのだろう。あくまで対等な協力としているのはそちらの方が計画がスムーズに進むから。
「もうこの段階だ。奴らは計画を止めようとする動きを見せればこちらに容赦しないだろう」
「……ならばどうする? このまま黙って見ているのか?」
「そうだ」
「おい……!」
ヘルガーが抗議しようとする。その動きを私は手で制し、反対の手に持った端末を掲げた。流石に携帯端末までにはイザナの支配は及んでいない。
「奴らに対しては黙っているが、他に対しては……おしゃべりにいこう」
◇ ◇ ◇
私――はやては、古代遺跡イザナと併走して空を飛んでいた。隣には、鳥と似た巨大な建造物が浮かんでいる。
「……本当に飛んでるんだ……」
ビルよりも大きい物が空を飛ぶ。それは聞いていたとしても実際に見るまでは信じられないことだ。そして実際に見ると、ただただ圧倒される。
青い空を悠々と飛ぶイザナ。眼下には雲海が広がっている。
「すごい景色……」
空は飛べても、ここまでの高度に上がったことはなかった。だから初めて見る景色に私は呑まれかかる。
「でも、仕事しなきゃ」
私は頭を振っていつまでも眺めていたい誘惑を振り払い、遠視の魔法を瞳にかけた。
わざわざイザナから飛び出して外に出ているのは、哨戒……見張りのためだ。イザナに近づく存在を排除するのが私の役目。
「……今のところ、その気配はないけど」
できれば来ないで欲しい。戦闘機相手なら私は余裕で勝てる。人を……殺すのは、やはり慣れないし、嫌だ。
……でも命令なら、従わなければならない。
首輪に触れる。金属製の無機質な首輪は、一瞬で私を死に至らしめるウィルスが装填されている。そのウィルスと対になったウィルスに働きかければ、私はたちまちに死ぬ。その対のウィルスが入ったスイッチを持っているのは、イザナの中にいる三人のバイオ怪人だ。
「……墜落して、みんな死なないかな……」
そう呟いて、やはり駄目だと思い直す。だった中にはバイオ怪人だけじゃなく、エリザもいる。三人には死んで欲しいが、彼女は嫌だ。
『私からすれば、その程度の事さ』
人を殺したことを打ち明けても、何一つ変わらなかったエリザ。見栄とかじゃない、本当に人を殺したかどうかどうでもいいって、そう思っていた。
本来なら、唾棄すべき人間なのだろう。倫理観に欠けた異常者なのだと。けれど、今の私にとっては……救われる存在だ。
願わくば、あの人の隣にいたい。
「……ん?」
遠くの空が煌めいた。注視すると、鳥にしては明らかに大きすぎる影が。
「もう嗅ぎつけたんだ……」
自衛隊の戦闘機、かな。影の数は三つ。問題じゃない。
私は内部へ連絡を入れ迎撃態勢を取る。次第に近づいてくる機影……
「……あれ」
戦闘機の大きさは、なんとなく知っている。社会の授業かなにかで、パイロットが隣に立っている戦闘機の写真を見たことがある。車よりずっと大きいけど、すごく大きいという感想は抱かなかった。
けど、近づいてくるあの飛行機は……少なく見積もって戦闘機の三倍は大きい。
「なん、か!?」
なんか大きい。そう言おうとした瞬間、銃弾が飛んできた。
翼を羽ばたかせて躱す。銃弾は私の横を掠め、どこかへ消えていく。飛んできた方を見れば、飛行機の上に、なんと人が。
その人影には、見覚えがあった。
緑葉の鎧、帽子のような葉の兜。そして各処に咲いた、白い花。
「ジャン、シアヌ……!」
飛行機の上に仁王立ちになって、白いマスケット銃を持った花の銃士が、私に銃口を向けていた。




