「……おかしなヴィランだったな」
「『躊躇せよ、怯懦せよ』!!」
呪文が響き渡った。
私の顔面に拳が叩きつけられる直前、拳がピタリと止まる。赤黒い霧が、機械の拳に蜷局のように纏わり付いている。すぐに飛びずさって後ろへ下がった。
はぁ、やばい死ぬところだった。
「礼を言うよ、一応」
「助けてやったのに何だその口の利き方は」
木片を砕いた蝉時雨が悪態をついた。今のは蝉時雨の魔術だ。見たところ攻撃を止める類いか。
「参戦するのが遅いと思ってな」
「チッ……代償には限りがあるんだから、温存するのは当たり前だろ」
皮肉を言い合いながら体の調子を確かめる。さっきは不意の痛みで竦んでしまったが、我慢できないほどではない。別に折れているわけではないかも知れないな。罅が入っているだけかも。
継戦は可能だと判断して改めてサーベルを構える。目の前のプライマル・ワンは、とっくに魔術が解け、腕の具合を確かめていた。
「魔術で動きを止めることは出来ないか?」
「いや、難しいな。今みたいに一回攻撃を止めるだけで精一杯だ」
うーん、微妙に使えない。魔術ってのは大概そういうので、痒いところに手が届かないことが多い。届かないのを、別の魔術で補い合って事を成すのが魔術師たちなのだ。
「仕方ない、か」
やはり一筋縄ではいかないようだ。
プライマル・ワンはこちらを見据え、私を、そして背後の蝉時雨を睨む。
「魔術師だと? この街の住民か」
蝉時雨が息を呑む。いくら荒事に慣れていたとしてもヒーローに睨まれれば怯むのは当たり前だ。たじろぐ蝉時雨の気配を感じたので、一応釘を刺しておく。
「逃げるなよ」
「わ、分かってるよ……」
蝉時雨に忠告してプライマル・ワンに改めて向き直ると、奴はまだ蝉時雨の方を睨んでいた。うん? 憎々しげというよりは……どこか、困ったような雰囲気、か? ……そうか!
「なるほど、お開きに出来るかもな」
お手柄だぞ蝉時雨。
私は肋骨の痛みを堪えてプライマル・ワンに話しかける。
「派手にやり過ぎたな、プライマル・ワン」
「………何?」
「天井がぶち抜かれて気がつかない家主はいない。じきに騒動に気付いた魔術師が来るぞ」
どう考えても衛星からコンテナを射出し天蓋に穴を開けるってのはやり過ぎだ。もしヒーローが恐ろしくて静観していたのだとしても、抗議ぐらいはするはずだ。
「それまでに決着をつけるつもりだったのだろうが、ご覧の通り瞬殺は出来なかったな」
「……今からでも問題はない。このまま捕まえればいい」
勿論、それは可能だろう。
というか、そうされると普通にお縄になってしまうから困る。
だから私はハッタリをきかせることにした。
「それもそうはいかない。ここにはこの街に根付いた魔術師がいる」
「む……」
そう、先ほどプライマル・ワンが困っていたのは蝉時雨の存在だ。
プライマル・ワンとて、アル・カラバとは事を構えたくないと見た。国ですら介入するアル・カラバは超一流のヒーローといえどその裁量で意のままにするのは難しい。だからこの街の魔術師らしき蝉時雨の姿に困惑したのだ。街と敵対することを恐れて。
実際には全くの杞憂だ。重要な施設が狙われたのならともかく、木っ端の魔術師が一人二人死んだところで街の住民は全く気にしない。それがこの街の気風だ。
「街を敵に回す気か? ちんけなコソ泥を捕まえるために?」
だがおそらく、プライマル・ワンはそうであることに気がついていない。というより、気がついていないことに賭けるしかない。
「ここで手打ちにして、倉庫を炎上させたことと、天井に穴を開けたことを謝罪して回った方がいいと思うが」
この言いくるめ、通るか……!?
「……こちらの負け、か」
通った!
「安心したまえ、たいした物は盗んでいないからな。そちらの面目は潰さんよ」
内心は狂喜乱舞しつつ、表面上は余裕綽々で振る舞う。悔しげにしているプライマル・ワンを刺激しないように言葉を選びながら、はやてと蝉時雨を連れてプライマル・ワンから一歩下がる。
「君が逃がした悪党が大量殺人をする、なんてことはない。誓ってね」
総統閣下が望んでいないからね。
「……一つだけ聞かせてくれ。その本は何に使うつもりなんだ?」
退がる私たちに、プライマル・ワンは問うてきた。
私は素直に答える。
「人助けさ。こればかりはね」
「……そうか」
プライマル・ワンは一つ頷いて、それきりこちらを見ることはなくなった。
不思議に思いながらも私は二人と共に撤退し、プライマル・ワンの射程圏外に出たところで私たちは一気に踵を返して街の中心向かって走り出した。
ちらりと振り返った背後には、まだ赤青のヒーローが佇んでいた。
◇ ◇ ◇
「……おかしなヴィランだったな」
「逃してしまいましたけどね」
独りごちるプライマル・ワンへ物陰からスーツ姿の女性が声をかけた。待機していたエージェントだった。彼女らはヒーローの活動を補助するために万全を尽くすのが仕事だが、肝心の戦闘では出番がない。余計な被害が出ないよう、戦いが終わるまでずっと隠れていた。
プライマル・ワンはアーマーを解除し、ヘルメットを脱ぎながら応じる。
「彼らの言うことはもっともだったからね。天井に穴を開けてしまったことを詫びなければ」
「……このことを知ったらレッドカーネルは何と言うか」
「彼に言わせれば、『甘すぎる』ってことなんだろうけどね」
同じハンドレットに属するレッドカーネルは冷静であり冷厳な性格だった。決してヴィランを見逃さず、時には非道と言われるまで追い詰める。多少街に被害を出したとしても、悪を許さない。
もしこの場にいたのがレッドカーネルであったら、確実に三人を仕留めていただろう。街から不満が出たとしても。
「だけど、僕は市民に被害が出なければそれでいい」
「彼らの言動を信じると?」
「少なくとも、人助けってのは本当だと感じたからね」
幾人ものヒーロー、ヴィランを見てきたプライマル・ワンはそう感じた。真偽を見抜く目が備わっているわけではないが、それでも少し信じてみたいと思える言葉だと思った。
「それより、片付けをお願いしていかな?」
「トイボックスは自分でやってください。まだ疲れていないでしょう」
女性の返事にプライマル・ワンは肩を竦めた。
彼には先ほどの戦闘を、後三日は続けることの出来る程度の余力が残っていた。
◇ ◇ ◇
「で、なんで僕は飛行機に乗せられているんだ?」
私の向かいのシートに座った蝉時雨が問う。
アル・カラバを脱出した私たちはローゼンクロイツの自家用ジェットに乗り込み、本部へ戻る帰路にあった。
首を傾げる蝉時雨に、栄養補給用のゼリーを持った私が答える。怪我の手当は終わっていた。
「魔導書があっても魔術師がいなければ治療できないだろう? はやてちゃんは魔法しか使えないし」
「いや、だからって店が……」
「『しばらく休業』って札はかけといた」
「いつの間に!? ちょ、治療を終えたら帰してもらえるんだろうな!」
「それなんだが、ウチは魔術関係が弱いことが判明してね。ちょうど魔術師が欲しかったんだ」
私の言葉に蝉時雨は青ざめる。
「お……降ろせ!」
「今降りたら大海の藻屑だぞ」
「絶対ブラック企業だ!」
「何を言う。超絶ホワイトだぞ」
「い、嫌だ! 馬車馬の如く使い潰される!」
悲鳴を上げ嘆く蝉時雨。仕方ない、大人しくなる魔法の言葉を伝えよう。
「百合の下で働けるぞ」
「………」
蝉時雨はピタリと動きを止め、考え込む。
そして顔を上げると、打って変わって大きく頷いた。
「ま、協力してやらんこともない」
「ははは」
まぁ扱き使うんですけどね。
そんな私たちを見て、翼に包帯を巻いたはやてが呆れたように呟いた。
「……やっぱり似たもの同士」
失礼だな。




