「何故、こんなところにいる悪魔!」
「ふふふ……自家用ジェットで空の旅が出来るのは悪の組織の特権だな……」
柔らかいシートに身を沈めながら、私はそうひとりごちた。
表向きは数々のフロント企業を束ねる大きなグループであるローゼンクロイツは、かなりの金を持っている。自家用ジェットを保有することなど容易いくらいに。
もっとも、怪しい企みをする以上足の付きにくい飛行手段を確保しておく必要があるという事情もある。だからこれは職権乱用ではないのだ。
フルーツジュースの入ったプラスチックの容器を玩びながら正面の少女に話しかける。
「実に快適だ。そうは思わないか、はやてちゃん」
「……こんなことをしていていいの?」
私の対面のシートに座るはやてがジュースを手に持ちながら首を傾げる。羽が窮屈そうだ。今度乗る時は専用のシートを開発しておかなきゃな……。
「ヘルガーが苦しんでるのに……」
「あの場ではやてちゃんが処置できなければ魔術的な手段では誰も救えないさ。フォーマルハウトどもを絞め上げるという手もあるが、高度な魔術なのだろう?」
「うん」
「なら、マハヴィル以外は出来るかどうか怪しいな。そしてマハヴィルは死んでも口を割らないさ」
奴は曲者だ。一応捕獲したフォーマルハウトの魔術師たちは全員捕虜としてローゼンクロイツで捕らえているが、他の魔術師は口を割ってもマハヴィルは喋らないだろう。それくらいの大物感はある。だから聞き出すのは難しい。
「一応ウチの医療班が取り除ける可能性もあるが……まぁ、望み薄だな」
ローゼンクロイツの医療班は私を死の淵から救ってくれたくらいに優秀だが、魔術的な手段で体を蝕む腫瘍を取り除けと言われても無茶だろう。仮に可能だとしたら、私たちがヘルガーの傍にいる必要は無い。
「だったら、問題の解決に尽力するべきだ」
「……それで、海外旅行?」
「そうだよ」
私ははやてに向け鷹揚に頷いた。
現在この飛行機は日本を飛びだして海外の空にいた。いくつかの空港を経由しながら目的地に向け飛んでいる。
「魔術は怪人だの妖怪だのよりは普及している。誰でも習得は出来るからな」
選ばれし者しか扱えない魔法を、誰にでも扱える物にダウングレードしたのが魔術だ。修行を積んだり知識を得れば一般人でも覚えられる。
魔術師による生贄や大量殺戮が発生してしまう可能性がある為社会的に習得は禁じられているが、薬物を根絶できないように魔術が蔓延ることは止められない。
それならば、それで儲けようとする輩も当然現われるのだ。
「はやてちゃんは魔法少女になる前は普通の学生だったんだったか?」
「正確に言うなら、バイドローンに降るまでは。魔法少女しながら学校通ってたし……」
「あぁ、そうか。それが普通だな」
魔法少女に選ばれたからといって学業を止める必要は無い。むしろ大部分の魔法少女が学校に通いながら活動しているだろう。百合も魔法少女に目覚めたのなら高校を続けられたのだが……。
「なら知らないのも無理はない。裏社会には、魔術の聖地として知られる場所があるのだよ。結構有名でね、昔も良く、名前だけは聞いたなぁ」
学生時代に魔術の出番はあまり無かったのだが、魔導書などの出どころとして聞くことがあった。かくいう私の手にした魔導書も、そこから流れて来た物だった。だから知っていたのだ。
「こういう時経験が役に立つ物なのだなぁ。学生時代に色々と学んでおいてよかった」
「……私、学生時代は普通でよかったって心底思うよ」
そう言ってはやてはストローに口を付け、中身のジュースを飲み干した。
◇ ◇ ◇
乾いた風が吹く街中を二人で歩く。構成員をぞろぞろ連れて来ては目立つので、二人だけだ。魔法少女はこの上ない護衛だしね。
街は人口が多いようで人がごった返している。黄色人種が中心だが、様々な人種が入り混じっていた。私たちは紫と稲穂色のマントをはためかせながら人を縫うように歩いている。
そんな人ごみの中で上を見上げる。そこには鉄の格子とガラスで出来た、街全体を覆うほどに巨大な屋根が存在していて、透けて見える空はどこか歪んでいるように見えた。
ここはチベットの奥地に存在する秘匿都市アル・カラバ。
麻薬の原料となる芥子の花を栽培する村があるように、魔術を研究し売り物にする背徳の都市である。
「いやぁ、人が多いね」
賑わっているのはいい。紛れられるから。しかしはやては不思議に思ったらしく、キョロキョロと周囲を見回している。
「なんで? ここで扱っているのは魔術で、犯罪でしょう? なのにこんなに人が?」
「それが少し違くてね」
後ろからついて来るはやてに説明しながら端末で街の見取り図を睨む。あぁもう、入り組んでてむちゃくちゃ見にくい。
「外から来る人間はともかく、ここで暮らしている人にとっては魔術なんて生まれた時から傍にあるものなのさ。修行僧の身に着ける得の一環や、生活の一部としてね」
紀元前とか、一桁の世紀とかそのくらいの時代からここには魔術があった。山奥の、その上谷間に存在するが故に人に発見されず、ひっそりと魔術を使いながら生きていたのだ。
それを発見した開拓者が秘匿し、悪用しようとしたのがこの街が今のようになった始まり。彼らはきっと、この魔術が金もうけに使えたり、科学に変わる武器に出来ると思ったのだろう。だから外に漏らさず、守ろうと考えた。
「悪い奴らが悪いことしようとしたが、おいしそうな餌に食い付くハイエナは他にもいたんだろうね。それとも住民が予想より逞しかったのかな」
開拓者の思惑通りここは貴重な魔術を保存する場になっている。ただし開拓者たちの思惑から外れてもいたのだろう。既にここは一つの組織ではどうにもできないほどこんがらがってしまっていた。
「悪の組織が出入りしているのは勿論、悟り以外で解脱を試みる宗教とか、他の国を出し抜いてやろうとする弱小国とかが支配権を巡っている。中には大国家の諜報機関とかが潜入しているかも……」
「えぇ!?」
「だから誰も手を出せない。そして賑わうから魔術を知らない人も集まる。一応衛星から見えて爆撃されると困るから秘匿されているが、意外とオープンな犯罪都市なのさ」
だからこそ、ここには魔術の全てが集まっている。魔術に関する物なら大抵手に入るだろうし、少なくとも手掛かりは得られる。
「成程……でもエリザ、当てはあるの?」
「そこなんだよねぇ」
私もこの街に来るのは初めてだ。裏社会では有名だとはいえ、悪の組織に入るまでは訪れるとは夢にも思わなかった。あ、いやちょっとは考えたかも。もし百合の病弱が治らなかったら魔術に傾倒したかもしれない。
「当ては無いけど、ここでどうにか出来なければヘルガーはもう医学の発展を待つしかない。だったら行動あるのみだ」
うーん、あれ? ここはこの通りだよね? いや違うなさっきの交差点はある筈ない。ならこっちか? いや、うむむ?
「えぇい! 当てが無いなら適当に突撃だ! アドリブでなんとかなる!」
「……ヘルガーがエリザの怪我を心配する理由、分かった気がする」
はやてが何か言っているが、そんなことは無視して私は通りの店舗の一つに入った。
カランとベルが鳴り、賑やかな通りの喧騒が遠ざかる。アンティークっぽい店だ。落ち着いた木の内装と古ぼけたランプの所為で随分レトロな印象を受ける。まるで宝石店のようにガラスケースに収まった道具が並んでいたり、大きな本棚に図書室のように本が詰まっている。不思議な店だけど、魔術の店っていうはどこもこんな風なんだろうな。
「すみません! ……あ、英語じゃないと駄目だ。『Excuse me!(すみません!)』」
英語に言いなおして奥のカウンターにいる店主らしき人物へと話しかける。カウンターに肘をついて雑誌を見ている人物はフォーマルハウトの連中と似たような文様の入ったフード付きローブを被っており、いかにも魔術師らしい人物だった。私の声に顔を上げる。
その第一声は、意外なことに日本語だった。
「珍しい、日本人か? 生憎ここに置いてある本はラテン語とサンスクリット語が主で、それが出来なきゃ翻訳すら難し、い、ぞ……ぉ………」
店主の声が徐々に小さくなる。なんだ?
顔を上げた店主は日本人の男性だった。俗に言うしょうゆ顔だろうか。あまり特徴の無い顔立ちに銀縁の眼鏡をかけている。年は若く、大学生くらいにも見えた。
そんな店主の顔は驚きに満ちている。……私の顔に何か付いているだろうか? 紫の目やバーコードはこの街じゃ対して珍しくもない筈だが。
「……どうしたんだ?」
「お、お前……!」
ガタリと店主は立ち上がり、一歩後ずさった。驚愕の表情に、戸惑いと怯えが混じる。
「紅葉の姉……!」
「は?」
名字が知られている? いやそれよりも姉? 家族構成すらも把握されている? 一体どういう事だ。
……待てよ? ここは魔術都市だ。そしてこの男はどうやら私を知っているらしい。魔術と私、この二つに関わりのある人間はそうはいない。
最近の奴らや家族、それから一昨年亡くなった古本屋の老店主を除けば……一人だけ。
中学時代の記憶がフラッシュバックして目の前の店主の顔と重なる。そうだ、眼鏡が変わっているから気が付かなかったが……!
「何故、こんなところにいる悪魔!」
「え、百合のファンクラブを作ってた、オカルト部の部長!?」
ちょっと最近、ビックリするような人物と邂逅する相が出過ぎじゃない!?




