「気楽にいこうよ。悪人どうし、ね」
秘匿都市アル・カラバ滞在二日目。
私とはやては起き出すと同時に外に出て散策を始めた。勿論それはカモフラージュで本当の目的は倉庫の偵察。しかし真っ直ぐに向かっては怪しまれるのでふらふらと観光しながら目指す。
ここは犯罪者の宝庫。どこに誰の目があるか分かったもんじゃない。だから観光の演技中だって気が抜けない。
「お、このナザールボンジャン綺麗じゃないか? 色が鮮やかだ」
「……目玉で可愛くない」
往来の市場で私が手にしたのは青いガラスで出来た眼球を模したアクセサリー、ナザールボンジャンというトルコのお守りだ。籠の中に大量に入っていて、たくさんあると中々に不気味ではある。はやてのジトッとした目も頷ける。
「それに、何の魔術も掛かってないよ。ただのガラス玉」
「むぅ、女の子だったらこういうの好きじゃないのか?」
「もっと可愛い奴の方がいいよ。誰が喜ぶの?」
「竜兄のトルコ旅行土産で姉妹揃って喜んだが」
「百合もか……それって、お兄さんが買ってきたから嬉しいだけでしょ」
そうとも言うが。それに魔術的な効果だってないとは言い切れない。
「こういうのは知らないうちに厄を退けてくれるもんだ。私たちの感知しないところで戦ってくれるのが彼らさ。お守りっていうのはそういう物だ」
持ち主に降りかかる災厄を祓ってくれるのがお守りという存在だ。掛かる筈だった不幸を退けてくれても、私たちには分からない。私たちはその力を実感ない。
それでも彼らは私たちを守って、そして壊れて無くなるか、忘れられて失くされるかまで健気に続ける。お守りはもっとも身近なヒーローと言える。
「竜兄に貰った奴もきっと守ってくれたよ。数日で壊れてしまったが……」
「それだけの厄があったってこと……?」
はやてが戦慄している。どうかな……確かにあの頃後ろ暗いことをしていたけど。割と命懸けだったし、代わりに砕けてくれたのはありそうな話だ……。
「ま、試しに買っていこう。私とはやてちゃんで一つずつ。あと百合にも」
「……何かあれば私は魔法で身を守れるけど」
「結局は気休めだ」
「さっきと言ってる事違くない?」
「まぁまぁ」
私は三つ買ったナザールボンジャンを一つはやてに渡し、一つは自分で首から下げて、一つは包みに仕舞ってポケットに入れた。そのまま露店から離れ、物珍しそうに市場を見回しながら何気なくはやてに聞く。
「魔法での反応は?」
「あり過ぎ。みんな魔術の品物を持っているから探知の魔法が機能しない。むしろ探知をかけている私が怪しまれるかも」
「分かった、魔法は消していい」
遺跡でやったような探知の魔法を使わせてみたが、よく考えてみればここは魔術の街。反応が多過ぎて役に立たないか。
チョロチョロと街を歩き、お上りのように目線を動かしながらはやてに話しかける。
「……はやてちゃんはさ、元の生活に戻りたいと思ったことはある?」
「え? ……なんで、今そんなこと」
隣り合って歩くはやてから戸惑いの声が聞こえる。確かに、突然に思えるかも。
「ま、折角バイドローンの目が無いからね」
「あっ……」
ここは異邦の地。そして構成員すらいない二人きりだ。バイドローンに話が漏れ聞こえることは皆無。だからバイドローンに従属するはやても発言に気を使う必要はない。
「……もしかして、私を護衛に選んだのって」
「さて? ……それで、どうなんだい?」
進む通りは喧騒に満ちているが、隣の声はよく届いた。
「……戻りたいよ、やっぱり」
ポツリと、小さく答える。
「魔法少女に選ばれて、無邪気に喜んでいたあの頃。友達にばれないように気を使いながら、悪との戦いの攻略を考えたり、普通にテストの点数に一喜一憂していたあの時間……あまり経っていない筈だけど、何年も遠い日のことに感じる」
まだ日は高く、夜までの時間は長い。私は倉庫へ向かう道から外れ、遠回りになるルートへ舵を切る。
「友達にもまた会いたいし、引き取って育ててくれた叔母さんにも、恩返ししたい」
はやては孤児だったのか……。暗めの性格は辛い境遇だけじゃなく、そこらへんが少し関係しているのかもしれない。
「もし、バイドローンから離れられて、その翼も治せるとしたら?」
「……え?」
ここへ来た理由はまだある。
バイドローンの技術はローゼンクロイツにとって未知だ。碌に調べられていないから当然といえば当然だが、あまりに違う技術に調べたとしてもどうにか出来るか自信が無い。翼を切除して命に関わりが無いか、断言出来ない。
だけど、この街ならば。治す方法があるかもしれない。今は隠蔽されている翼がある筈の場所を眺めながら、私はそう言った。
「そしたら、元の生活に……」
「……無理だよ」
否定の答え。隣を見ると、俯いた顔が目に入った。
「どうして?」
「バイドローンは執念深いから。私が負けたのだって……」
ふるりとはやてが身体を震わせる。私は人ごみではぐれないよう手を握った。
「最初は勝ったよ。アッパーと戦って……浮かせて撃退した」
はやての得意魔法はパワーファイター相手に強い。重量を力に変えられなくなるから。対抗するには軽くされても戦える機動性か、或いはジャンシアヌみたいに身体を固定する方法か、もしくは……。
「でも何度も襲撃してきた。ダウナーや、シンカーも。退けてもほとんど日を開けずに襲って来て、少しずつ対策された。シンカーは手下を変えて、アッパーは新たに翼を生やした」
アッパーの蝙蝠の翼ははやて対策で得たものだったのか。
「そして遂に、三人が同時にやって来て……私は敗北して、捕らわれた」
「はやてちゃんを倒したのはあの三人だったのか」
「うん、だから私の首輪のスイッチも、あの三人だけが持ってるよ」
ふむ、そうか。……しかしあの三人を同時に倒すのは無理だな。だからはやても反抗の意志を見せないのか。
「それに……私は、もうこの手で」
はやてが握った手を振りほどいた。そして手を開いて見つめ、言葉を続ける。
それは、私とは決定的に違う、日常には戻れない理由だった。
「もうこの手で、人を殺した」
ざわざわと騒がしい往来の音も、今の言葉の意味をかき消す事は出来なかった。
……人を殺す。
それは、人間として許してはならない、許されてはならない行為だ。
「……奴らに心を犯されて、けれども、私が自分で……」
不殺なんて私みたいな甘い事を、他の悪の組織がやる訳が無い。バイドローンは、容赦なく彼女に命じた筈だ。
実際に手を汚したのはバイオ怪人たちと比べれば百分の一にも満たないだろう。けれども、それはたった一人でも一生背負わねばいけない程、重い罪だ。
「だから私は戻れないんだ。……戻っちゃ駄目なんだ、絶対に」
彼女の影のある態度の理由が、やっと分かった。
育ちや、酷い仕打ちもあるけれど、一番は、自罰。
自分で自分を追い詰めているんだ。
……確かに、戻った方が辛いだろう。
殺してしまった命と比べて、幸せを苦痛に感じるかもしれない。だったらいっそ、このままバイドローンに使い潰された方がいい。
はやては、そう思っている。
「成程なぁ」
私はほどかれたはやての手を、もう一度掴んだ。
「あっ……」
「結構歩いたけどこの街は広いなぁ。迷わないようちゃんと手を繋いでおいてよ?」
「……いいの? 私の、その……汚れた手を」
戸惑ったはやての声を気にせず、私はしっかりと握った。細くて頼りない手だ。ボーリングの球すらまともに持てないくらいか弱い事を知っている。知っているから、手を離さない。
「はやてちゃんも自分の秘密を打ち明けたから、私も告白しようか」
俯くことをやめて私を見つめるはやてと目を合わせた。微笑みを浮かべて答える。
「実は私、悪の組織の幹部なんだ。悪い事をたくさんしてる」
私の言葉に、はやてはきょとんとした顔になった。
「……そんなの、知ってるよ?」
「ははは、そうかい? まぁ……」
ガラスを透かして見える空は青く、仰ぎ見ると鳥が飛んでいた。
「私からすれば、その程度の事さ」
人殺しは社会において重罪だ。法律においても倫理的にも、許されない。
でも私にとってはどうでもよかった。
「気楽にいこうよ。悪人どうし、ね」
人を殺めたとか血に汚れているとか、どうでもいい。
私にとって大事なのは身内であって、社会など、ましてや他人なんて興味が無い。
だから私は、私だけははやての罪を許せる。
善も悪もどうでもいいから――悪を、救える。
「ちょっと買い食いでもしようか。パフェがあればいいんだが」
「……ふふ、こんなところにあるかな」
くすりと微笑したはやての顔を見て、私は内心である決意を固めた。
人殺しなんて、どうでもいいから、
奪う事なんて、もっと簡単に出来るのさ。




